マイクロラーニング
隙間時間に少しずつビデオや記事で学べるマイクロラーニング。クイズに答えてXPとKoinを獲得すれば理解も深まります。
股関節のリストア方法
股関節の回旋、屈曲、伸展といった動き、そして脊椎の心地よい回旋の動きを楽しみながらリストア・修復するためのムーブメントをオリジナルストレングスのティムがご紹介します。心地よく動けること、動くことを楽しめること、何よりも大事ですよね!
強さとは? パート2/2
私の中では、強さは仕事の受容能力−スペースを保ち、動作を行うために筋緊張を用いる能力−に欠かせないサブカテゴリーです。筋肉を使って、可動域、姿勢、空間のなかで自身をコントロールするポイントを保ちます。強さは、損傷を与えうる力や、バランスを崩し、振り落とされるような外部からの力への抵抗を指します。さらには、関節を最大効率(上記で述べた最低有効な用量)で動かすことで、仕事を行うことを可能にする筋緊張です。 その仕事は、一定の基準を満たしていなければなりません。そうでなければ、それは無駄な動きで、自然は経済的ではないものを受け入れません。大きな枠組みでみれば、正確さを失ったその追加の5回を無理やりこなすことは、ほとんどプラスにならないでしょう。あなたはパートナーよりも多くの回数を行ったかもしれませんが、一流のアスリートは決して超えようとしない一線を超えてしまったのです。 ウエイトリフティング以外のスポーツにおいて、重りを持ち上げること以外に価値や可能性を見いだせないリフティングの何がいいのでしょう。 たとえば、ある人が海軍に入隊するために、パリス島でUSMC(アメリカ軍海兵隊)のブートキャンプに参加し、トレーニングを経験したとしましょう。これは本当の話ですが、私の友人も何人かパリス島へ行っていて、帰ってくると、行く前とはかなり違う外見になっていました。 彼らは皆、ウエイトルームで鍛え、坂道を走り、身体を強靭にするために様々なことを行い、来るべき任務に備えます。しかし、このブートキャンプで彼らが経験するのは、10マイル(約16km)のハイキングであれ、バッグを背負った状態での10マイルハイキングであれ、かなりの数の懸垂、腕立て伏せ、脚上げをするのであれ、自分自身の身体を持ち上げ、体重や背中に背負った道具を、上手にコントロールすることが目的でした。 ウエイトルームで行うことは、何セットやろうが、何回やろうが、どの筋肉グループを徹底して鍛えようが、それ自体が差になることはありませんでした。ウエイトルームの外での環境こそが、彼らが全てをつぎ込んで、能力を発揮しなければならない場でした。あなたが、リフティングを行う理由が、ウエイトルームの外で評価される何かの受容能力を上げることならば、リフティングを行う時間が、仕事の受容能力の発展を邪魔しないようにしなければなりません。 いつも笑ってしまうのですが(あなたもきっとそうでしょう)、「あなたの強さを表すものを教えてください」と聞くと、みなさん5年前にできた1回の最大拳上重量や3回の最大拳上重量を答えるのです。 こんなこと言いたくはありませんが、5年前の自分と今の自分は違います。これはほぼ全ての人に言える事です。強さは、仕事の受容能力の一つの評価として、数字で、科学的に表されるべきです。だから私はいつも「評価をするために使うテストの練習をすれば、そのテストは指標として意味のないものになる」と言っています。 マラソンは、仕事の受容能力が軽くて長い代表例で、ファーマーズキャリー(訳注:農夫の運搬動作に似た重量運搬トレーニングのこと)は、仕事の受容能力が重くて短い代表例です。どちらの活動も、適切に行うために、姿勢や動作パターンを習得する必要があります−バランスのとれた適切な姿勢、身体に負担のかからない経済的なパターンを−。 SAT(訳注:アメリカの大学進学適正試験)のようなタイプのテストに対する対策を中学二年生で始めて、高校二年生になるまで毎月SATの模擬テストを受け続けても、そのSATの点数が大学での最初の一年間の成功(本来SATを通して計ろうとしているもの)を表すとは思えません。 ちょっとの間、練習をして、誰かに「デッドリフトをこれだけできるから私は強い」と言ったとしたら、「では坂道をどのくらい走れますか?」「あなたのファーマーズキャリーのフォームはどうですか?」「懸垂を何回できますか?」などと返されるかもしれません。これらはあなたの強さを試しているわけではありません。これらは強さの狭い定義を試しているにすぎません。 ほとんどの普遍的な真実は言葉で完璧に伝達することはできませんが、正確な言葉があれば、少なくとも人々の共通経験として評価されます。私たちが現在使っている強さという言葉の扱い方を取りはらって、文字通りなくして、痛めつけて消してしまえば、仕事の受容能力を重視するようになるでしょう。それこそが私たちがウエイトリフティングを行うそもそもの理由です。仕事の受容能力に価値を置くようになれば、強さと言う、最初から誤って使われ卓はなかった言葉によりふさわしく、使いやすい定義が生まれるでしょう。
強さとは? パート1/2
ダン・ジョンとリー・バートンと共に作成した「Essentials of Coaching and Training Functional Continuums」(機能的連続体のトレーニングと指導方法の要点)のDVDを見返してみて、私たちが強さについて頻繁に言及していることに気がつきました。 私が強さは大切ではないと言っている、と考える人も多いのではないかと思うがゆえに、これは、私が取り上げてきたものの中でも最も偏向したトピックかもしれません。 しかし、私は強さが大切でないとは言っていません。 私が言っているのは、強さという言葉は、その言葉が本来持っている伝達能力と説明義務を十分に発揮していないということです。 強さを身体発達の要素と考えると、強さには明確さ、生命維持活動に必要な値、標準値などが欠如し、行動指標になりません。皆が論議はしているけれども、それぞれが考える価値基準は異なっています。強さが基礎であるならば、なぜ視力(1.0)や血圧(120/80)のように標準値を持つことができないのでしょうか?標準値を持つことはなぜそんなにも難しいのでしょうか? 標準値を持つことが難しいのは、総体的な強さ−持続性のない目先の見解−の前に、特定の強さを考えたいからです。長期的な特定の強さへの基盤は、堅固で、包括的な土台になります。 強さや柔軟性といった言葉は、人の意志の強さや適応性、あるいは身体の特性を言及するときにも使うことができます。この記事の目的としては、間違いなく強さの身体的特性について話しています。それでもやはり、私は強さという言葉に対する強い愛憎関係を持っているのです。 強さという言葉を聞いたとき、重量挙げのような重いものを持ち上げる力を思い浮かべますか、それとも、仕事の受容能力を思い浮かべますか?正直に答えてください。 私は人生の大半の期間において、強さは重りを持ち上げる能力だと考えてきました。しかし必ずしもそうではないときもあったのです。 田舎のコミュニティで育った私は、強さは仕事の受容能力だと考えていました。やがて高校、および大学でウエイトルームを使うようになり、強さは重りを持ち上げる能力だと考えるようになりました。そして今、プロとして25年間、強さに関する教育、失敗、黙想を繰り返してきて…強さは仕事をする能力だという考えに戻りました。 あなたが、パワーリフティングやオリンピックの重量挙げのような競技をしているのなら、それに集中するべきでしょう。でも、仕事の受容能力が大事なスポーツをしているのなら、ウエイトリフティングは必ずしも強くなるための唯一の方法ではありません。しかし、ウエイトリフティングは適切なパターンで行えば、強さを築き上げる上でとても重要な方法となります。ウエイトリフティングが主ではないスポーツにおいて、ストレングスコーチは、次の2つの質問を投げかけるべきです。 強化されるべき重要なパターンは何か? それを達成するために必要な最低限の容量は何か? 仕事の受容能力という言葉は、軍人アスリート、シニアゴルファー、さらには10歳の体操選手まで誰にでも当てはめることができます。仕事の受容能力とは、一定の時間を通して、疲労に屈せず姿勢や動作を持続できる能力です。全てのアスリート、および、身体動作が関わる趣味に熱中している全ての人は、疲労が技術の正確さや技能の発達を邪魔する瞬間に直面したことがあるはずです。 もう少し噛み砕いて説明しましょう。反復回数について考えるならば、完璧にこなせる回数は、定性的な強さの採点基準においてAまたはBです。完璧にこなせない回数ならば、DかFになります。完璧にこなせているかどうか判断できない場合は、永遠にCの状態から抜け出せません。 あなたは今日、完璧にできない動作を何回行う時間がありますか?基準となる尺度や量に対する質の尺度がなければ、仕事の受容能力の価値を真に測ることはできません。これに関しては、自信を持って言えます。 私たち指導者は、アスリートや活発に運動する人たちを強化して、彼らが行いたい運動ができ、欲しい技能が身につけられるようにしたいと思っています。疲労に対して包括的あるいは基本的な抵抗力がなければ、技能の発展−運動能力や複雑な動きを要求する活動−を望むことはできません。疲れてくると、固有受容器の感覚や、集中力、スムーズな動き、呼吸、生理機能が阻害されます。疲労は全ての要素に影響を及ぼします。 こういった苦しい状況は、練習環境として良い基盤ではありません。練習と言う言葉を使ったのは、技能の向上を目指しているときは、技術的な正確さが大事だからです。トレーニングについて語るときは、最低限の技術的正確さを保ち、正確さを失う前にどれだけの量をこなせるかを見ています。 誤解しないでください。私は、強さは高尚な言葉だと考えていますが、あまりにも広範囲に浅い意味に使われていて、強さについて議論する必要があるいかなる状況においても、強さが何であるかについて、意見が一致することはありません。よりふさわしい定義がないことから、私は、謹んで、強さは仕事の受容能力であると定義したいのです。 強さが仕事の受容能力であるのなら、もう強さと呼ぶのはやめましょう。
更年期がいかに女性の足に影響を与えるのか?
閉経周辺期=更年期に体験する変化には様々なものがありますが、足部にどのような変化が起きえるのかについて考えることはあまりないのではないでしょうか?ホルモンの変化が結合組織にどのような変化を与えるのか、循環にどのような変化を与えるのか等、理解を深めることの重要性を感じます。
急性vs.慢性足底筋膜炎
足底、特に踵の付け根のあたりがしつこく痛む足底筋膜炎を経験されたことがある方も少なくないと思います。急性の炎症と慢性の炎症を区別するものは何か?そして、急性、慢性それぞれの対応策として足病医であるDr.エミリーが推薦することとは?
肩関節包後部の硬さを評価する
肩関節包後部の硬さを評価するための、前後の遊びをチェックする評価方法の実践において、正しく読み取れている自信はありますか?評価の実行時に間違った方向性で行ってしまって偽りの結果を得ることにならないように、正しい評価方法を再確認することは大切です。
スクワットのトレーニングはデッドリフトを向上させるか? パート2/2
スティッキングポイントにおける関節角度 研究者たちは、非常に大まかな各部位の長さを仮定した後、リフトオフのにおける胴体、大腿部、脛の絶対的な関節角度を規定し、下記のようなスティッキングポイントにおける平均関節角度の図を作り出した。 この図は、2つのリフトにおけるスティッキングポイントは、非常に異なった体位で起こるということを示している。研究者たちは実際に、スティッキングポイントでの股関節と膝関節の角度は、スクワットにおいては比較的類似しているが、デッドリフトにおいては大きく異なるということを観察している。 これは、デッドリフトにおけるスティッキングポイントでの膝関節角度が、スクワットにおける膝関節角度よりもより伸展位にあるためである、ということが図から見て取れる。研究者たちは、デッドリフトが膝関節から股関節へと順番に起こる動きであるのに対し、スクワットは膝関節と股関節の動きが同時に起きるため、このような結果になったと記述している。 スティッキングリージョンにおける関節角度可動域 研究者たちはスティッキングリージョンにおける各関節角度の可動域、つまり、バーが最大速度となる地点からスティッキングポイント(最小速度となる地点)までの可動域を計測した。研究者たちは、膝関節と股関節の可動域はスクワットにおいては類似しているが、デッドリフトにおいては異なることを発見した。これはデッドリフトでは、スティッキングリージョンにおいて膝関節が股関節よりも小さな可動域内で動くためである。 このことは、スティッキングリージョンを通過するためには、スクワットでは、股関節と膝関節両方の伸展トルクが必要であり、デッドリフトでは、膝関節の伸展トルクよりもより大きな股関節伸展トルクが必要であるということを示唆している。この可動域は下記のグラフに示されている。 その他の観察報告 研究者たちは、スクワットとデッドリフトに対するバー速度の第2のピーク(スティッキングポイント後)に関するグラフは提示しているが、データは提供していなかった。グラフでは、スクワットにおける第2のピークは最初のピークよりも著しく高かったことが示されている。一方、デッドリフトにおいては、実質的に第2のピークは第1のピークよりも低かった。 この報告は、スクワットにおいては、スティッキングポイントからロックアウトへより楽に移行することができる一方、デッドリフトにおいては、リフターはスティッキングポイントからロックアウトへと移行するために懸命に努力しなくてはならないと示唆しているために、非常に興味深いものである。 *** 研究者たちはどのような結論に達したのか? 研究者たちは、スクワットとデッドリフト両方のスティッキングポイントが、各リフトにおいて異なる場所で起こるということを観察した。彼らは、デッドリフトが膝関節から股関節へ順番に起こる動きにより行われるのに対し、スクワットは膝関節と股関節で同時に起こる動きにより行われるということを記述している。 そのため研究者たちは、個々のリフトには著しく差異があり、これらのリフト間にはクロスオーバー効果は存在しない、と示唆していると結論付けた。それゆえ彼らは、スクワットやデッドリフトのどちらかを、その他方を向上させる為に行うことは効果的ではないかもしれないと示唆している。 *** 制限要素は何か? この研究には下記のようないくつかの点において制限があった。 これはスクワットとデッドリフトの即時的な生体力学の比較であり、トレーニングに関する研究ではなかった。それゆえ我々は、その研究は、スクワットトレーニングがデッドリフトのパフォーマンスに反映するかどうかの有益な洞察を提供したとしても、トレーニングの研究が提供するようなレベルでの情報は与えてはくれないということを知っておくべきである。 この研究はパワーリフターにおいて行われているため、その結果を他のアスリートへ当てはめるには注意が必要である。 この研究はそれぞれの主なポイント、もしくは、主な段階におけるバーの最大加速度を記録していなかった。2つのリフト間で、特に床から持ち上げる際のバーの最大加速度を比較すれば非常に興味深かったであろう。 この研究は、それぞれの主なポイント、もしくは主な段階において、各関節の最大角度の速度と加速度を記録していなかった。特に床から持ち上げる際の2つのリフトの最大関節角度の速度と加速度を比較すれば非常に興味深かったであろう。 この研究には、パワーリフターが1つのリフトからもう一つのリフトへの移行に気がついたかどうか、また、そのリフトが相互に成り立っていることを感じたかどうかというような質的情報が含まれていなかった。スクワットのフォームがデッドリフトのフォームと似通っている個人では、2つのフォームが著しく異なる個人よりも、よりトレーニングのクロスオーバー効果がみられるかどうかを見るために、長期にわたるトレーニング研究で測定されたスクワットとデットリフトのフォームの相互個性を比較できればよかったであろう。 *** 実践的な意義は何か? パワーリフターに対して スクワットとデッドリフト両方のスティッキングポイントは、各リフトにおいて異なる場所で起こる。ゆえに、パワーリフターが、向上の戦略を練るためには、それぞれのエクササイズにおいて別々にスティッキングリージョンを確認する必要があるかもしれない。 スクワットは膝関節と股関節で同時に起こる動きであり、デッドリフトは膝関節から、そして股関節へと順番に起こる動きである。これは、スティッキングポイントの差異と共に、スクワットをトレーニングすることはデッドリフトのパフォーマンスにそれほど良く移行することはないであろうということを示唆している。ゆえに、パワーリフターは、各リフトに対して別々のトレーニングルーティンを特定するべきである。 デッドリフトのスティッキングポイントは、股関節を比較的屈曲し、膝関節を比較的伸展させたポジションで起こる。この関節角度の組み合わせは、伸張され、そのため活発になったハムストリングスの筋肉群を示唆する。それゆえ、補助的なエクササイズで、特に股関節の伸展を通じてハムストリングスの筋肉をトレーニングすることは、デッドリフトのパフォーマンスの向上に有益であるかもしれない。 デッドリフトのスティッキングリージョンでは、膝関節の可動域よりも股関節の可動域がかなり大きい。これは、デッドリフトのスティッキングリージョンを通過するためには、股関節の伸展トルクは膝関節の伸展トルクよりもより重要であることを示唆している。ゆえに、デッドリフトのパフォーマンスを向上させるための戦略は、股関節の伸展トルクを向上させることから始まるべきである。 スクワットのスティッキングリージョンでは、股関節と膝関節の可動域が類似している。これは、スクワットのスティッキングリージョンを通過するためには、股関節と膝関節の伸展トルクが同等に大切かもしれないということを示唆している。ゆえに、スクワットパフォーマンスを向上させるための戦略は、股関節と膝関節の伸展トルクの両方を同等に向上させることから始まるべきである。
スクワットのトレーニングはデッドリフトを向上させるか? パート1/2
オンラインのパワーリフティングコミュニティーでは、スクワットのトレーニングがデッドリフトのパフォーマンス向上につながるのかどうか、という議論が引き起こされている。多くのリフターが、スモロフスクワットやロシアンスクワットプログラムのサイクルによるデッドリフトの向上を報告しているが、他のリフターはそれほど運が良いわけではなく、デッドリフトを行うことからよりよいデッドリフトのパフォーマンスを得ている傾向にある。 スクワットとデットリフトのクロスオーバー効果を分析するだけの十分なトレーニング研究がなされていない状況において、我々はその2つのエクササイズの生体力学的な類似性を調査している、即時的研究に目を向けなければならない。 この研究は、デッドリフトに関する個人の生体力学的な特性に関しての非常に興味深い手掛かりに加え、いくつかの有益な洞察を提供している。 研究論文: コンペティション中の、パワーリフティングスタイルのスクワットと標準的なデットリフトの運動学的解析:これらのリフト間にクロスオーバー効果はあるのか? へールズ、ジョンソン&ジョンソン、ストレングス&コンディショニングリサーチジャーナル、2009年 *** 背景 多くのパワーリフターたちは、スクワットとデッドリフトが非常に類似した特性を持っていると信じており、ゆえに、どちらか一方のリフトを行うことは、そのクロスオーバー効果によりもう一方のリフトを著しく向上させると考えている。しかしながら、このクロスオーバー効果が起こるのかどうかは明確ではない。 スクワットとデッドリフトパフォーマンスの間の関係を評価するために最適な研究デザインは、一方のパワーリフターのグループがスクワットエクササイズのみのトレーニングサイクルを行い、もう一方のグループがスクワットエクササイズとデッドリフトの組み合わせのトレーニングサイクルのみを行うというようなトレーニング研究であろう。デッドリフトに関しても、デッドリフトのみのグループとデッドリフトとスクワットのグループといったように、同じような研究を行うことができる。しかしながら、このような研究が存在しない状況においては、この2つのリフトの生体力学的類似性の即時的評価が行うことができるであろう。 このような生体力学的評価に関して、これまでの研究では、スクワットとデッドリフトの両方に膠着領域(スティッキングリージョン)があるということを確認している。そのスティッキングリージョンこそが、どのようにしてパフォーマンスを最も向上させるかの評価のために分析するべき、リフトの重要な部分なのかもしれない。スティッキングポイントでは、バーが減速した前段階を受けて、バーの速度は最小である。(そしてそのため、リフターによってバーベルにかけられた力は、重力によってバーベルにかけられた力よりも少ない。) 結果的に、スクワットとデッドリフトのスティッキングリージョンを調査することは、その2つのリフトが生体力学的に類似するのか、もしくは異なるのかを評価するために有益であるかもしれない。 しかしながら、特にデッドリフトにおいて、そしてある程度スクワットにおいても、個人のパワーリフターが、より膝を屈曲させたポジションや上体を起こしたポジションでのレッグリフト戦略を導入しているか、もしくは、より膝を伸展させ、上体をより屈曲させたポジションでのバックリフト戦略を導入しているのかにより、個体差があるかもしれない。これは、デッドリフトのパフォーマンスに対してスクワットトレーニングからの恩恵を受け得る人達が存在する、ということを示唆しているのかもしれない。 *** 研究者たちは何を行ったのか? 研究者たちは、生体力学的な観点から、類似の程度を究明するため、スクワットと標準的なデッドリフトの関節角度の動きを比較したいと考えた。そのため彼らは、地域のパワーリフティングコンテストにおいて、全国大会への出場権を得た男性競技者25名を集めた。 研究者たちは、4台の同期化されたビデオカメラを使用し、パワーリフターがコンベティションにおいてスクワットとデッドリフトを行う際の3D分析を行った。このセットアップにより様々な関節角度と可動域(ROM )の計算が可能となり、リフトオフ、ニーパッシング、ロックアウト、の3段階においてリフトが分析された。 *** 何が起こったのか? バーの速度 研究者たちは、リフトオフではスクワットとデッドリフトの間で、バーの平均速度に著しい違いがあるが、バーの最高速度地点や、スティッキングリージョンにおいては差異がないことを発見した。下記のグラフで見られる通り、スクワットにおいて、コンセントリック段階の始めではバーの速度は非常に低速であった。 デッドリフトは完全停止からのコンセントリック段階から始まり、スクワットはエキセントリックの段階があることにより得られた伸張—短縮サイクルの恩恵から始まるということを考えると、非常に興味深い。それは、スクワットのボトムポジションからの加速に比較して、床から持ち上げるデッドリフトの加速は、より大きいかもしれないということを示唆している。しかしながら、研究者たちが提供しなかった加速の数値なくしては、これが事実であるのか否かを述べるのは困難である。 もしデッドリフトが床からバーベルを持ち上げる際、かなりの加速を要するとするのであれば、デッドリフトは、スポーツパフォーマンスの鍵である力産出の速度を訓練するために非常に有益であると言えるだろう。これは確実に更なる研究が有用となる領域である。 リフトオフにおける関節角度 研究者たちは、非常に大まかな各部位の長さを仮定した後、リフトオフのにおける胴体、大腿部、脛の絶対的な関節角度を規定し、下記のようなリフトオフにおける平均関節角度の図を作り出した。 この図は、リフトオフ(コンセントリック段階の始まり)の時点で、デッドリフトでは胴体がより水平となり、スクワットでは、胴体がより直立の状態となるということを示している。 その他にも注目すべき点が2つある。第一に、パワーリフターは、デッドリフトの際に非常に小さな脛の角度を示しており、この角度はスクワットにおける角度よりも実際に小さかったということは注目に値する。私は、より垂直な脛骨を想定していた。以前デッドリフトのスティッキングリージョンについて記述したように、このことは、これらの被験者たちは経験豊富ではなかった可能性があり、より経験豊富なアスリートでは異なった結果が観察されたかもしれないということを示唆している。 あるいは、リフトオフのポイントが最初のプル直前であった可能性があり、バーにテンションがかかった瞬間に脛骨の角度が著しく増加したのかもしれない。しかしながら、スティッキングポイント(下記参照)における脛骨の角度は90度よりもはるかに小さかったため、これには確認が持てない。 第二に、この研究におけるスクワットの深さは非常に乏しいものであった。これは、被験者たちが経験豊富でなかった可能性があり、より経験豊富なアスリートでは異なった結果が観察されたかもしれないという観察を支持している。
ユーススポーツのパフォーマンストレーニングに関してふと思いついたこと
1. 少年スポーツにおいてもウォームアップは重要です。 私の記事を長年読んでくださっている方なら、私が、その後のパフォーマンスを最適化し、ケガのリスクを軽減する手段として、質の高いウォームアップを大いに推奨していることをきっとご理解いただいていると思います。 しかし、この点に関する私の著作のほとんどは、野球や筋力トレーニングなど、より高度な、そしてより年齢の高い人々に焦点を当てたものであることを認めざるを得ません。 一方、ユーススポーツのウォームアップの中には、包括的とは言いがたいものがあります...ウォームアップ自体が、実際に存在していたとして、というところですが。 幸いなことに、この見落としを正すために、「Effectiveness of Warm-Up Intervention Programs to Prevent Sports Injuries Among Children and Adolescents」という最近のメタ分析を紹介する機会を得ました。全文はこちらでご確認いただけます。 Dingらの懸命な研究の簡単な概要は、21,576人の総アスリート(7~18歳)を対象とした15の綿密に選択された研究において、15~20分のウォームアップは怪我を36%減少させたというものです。 健康維持に役立つことはもちろんですが、この結果で興味深いのは、さまざまなウォーミングアップの工夫が怪我の軽減に役立ったということです。 より年齢が高くトレーニングを受けている人たちでは、体温の上昇、ひいては組織の伸長性からくる効果が大きいと思われます。 逆に、このメタ分析にあるような若くてあまりトレーニングを受けていない集団では、ウォームアップによって実際のトレーニング効果(バランスの改善、筋力の強化、着地のメカニクスの最適化など)が得られるので、おそらくより慢性的にケガから守られているのでしょう。 そのため、アスリートにとって重要なトレーニングを「マイクロドーシング」することは常に有益であり、ウォームアップはコーチがそれを行うことができる手段の1つであると考えています。 もし、ドリルを別の時間に行ったら、これほど効果が顕著になったかどうかを考えるのは興味深いことですが、適応は適応ですし、ウォームアップはグループ環境での説明責任を保証する最良の方法でしょう。 2. グラウンドからスタンディングへのトランジションは、若いアスリートにとって最もハードルの低いものでしょう。 私の最も親しい幼なじみの一人は、農場で育ちました。私が干草を積むのを手伝いに彼の農場に行った最初の時のことを忘れられません...私達は巨大な畑を6時間かけて歩き回り、トラックの荷台に干し草を積んでいったのです。 今まで干し草の俵の重さをわざわざ調べてはいませんでしたが、どうやら40ポンドから75ポンドまであるようです。 1週間くらい全身が痛かったのも説明がつきます。 驚くべきことでもないかもしれませんが、その友人は3種目のスポーツが得意で、レスリングでは州チャンピオンになりました。 明らかに、農場は彼に一貫して努力する方法を教えてくれたのです。 干し草の運搬、家畜への給餌、掘削など、ほとんどの肉体労働は、低から高への力の伝達を伴うことに気づかずにはいられません(これは、多くの運動競技と大差ありません)。 もしあなたが農場に住んでいないのであれば、ターキッシュ・ゲットアップ以外にも、トレーニングでこのダイナミクスに挑戦する良い方法があれば教えてください。
身体機能の柔軟性:複雑な構造をシンプルに
ゴルフ、フットボール、サッカーを始めとして、あらゆるスポーツのトレーニングにおいて、多くのアスリートは筋力トレーニングの重要性は知っていても、柔軟性プログラムの重要性についてはほとんど理解していないのが実情です。 しかし実は、身体の柔軟性こそが、私たちの動作の基盤なのです! 実際、身体に柔軟性がなければ、パワーや筋力、心臓血管系能力、また筋持久性を最大レベルにまで引き出すことはできません。柔軟性はリハビリやパフォーマンス向上のための要であり、傷害を防ぎます。にもかからず、柔軟性プログラムはそれほど一般化していないのが現状のようです。 それには様々な理由が存在するのでしょう。 ひとつには、リサーチによる見解にばらつきがあり、それがより多くの混乱を引き起こしているということ(1)。 しかし、ほどんどの調査の背景となっている本質(またはそれすら存在しないという点)をよく検討してみると、様々な見解が混在している理由が簡単に理解できます。 どのようなテクニックを選択して採用するか、しかもそれらが基本原則に基づいた手段であるかということは、専門家にとって重要なことです。しかもこの手段は、各個人を対象とした必要性に限定されるものでなければならず、独断的に考案された指針に従っていてはならないのです。どのような手法を採用するかを決定するには、まず以下に述べる3つの基本原則を検討する必要があります。これらは、患者やクライアントの身体の機能的な柔軟性を評価し対策を立てるための基本原則です。 身体の機能的柔軟性に関する3つの基本原則: 各個人を対象とし、タスク=課題によって決定されるものであること 三次元であること 可動性/安定性のシステムであること 身体の機能的柔軟性とは、私たちの身体がより良く機能することを可能にする柔軟性を意味します。これによって私達は、最適にかつ効果的にタスクを実行することができるのです(2)。機能的柔軟性の的確な働きは各個人、そしてそのタスクによって決定されるものです(3)。従って、筋肉の起始部と停止部に着目しただけの一般のストレッチでは、機能性を最適に提供することはできないのです。 プラクティショナーは、患者またはクライアントのタスク実行時の、筋肉の働きをよく認識する必要があります。言い換えれば、筋肉がどのように働くのかは、そこにあるタスクによって決定づけられるものであって、マニュアルやテキストブックによって決められるものではありません。だからと言って、テキストブックの作者が間違っていると示唆しているのではないのです。テキストブックを作成する際に実践した特定の動きやポジションに関しては、正しい内容であるはずです。 私達の身体が、その角度やポジション等を変更すると、その機能も変化します。ですから、より機能的な柔軟性を得るためには、そこで使用するテクニックが、実際に行おうとする動きの機能に似通ったものである必要があります。そのため、私たちは筋肉や筋膜、腱や靭帯、神経や関節包、そして関節が、特定のタスクにおいてどのように3次元的に動くのかを理解する必要があるのです。単に、どの位動かせるかだけではなく、いかによく動かせることができるかも含めて。 これは可動性と安定性の原則です。3つの面全てにおいての、適切な量の可動性とそれに伴う適切な安定性は、テキストブック通りではなく、個人や意図するタスクによって特定されます。全てのタスクは、それぞれに異なったレベルの可動性と安定性を必要とするのです。 この複雑な内容を単純化するために、私達が実践している、3つの基本原則を適用した実践的な方法をご紹介します。この方法は皆さんが、次回のアセスメントや評価を行う際に使っていただくことができます。 何よりもまず大切なのは、各個人、そして、それぞれのタスクのユニークさを理解することです。各個人の現在のコンディションや、制限要素、懸念事項、何を望んでいるのかを理解した上で、意図するタスクをできる限りアスレチックな機能を伴う状況で評価します。ここで重要なのは、患者やクライアントが何を望み、何を必要としているのか、そして彼らが現在何をうまくやり遂げることができているのかを理解することです。ここから、彼らを正しい方向に向けて、可能な限り迅速に、そして安全に導く方法を作り上げます。例えば、レベル1から始めて、個人やタスクごとに必要性に応じて、レベル2やレベル3に進んでいくといった具合です。 レベル1:タスクによって特定 特定のタスクを正確に実行する能力を評価します。例えば、歩行、ランジ、スクワット、ピボット、ステップ、リーチ、走る、バランスをとる、何かを拾い上げる、右手を伸ばしながら座る、等。 これらを行うことで痛みや不快感を伴ったり、自信をもって実行できない場合には、これらのタスク実行の補助となる、正しいサポートが必要になってきます。 例えば、ある人が、スプリットスタンスの立位から、膝の高さまで前屈した場合、腰部にストレスを感じるとします。この場合、かがむ度合いをウエストの高さまでに変えたらどうでしょう?不快感を同程度に感じるでしょうか?それとも減少するでしょうか? 痛みが減少した場合、初回の評価時の可動範囲で不快感を感じた要因は、背中にあるのでしょうか?それとも股関節にあるのでしょうか? 身体の角度やポジション、高さやドライバー(駆動要因)、可動範囲等を変化させ、探偵のように探ってみましょう。それによって、その人が希望する、あるいは必要とすることを上手く実行するための方法を見つけ出すことができるのです。 これが成功しなかった場合は、レベル2に進んでください(レベル2はレベル1と大きな違いがないように見えますが)。 レベル2:外部補助を伴うタスク 意図する機能の実行に、外的な補助、あるいは安定のポイントを追加します。私達の方法を例にとれば、トゥルーストレッチステーションや戸口等の、外部的なサポート要素を加える、ということになります。こういった外部的補助は、患者やクライアントを特定の可動域、又はゾーンに位置させた状態から、動きのドライバー(駆動要員)を適用することを可能にします。彼らが動きを実行している状態で、触診のスキルを使って、チェーンリアクション全体の評価を行い、一連のチェーンの中の“弱いリンク”を見つけ出すようにします。これが可動性と安定性の基本原則の適用となります。 身体は安定性を知覚し、可動性を表現し、実践します。もし、ある個人に充分に可動性がなく、身体構造の組織の状態や、張力のレベルを評価する必要のある場合は、レベル3の方法で、該当する身体構造(特定の機能ではなく)を確認するようにします。 レベル3:身体構造によって特定 身体構造を評価するための環境として、マッサージテーブル等を用意します。実際の機能的なタスクとは異なる環境となるため、ここで得た結果には偏差が生じることを理解した上で、望む結果が機能的なものであるとすれば、ここで得た結果を機能に関連付け、統合する必要があります。 伝統的には、患者やクライアントの症状や特定の身体構造の緊張具合の確認から始まり、レベル3、最終的にレベル1へ戻れるよう多くのテクニックが指導されています。 このパラダイムシフトでは、特定の身体機能を実行することよって、今現在の状況が、本来あるべき機能からどれだけかけ離れているのかを確定し、それから孤立した構造へのアプローチへと進むようになります。 この方法は、時間を有効に使えるのみでなく、患者やクライアントに、機能によってより良い機能を増幅させることができる、という希望を与えることができます。機能とは常に変化するものであり、その性質上複雑なものではありますが、本来あるべき機能に従うことで、シンプルにより良く働かせることができます。 患者やクライアントの伝えようとすることを聞き取り、彼らの経験や動きを観察することで、より良い健康を実現するための指針とすることができます。 応用機能科学(物理科学、生物科学、行動科学の総体)の基本原則を適用すれば、柔軟性にも新たな意味合いをもたらすことができます。機能的な柔軟性は、各個人の全体性を認識したものです。身体の全体性のダイナミクスを理解することができれば、各部分の相互作用の特性やパターン、そしてその基本原則をも理解することができるでしょう。
エビデンスに基づいた臨床 - 好きですか、嫌いですか? パート2/2
どのような課題があるのでしょうか。(つづき) イエスかノーかの二者択一ではない もう一つの問題は、この“効果がある”という概念です。これは、フリクエンティスト・アプローチのような、仮説を受け入れるか拒否するかという考え方に由来していると思われます。簡単に言うと、2つの二者択一があるわけで、仮説を受け入れるか拒否するかで、効果があるかないかが決まるのです。 P値はこのような判断をするためにしばしば使われてきましたが、ありがたいことに、今回のような判断の目的にはあまり適していないので使われなくなってきました。P値は、仮説の正しさよりも、統計モデルの正しさについて示してくれます。統計情報は、それを生成するために使用された方法や、なぜ方法論は論文から得られた結論に大きな影響を与えるかという理由次第なのです。 データだけではない また、患者さんの話も、私たちが意思決定をする際に用いるべきエビデンスの重要な部分です。二重盲検法や無作為化法ではありませんが、私たちの助けを必要としている目の前にいる人の体験談です。患者さんの話は、患者さんの話の信頼性の低さを指摘するためによく使われる、彼らがどのような治療を受け、どれだけ成功したかということだけではないのです。 ひとつの論文ではなく数多くの文献を 腰痛を例にとると、このテーマに関するエビデンスは膨大なものになるでしょう。ですから、偏見を裏づけしてくれるようなお気に入りの論文だけでなく、上記のことも考慮する必要があります。こっちの論文がそっちの論文に勝るというのは、トップ・トランプのゲームのようなもので、EBPの本来の活用の仕方ではありません。 前へ進もう EBPを受け入れるか否かを決める前に、EBPとは何か、EBPは何を教えてくれるのかについて、自分なりの考えをまとめておく必要があるかもしれません。この分野における自分なりのアプローチや哲学は何でしょうか?おそらく、この分野や他の分野に関する個人の哲学は、時間をかけて自分自身の哲学を確立するというよりかは、他の人の哲学に影響されることが多いのではないでしょうか? 私の見解は?そうですね、EBPは、目の前の患者さんに対して確固たる答えを与えてくれるわけではありません。2週間後、6週間後、12週間後に何が起こるかを正確に予測することはできませんし、多くの場合、なぜ起こったのかという理由を正確に教えてくれるわけではありません。制御できないことや測定できない事はたくさんあります。しかし、より広い集団レベルで偏りの少ない方法であれば、問題に関する確率や見解を理解するのに役立ちます。自分の患者が反映されていそうなサンプリングが行われ、適切な方法が用いられていれば、何が最も起こりやすいかという予測やパラメータを得ることができるはずです。 統計学者がフィッシャースタイルの仮説検定から、信頼区間を重視した効果推定に移行しつつあるように見えるのは、まさにこのためです。また、私たち人間として当然持っている先入観をある程度制御するのに役立ちます!無作為化や盲検化などは、研究手法の批判として非常に無遠慮に適用されることがありますが、メリットもあります。 EBPが完璧でなく、またすべての答えを提供していないからといって、単純に否定されるべきではありません。それはまさに私たちをここまで導いてきた二者択一的なアプローチであり、EBPを受け入れるか否かは、答えではありません。もし、私たちがアプローチ方法や介入を試す立場でなかったら?と想像してみてください。リハビリの無法地帯になるでしょう。要は、EBPの本質とそこで問われているテーマに関する現在把握できる最良のデータを理解することを含んだエビデンスの賢明な使用に尽きるのです。エビデンスは、多くの場合、私たちに何をすべきかを正確に教えてくれないかもしれませんが、その価値は、何をすべきでないかを教えてくれることにあり、私はこのことに大きな価値があると考えています。 確実性ではなく見込み つまり、研究をベースにすることは、私に意思決定の出発点と絞り込みの方法を教えてくれます。研究を単に拒否してしまえば、理想的なヘルスケアとは決して言えない多くのでたらめなものに置き換えられてしまうのです。EBPはすべてに答えてはくれませんが、私が理解するにそもそもそういうものなのです。 私たちは、セラピーを、研究論文で予測されるような確定されたプロセスではなく、情報に基づいた試行錯誤であると捉える必要があります。研究は情報に基づいた部分であり、応用や結果はもう少し流動的で試行錯誤の部分が多いのです。 結論 このような議論では妥協点に落ち着くあたりに真実が存在するのかもしれません。研究やエビデンスを受け入れ過ぎたり、頼り過ぎたりすると、研究とは何かという大事な点を見失ってしまいます。しかし、完璧ではないという理由で研究を否定したり、効果がないと“証明”されていることが有効であるといった対極的な立場は、前進ではなく、むしろ後退することになってしまうのではないでしょうか。そうではなく、研究が何をもたらし、何をもたらさないかをよく理解した上で、研究を賢く利用することに立ち戻ろうではありませんか。
エビデンスに基づいた臨床 - 好きですか、嫌いですか? パート1/2
最近、エビデンスに基づいた臨床(EBP)に対する反発があるようですが、その問題の一つは、エビデンスに基づいた臨床とは何か、そうでないものは何かについて、実際かなり大きな誤解があるのからはないかと私は考えています。 この反発は、EBPがあまりにも限定的で、すべてに答えを見出せないという考えと、自分たちの実践において“エビデンス”をあまりにも重視しすぎてしまうこともできるという考えを中心に展開しているようです。おそらく十分な批判的評価がなされず、厳格で柔軟性に欠けた視点になっているのでしょう。私の意見では、過度な経験的見解は、EBPがすべての疑問に答えを提供してくれず必ずしも100%正しいわけではない、という理由でEBPを単に拒否するのと同じくらい問題があると認識する必要があります。 ですから、EBPをよりよく理解する必要があるのではないでしょうか? ‘エビデンスに基づく’ということで、何が‘効果的’で何が‘効果的でない’のかについて確信が持てるようになるわけではありません。個体間で一貫した結果をもたらす厳格なプロトコルということでもありません。誰かの意見や経験だけではなく、科学的なプロセスに基づいて、詳細な情報を得た上で意思決定をする方法なのです。 明らかになってきたこととして、このようなトピック(ここではEBP)がセラピストの業界で話し合われる際、二者択一的で部族主義的なアプローチになっているということがあります。あなたはエビデンに基づいたセラピストですか?あなたはマニュアル(手技)セラピストですか?あなたはエクササイズを主に行うセラピストですか?痛みの科学を追求するセラピストですか?このようにレッテルを貼ることが他者を一般化し、非難するために使われているようです。 EBP(エビデンスに基づいた臨床)とBPS(生物心理社会モデル) もしかしたら、ただもしかしたらですが、この議論はEBPについてではなく、EBPがどのように使われているかということなのかもしれませんね。EBPは、Sackettが提案したような“賢明な”方法で使用されなければ、かなり鈍いツールとなります。EBPは生物心理社会モデル(BPS)に似ていて、ステップバイステップ(段階を追って)で実行する方法というよりも、哲学や考え方のようなものなのです。 EBPとBPSの両方とも、従来の臨床的な方法/モデルよりもはるかに概念的で広範であり、それは素晴らしいことでもあれば、困ることかもしれず、臨床の応用性を明確に提供しないことがしばしば批判されています。私が思うに、EBPとBPSの両方のアプローチの最大の欠点は、臨床的な意思決定を正当化するためにある領域だけを意図的に選択してしまうことです。EBPの3つの領域、すなわち研究データ、臨床経験、患者の意向は、3つが揃って使われるべきで、3分され臨床上の決定を支持したり正当化したりするためではありません。Housmanは、統計学の利用について、彼の有名な格言で指摘しています。 “酔っぱらいが灯りを求めるためでなく、体を支えるために街灯にしがみつくように統計学を使う人がいる” EBPの基準を満たすために患者の意向を利用することは、EBPがこのように変容してしまった良い例です。患者の意向は、単にどのような介入を受けるべきということだけではありません。患者が関わる必要のありえる判断は、介入以外にもたくさんあります。“患者が鍼治療を希望したので(単に一例として)、鍼治療を行いました”ということは、EBPの要件を満たしているため、使用する正当な理由にはなりますが、そうではなく、治療過程におけるより広い視野を伴った患者の視点という言葉を使った方がもっと適切かもしれません。 どのような課題があるのでしょうか。 EBPを好意的に受け取る一個人として、EBPに関して存在する問題や課題、そしておそらく誤解に直面することが重要です: EBPは単に明確な答えを与えてくれるものではありません エビデンスはしばしば不明確で矛盾していることがあり、臨床の成功への明確で間違いのない道筋を示すものではありません。このことは、研究のエビデンスを利用するプロセスの一環として受け入れなければなりませんね。残念ながら、これはEBPを拒否する人たちの原因の一つにもなりえるかもしれません。 出版されたからと言って、それが“真実”になるわけではありません 論文の結論に書いてあるからということで、それが非難や批評を超えて、魔法のように確固とした真実となるという考え方は、おそらくEBPの使われ方の大きな欠点でしょう。これは、セラピストが様々なソーシャルメディア上でパブメドの論文抄録をやり取りし合う事態につながるかもしれません。時には(おそらく頻繁に)その論文を読みもしないで。しかし同じように、自分の偏見に合わなければ、問題点を見つけるために徹底的に探すでしょう。 答えはしばしば望んでいるほど広範ではない もしかすると臨床医は、EBPが現時点で提供できること以上のことを望んでいるのかもしれません。例えば、本当に大きな疑問に対して、1つの論文で完璧な答えを欲しがるようなものです。よくある例としては、“エクササイズは手技療法よりも効果があるのか”という問題があります。この質問は、あまりにも範囲が広すぎるため、これまで一度も訊ねられたことがありません(私たちも欲しがっている答えかもしれませんが)。どのような状態に“働きかける”のか、“効果”をどのように測定するのか、研究対象者、エクササイズや手技療法を行う方法などを定義しなければなりません。