 
              リハビリにおけるエクササイズ処方
リハビリで運動療法を行う上で、どの運動をどの程度行うべきか悩んでいませんか?このプレイリストでは、運動の選び方から具体的な処方量まで、理学療法士の皆さんが日々の臨床で役立つ情報を提供しています。より質の高いリハビリを目指しましょう。
 
    	実用最小限のエクササイズ
先日、私がオフシーズンの間トレーニングをみている大リーグのピッチャーの一人と会話をしていたのですが、その時の話は、皆さんとシェアする価値があると思いました。彼の腕のケアのプログラムの取り組みで、長距離投球プログラムの最初の構成を考えていたとき、私たちは、どのくらい遠い距離の投球を試すべきかについて話し合いました。以前は、彼は36mから54mの間の距離しか投げませんでしたが(若い皆さん、メモを取ってください。オフシーズンは54mの投球をするだけでもメジャーリーグに行くことができるのです)、91m以上の距離を投げる流行の長距離投球プログラムを耳にしていたのです。 私の返答は、説得とは程遠く、「状況による」というものでした。私は、それぞれのピッチャーに個別化されたプログラムを作る必要性を強く感じています。私はさりげなく、彼は結構激しく投げていること、彼は既に大リーガーであるということを思い出させました。ただのプロ野球選手ではなく、実際の大リーガーだということを。 ”そうだね、しっかり投げているけど、もっと強く投げられたらどうなのかな?“というのが彼の反応だったのです!これに同意はしたものの、私が言ったのは”OK, だけど何の結果として?“ということでした。 実用最小限の製品(MVP=Minimum Viable Product) このことが、「実用最小限の製品」の概念へとつながりました。 ビジネスの世界にいる人ならば、「実用最小限の製品」という概念を聞いたことがあるはずです。実用最小限の製品とは、これだけあれば発売できるという最小限の要素を備えた製品をいいます。削ぎ落とされた製品だと考えてください。無駄のない製造業ビジネスモデルでは、この実用最小限の製品というアプローチは、大きな賭けをした後にそれが間違っていたことがわかるというのではなく、売っていく中で製品を評価して、調整するという考え方を中心とした多くの利点があります。もしあなたが、一つの製品に全てを賭けて、その製品が失敗してしまったら問題です。なぜならあなたは、その製品に少なからぬ時間、エネルギー、お金をかけてきたからです。 なんというビジネスとリハビリやパフォーマンスの世界の共通性なのでしょう!どちらも、評価して、調整するなかで成長します!これまで何回これと同じことを述べてきたでしょう(沢山です)! ビジネスの世界では、これは成功か倒産かという違いになり得ます。 私たちの世界では、これはパフォーマンスの向上か怪我の受傷かという違いになり得ます。 実用最小限のエクササイズ ここで、「実用最小限のエクササイズ」が役に立ちます。実用最小限のエクササイズは、最低限の強度で、望ましい効果を出すエクササイズです。はい、その通りです、私は今これをでっち上げてしまいました。でもこれが、私の実用最小限のエクササイズの定義の仕方なのです。 パフォーマンスを向上し、怪我を最小限に抑えるためには、最低限の強度で、望ましいトレーニング効果を出すエクササイズを選択します。 長距離投球を「エクササイズ」の例、速度を理想的な「効果」として使い、速度を速めるのに必要なだけ遠くに投げてみる、それだけです。これは常に「多ければ多い程良い」というアプローチではありません。このことを考えるとき、私は、ジェリー・セインフェルドが、「最大の強さのものを与えてくれ。どこまでいけば私が死ぬかがわかったら、そこから少しだけ弱めるんだ。」と言った、最も強力な薬物療法に関するジョークを思い出さずにはいられません。 この考え方は、重量ボールを投げることにも適用されますが、一年を通して投げることの方に、より適用されると言えるでしょう。多くの野球指導者は、オフシーズンに投球を休むことは、改善の機会を失うことだと感じています。一年に8ヶ月以上投げることにより、怪我は5倍に膨れ上がるという統計的研究があるにも関わらずです!私たちは大抵、「実用最小限のエクササイズ」よりも断然に「最大強度のエクササイズ」を選ぶ傾向にあります。 最初の長距離投球の議論に戻ると、これには2つの実施方法が考えられます。一つ目は、速度が上がることを願って(そして怪我をしないことを願って)、いきなり91mを超える長距離投球プログラムを始めることです。それに対し、実用最小限のエクササイズのアプローチでは、ゆっくりと、徐々に距離を伸ばしていき、再度評価を行います。 速度は上がりましたか?その距離で適切なメカニクスで、長距離投球を行うことはできましたか?その距離でかかるストレスに、身体が耐えることができていないサインはありますか?こういった情報によって、手遅れになる前に、段階を進めていくのか、戻るのか、あるいはこの段階で満足してこのレベルを維持するのかといった正確な調整をすることができます。 その反対が、よく見かける、若いアスリートが急に強度を上げて「最大強度」のエクササイズを行うことにより怪我をしてしまうことでしょう。リスクと報酬の明確なラインは、この時点では見極めが非常に難しいのです。 実用最小限のエクササイズは、野球だけに限らず、リハビリテーション、フィットネス、パフォーマンストレーニングの様々な場面に応用することができます。ここでの話題の文脈として使っているわけですが、私は、この実用最小限のエクササイズという概念は、私たちが実感している以上に既に使われていると思っています。デッドリフトの強度を上げようとしているとしたら、重りを急激に上げて、悪いフォームでリフティングを行うリスクや怪我をするリスクを取ろうとはしないでしょう。その代わりに、小さく、徐々に重りを増やしていき、評価をして、調整していくことでしょう。 誤解しないでください、私は追い込むなと言っているわけではありません。そうではなく、賢く、体系的な方法で追い込んで欲しいのです。 欲張って、急に最大強度のエクササイズを行うようなことはしないで下さい。途中で評価、調整できる賢いプログラムを作ってください。それが実用最小限のエクササイズなのです。
 
    	リハビリテーションプロトコルを捨てるべき時が遂に来たのか?
理学療法におけるリハビリテーションプロトコルの使用は、依然として一般的な実践です。私は最近簡単な読者調査を行い、彼らの大半が同意しています:大多数は、いまだにプロトコルに従っているのです。 しかしながら、最近のソーシャルメディア上の傾向は、これらのガイドラインやそれに従う人たちを批判することとなっています。プロトコルの使用を避けたまま大学を卒業してきている学生達さえもいます。私は数年に渡って次のような苦情を沢山聞いてきました: 私たちは紙切れに従うのではなく、脳を使わなくてはならない 理学療法士は料理本(のようなもの)に従うべきではない 理学療法は白黒はっきりしたものではない 私たちは治療法を個別化する必要がある 私は、これを完全に理解していますし賛同もします、少なくともある程度は。理学療法士(あるいはその他のリハビリテーション専門家)として、私たちは人体がどのように機能するかを学ぶことに多くの時間とエネルギーを費やしてきました。私たちは数えきれない時間(そしてお金…)を費やして理学療法士になり、我々の専門技術を習得してきました。私たちは何年も費やして、我々の経験や患者の成果に基づき技術を磨いてきました。 私たちは脳を使っているはずであり、そして個々人に基づきプログラムを個別化させているはずなのです。 しかし、リハビリテーションプロトコルは、適切に用いることができれば、私たちがこれをもっと上手に行うのに役立ちます。これを強調すると、理学療法におけるリハビリテーションプロトコルが一体何なのか、そして何でないのかを分析すると、私たちが実践でそれらをどのように用いるべきかを最もよく理解することができます。 リハビリテーションプロトコルは料理本ではない まずこの点を片づけましょうーリハビリテーションプロトコルは、完璧な料理本として作られているのではありません。これは理学療法士がしばしばプロトコルによって麻痺させられ、プロトコルの中に具体的に載っていないものは何もできない、と考えてしまいうるところです。 現実的に、良いリハビリテーションプロトコルの目的は、修復中の組織に段階的に負荷をかけるためのゴール、事前注意、そしてタイムラインを明確に定義することです。これらは治癒過程の基礎科学の理解に基づき作成されています。 あなたが間違いなく行うべきことと、あなたが間違いなく行うべきでないこととの間には、いまだに大きなグレーゾーンがあります。 これを、あなたがレシピをカスタマイズし、自分自身のサンドウィッチを作る機会として考えてみてください。あなたは両側にパンを置かなくてはなりませんが、パンのスライスの間に、どの肉、チーズ、そして調味料を挟むのかは、患者やあなたのトレーニング、そして経験次第でしょう。あなたは自分の好みを持っているかもしれません、私もそうであるように。 私はしばしば、プロトコルのゴールや事前注意点に合致しているとわかっている患者に、プロトコルには具体的に載っていないことも行います。良い例は、回旋筋腱板修復術後に僧帽筋の軟部組織に取アプローチしたり、または前十字靭帯リハビリテーションの早期段階で、コアトレーニングを含めることです。ただそれらがプロトコルの中に具体的に含まれていないからといって、あなたがそれらを行うことができないというわけではありません。 リハビリテーションプロトコルはあなたのプログラムの基盤であり、次のことに基づいて調節されるべきです: 一人一人特有のゴール 特定の怪我または手術 よく見られることである、付随する怪我のすべて リハビリテーションプロトコルは受傷後のガイドラインである プロトコルに関してよくある誤解は、それらはガイドラインではなくてはっきりとしたルールである、というものです。私たちが長年に渡り作り出してきた非手術性(保存療法)のリハビリテーションプロトコルの全ては、患者を怪我から復帰させる手順に導くものとして意図されています。 事実、多くはプロトコルに関する厳格なタイムラインはなく、むしろさせる基準の段階があります。たとえば、トミー・ジョン傷害(内側側副靭帯損傷)を持つ野球選手をリハビリする時に、各段階のゴールのいくつかはどのようなものがあるかというと: 段階1:治癒促進、関節可動域の回復、基本的な筋力及び固有受容の向上 段階2:関節可動域の維持、筋力および動的安定性の最大化 段階3:段階的な組織への負荷の適用、競技特有の動的な活動への漸進 段階4:スポーツの段階的漸進への復帰 上の段階を見てみると、各段階に何がふさわしく、何がふさわしくないかを判断するためにこれらのガイドラインを用いることができます。ここは、あなたの個人的な好みが関わってくるところです。私はハムとチーズに辛いマスタードを乗せるが好きで、あなたはイエローマスタードが好き。私は批判しません。それらはどちらもふさわしいのです。 手術後は異なりますし、そのことは以下でもっとお話ししますが、保存療法(非手術性のもの)に対しては、このようにプロトコルを用いるべきです。非手術的怪我においては、エクササイズまたは活動をある一定期間制限したいかもしれない場合もありますが、多くの場合、非手術性(保存療法)のリハビリテーションプロトコルは、一連のリハビリを管理可能な範囲に小分けするために用いられます。 リハビリテーションプロトコルは手術後必要である 私が確信している一つの領域は、手術後のリハビリテーションプロトコルの決定的な必要性です。リハビリテーションプロトコルは、術後の理学療法の非常に重要な構成要素です。手術後のケアの一定基準は、術後に患者が適切に漸進していくことを確実にするために設けられ、伝えられなければなりません。 これらの多くは外科医特有であるかもしれない、つまり、ある医師らは、彼らの経験に基づいてあなたにもっと速く、あるいはもっとゆっくりやってほしいと望むでしょう。理学療法士として、私たちは執刀医からのこれらのガイドラインを尊重しなくてはなりません。彼らは自身の行う手術、そしてあなたの患者の内部をあなたよりもよく知っているのです。 手術の後、プロトコルは、私たちが確実に受傷した組織を保護し、治癒を促進して、徐々に負荷をかけていくために用いられます。 プロトコルに従わず、単純に即興で何かを行うことは、その人をできるだけ素早く安全に復帰させる可能性を最も低くしてしまうでしょう。たとえば、前方肩関節唇修復術後6週間における肩関節の関節可動域は、多すぎても少なすぎても、どちらも不都合になりかねないため望ましくありません。うまく作成された手術後のリハビリテーションプロトコルは、患者を成功のために最も良い位置につかせるでしょう。 若いクリニシャンとして、合併症を持った患者の注意事項や制限に優先順位を付けることもまた難しいことです。たとえば、私たちのリハビリテーションプロトコルには、回旋筋腱板修復に対する13個のプロトコルと、前十字靭帯再建術に対するプロトコルが16個あります。私たちは複数の要素や付随する傷害に基づき、ガイドラインを変えます。これは必須です。 リハビリテーションプロトコルの使用をやめる時が遂に来たのか? 私はまったくそう思いません。事実、私は正しく用いられたリハビリテーションプロトコルを熱烈に信じている者です。私は、プロトコルが我々の専門性にとって良くない、あるいは私たちがそれ以上のレベルにあるということで退けてしまうのは、非常に短絡的だと思います。 しかしながら、プロトコルは単純にあなたに、何ができて何ができないのかというガイドラインを与えてくれるものです。あなたが“できる”ことは、プロトコル中にあるものだけに限られてはいません。プロトコルを、あなたが遅すぎたり、あるいは速く進めすぎていないか確かめるためのガイドラインとして考えましょう。現実的に、プロトコルには、含まれるべき全てのトリートメントやエクササイズが載っているわけではありません。ここで、あなたの技術や経験が関わってくるのです。あなたは患者を助けるために他にどのような介入を安全に行うことができるかを見極めると同時に、その選択した介入がプロトコルの制限内で安全に適合しているかどうかを評価しなくてはなりません。 私たちは考えなしにリハビリテーションプロトコルに従うべきではありません。それは“腕のいい”理学療法ではないのです。しかしながら、私たちはプロトコルと治癒組織にしばしば関連しているタイムラインをしっかりと理解しなくてはなりません。 真の熟練したクリニシャンはこのことを認識し、リハビリテーションプロトコルのガイドラインと彼らの膨大な経験やトリートメントの好みを組み合わせるのです。
 
    	患者はどのくらい頻繁にエクササイズをするべきか?
“腰痛を治すためには、どのエクササイズが最適ですか?”という質問の後に、よくある質問のひとつが・・・ “患者はどのくらい頻繁にエクササイズをするべきでしょうか?”です。 私たちが覚えておかなければならないことのひとつとして、“どのくらいの頻繁に”または頻度は、強度と努力度に連動しており、したがって休息&回復の必要性にも繋がるということがあります。そして、研究で報告されないことが多く議論中である要素のひとつは、強度なのです!! 私たちは、3x10や5x5など何でも設定することはできますが、強度が伴わなければ、セット数とレップ数はあまり意味を持ちません。 強度と努力度はしばしば同じ意味で使用されますが、これらを区別する厳密な違いがあるとすれば、強度はより客観的に測定を行うことができる(例:ランニング中の心拍数)一方で、努力度は自分自身がそれをどのぐらいきついと感じるかです。ですから、ボルグスケールで表す自覚的運動強度(RPE)は、直近の動作心拍数に関連付けるように設計された主観的な尺度です。よって、厳密にはまったく同じとは言えませんが、私の見解では、強度と努力度には深い関係があり、臨床においてRPEは、簡単でベーシックな強度の尺度として使用できます。 だからと言って、すべての運動がきつい必要があるという意味ではなく、患者の現在の感受性に合わせる必要があるかもしれません。より低い強度であれば、より定期的に行うことができ、怖くない範囲で動くだけで十分という人も多いかもしれません。しかし、漸進する必要もあるでしょう。ここで、多くの運動療法のプログラムが失敗に陥るところです。ひとつのエクササイズ/量を求めてしまうのです。 エクササイズの最新のデータに基づいて、私の個人的な信条は、強度や頻度などの量の方が、人によっては運動の種類よりもっと重要であるかもしれないということ! エクササイズの目的は何ですか? 実際、どのエクササイズをどのくらいの量、どのくらいの頻度で行うかを、臨床的な根拠で判断する必要があります! さて、“一般的なエクササイズ”の方が“特定の”エクササイズよりも優れているのかどうかについいての議論はかなりありますが、これらふたつが厳密に何であるにしても、私の個人的な考えは、なぜそれをするのか何らかの根拠が常にあるべきだということです。“少し運動をやってみなさい” と言うのは分かりやすい答えではあるものの、この場合、腰痛に対するベストな答えとは残念ながら思えません。 では、目的は何か?多くの場合、主に2つのタイプがあります。どちらかというと身体的な適応を目的にするもの、または、痛み/機能を目的にするものがあります。 身体的な適応面の根拠から始めましょう。 ストレングス さて、ストレングス(強さ)とストレングスニング(強化)はしばしば同じ意味で使用されますが、異なったものかもしれません。実際、力の生産を増やしたり、ストレングスを向上させたりするには、強度の高いエクササイズとより高いレベルの努力度をある程度必要とするかもしれません。セット数とレップ数はたいていプログラムに組み込まれていますが、前述したように強度は考慮されていません。ストレングスのプログラムのバリエーションを行うことはできますが、十分な強度がなければなりません。したがって、強度が高いトレーニングの場合と同じ休息は必要ないばかりか、同じ効果も得られない可能性もあります。ここでの負荷は、5レップでストップしても、もうあと5レップ行える、というように、レップ数を決定づけるべきものです。なぜなら、負荷が小さ過ぎれば実際に効果がないからです。 私たちのプログラミングに対する見解は、ストレングスと筋肥大によって変わってきますが、ここでは強度が重要であるため、頻度も重要となるわけです。 負荷/組織耐性 共通の目的として、ある部位がもう少し負荷に耐えたり活動を行なったりするために “ストレングス(強化)”をするという考え方があります。よくある間違いは、痛みを伴う動きや活動や負荷に耐えられない理由を、過剰な負荷が原因であると思い込んでしまうことです。負荷はとても包括的な用語で、もし、この負荷が痛みを起こすのであれば、痛みを伴ういかなる動きや関節の痛みは、その負荷に“耐えられない”状態であると言うことができます。これは、基本的な相関関係で、因果関係であると言うのは間違いです。 あまり詳しく分かっていることではありませんが、一般的に重い負荷、高い強度と低い頻度が推奨されますが、負荷への耐性が組織にのみ見られる単なる現象とは考えられません。 場合によっては、耐性を構築するに十分な刺激だけになるように負荷を取り除いていくような、負荷に対する耐性を構築するアプローチが、効果的かも知れません。つまり、引き算なのに足し算になるわけです。症状を悪化させる負荷を取り除きながら、身体を動かし続けるのです。特に限られた強度のエクササイズにおいては、妥当で理論的な解釈です。 また、あなたが提供する運動処方が、その人が行なっている他のこととどのように調和していますか?これは、私たちが頻度を設定するための理由付けにもつながるはずです。非常に活発な人たちで、エクササイズ量が問題になっているかもしれない場合には、強度が低く頻度が高いエクササイズを行うことで効果があるかもしれません。 進行の妨害&段階的なアプローチ もし運動療法が、ストレングスなどの物理的変数だけだったら、どんなに簡単なことなのでしょう。しかし、残念ながらそうではありません。パラメータを操作するだけでしたらそれに越したことはないのですが、クリニックにいる人なら誰でも分かると思いますが、その人がどのように反応するかが、本来の検査なのです。 フィットネスの理論的なパラメータではなく、本来ならば、強度、頻度、痛みの相互作用によって進行していくべきです。また、感覚としての痛みだけでなく、痛みに対する人それぞれの信念やそれに応じた行動にも考慮する必要があります。 段階的な活動とエクササイズは、どちらかと言うと、痛みへの慣れに関連している概念であり、段階的な露出は、恐怖や破局的行動などの認知的な要因に影響します。身体能力と痛みへの耐性に基づいたパラメータ以外に、本当の意味でのパラメータはここにはひとつもありません。したがって、頻度というものは、実際にトレーニングをしてみないと、その前に設定するのは本当に難しいことです。これは、私たちが慣れなければならない、セラピー特有の不確実性の側面ですが、これまでの痛みの経緯とエクササイズへの関わり方によって進めていくことができるでしょう。 段階的な活動とエクササイズ これらは、もともと慢性疲労の改善を目指したアプローチですが、痛みにも同様に適用できます。ここでも強度が重要です。段階的なレベルをより強度の高いものに上げていく場合、休息を長くして頻度を減らすことが重要になるかもしれません。運動習慣を構築するのであれば、強度を低くし頻度を増やしていきます。 段階的な露出 段階的な暴露は、痛みや実際の身体的変化というよりも、動きに伴う恐怖や不安などの認知的な要因という点で少し異なります。しかし、頻度も、同様に重要です。真の露出のセッションは、肉体的および感情的に疲れるため、精神的に疲労します。自宅で追加的に実施しすることで強化したい場合、頻度とそれぞれ個人の疲労レベルに関しても考慮する必要があります。 活動をする根拠 異なる2つの目的で、この私の根拠がどのように効果があるかここに示します。私は強度を設定するために努力度のレベルを目安にするようにしています。なぜなら、それは、さまざまなエクササイズ/活動で臨床的に簡単に使用できるシンプルな主観的尺度だからです。そして、これには、自覚的運動強度(RPE)が適していると思います。ところで、強度と努力度は同じものではありませんが、一般的に、エクササイズの強度が高ければ高いほど、特にやればやるほど、より高い努力度が必要になります。 フィジカル 適応とレップ数/セット数/強度に関するデータは、90年代に私が教えられたものと比較して確実に変化していますが、それでも私は強度が身体的な適応を起こすカギであると思います。強度が高いほど、より多くの休息が必要になるため、頻度は2~3回/週しかできないかもしれません。ボディビルダーは、身体の各部位を異なる日にトレーニングする点で賢明でした。そうすることで、最大限の回復を得ることができると同時に、全体的なトレーニングのニーズにも対応できるのです。 したがって、おそらく少なくとも7/10の自覚的運動強度(RPE)が必要です。あなたがストレングス(力の生産)を求めているなら、それなりの強度になるように、ウェイトを増やすべきだと思います。 耐性は、比較的軽い負荷ではあるものの強度を保つためにレップ数を増やすという点で異なるでしょう。もし、私たちが、さまざまな活動や負荷の種類や負荷をかけるトレーニング道具へのアクセスのしやすさなど、様々なことを考えるならば、強度の設定のための負荷とレップ数の調整で済み、ずいぶんと助かります。覚えておきたいことに、これら全てはその人の現在の感受性レベルとも関連しているので、反応に基づいて調整する必要があります。 段階的 ここでの私の理由付けは、動く習慣をどうやって体得するかです。習慣というものは、強度よりも頻度によって構築されます。 そういうことで、価値を見出だすことや、価値に結び付くものを確認しましょう。私たちは物事を常に楽しむ必要はありませんが、継続して行うためには、それらを行うことの価値を見つけなくてはなりません。その人の痛みに対する反応はどうなのか、たとえば痛みを誘発する活動の種類や痛みの感じやすさ、どのぐらい動くとそうなるのか(過敏になる)などの情報を集め徐々に全体像を理解します。 つまり、私たちは提供される反応に従わなければなりませんが、私でしたら、強度を低くし(3~5 RPE)、 頻度は毎日か1日おきに設定するでしょう。毎回行われる活動/エクササイズは同じである必要はないことを覚えておきましょう。 重要なこととして、最初から最後まで同じ頻度と強度で設定するべきではありませんが、頻度と強度を上げていくためにも低い設定から開始する必要があるかもしれないことを覚えておくことです! キーポイント 単にいくつかのエクササイズを行うことは、最終的に多くの運動プログラムが失敗する理由かもしれません。 セット数とレップ数にも、強度/努力度が必要です。 強度は、達成したいことに関連し、頻度は強度によって決定します 。 試行錯誤であることがよくあります。 慣れましょう!
 
    	エクササイズ処方の神話
始める前から問題への答えを持ち合わせていることはいいものです。考えなければならないような厄介で不確実なものを拭い去ってくれるという点で、エクササイズ処方という考えが、非常に魅力的である訳です。 しかし、患者の2回目の来院時に多くのセラピストが患者に尋ねる最初の質問のひとつは、“これらのエクササイズはうまくいきましたか?”ということだと思います。そして、私たちは答えが欲しい一方で、心の底では、物事が必ずしも私たちが望むようにうまくいくとは限らないと経験から分かっているのです。 では、私たちはなぜそれを処方的と考えるのでしょうか。あなたが対応しようとしているのは、症状なのか、評価基準なのか、または異なるニーズと機能を持つ実際の人間なのでしょうか? 私にとってリハビリとは、最初に設定された一つの処方的な手段ではなく、むしろ徐々に改善されていくような適応的な過程です。選択した成果に対する反応を測定しながら、繰り返し行う過程で加減したり作り変えたりしていくものです。強度、頻度、種類すべては、その人によって変化させ、彼らのニーズや要望に応じていつでも調整することができます。 私の個人的な意見として、それを心地よく感じられることは、積極的な運動ベースの介入に取り組むためのカギになると思います。 評価というものも、改善するためのひとつのプロセスです;新しい情報が明らかになったり、仮説が期待どおりに展開しなかったりした場合、問題となっているものは何かについての考えが変わる可能性があります。とにかく、私たちがしているほとんどのことは、とにかく情報に基づいた試行錯誤なわけですから、とうとう言ってしまいました! 初回の介入とそのパラメータは、単なる始まりに過ぎず、次に何が起こるかを確認するための試行であり、情報に基づいた推測でさえありますが、このことは実際、あまり話題になっていないようです。処方は、私達が認めたがるよりも、より提案に近いのでしょう。(大変面白いトレバー・ノアが、南アフリカでは信号機を“提案”であると解説するのに、いつも笑ってしまいます)。 身体的適応のためのエクササイズでさえ、処方的ではなくなってきています。身体的な適応は、非常に幅のあるレップ数と負荷で得られる可能性があることが分かってきています。努力と強度が身体的適応のカギであるように思われます。多くの場合、リハビリ研究では決して測定されないパラメータです! 学習過程 セラピストもその患者も、このことを学習プロセスとして見るべきです。これは、失敗でも、内省的でも、何もわからないことの現れでもありません。私たちが事前に答えを持ち合わせているという考えは、しばしば有害になることもあります。そのことによって、セラピストが自分の能力に自信を失い、リハビリの現実とは異なる期待を生み出す可能性があるからです。私たちは多くの場合、痛みと機能回復の間でどちらかを達成するためにどちらかを犠牲にしながら、試行する必要があります。 データ 研究データは、少し切れ味の悪いツールとして使用されることもあります。もちろん臨床経験も同じです。それぞれの患者特有の症状や治療および治療の効果はすべて、論文に書かれていることと一致すると想定してしまう可能性があります。しかし、データの報告の詳細を見ると、すでに設定されている変数の推定値があり、実際の患者にどのように効果があるかは、やはり適用前ではなく、適用後にしか知ることができません。 私たちの患者と彼らが紹介する症例は、研究では必ずしも正確に反映されていない可能性があります。どの論文も調査対象が人口全体でなく、ごく一部を対象としているため、信頼区間というものが設けられているのです。データを患者とマッチングさせるのが、臨床における課題です。 「研究の視野を広げる」は、ロジャー・ケリーの素晴らしい論文です。 “酔っ払いが灯かりを求めるためでなく、体を支えるために街灯にしがみつくように、統計学を使う人がいる” A. E. Housman また、現代の生物心理社会的な理解では、私たちが直面する多くの問題に対して、文字通り処方することなんてできないということを認識する必要があります。前にも言った通り、私が取り組んでいる主要なことのひとつは、身体を使って再び物事に従事する自信です。そのための処方は何でしたか? また、論文では、どのようなことをしたかについて明確な概要が示されていないことがよくあります。多くの場合、彼らは、別の論文や決して一覧されることもない付録を見るようにと指図します。それを実際に見てみると、強度や休憩時間などの重要な変数が欠落していることがよくあります。そのため“エビデンスに基づく” リハビリは、多くの場合、みなさんが考えているものとはまったく異な流ことが多いのです。 研究におけるプロセスが必ずしも臨床のプロセスを反映しているとは限らないと言ってしまうと、意見が分かれますかね? これはひとつのプロセスです 残念ながら、臨床的推論はカッコよくありません。治療が効くか効かないかを明白に示す方がかっこいいですし、その方が共感を呼びます。臨床での取り組みのニュアンスは、しばしばなおざりにされ、偏見と二極化に支配されます。臨床的に難しいのは、研究に基づく情報を、個人の症状や経験/信念などと調和させることです。 ただし、これは1回限りの取引ではありません。推論と改善のプロセスは、ケア期間を通して継続する必要があります。単に診断して初期評価で処方、ということを繰り返し行うだけではありません。 ツイッターでの会話でとても素晴らしいコメントがあったので紹介します: “エビデンスに基づく臨床とは、利用可能なエビデンスをやみくもに患者に投げつけることを意味するのではなく、来院するすべての患者それぞれに合った最適な戦略を見つけるための繊細な調節をするプロセスです”-Nihar Palan 私の意見として、偉大なセラピストは最高の処方や計画を持っている人ではなく、計画的に進まないときに何をすべきかを知っている人です。対処しなくてはならない状況や人の変化に応じて、適応し調整することができる人です。 他の方法 1. 臨床的推論 研究データ 病歴 検査 診断 適用 2. 反応 成果はなにか? どのくらいの期間がかかったか? 3. 適応 同じことを続けるか、または、変えていくか? 何を変えますか? 結論 処方とは、実は提案です 私たちは反応に基づいて時間をかけて改善していきます 実際、情報に基づいた試行錯誤です 研究は、明らかに結果のバリエーションが反映されます 研究では、処方に関して明確に示されないことがよくあります 適応方法を理解していることがスキルであり、フローチャートに従うことではありません 推論、反応 & 適応は、より優れたモデルです
 
    	リハビリテーションでピリオダイゼーションを用いる
Bridging the Gap From Rehab to Performanceの187-190ページより抜粋 最もシンプルな表現をすれば、ピリオダイゼーションは、望ましい結果を出すための一定期間に渡るトレーニングストレスの操作です[i]。それは年間トレーニングを通じて複数のサイクルで構成されています。マクロサイクルは一年間という期間で、複数のメゾサイクルから成り立っています。各メゾサイクルは、ある特定の目標を達成することを目的としており、それぞれが、一般的に5日から14日間続く複数のミクロサイクルで構成されています。複数のトレーニング日がミクロサイクルを構成し、複数のミクロサイクルがメゾサイクルを構成します。 従来の環境にいる理学療法士は大抵、その人の全マクロサイクルを最初から最後まで見るほど長く患者と働くことはありません。しかしながら、リハビリの過程自体はメゾサイクルであると考えられるかもしれません。 他のスポーツ医学専門家たちとうまく働けるように、クリニシャンがこれらのストレングス&コンディショニングのコンセプトを理解することは重要です。これはケアチーム全体が、アスリートをできるだけ速やかに、しかし再受傷のリスクを上げることなく、最大能力で競技に復帰させるための行動可能な計画を立てるのに役立つでしょう。 リハビリのピリオダイゼーション ピリオダイゼーションの原則は、アスリートのトレーニングを作成することに限定される必要はありません。ピリオダイゼーションはまた、私たちがリハビリとパフォーマンスの間の溝を埋める中で、様々なリハビリテーション段階に応用されることができます[ii]。私たちはリハビリを、リハビリを完了するというゴールを持ったメゾサイクルであると考えることができます。ミクロサイクルはその途中のより小さな活動になります。 例えば、もしある人が手術後であれば、第一ミクロサイクルのゴールは、全可動域を取り戻すことができるでしょう。第二ミクロサイクルでは、バランスと固有受容器に焦点をあてるかもしれません。第三ミクロサイクルは神経筋系コントロールに専念することができるでしょう。 これは、各ミクロサイクルが一つの身体的特性にのみしか焦点をあてることができない、ということではありません。次のコンセプトのように、リハビリテーションプログラムを期分けするにはたくさんの方法があります。 リニア(直線的) このモデルでは、私たちは一つの身体的特性を次から次へと訓練するために、周期的な順序付けを用います。私たちはまず可動域に取り組み、それからバランスや固有受容器に、そしてそれから精神運動制御や筋力に取り組むことができるでしょう。 全てのリハビリの線形進行は、患者の必要性に基づき異なるかもしれませんが、多くのクリニシャンは、必要な動きを取り戻すことが優先であることに賛同しています。筋力とバランスはどの時点でも取り組まれますが、可動域はその後のリハビリ過程における他の多数の問題を防ぐために早期に取り戻されなくてはなりません。 コンカレント(並行的) コンカレントトレーニング(並行して行うトレーニング)中、私たちは1メゾサイクルの中で、複数の競合する身体的特性に取り組みます。生理学的観点からは、筋力と持久力は“競合している”ように見えるでしょうし、コンカレントトレーニングプログラムの一部となるでしょう[iii]。 大量の持久力トレーニングは筋力の増加に負の影響を与える一方、長時間の低出力の運動は筋力トレーニングの導入によってごくわずかな影響を受けるだけです。もしあなたがマラソンランナーと働いているのならば、ストレングストレーニングの導入が持久力の質に与える影響はごくわずかでしょう[iv]。 しかしながら、フットボール選手や、あまり頻繁に有酸素的に機能しない人をトレーニングするとき、長時間の低負荷の活動を行うことは、筋力やパワーの向上に負の影響を与えかねます。この考えを理解することは重要です:筋力とパワートレーニングは、持久系アスリートを非常に助ける一方、持久系トレーニングは、よりパワーを必要とする人には負の影響を与えうるのです。 トレーニングをしていない人々においては、干渉効果はごくわずかです。しかしながら、中程度、あるいは高度にトレーニングをしているアスリートにおいては、コンカレントトレーニングはRFD(力の立ち上がり率)、あるいはパワーに対して、絶対筋力よりも大きな影響を与えます[v]。 複合的 複合的プログラミングでは、1メゾサイクルの中で複数の補足的特性を訓練していきます。例としては、筋力とパワー、あるいは体性感覚制御と精神運動制御を含むかもしれません。 リハビリの観点から言えば、私たちは間違いなく、正しい筋肉を正しいタイミングで発火させることに取り組みながら、それと同時に、ある関節のバランスや固有受容器の向上に取り組むことができます。これらのうち一つに取り組むことは、その他の進行に干渉することはありません。それゆえに、これらは複合的なプログラミングだと考えられます。 集中的 焦点を絞ったトレーニングは、単独の身体特性を向上させることを目的に、短期間の高いトレーニングストレスを含むものです。私たちは、アスリートがリハビリの筋力トレーニング局面に近づいてきたらよくこの方法を使います。 たとえば、もしあるアスリートの受傷した関節が硬くなってきているようであれば、クリニシャンは、この可動域を大きくすることはますます難しくなるばかりかもしれない、あるいはそのままにしておけば不可能にすらなるかもしれない、と心配するかもしれません。クリニシャンは、その関節の能動的または受動的可動域を取り戻すために全力で取り組むためには、1週間または2週間必要だと決めるかもしれません。筋力あるいはバランスのその他考慮すべきことのすべては、アスリートがその関節の自然な可動域を回復させることができるまで保留にされるでしょう。 私たちは、集中的なメゾサイクルの順次的まとまりであるブロックを使うこともできます。 アスリートが競技復帰に近づいているとき、私たちはプログラムを徐々にテーパリングする必要があるかもしれません。これは競技前に超回復を促進するための、急速な量または強度の減少です。 テーパリング段階がないかもしれないし、ただリハビリからパフォーマンスへの溝を埋めるときにだけ使われるかもしれません。アスリートは通常、競技復帰段階に至るまでゆっくり発展し鍛えるため、わたしたちは一日の短い休息期間を用いるだけか、競技に復帰する前に真のテーパリングを用いるかもしれません。 最後に、アスリートが競技に復帰する直前に、リハビリの連続体の最後に来る競技前段階があります。 たとえば、もしある野球選手がAAAリーグで数日間夕方にプレーするなら、テーパー(漸減)は、その翌日にプレーするために大リーグに合流する前の移動日一日の休みのみでしょう。これをチームマネジャーと議論する際、あなたは、アスリートが丸一試合でなく数イニングだけ競技に復帰するのが最良であると判断するかもしれません。強度の向上を伴うこの量の減少は、アスリートが完全に競技復帰する前のテーパ―として十分かもしれません。 このコンセプトは、ストレングス&コンディショニングの専門家と協力して計画されています。それぞれの状況は、ケアの連続体に携わる者全員によって評価されなくてはなりません。こうすることにより、アスリートを復帰に備えさせ、長期的な健康を守る適切な競技復帰計画を考案することができるのです。 まとめ 筋力は、パワーの基礎的な構成要素です。最終的に、アスリートは競技に復帰するために様々な負荷やスピードで動けなくてはなりません。リハビリからパフォーマンスへの溝を埋めるとき、アスリートにこれを行う準備をさせることは最重要です。ストレングス&コンディショニングコーチたちは、これらのコンセプトをリハビリテーションプログラムに適用することに不慣れな医療従事者にとっての重要な援助となるでしょう。 もしあなたが筋力トレーニングの原則を理解し、それらをあなたのリハビリテーションプログラムにどのように安全に適用するかを知っていれば、それはあなたのアスリートが競技復帰の準備をする際に役立つでしょう。 参照 [i] Benjamin Rosenblatt, “Planning a Performance Programme,” High Performance Training for Sports, Dan Lewindon and David Joyce, editors, 248-249. [ii] DL Hoover, “Periodization and Physical Therapy: Bridging the Gap Between Training and Rehabilitation,” Physical Therapy in Sport, March 2016. [iii] Glenn Stewart, “Minimizing the Interference Effect,” High Performance Training for Sports, Dan Lewindon and David Joyce, editors, 246-247. [iv] J Mikkola et al, “Neuromuscular and Cardiovascular Adaptations During Concurrent Strength and Endurance Training in Untrained Men,” International Journal of Sports Medicine, September 2012. [v] JM Wilson et al, “Concurrent Training: a Meta-Analysis Examining Interference of Aerobic and Resistance Exercises,” Journal of Strength and Conditioning Research, August 2012.
 
    	悪いエクササイズは存在するのか?あるいは適用が悪いだけなのか?
健康の世界におけるほとんどのことと同様に、決してシンプルな答えなどありません!ソーシャルメディアにおいて、皆さんも5つの最悪なエクササイズに関する記事を見たことがあるのは確実だと思いますが、それらをもう少し分析的に見てみましょう…。 恐らく、ここには二つの質問があるでしょう。 まず最初に、悪いエクササイズなんてものはあるのでしょうか?そして、悪い動作なんてものはあるのでしょうか?良くないと見なされている動作、あるいは可動域(ROM)になるために、そのエクササイズが悪いと示唆される可能性があるために、私は二つ目の質問を問いかけています。 まずは最初の質問を先に考えてみましょう! はい、私は悪いエクササイズがあると考えています!そして、そのエクササイズが悪いという状況に値するかもしれない沢山の理由があります。しかし、これは大きなしかし、ですが、エクササイズ自身は、大抵、本質的に悪いわけではなく、特定の人、あるいは特定の状況へのこれらのエクササイズの適用が悪いのかもしれません。 主な理由の一つは、選択されたエクササイズが、クライアント、あるいは患者をしっかりと考慮に入れて、適切に考えられていないということです。人間として、私達は先入観、意識、あるいは潜在意識によって動かされていて、これにはエクササイズも含まれています。もちろん、私達は有益であると考える頼りになるエクササイズを持っているでしょうが、もし全員に同様のプログラムが適用されるのであれば、恐らく、対象個人は適切に考慮されていないでしょう。 ジェネリックなプログラムが正当化されるように、私達は常に何らかの精神鍛錬を行って、全員がより強くなる必要がある、特定の動き方をする必要がある、あるいは特定の筋肉を活性化する必要があると雄弁に語ることも可能です。しかし、無数の異なるゴール、傷害、機能、パフォーマンスが存在するなかで、全員が毎回同じエクササイズを行うべきであるというのは信じがたいことだと思います。 もう一つのとても重要なことは、エクササイズがただ単に危険なのかどうかということです。100kgの重りを頭上にかかげてスイスボールに乗ってバランスを取ることは、賢明であるようには思えません。ここでのリスクと報酬の方程式は、合点がいくものではありませんが、それを‘機能的である’と信じればそうなってしまうでしょう。YouTubeは、危険なエクササイズと危険な失敗で溢れています;何時間も楽しめますよね! 悪いこと エクササイズの悪い使い方を、三つの主なカテゴリーに総括することが可能だと私は考えます: 悪いタイミング 炎症を起こしやすい敏感な腱障害に対するプライオメトリクスは、炎症を引き起こす高い可能性があり、前十字靭帯再建術のリハビリテーション過程早期でのジグザグ・ホップも同様に頭に浮かびます。これら両エクササイズは、リハビリテーションに必要かもしれませんが、タイミングが極めて重要な鍵かもしれません。 動作への自信が低い人達にとっての高度なバランストレーニング、そして、フィットネスレベルの低い人達、あるいは禁忌である人達にとっての高強度インターバルトレーニング(HITT)は良い考えではないかもしれませんが、だからといって、ただ単にこれらのエクササイズが悪いエクササイズ様式であるというわけではありません。 悪い選択 ある人は、特定のエクササイズをただ嫌悪し、それを行うことを楽しまない、それどころか行いたくないかもしれません。これらの両要素は、低い適合性、あるいは努力不足を通して、結果に影響を及ぼす可能性があります。 悪い刺激 エクササイズの難易度が十分に高くない、あるいは高過ぎるかもしれません。どの程度の適合が前向きな結果に必要とされるかは議論を必要とするでしょうが、もし刺激がただ少なすぎるのであれば、十分な成果を得られない可能性があり、これは技能、あるいは筋力においてもいえることでしょう。同様に、刺激が多すぎると炎症を引き起こすかもしれません。ある特定の関節位置、あるいは可動域もまた、特定の傷害を引き起こすかもしれません。よって、感作が起きている時には、これらのことを避けることが、恐らく得策です。 なぜ? もしあなたがそのエクササイズを本質的に悪いと信じるのであれば、“なぜそれが悪いのか?”と自身に問いただしてみてください。 誰かがインターネットでそのように言っているからですか? 傷害の高率発生に関するいくつかの具体的なデータ、あるいはリンクがあるからですか? 私がそのエクササイズを好きではないからですか? しばしば批判的思考は他人の考えに対して向けられますが、私達は常に私自身の信念に対して最も疑問に思うべきです。 動作 では、二つ目の例に着目してみましょう。 悪い動作というものはあるのでしょうか? なんという質問でしょうか!この短いブログで取り上げるには、かなり大きな議論ですが、確かに、僅かな時間レベルで誤った動作をすることに関する考えは、利用可能なデータによって支持されているわけではありません。 もし同じ人間による同じ動作を繰り返し測定するのであれば、行われた方法において、わずかな、あるいは大きな違いを目にする可能性があるでしょう。異なる二人の人間が動作を行う際も同様で、彼等はほぼ確実に非常に異なる戦略を持っています。よって、同じ人間が毎回異なる動作をし、毎回異なる動作をする他の人とも異なる動作をするわけです。つまり、これは間違いなく非常に複雑であるということを意味しています! 誤った戦略とは何でしょうか?誰が知っているというのでしょうか!繰り返しますが、もし悪いと信じるのならば、なぜそう考えるのかを自らに問いただしてみてください。詳しく検討しても答えられますか? 冒頭に述べたように、腰椎屈曲、あるいは膝関節外反のように、好ましくないと見なされている動作を過剰にさせるため、そのエクササイズは悪いと示唆される可能性があります。クランチは、動きに関わる腰椎屈曲の量によって、一部においては、最も避けるべきであると示唆されている動きの良い例の一つでしょう。 もちろん、動作は方程式における小さな一つの部分に過ぎないのですが、どのくらい速く動作を行うのか、あるいはいつ外部負荷が掛かるのかによって発生する力が加わります。私は生体力学の天才ではありませんが(実際、天才からはかけ離れています)、私達は、本質的には、非常にゆっくりと潜在的に‘問題になりえる’関節可動域まで動くことは可能で、この場合、組織への危険は、速く動かすよりもかなり少なくなります。動作、あるいは関節可動域自体が問題というような単純なことではないのです。 タイミングの問題? すべてがタイミングの問題に帰着するのでしょうか?恐らく、炎症を起こす動作を短期的に回避することは賢明かもしれないと言えるかもしれません。 腰椎屈曲の例を取り上げてみましょう。腰椎屈曲は人間の行うことができる豊富な動作の組み合わせの一部であり、ほとんどの人達が日常の活動中に、かなり定期的に行うものです。よって、恐らく、私達はその動きを行い、幾らかの耐性を築き上げたいはずです。もし私が通常の負荷での正常な動作において、潜在的、肉体的、心理的に炎症を起こしやすくなるのであれば、腰部への刺激を短期的に回避することは賢明でしょうが、長期的に腰椎屈曲の回避を継続することは、重要な問題になるかもしれません。 動作自体は本質的に悪いものではありませんが、感受性が高い場合、あるいは高負荷下のようないくつかの状況においては、問題があるかもしれないというふうに、このことを簡単に要約できるかもしれません。 前十字靭帯断裂のような深刻な障害から得られる運動学的データを見れば、これが強調されています。前十字靭帯断裂は、浅い膝屈曲角度、高速度、片脚荷重の際に起こる傾向にあり、これによく外反膝がプラスされたりします! よって、スクワット、あるいはラテラルランジのような、その他の状況において、外反膝自体が損傷を与える可能性は低いかもしれません。スクワットによる前十字靭帯損傷の発生率に関してはわかりませんが、それほど高くないはないはずです。 どうか上記のことを“200kgを担いでのスクワットで外反膝になっても問題ない”として読み取らないでください。そうは言っていません!負荷が高ければ高いほど力が大きくなり、これは運動と力における運動方程式の両側面の性質を強調しています。しかし、スポーツをしている人達のほとんどは、ウェイトトレーニングルームで前十字靭帯を断裂しないのです! 適合 もう一つの疑問は、ある人は、これらのタイプの動作に適合したのかということです。もしあなたがテニスコート上のジョコビッチ選手のスナップ写真を撮れば、かなりの高負荷の状況下における彼の関節位置を見て、顔をしかめるかもしれません。レベルのもう少し低い選手が、似たような関節位置に入ることもあるかもしれませんが、試合がそこまで激しく、長い可能性はかなり低いでしょう。 なぜ彼は常に膝を損傷していないのでしょうか?恐らく、彼はこれらの動作にうまく適合しているためでしょう。これらの位置で彼がかけている負荷の量は、私達が機械的な物ではなく、生物学的な生き物であるための保護的なものなのかもしれません。 ジムでとんでもないデッドリフトを行っている人達においても、それは同様なのかもしれません。そういう人を見たことありますよね?なぜ彼は常にケガをしないのでしょうか?“とんでもない”トレーニングに、彼が適合しているためかもしれません。初心者にとって、これと同様の負荷は問題となるでしょうか?誰にもわかりませんが、危険の可能性は高まるでしょう。 本質的に、動作/エクササイズ、そのものではなく、それらを行う人と、彼らの現在の状況にとっての、動作/エクササイズの妥当性というところに帰着します。これらの動作と、これらの関節位置に入ることのできる能力を取り上げれば、それが良いことと素晴らしいことの違いになるのかもしれません。 覚えておいてほしいこと エクササイズが悪いこともある! 本質的には悪くないが、適用方法に問題がある 悪いタイミング、間違った選択、良くない刺激の可能性がある 悪いと信じるのなら、自分自身にその理由を問いただしなさい “動作が悪いのか?”というのは、重要な疑問である! 動作は変動性を持つ − 何が良くないのか? ただ単に動作だけではなく、産生される力も関わる 時に、回避すべき動作があるかもしれない ある状況下では、ある動作が良くない可能性がある 人間は適合し、高負荷はある動作において保護的かもしれない
 
    	「悪い」エクササイズが良くなる?
“百聞は一見に如かず”は、写真は複雑な概念を解説することができる – または、少なくとも、その “助け” となることを示唆する、昔からの言い回しです。この表現は色々な方法でメリットを持ち、理解の空白を埋めるイメージ作りや、ポイントを明確にする上でとても効果的となります。リハビリやトレーニングの世界では、他者が学べるようなコンテンツを提供するためのテクニックや動作を見せる事により、指導効果を上げる為に使うこともできます。ただし難しいところは、多くの場合それは状況によって変化したり、関連する前後関係がほとんどなかったりすることです。説明がそういった前後関係を埋めるのに効果的である一方、簡潔な説明や記事では解説しきれない数多くの変数も存在します。 今日のソーシャルメディアの世界では、誰もがトレーニング/リハビリのイメージをオンラインで見ることができ、数ある選択肢から実行することができます: 写真を、実行する新しいアイデアを与えるため、あるいは、すでに存在するプログラムに取り入れるための土台として利用する。 既に設定されているコンセプトを強化、又は構築する。 そこにある写真を鑑賞し、ある特定の側面をポジティブ、ネガティブの両面で判断又は批評する。 色彩や背景への称賛など、どちらがポジティブなイメージを創り出しているか注意を払う。 彼らにとって理にかなっているものではないことに気づく、こうしたことが適用される状況はあまりないこと、または他の専門家はアプローチ方法が違うということを認識する。 かなりよく起こるのは、物事が間違って伝わること – オプション#3から上のものです。それを批判の機会とするのではなく、その活動を行っている人へのキューイングへの考慮や、あるいは何が特定に用いられているのかを理解すること。判定はそのイメージを投稿した人や、その対象者となっている人に利用される可能性があり、良質な可能性のある情報が誰かの意見や、時には感情に埋もれてしまう可能性もあります。 とはいえ、私は、ほとんどの人達にとって本当に悪い活動を非難すべきではないと示唆しているわけではありません。自分たちを売り込むために業界にいる人たちや、我々の神聖なフィールドに泥を塗るような技術やプログラムに対して、見てみぬふりをすべきではありません。しかし、物事をより深く解説したり、写真ではハッキリしないポイントを明確にするための適切な会話が行われない限り、静止画のようなものに対して否定的になったり、軽蔑したりする代わりに質問をすることと建設的な会話をおこなう注意を払うことを示唆しているのです。 大半のトレーニング/リハビリと同様、そこにはリスク/褒賞の割合があります。 特定の活動は、その意図に関係なく怪我のリスクを高めたり新しい問題を引き起こすのでしょうか? もしそうならば、それをする価値はあるでしょうか、そしてなぜ? それを行うことによるクライアントの特定のゴールはなにか?そしてそれは専門家がクライアントに実行させること、または推奨することに対する快適度と協調するものなのか? 専門家は、 例え心地よくないことを行いたいと思う誰かを失うリスクがあったとしても、自分達がクライアントにとってベストであると感じることを明確に示すべきです。 高レベルのアスリートと仕事をする時、彼らの多くは今自分達がしていることは限られた時間であることを理解しています。だからこそ、それを続ける為に犠牲を払うことを惜しまないのです。 疑問を持ち得る活動を行うことに対する専門家としてのゴールは何でしょう? 活動の処方における “格好よさ”から離れ、それらが理にかなっているかどうかにおいて現実的であることです。 グループ指導に特化して言えば、万人にあてはまるものなどありません。 “ブートキャンプ”で得られるものは沢山ありますし、参加者のうちの何名かは参加すべきでないその他のハイレベルなクラスもそうでしょう。もしそれらが一対一のセッションであれば、専門家はこういった活動を特定の人間に対して処方はしないでしょう。 この写真を例にしてみましょう。写真はレブロン・ジェームスが誰かに踵をおさえてもらい、バランスボールの上でバックエクステンションをしているものです。 この写真は状況がすっかり切り離された写真の良い例です。表面的に見ると、これは私が通常自分の患者やクライアントに使うエクササイズではありません。彼は腰部の伸展筋群を全て使って、このエクササイズで脊柱の伸展を増大しているように見えますし、もしも過去に背部傷害の既往歴がある人であれば、この種目を選択する理由が私には見当たりません。 ですがこれを違った観点から見てみるとどうでしょう。レブロンがスポーツで必要とする動作や競技レベル、そして運動能力は私達が管理しているほとんどのクライアントとは異なるものです。こちらの写真を見れば、この選手は明らかに腰部伸展の筋力と...そしてコントロールを必要としていると言えるでしょう。 パフォーマンス中のキューイングと活動のターゲットにする部位はどうでしょうか?もし私が彼にエクササイズを処方して指導するのであれば、いくつかの点に着目するでしょう: 適切な吸気と呼気の順序で、挙上と下降の際に息を吐き(骨盤底、横隔膜の腹壁との統合の為)、ボトムポジションで息を吸って背部の拡張を意識する 脊柱伸展群の活動の度合いを減少させ、安全な遠心性の腰部伸展を与える為に、胸腹部の共収縮能力をコントロールする ハムストリングスの緊張を保つ為により屈曲した膝のポジションで踵を保持し、骨盤前傾をおさえるように、ボールを挟む事でハムストリングの近位部を活性化させる 胸部と頭部を後方に引くことを推奨する これら全てが正しいポジションにあり、競技特性をベースにした、彼に必要とされる能力に目を向ければ、これは望ましいものになりえるでしょう。適切な人のもとで、適切なキューイングと筋の活動があれば、これは彼がかなりの効果を得られるものになるかもしれません。 呼吸バランス、ポジションコントロールと3次元運動の理解という、必要なメカニクスの確かな基礎があれば、有害となるエクササイズはごくわずかです...ただそのいくつかは個々の要求に対して他のものより少し優れているだけなのです。
 
    	エクササイズの良し悪しはポジションによって決まる
最近暑いので、毎日フラ〜っと宮﨑県の誇る美しい海辺に出かけ、パラソルの下で涼みながら本を読み、たまに知り合いを見つけて何気ない話で盛り上がる、という妄想をしながらお家でYouTube 観てます。 今回はエクササイズとポジション(関節の位置)の関係についてお話をさせて頂きたいと思います。 昨今トレーニング本や文献で多種多様なエクササイズが紹介されています。 運動指導に携わる皆様は、それこそ無数のエクササイズを試したことがあるかと思います。 例えば、前十字靭帯の障害を予防するためにはどのエクササイズが良いのでしょうか? という質問を受けた時、皆様はどんなエクササイズを思い浮かべますか?? 多くの方が着地時のニーイン(膝が内側に入る)を予防する為の『股関節外旋筋群を鍛えるエクササイズ』を思い浮かべるかと思います。 今回は『股関節外旋筋群を鍛える』とされているエクササイズがポジションによってどう変わるかを考察します。 股関節外旋エクササイズとして代表的な物の1つに【※クラムシェル】というエクササイズがありますよね。 ※側臥位、股関節と膝関節は屈曲位で揃える、上方の膝を天井に向けてあげて股関節を外旋する ある文献では、 『クラムシェルは股関節外旋筋をトレーニングするのに優れたエクササイズである』 と記述されています。 一方他の文献では、 『クラムシェルは大腿筋膜張筋や大腰筋の働きが強く見られるため臀筋(もしくは股関節外旋筋)のトレーニングとして相応しくない』 と記述されています。 どちらの文献においても方法論的に大きな違いが見られず、同じ程度の信頼度がある場合、どちらの主張を信じますか?? 私はこの類(エクササイズ時の筋発火を調べる)の研究に欠けている概念の1つが『ポジション』だと考えております。 このケースでは、クラムシェル動作時において非検者の腰椎〜骨盤〜大腿部がどのポジションを取るかで働く筋は全く変わります。 例えば非検者の腰椎が前弯し、骨盤(寛骨)が前傾している場合、腸骨大腿靭帯と恥骨大腿靭帯が正常に機能すると大腿骨は内旋します。(簡単に言うと靭帯組織に問題が無い場合、腰が反る→内股になる) 寛骨の前傾に伴い股関節屈曲筋である大腰筋は働きやすい位置(やや短縮位)に来ます。 反対に大腿二頭筋は働きづらい位置(伸長位)に来ます。 大腿二頭筋は大腿骨外旋筋としても機能しているのですが、寛骨前傾によって働きが弱まってしまうため、代わりに大腰筋が股関節外旋筋として機能し始めます。 更に、寛骨前傾&大腿骨内旋に伴い股関節屈曲&内旋筋である大腿筋膜張筋も働きやすい位置に来ます。 歩行時に水平面の安定を獲得するためには 1、大腿骨(FA)内旋筋=内転筋の一部と外側広筋 2、大腿骨(FA))外旋筋群=大腿二頭筋と臀筋の一部 主に以上の筋群による拮抗は必須なのですが、 腰椎〜骨盤〜大腿部が前述のポジションをとると働く筋群が変わってしまいます。 簡単に言うと、 大腿骨外旋は大腰筋 大腿骨内旋は大腿筋膜張筋 が主役となります。 この状態でクラムシェルをすると、寛骨前傾&大腿骨の内旋により過活動になっている大腰筋と大腿筋膜張筋の筋発火が多く見られるのは必然ではないでしょうか? 私の結論としては、クラムシェルが良いエクササイズ(ここでは股関節外旋筋群を鍛える事ができるか?を判断基準とする)かどうかは、関節がどのポジションを取るかで決まります。 これは全てのエクササイズに当てはまります。 エクササイズの名前(スクワット、デッドリフト、プッシュアップetc)では、そのエクササイズやメニューの良し悪しは判断できません。 エクササイズに明確な目的を持ち、その目的を達成するためにはどのポジションでエクササイズをするべきかを考えて処方すれば、全てのエクササイズは最高のエクササイズになり得ます。 なんちゃって
 
    	どのようなエクササイズでも患者の役に立つのか?
本当の疑問は、「私たちはエクササイズの処方にどれだけ特異的であるべきか?」ということであるべきかもしれません。(この記事は壮大なブログになりえましたが、私は簡潔で読みやすいままにしておくことにしました!) 私たちは常に特異的であるべきというのが私の意見です。 さて、これはかなりキッパリとした主張なので、少しニュアンスを加えたほうがいいでしょう。 一部の人たちにとって、特異的いう言葉は、特異的なエクササイズを特異的な問題に対して用いるべきであるということを意味します。 治療の世界では、ある特定の問題を改善するための「ベスト」なエクササイズとして持ち上げられながらそれを成し遂げていないエクササイズがそこら中にあります。腰痛に対する腹横筋のアクティベーションエクササイズや膝の痛みに対する内側広筋エクササイズなどを思い浮かべてください。このような形で特異的になることは、現在の私たちの持つエビデンスの基盤では保証されていないようです。 私たちは、筋力や可動域のような一種の身体的性質に対して特異的になることもできます。多くの場合で、筋骨格系の痛みに関しては、ある特異的な身体的性質を追い求めることでもより良い結果をもたらさないようであることを目にします。特異的であることが重要であるいくつかの例があるので、これらは後ほど説明します。 私は大胆に、そして危険を犯して、私達が身体中のあちこちに持っているような、非特異的な痛み(原因を特定できないという意味)は、おそらくエクササイズに対して非特異的なアプローチが必要であるということを主張します。これは、一つの身体/生態運動の質に集中した一つのエクササイズや一つの種類のエクササイズを強く勧めることができないということです。 では、なぜ特異性の必要性があるか? これまで私が述べてきた全てのことは、特異的であることに本当の必要性がないということに向けられているように思えます。それは、私たちがエクササイズをとりあえず何でも処方して、そこから良い結果が得られることを期待できるということでしょうか? 私はそうではないと思います。 エクササイズの実施は何らかの理論を基にするべきであり、結果を考慮しながら始めるべきです。 私たちは、どのような特異的な効果をエクササイズから得たいのでしょうか? これはその人と、その人の現在の問題または目標によって特異的となるでしょう。これは、理論づける方法は常に特異的ですが、その実施はいつも同じとは限らないということを意味します。 そのため、エクササイズやプレゼンテーションの種類に特異的になるよりも、私たちの目の前に立っている人に対して特異的になるのです。 何を求めるか? 痛みの軽減は、エクササイズの処方によってあなたが成し遂げたい成果かもしれません。 ここでは、多くの種類のエクササイズが鎮痛効果を引き起こす可能性があるように思えます。アイソメトリックが現時点でのおすすめですが、ウェイトトレーニングと心肺持久力トレーニングの両方も鎮痛反応を引き起こす可能性があります。 私は、いまだに全てに対する短期的な反応の有用性について少しどっちつかずの立場にいますが、一部の患者のグループには医療的な必要性がみて取れます。 エクササイズの実施によって達成したい多くの様々な成果があり、人間の機能の多くの様々な要素に影響を与えることができることがわかります。 物事を少し簡単に、そしてより整理するために、いくつかの大雑把なカテゴリーを作ることができます。 組織のキャパシティ これは、腱や筋といった特定の組織の耐性になりえますが、いまだにこれについての病理と痛みの関係性は完全に解明されていません。 手術後に筋力に取り組む必要性があるといった、特定の生物運動特性に対する必要性が確かに見られるような明確に定義されたシナリオもあるかもしれません。 信念構造 身体組織に焦点を当てたエクササイズや動きの観点から離れ始めるにつれ、エクササイズに関する信念のコンセプトがより重要になります。 恐怖回避といったコンセプトや、露出を基本としたセラピーに注目が集まり始め、そしてそれはもっともなことであり、特に実際に人々を動けるようにするというそれらの役割がますます理解され始めています。 動きに対して非常に特異的になる必要があるかもしれませんが、その動きはおそらく各個人に対しても非常に特異的でしょう。 順守 もし、そもそも実施されないのであれば、エクササイズやその目的が何であろうと関係ないかもしれません。 これが、非特異的であることが実際にはなかなか特異的であるという非常に良い例です。 私たちは次について特異的でなければならないでしょう ロケーション 器具の種類 好みと楽しさ 人々が再び運動するようになるためには。 運動のストラテジー 私たちが痛みの原因であると信頼して見ている多くの特異的な運動の「問題」をはっきりさせる事は難しいことでした。 痛みの経験の背後にあるメカニズムに対する私たちの理解は広がっており、運動ベースの方法を用いるもっともな理由として、特異的な動きと痛みを分離するというような現代的なコンセプトを目にしますが、これらも各個人に対して非常に特異的であるように思えます。 多すぎる、または少なすぎる多様性は痛みや痛みのメンテナンス、そして怪我に関係しているかもしれません。またはしてないかもしれません!なんとも言えないのです。 単に動くということが多くの人に必要なことかもしれません! 特異的になる−あなたのデータはどこに! これは、人々に共通して目的にする特異性がないということではなく、それらは明確に定義される必要が確かにあるということです。その例が、ACL再建のリハビリでの競技復帰かもしれません。患者が、大腿四頭筋の筋力とホップパフォーマンスでもほぼ同等に10%以内の復帰の基準を達成したときにより良い成果が示されてきました。ハムストリングの怪我の予防で、コンセントリックな筋力トレーニングよりもエキセントリック収縮の特異的な利用も目にしました。 ここでの鍵は、あなたが特異的になっているのであれば、それを裏付けるための何らかの形のデータを持っているということです。 特異的な反応に対して用心深さを保つ 全てのエクササイズは個別の反応を与え、それは実施すれば良いわけではありません。多くのエクササイズに関する研究は、二グループ間の統計的に有意な差やばらつきを見るために、二つの異なるグループの平均を比較することを基本としています。 このタイプの分析が効果の傾向を指し示してくれる一方で、実際にはエクササイズに対する個別の反応については僅かな見解しか示してくれないため、あなたの理論的なプロセスによって成果を得ることをただ期待するよりも、その人の反応をモニタリングすることが重要です。 エクササイズはその人を改善または悪化させる、または変化がないかもしれません。多くのエクササイズ介入が目覚ましい結果を残さないということを理解することは重要です。実際の効果は多くの場合で臨床的に意味のある最小の変化量(MCID)あたりです。MCIDとは、患者が自身にとって重要だと思うであろう最小限の差のことです。この数字は研究ごとに異なりますが、一般的には11段階の0から10の視覚的アナログスケール(VAS)で2のあたりになります。 私たちは常に、患者の特異的な反応をもとに、エクササイズの種類や処方量を調整できるようにしておかなければなりません。 要約 私たちは常に特異的である必要があります いつも同じ方法ではありません エクササイズから「何を得たいか?」を常に自問する 生物−精神−社会のスペクトラムに渡って多くの異なる影響があります 特異的になりたいですか?データを用意しましょう! あなたのエクササイズの効果については常に用心深くいましょう