痛みから脱するための7つの道のり パート1/2

一般的な筋骨格系の痛みに対する治療には、多様で数多くの選択肢があります。たとえば、腰痛には、ストレッチ、ストレングス、運動制御、マッサージ、ヨガなどが頻繁に治療として使われます。どの方法を試してみるべきでしょうか? もちろん、医療専門家に相談するべきですが、恐らく、彼らはそれを治すために特定の治療方法をひとつだけしか処方してくれないかもしれません。同じ効果があり研究でその効果が裏付けされているその他の選択肢があっても、たぶん伝えてくれないでしょう。 高重量のデッドリフトで腰痛を緩和できたという人がいる一方、正反対の経験をする人もいます。ヨガやカイロプラクティックの矯正、ランニングに関しても同様です。これらの運動のうちどれが役立つかを事前に判断することはできないので、それを探ってみる必要があるかもしれません。しかし、選択肢すべてを試すことはできません。多くはいんちきかもしれないし、これまでに試した他のものと重複してしまうかもしれません。この投稿では、痛みから脱するための7つの大まかなカテゴリーを紹介します: 休養 ストレングストレーニング モビリティ (例: ストレッチ、動的関節モビリティドリル) 協調/運動制御 (例: コレクティブエクササイズ, ピラテス) マインドボディ/アウェアネス (例: 瞑想、ヨガ、フェルデンクライス) 健康全般 (食事、一般的なエクササイズ、睡眠、ストレス解消) 徒手療法 (例: マッサージ、モビリゼーション、マニピュレーション) 上記に挙げた各療法は、特に診断がなくても、様々な種類の痛みのために試してみる価値があります。これらは、幅広い効果を持つ一般医療と同様、副作用はほとんどありません。症例によっては、それらを利用するにあたって専門家を必要としません。特に、エクササイズの基本原理を多少知っていればなおさらです。ここでは、各療法を簡単に説明していきます。なぜ、それらが良い方向に向かわせてくれるのか、実施する中で遭遇する陥りやすい落とし穴などを紹介します。 1. 休息 仮に、新しいランニングプログラムを始めて数週間経ったころからアキレス腱が痛み出したとします。過剰な力学的ストレスが主な原因であると考えられます。したがって、治療として論理的な最初の選択肢は、休息です。これは、ほとんどの人にとって容易に判断できますが、いくつかの理由から休息を取ることを軽視する人もいます。 ひとつに、休息を好まない人もいるという理由があります。彼らはいつも自分自身をプッシュしすぎて失敗するのです。 もうひとつの理由は、身体活動の増加に気付かないことです。ゼロからスタートした毎週5マイルのランニングであれば変化は分かりやすいのですが、10から15マイルへの変化では気付き難くいものです。身体的ストレスの増加は、異なる活動によるものである場合さらに気付き難くなります。現在実施しているランニングプログラムに加えて、週2回の下半身のウェイトトレーニングのセッションを追加したならば、走行距離を減らす必要があるかもしれません。 追加されても最も気づくのが難しい“負荷”は、感情的なストレスです。実際、身体に身体的影響を及ぼし、それらのひとつが、痛みに対する感受性を高めてしまうことかもしれません。それゆえに、感情的なストレスがない時、あなたの腰は20マイルのランニングに余裕を持って耐えられますが、仕事で忙しく,十分な睡眠が取れていないと、痛みを感じ始めるのです。 安静にして痛みが和らげられるためにも、次のチェックボックスを確認してみましょう。 痛ければ行なわない(少なくともしばらくの間)。または少なめに行う。 オーバートレーニングを避け、トレーニング負荷を管理する(選手の場合、これに関しては専門家レベルの知識を必要とするかもしれません)。 感情的なストレスを減らすよう努める。 睡眠と活動休止、回復の最適化。 注意事項 休息が多いほど良いとは限りません。 治癒するのに十分な期間休んだならば、活動し始めるタイミングかもしれません。その違いについては専門家に相談してください。 2. ストレングストレーニング Of the different strategies listed here, strength training is definitely the one that my clients are least likely to try. It’s a low hanging fruit that is rarely picked, and it’s effective for a broad range of musculoskeletal pains. ここに挙げるさまざまな取り組みのうち、ストレングストレーニングは明らかに私のクライアントが最も試さないことのひとつです。試す人はほとんどいませんが着手しやすく、幅広い筋骨格系の痛みに効果があります。 たとえば、アキレス腱障害の最善の治療方法は比較的簡単です-適切なレベルのチャレンジで、ふくらはぎにしっかりと負荷を与えるレジスタンスエクササイズを行います。(1) いくつかの異なる膝の痛みには、大腿四頭筋を強化することが最も根拠に基づく治療とされています。股関節の強化を加えるとさらに効果があります。(2) 腰痛には、レジスタンスエクササイズが数ある効果的な治療方法のひとつです。(3) 頸部の痛みについては、頸部の首の強化が他の治療方法と同じかそれ以上に効果があります。(4) 肩の痛みには、診断された動きの“機能不全”を修正するように設計された特定の運動制御エクササイズと同様に、一般的なストレングスエクササイズも効果があるでしょう。(5) 結論は次のとおりです: 一般的にみられる多くの痛みには、概して、痛みを悪化させない方法で痛みのある周囲の筋を単に強化することよりも優れた治療方法は見つかりません。この単純なアプローチは“負荷をかけるだけ”と呼ばれることもあり、アダム・ミーキン、エリック・メイラ、グレッグ・リーマンなど高く評価されている多くの理学療法士によって提唱されています。 これはなぜ効果があるのでしょうか?正確なメカニズムは分かりませんが、次の1つ以上のメカニズムが関係している可能性があります: 内因性カンナビノイドおよび/またはオピオイド系の活性化によるエクササイズで誘発される鎮痛作用 失速した組織の治癒の再活性化、代謝組織や血管組織の健康状態の改善、炎症の軽減などの生理学的変化 力をうまく吸収し、関節を安定させるなど、優れたテクニックを使う能力の向上などの力学的変化:および プラセボ効果、楽観的な思考の増加、自己効力感などの心理的変化 最良の結果を得るには、レジスタンストレーニングの専門家、特に痛みのある状態でのトレーニング方法を知っている理学療法士に相談するべきでしょう。しかし、プロセスは極端に複雑である必要はなく、レジスタンストレーニングの基本原則を理解していれば、自分自身で行うことができます。目標は単に、痛みを悪化させることなく筋力を高めることです。最善な方法のひとつは、アイソメトリックエクササイズです。壁をできる限り強く押す時のように、動くことなく筋を収縮させます。不快感に対しての筋へのチャレンジ比率が最も高くなる関節角度を見つけ、限界に近づくまでトレーニングを続けます。 エクササイズによって痛みを悪化させないようにするために、一般的に中程度の不快感を超えるような痛みのレベルを回避することをお勧めします(1~10の尺度で最大4)。また、エクササイズが終わった後や翌日に痛みが悪化していないことを確認してください。激しい筋運動が、エクササイズ誘発による鎮痛を生み出す良い方法であるために、ほぼ直ぐに痛みが改善する可能性も高いでしょう。これを良い兆候として探ってみてください。 筋を強化したにも関わらず痛みが軽減しなかった場合でも、少なくとも機能は向上します。これが、アダム・ミーキンスが“強くなれば失敗はない”と言っている理由です。 注意事項 特別に扱う必要のある奇跡を起こすような筋(臀筋、前鋸筋、肩甲骨の後退筋群、腹横筋など)はありません。また、強化してはいけない“悪い”筋(股関節屈筋群、胸筋、上部僧帽筋など)もありません。 レジスタンストレーニングに他と比べてひとつだけ優れているという方法(ケトルベル、バーベル、マシンなど)はありません。漸進性過負荷などの基本原則に焦点を当て、状況に最も適した方法を適用します。 よくある間違えに、単に負荷が十分でないことがあります。力を生み出す能力に本当に挑戦しているかどうかを確認しましょう- あなたの安全の限界を見つけ、限界に近づくまで負荷をかけます。 参照 Malliaras P, Barton CJ, Reeves ND, Langberg H. Achilles and patellar tendinopathy loading programmes : a systematic review comparing clinical outcomes and identifying potential mechanisms for effectiveness. Sports Med. 2013;43(4):267-286. doi:10.1007/s40279-013-0019-z; Key factors to consider in Achilles tendinopathy rehab (Malliaris 2016). For information on resistance training for tendons generally, see: Cook et al. (2016). Revisiting the Continuum Model of Tendon Pathology: What Is Its Merit In Clinical Practice And Research? British Journal of Sports Medicine. 50(19), 1187–1191; Rio et al. (2014). The Pain of Tendinopathy: Physiological or Pathophysiological? Sports Medicine. 44(1), 9–23; Rio et al. (2016). Tendon Neuroplastic Training: Changing the Way We Think About Tendon Rehabilitation: A Narrative Review. British Journal of Sports Medicine. 50(4), 209–215. Willy et al. (2016). Current Concepts in Biomechanical Interventions for Patellofemoral Pain. International Journal of Sports Physical Therapy. 11(6), 877; Rabelo et al. (2018). Do Hip Muscle Weakness and Dynamic Knee Valgus Matter for The Clinical Evaluation and Decision-Making Process In Patients With Patellofemoral Pain? Brazilian Journal of Physical Therapy. 22(2), 105–109. Prevention and Treatment of Low Back Pain: Evidence, Challenges, and Promising Directions. The Lancet, 391 (10137), 2368–2383. Gross et al. (2015) Exercises for mechanical neck disorders. Cochrane Database of Systematic Reviews 2015, Issue 1. Art. No.: CD004250. See, e.g. Timmons et al. (2012). Scapular Kinematics and Subacromial-Impingement Syndrome: A Meta-Analysis. Journal of Sport Rehabilitation. 21(4), 354–70; Struyf et al. (2013). Scapular-Focused Treatment in Patients with Shoulder Impingement Syndrome: A Randomized Clinical Trial. Clinical Rheumatology. 32(1), 73–85; Camargo et al. (2015). Effects of Stretching and Strengthening Exercises, With and Without Manual Therapy, on Scapular Kinematics, Function, and Pain in Individuals with Shoulder Impingement: A Randomized Controlled Trial. The Journal of Orthopaedic and Sports Physical Therapy. 45(12), 984–97; McClure et al. (2004). Shoulder Function and 3-Dimensional Kinematics in People with Shoulder Impingement Syndrome before and after a 6-Week Exercise Program. Physical Therapy. 84(9), 832–48; McQuade et al. (2016). Critical and Theoretical Perspective on Scapular Stabilization: What Does It Really Mean, and Are We on the Right Track? Physical Therapy. 96(8), 1162–69.

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スロームーブメントが、協調性を構築する理由

協調性の向上のために、ゆっくり動くことの有効性について、私はブログでかなり多く取り上げてきています。私のお気に入りの2つのムーブメント練習は、もちろんフェルデンクライスメソッドとZヘルスで、これらは、協調性を向上する主な方法としてかなりの程度までゆっくり意識的な動きをすることに重点をおいています。とてもゆっくりで緩やかなムーブメントを見て、こう思う人が多いでしょう―― これらがどう役に立つのか? ゆっくりで緩やかよりも激しく速い方が良いのではないか? この投稿でこの疑問に回答しましょう。 協調性を養う方法として、ゆっくりで緩やかなムーブメントを行う大きな理由がいくつかあります。最も興味深い理由(この理由から説明しましょう)は、あまり知られていない原理ではありますが、ヴェーバー・フェヒナーの法則というものをもとにしています。ヴェーバー・フェヒナーの法則とは、特定の刺激の強さと、脳が知覚できる刺激量の違いの関係について定義したものです。この法則は基本的に、刺激が増えるほど刺激量の違いを見分ける能力が低下するというものです。これはずいぶん常識的な考えです。たとえば、暗い部屋でろうそくがひとつだけ灯っているとします。そこでもうひとつろうそくを灯したとしたならば、その違いを感知するのはとても容易なことでしょう。一方、200個ものろうそくが灯されている部屋に居たとしたら、ろうそくの灯火がひとつ増えたところで知る余地もありません。 その他さまざまな知覚認知にも、この法則が適用されます。筋活動に対する知覚も同様です。たとえば、目隠しをして1ポンド(453g)のジャガイモを手に持っているとしましょう。ハエがジャガイモにとまってもその違いに気がつきませんが、小さな鳥がとまれば気がつきます。では、次に50ポンド(23kg)のジャガイモを持っているとします。そうすると小さい鳥がとまったことさえ気がつかないでしょう。鷲ぐらいになれば気がつくでしょうが。つまり、重量を1ポンドから50ポンドに増やすと、重量を保持するための筋力量の変化に対する知覚が50倍も低下します。 では、それがどうしたというのでしょうか? 効率よく動作を行いたいならば、どんな時に頑張りすぎているのか気がつかなければならないからです。スピードを落として、筋活動レベルの変化をより感知しやすくなれば、過剰または不必要な活動を感知し、修正する脳の能力を上げることになります。たとえば、股関節を伸展するたびに、股関節の屈筋群を弛緩させるのではなく、多少収縮していたとしましょう。つまり、相反する筋群が同時に起動している状態です。股関節を伸展しようとする伸筋群の力に屈筋群が少し反発し、伸展しにくくさせているのです。非常にゆっくり楽に行うことによって、この非効率な共収縮が感知しやすくなり、抑制することができるようになるでしょう。それとは逆に、素早く強く動かしてしまうと、問題を感知しそれを修正することは決してできません。 見方を変えてみましょう。以前の投稿で、動作がどのぐらい正確であるかは、固有受容器の身体領域(地図)が優れているかどうかによるというお話をしました。ここでの地図とは、それぞれの身体部位における動作の感知と制御を担っている脳の物理的領域を意味します。これらの脳の領域、あるいは「地図」は、身体活動やそれによる感覚フィードバックに応じて神経を連携させていきます。たとえば、何年間もピアノを弾く練習をしたとしましょう。指の動きを感知し制御する脳の領域は、より複雑で、より効率のよい回路を作り始め、さらに範囲を広げていきます。 ヴェーバー・フェヒナーの法則を応用すると、丁寧に動作をすることで、動作の力学をより正確に感知し、識別するようになるのです。言い換えれば、動作の地図を構築するための、より詳細で洗練された情報が脳にもたらされるのす。こうして、地図の解像度が上がり、より鮮明になります。Googleマップで拡大ボタンを押すようなものです。もっと詳細で、脇道がさらにはっきりと現れ、つまり、その関節をどのように動かすかという、より多くの情報が得られるわけです。 緩やかなスロームーブメントは、動作の地図を鮮明にします。また、新しい動作の領域を拡げるための最善の方法ですから、さらに広い領域をカバーし、地図の領域を拡げることにも貢献します。中枢神経系(CNS)は本質的に、新しい動作や何年も行っていない動きを脅威に感じます。ゆっくりと楽に行わない限り、うまくいかないのです。中世の世界地図には、ヨーロッパの大部分と地図の角に、蛇の絵とともに「ここにドラゴンあり」という言葉が添えてありました。脳にある動きの地図も、年齢を重ねるごとにこれに似てきます。安全で親しみ深い領域はどんどん小さくなり、未知の領域は増々大きくなっていくのです。公園で遊んでいる子どもを10分間観察してみてください。あなたがオフにしているたくさんの動作が観察されるでしょう。この領域を再び呼び起こしたければ、ゆっくりと楽なムーブメントからスタートした方が良いでしょう。 側転やバク転のような、潜在的な危険を伴う難しい動きにばかりこの法則が適用されるわけではありません。後ろに振り向いたり、しゃがみ込むなど日常の簡単な動作にも適用されます。これらの簡単な動作をするには数えきれないほどの方法があり、何百もの異なる関節角度が考えられ、文字通り何百万通りの異なる筋活性パターンが推測されます。年齢を重ねると、どんどん動きの可能性が減少し、最終的にはほんのわずかな選択肢しか残されません。たとえば、胸椎の椎体のひとつかふたつがほぼ一度も右回旋したことがないという可能性も考えられます。あるいは、股関節を無意識にある角度に動かさないようにしているということもあります――たとえば、それが屈曲30度、外旋10度、外転15度としましょう。この関節の角度が問題になり始めたのは、10年前の膝の手術の後からだったかもしれません。CNSが、この角度を避けるように学習し、そして習慣となったのでしょう。そして、知覚運動健忘のために、動作の地図ではこれが事実上の死角またはバミューダトライアングルとなってしまいました。この死角を見つけたいならば、ゆっくり注意深く動いてみる必要があります。なぜなら、す速い動きはすべて習慣的な動きしか活性化せず、この死角をスキップしてしまうからです。この死角が見つかったら、ゆっくり動いてみてください。なぜなら、その部位に関連する軟部組織は、何年もの間未使用でこわばったり硬くなっていたりするかもしれないからです。 ゆっくり緩やかに動かすもうひとつの理由は、好奇心と探求心を持って動いてみたり、動きの些細な細部まで十分に注意を払うだけの時間をかけられるということです。協調的になるということは、本質的には運動を司る神経回路を再配線するということで、「神経可塑性」と呼ばれるすばらしい過程の一例です。神経可塑性とは、簡単に言うと脳の変化する能力のことです。マイケル・メルゼニッチら著名な神経科学者達によれば、注意を払うことと気づきが神経可塑性を作り出すための大前提なのです。つまり脳は、ある特定の活動を注意深く行えば、その活動を上手に行えるようになる傾向があります。スロームーブメントによって自分が動いているときに何をしているのか、しっかり注意を払うことができるようになるのです。 人が動作を学ぶプロセスは、生まれて最初の2年間で最大の躍進を遂げるというのは、注目に値することです。すべての動きがゆっくりと、緩やかで、好奇心と探索心に満ちている時期です。事実、モシェ・フェルデンクライスのメソッドのほとんどは、乳児の動作と運動系の発達についての彼の研究に基づいています。 優秀なアスリートや音楽家、武道家の多くは、技術を磨く手段としてスローモーションの練習を取り入れているのは意義深いことです。ベン・ホーガンやモニカ・セレシュなど、今はわざわざ調べる気にはなりませんが、他にもたくさんの著名人がスローモーションでのムーブメントを彼らのトレーニングルーティンの重要な要素としているはずです。たぶんタイガー・ウッズも練習や試合でスローモーションを実施したでしょう。世界一パワフルなアスリートであるオリンピックリフティングの選手でも、かなりの時間を割いて、ほうきの柄だけを使ってテクニックを磨きます。 もちろん、どこかの時点でもっと現実的に応用できるものとして技術のスピードアップを図らなくてはなりませんが、ここで明らかなことは、スロームーブメントは、他の練習様式ではありえないような大きな利点があるということです。

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痛みと記憶

記憶の生態について学ぶことは慢性疼痛を理解する上で非常に参考になる、とルイス・ギフォードは言いました。たとえば、ある種の痛みはまるでコマーシャルソングのようなもので、頭にこびりつき、うるさくて、意味がまったくなく、消し去ることが難しいものです。 痛みと記憶の興味深いつながりをいくつかご紹介しましょう。 幻肢痛の記憶 幻肢痛のある人は、失った下肢の存在や痛みをはっきりと認識します。失った下肢から知覚信号は送られていないにもかかわらず、脊髄神経と脳神経でその信号を処理する部分は残っていて、それが誤作動してしまうのです。そうなると、不思議なことにその下肢が実存しているかのような認識が生まれるのです。 ロナルド・メルザックは、これらの感覚は下肢の切断前に感じていた記憶と合致していることを示しました。たとえば、その下肢の切断直前に痛みがなかった人にとっては、幻肢痛はそれほど深刻ではありません。 薬で痛みの記憶をブロックする クリフォード・ウルフが行った研究によると、手術を受けようとしている患者が、手術前に痛み止め薬を服用していれば、術後も痛みが軽減されると示されました。薬の効果はそのうちに消えてしまうし、手術による組織ダメージを防ぐわけではないのになぜでしょう? 彼の説明によると、術後の痛みは手術中に作られた“痛みの記憶”によって発生するものであり、これらの記憶が作られる過程を“鎮痛薬の予防投与”でブロックできるということです。ウルフによると: 術後の痛みは、手術中に発生した痛みの記憶にスイッチが入ったことの現れ・・・痛みの分子基盤を慎重に調べると、痛みと記憶の間には明らかな関連性が常にあることが分かります。このような関連性をブロックすることが、痛みの治療に新たな基盤を提供できるのです。 記憶の意味 わたしたちが痛みを記憶する過程は、痛みのある出来事の感情的な状況に依存しています。ある研究では、出産や婦人科手術の経験がある女性は、どちらも高いレベルの痛みを訴えていると示しています。しかし、出産をした女性は数ヶ月後にはどれだけ痛みを感じたかある程度“忘れて”しまったのに対して、手術を受けた女性は、自己報告した痛みのレベルを過大評価したとあります。明らかに痛みの感情的な状況とそれが持つ意味で、記憶のされ方に大きな違いが出てくるのです。 『ニューヨークタイムズ』の最近の記事で、マラソンランナーにおける同様の研究について論じられています。それには、ゴールに達成しレースに満足感を得ている人の自己報告の痛みのレベルは低く評価されるということです。 同様のことがディズニーランドから帰って来た子供たちにもみられることに気がついた近所の人がいます。子供たちは長い列で待たされ、乗り物は短いと文句を言っていてあまり楽しんでいないようであっても、帰宅するや否やまた次の日の朝9時にはディズニーランドへ行きたいと騒いだのです。彼はそれをディズニー健忘症と呼んでいました。 彼は、ダニエル・カーネマン(『ファスト&スロー (上): あなたの意思はどのように決まるか?』の著者)が研究した素晴らしい効果を、直感的に理解していたのだと思います。ピークエンドの法則によると、過去の経験がどれくらい嫌であったか、または楽しかったかを思い出そうとする時、その経験の終わりでどう感じたかに重点を置きすぎてしまうのです。(また、経験のピーク強度に過剰にとらわれすぎ、継続期間全体をほとんど無視しています)。だから、みなさんは(特に私の妻)どれだけ休暇が退屈であったか思い出せないのですね。また、大腸内視鏡検査でどれだけの痛みを味わったかも思い出すのが大変なのですね。 これはとても興味深いことでもありますが、どうやら“痛みの思い出”(意識的に引き出すことができる)と“痛みの記憶”(脅威となる刺激に対する持続的な感受性)の間には大きな違いがあることを認めざるを得ません。しかし、共通点もいくつかあります。どちらも、過去の経験の感じ方は、解釈と感情を伴う、特異で不完全なプロセスに依拠するということです。 慢性疼痛のクライアントにセラピストとしてできることのひとつは、過去のケガの経験をこれまでと異なった方法で捉えさせ、新たなケガに対して感情知能で、より良く対処する方法を提供することです。 頭にこびりついた迷惑なコマーシャルソングをどう取り除けばよいでしょうか。他の曲を聴けばよいのです。では、前回“発症した”腰痛がどれだけ痛かったかをどう忘れればよいでしょうか? 腰を曲げても痛くない新しい記憶をできる限り作ることです。 最近のケガが、慢性疼痛に移行してしまうのを防ぐにはどうすればよいでしょうか? 極端な感情とストレスを伴う経験は、忘れられない記憶になる傾向があります。個人的に私は、スポーツに富んだ生活を送ってきましたから、うずきや痛み、ケガはつきものでした。その度に感情的になり、ストレスを感じ、「しまった、サッカー人生はこれでおしまいだ」と思うことがありました。 しかし一方では、その新たな痛みをどのぐらい長引かせてしまうかに影響するこのようなわたしの感情は、一時的なものであることも承知しているので、自分をリラックスさせ、集中させ、落ち着かせて、ネガティブな思考にならぬよう自分に言い聞かせます。また、身体が必要な直感的な防御運動や姿勢をとることができる機会を与えるようにします。 この考え方で、多くの起こりうる問題を避けてきました。どのぐらいの数の問題かは覚えていません。なぜならほとんどを覚えていないからです。

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運動の変動性と素晴らしい資質

最近、運動の変動性を取り上げた多くの興味深い研究と議論を目にします。心拍数や脳波、エネルギー使用、動きなどの繰り返される基本的なパターンに微調整を加えられる能力が、健康や身体機能を示す適切な指標とされているようです。同じ作業(たとえば、釘うち作業)を繰り返す熟練者は、初心者に比べて、より高い変動性を発揮します。 これは、ニコライ・ベルンシュテインがかつて運動制御の複雑性を説明したダイナミックシステム理論と関連性があります。これとフェルデンクライスメソッドの理論的根拠には深い関係があり、近いうちに詳しくこのことについて書いてみたいと思っています。 これらのトピックに触れている私の著書から短く抜粋します(ダイナミックシステム理論の複雑な部分は省くとします)。 変動性と素晴らしい資質 優れた動きとは、身体のさまざまな部位の調和のとれた相互作用や協調性だけのことではありません。最も基本になることは、人体のそれぞれの系統が、環境とどのように関わるか、特に予測不可能な環境下でどのようにふるまうかということです。つまり、優れた動きとは、環境の変化に対する適応性と反応性の質を示しています。 完全に左右対称で華麗に歩行する人間ロボットを作ることは想像できるでしょう。しかし、そのロボットが地面の状態の変化に合わせて歩行パターンを適応できなければ、石につまずく度に転んでしまい、この運動スキルは基本的に役に立たないものといえます。つまり、本来の運動の知性は、動き自体にはさほど存在せず、環境との関わりに存在するのです。 鹿の華麗な歩行も、丸太を跳び越えたり、オオカミから逃げたりするために変化しなければ、役に立ちません。サッカー選手も、独りで練習するときは技術的に素晴らしいボール裁きができても、試合形式で相手がボールを奪おうとするような状況でこれらの動きを実施できなければ、本当の意味で優れているとは言えません。 ある特定の考えを一方的に伝えることしかできないのであれば、その特定のコミュニケーションがどれだけ完璧であっても、その言語を流暢に話せるとは言えません。同様に、たくさんの異なる方法でひとつの目標を達成することができなければ、これも動きの達人とはいえません。 立位から座位に円滑に動くことができても、いつも同じ軌道を通っているのであれば、これは、床に腰を下ろす方法をたくさん持ち合わせている人よりも資質が乏しいことになります。完璧なフォームでスクワットできるパワーリフターは、必ずしも、ガーデニングのために備えているのではありません。ガーデニングでは、重心が多少ずれたり、左右の足がさまざまところに位置したりするなどスクワット動作が継続的に環境に順応する必要があります(公平のために言うと、逆にガーデニングをする人は、800ポンドのウェイトを持ってスクワットする準備はできていないでしょう)。ですから、優れた動きは、理想的なフォームの順守という物差しでは必ずしも計れないのです。それよりも、変化する多くの状況に順応する能力で計ることができます。 適応能力と素晴らしい資質は、競技スポーツだけに当てはまるのではありません。私たちの日常生活でも、常に予期せぬ動きや無理な姿勢をとることがあります。 飛行機の窮屈な座席で長時間座る ソファーや寝心地の悪いベッドで寝る 足に合わない靴で歩く 買い物袋を片手に持ちながら赤ちゃんを車に乗せる これらあらゆる状況において、解決策となる動きには、いわゆる“優れた”姿勢とか適切なフォーム、最も調和のとれた動きと言われるものから外れる必要があります。このような予期せぬ問題に対して解決策となる動きを見つける能力は、私たちが運動の知性として認識すべきものの一部です。 では、実践的にこれは何を意味しているのでしょうか。ひとつには、運動の知性は多様性に富んだ困難な動きに直面することによって発達するということです。予測不可能かつランダムで、ばらつきのある要素を含まないスポーツでさえも、同様のことが言えます。 ルイ・シモンズは、世界で最も成功したパワーリフティングコーチのひとりでしょう 。このスポーツで要求されるのは、:スクワット、デットリフト、ベンチプレスというたった3つの単純な動作です。競技中は、非常に動きの種類が少ないにも関わらず、シモンズは、常にこれらの動きに変動性をもたらすように選手をトレーニングしています。たとえば、バーやウェイトを変えたり、スピードや足の置き方に変化をつけたりしました。この論理的根拠の一部は、“身体があらゆることに適応していると認識した時点で、それとは異なる課題を課す必要がある。”というものです。 現代生活の中で、私たちの多くは自分の身体に対して興味深い問いかけをすることはまったくと言っていいほどありません。神経系が、解決策となるクリエイティブな動きを要求される状況下にさらされる局面がほとんどありません。事実、問題を解決する動きのすべての知性は、今や我々の椅子やソファー、ベッドなどをデザインするエンジニアや人間工学の専門家に移行してしまいました! 自然環境の中では、数分間休むのに快適な場所を見つけることでさえも、非常に困難なチャレンジです。地面は座るにはひどく濡れていたり、石があってゴツゴツしていれば、腰を下ろさずにしゃがむしかありません。もし、地面に直接座われば、股関節の可動性や体幹の安定性は多平面においてチャレンジを受けます。硬く不均等な地面では、姿勢や体位を継続的に変える必要があります。このような困難に直面したとき、多くの人は10分も経たないうちに不快感を覚えます。 近代の生活においては、座ったり、休んだりするかつての困難はなくなってしまいました。30分間快適に座り続けるための、動きの変動性や素晴らしい資質を必要としなくなってしまいました。実際、運動の知性を一切使わなくても8時間でも9時間でもとても快適に休み続けていられるようになったのです! 教訓:運動の変動性と資質をあえて要求する方法を見つけましょう。使わなければ失ってしまいます!

トッド・ハーグローブ 2581字

痛みは味覚に似ている

マウスが苦いものを食べると、かわいらしく顔をしかめます。最近では科学者が、脳の苦みの知覚に関与する部分を刺激することにより、マウスが顔をしかめることが分かりました。 関連実験で、マウスが苦いものを食べているにもかかわらず、科学者が脳の“甘味”部分を刺激することによって、しかめ顔を阻止することができました。 これは、“痛みは脳の中にある”という概念に類似した考え方で興味深いと思います。 その他にも、何が痛みを起こし、どう痛みを変化させるかということの情報を伝えてくれる。味覚についての興味深い事実(および擬似事実)がここに幾つかあります。 味覚は舌に限ったことではない 味覚となる感覚情報は、舌から送られるだけではありません。食べているものについての多くの情報は、鼻からも送られます。また、ひと口食べたいという気分にさせたり、そのひと口が実際どのような味がするのか決定する上で、食べ物の外見も重要です。 このことから、味は多感覚統合の素晴らしい例であり、これはどうやら視覚や聴覚、触覚などの知覚は、多くの異なる感覚入力から統合されることを示しているようです。視覚は聴覚に影響し、聴覚は味覚に影響し、触覚は視覚に影響します。 ですから、味覚にとってすべてが重要なのです。ベーコンは、カリっと音がする方が美味しく感じます。ビールは、陽の光が当たってキラキラしている時や、サッカーの試合で勝った時、私には最高に美味しく感じられます。私の人生の中で、最高に美味しかった経験は、1日中スキーをした後に食べたハンバーガーです。 今度、ワイン自慢の人に困ったら、次の事実を覚えておきましょう:優秀なワインのエキスパートであっても、もし、ワインが食品着色料で色が変えられていたら、ホワイトワインとレッドワインの区別がつかないのです。そうか! 今度、誰かがサクランボやチョコレートの香りを嗅ぎ分けられると言ってきたら、私はデタラメのかすかな臭いを感じとれますよと言いましょう。 公平のために言うと、恐らくワイン愛好家は、すべての微妙な味質の違いを本当に感じることができるのでしょう。ただ、そのフレーバーは必ずしもワインからだけとは限らないのです。たとえば、ラベルのデザイン、レストランの照明、ワインの質についての知識、ムード、期待感、ワインの専門誌『ワインスペクター』の最新版でちょうど読んだ記事など、他の感覚入力からも考えられます。 痛みも同様です。身体が調子よく感じるのに、完璧な骨質や筋質、関節を必要とはしません。状況によっては、安いものでも美味しく感じるときもあります。視界や音、感触、考え、感情、記憶など様々な知覚入力や認知入力は、痛みを改善できる可能性があります。 味覚と関連付け アルコールを飲み過ぎてひどく具合が悪くなったことはありますか? 愉快なことですよね。 気持ち悪くなるぐらい飲み過ぎてしまったアルコールに対して、強い嫌悪感を抱くようになるかもしれません。匂いを嗅いだだけでも、あるいは思い出しただけでも吐き気を感じるかもしれません。 それは、そのアルコールの風味と、それを10杯も呑んだことによる悲惨な経験とが結びつけられる、パブロフ流(条件刺激)の関連付けが無意識に形成されたからです。 そして徐々に、段階的露出プログラムによってその関連性を取り除いたことでしょう。まず気持ち悪くならずにボトルを見ることから始め、それから嗅いでみて、少し飲み、この関連付けが消滅するまで少しずつ量を増やしたのでしょう。 同様にして、痛みと動きを関連付けることもできます。運動療法士として私たちが実施していることの大部分は、この関連性を断ち切る方法を模索することだと思います。 だんだんと好きになる味覚 コーヒーやビールはだんだんと好きになる嗜好品です。最初はそれほど美味しいと感じなくても、徐々に病みつきになります。なぜでしょう? なぜならこれらは、ドラッグを含んでいるからです。 仕事へ行きたくない、まだベッドに潜り込んでいたいという誘惑感とコーヒーの味とを脳が関連付けするにはそれほど時間はかかりません。もうコーヒーやインディア・ペール・エール(IPA)の苦味も問題ないのです。 また、味を覚えるためにドラッグは必要ありません。しばらくの間、子どもに砂糖とブロッコリーを組み合わせて与えていれば、子どもは徐々にブロッコリーの味を覚えます。 痛みに対してもこれにぴったりな類似性はありますか? プラセボは、学習による関連付けで効果を発揮します。ある鎮痛薬と不活性治療をしばらく組み合わせていれば、直ぐに不活性治療は効果的な要素がないにもかかわらず、疼痛を軽減するようになるでしょう。ランニング愛好家は、多分ランナーズハイの中毒者でしょう。 ルーティンや習慣の効能の根底にある同様の効果も、恐らく一般的な痛みやストレスの対処として身につけるのでしょう。いつも行っているストレッチ、ヨガ、マッサージを良いと感じるのも、過去に効果があったという単純な事実によるものかもしれません。私自身は、必要であろうとなかろうと約5~10分の軽いモビリティー運動を毎日します。始めようと決めた時点でずいぶん効果を発揮しているのかもしれません。 味覚の役割 私たちの味覚は、健康的な食行動の動機付けになるように進化しました。私たちの先祖がアフリカのサバンナを放浪していた時代、塩や砂糖、脂肪が含まれる食事はたいてい健康的な食べ物でした。ですから、これらの質を含む食べ物を美味しいと感じ、摂取したいと思わせるのです。 この単純な考えは、肥満がまん延する本質を理解させてくれます。ファーストフード産業は、味覚が食品消費に与える影響について知り尽くしています。ですから、彼らはほぼすべてのものに塩、砂糖、脂肪を大量に投入するのです。そうして私たちはそれらを過剰摂取してしまうのです。我々がどのようにして脂肪を摂取してしまうのかに関するしっかりとした説明は、この考えに留意しているべきです。 同様に、私たちが日頃目にする痛みの驚くべき現象を十分に説明するには、痛みの進化における役割を明確に理解する必要があります。 痛みは、身体的統合を脅かすものと知覚されることに対しての、防衛行動の動機付けをするように進化しました。しかし、その脅威の知覚が現実のものではないとみなした時、また身体を守る最良の方法が環境や社会的状況によるものと考慮した時、痛みを緩和するすべての変数要素をかなり十分に理解したことになります。

トッド・ハーグローブ 2776字

治療がなぜ効くのか知っておくべき3つの理由

マッサージの後、一体なぜ気分が良くなるのでしょうか? または、鍼治療の後、フォームローラーストレッチの後やカイロプラクティックの矯正、キネシオテープ、モビリティドリル、ハムストリングのストレッチの後どうして身体が楽になるのでしょうか? これらの質問にぴったりの答えがいくつかあります。そしてこの記事で指摘したいのは、興味深いことに、セラピストがそのことについて知らないケースが多く見受けられるということ。あるいは、気にもしていないということです! もしかしたら、セラピストはすでに正しい答えを聞いたことがあるにも関わらず、現在科学的に明らかになっていることからかけ離れた、間違った答えを好んでしまうのかもしれません。 よくない説明に関して言えば:フォームローラーに癒着を剥がしたり筋膜を溶かしたりする効果は恐らくないでしょう。カイロプラクティックのマニピュレーションも、“ずれた”関節を元に“戻す”わけではありません。深部組織のマッサージは、毒素や“コリ”を取り除きません。鍼は、ツボや経絡に到達するのではありません―ランダムなところにうった鍼も同様に効果があります。偽手術は、本当の手術の様に成功することもあります。運動制御エクササイズでは、運動制御自体は変化しなくても、しばしば痛みが軽減するこがあります。 ここで、上記のような治療が症状を改善できないと言っているのではありません。ただ、宣伝されているようには作用しないということです。また、すべてが単なるプラセボ(これは明確な意味の提示がないと混乱する用語ですが)であるということでもありません。 一般的に、セラピストのあいだには、自分たちが“組織の問題”を治すのだという考えが根強くあるようです。そして彼らは、身体のもっと複雑なシステム、たとえば神経系、免疫系、自律神経系などにある問題を無視する傾向があります。これらは、小さな入力にでも非常に敏感に反応し、身体がどのように動くか、また感じるかということに大きく影響します。理由として、おそらくこれらの器官は表面上見えにくく、捉えづらいのと同時に、彼らが学生だった頃に教育課程で教わったことではないからかもしれません。 私はロルファーとしてトレーニングを受けていた頃、ロルフィングは筋膜を変えることにより効果があると教わりました。ですからみんな、治療ベッドから立ち上がると、背が高く体が緩んだ感じがする、痛みが軽減した感じがするなどと言っていました。筋膜に何か良い変化が起きたと思っていたからです。 しかし、徒手圧迫に反応する筋膜の変形性能について調べた結果、これはあまりふさわしくない説明であるという結論に至りました。より適切な説明は、神経系に関連づけることです。神経系は、ボディワークによる新奇な知覚情報など、新たな知覚情報に反応する筋の緊張や動きのパターン、知覚、痛覚感受性を継続的に調節しています。 自分の受けた教育の大前提が正しくないというのは、もちろんちょっと残念なことです。しかし、良いニュースとしては、それらの治療で人を治すことができないという意味ではないということです。それとこれとはまったく別の問題です。私の心構えも同様でした。そう、筋膜に関してではないにしても、人を助けてあげられないということではないのです。 ただ多くのロルファーたちにとって、これは筋膜に関わることでなくてはならないのです。また、カイロプラクターにとっては、サブラクセーションでなければならなく、霊気家にとっては、エネルギーについてでなければなりません。その他の人たちにとっては、姿勢である必要があったり、コアストレングス、筋の不均等、動きのパターンであることもあります。 もちろん、“治療がどう効くかなんて気にしない。効果があることだけ知っていれば、理由なんてどうでもいいでしょう?”と言う人は多くいるでしょう。 あなたの治療がなぜ効くのかを知っておくべき理由が3つあります。 1. どのように効果があるのか知っていれば、もっと効果を上げることができます。 これは当然のことです。的が分かれば命中しやすくなります。 では、ストレッチやマッサージが筋を弛緩させることによって可動域を増やす効果があると仮定しましょう。(妥当な仮説ですね? そして、研究によって裏付けられています!)。 しかし、もしそれが癒着を強制的に剥がすとか、物理的に組織を伸ばすことによって効果があると思い込んでしまうと、クライアントがリラックスしているのかどうかという焦点を狂わせます。 私は、だれかを施術している時、いつもこう訊ねます“どう感じますか?”そうすると、筋膜だけが重要であると思っているクライアントからよく返ってくる反応は、“私がどう感じているかは心配いりません。かなりの痛みに耐えられるので、必要があればどんどんやってください”。 そして、独りで考えるのです:“そうではなく、あなたがどのように感じているか知る必要があります。なぜなら、それがこの施術の主な目的のひとつですから”。しかし、もし私の目的が筋膜や筋のコリを取り除くことであれば、きっと私は彼らがどう感じようと気にしないでしょうが、効果をあげることもできないでしょう。 2. 予期せぬ結果 首に痛みがある人がカイロプラクターを訪れたとしましょう。そこで、首が“ズレ”ていますから、ポキッとやって元に“戻し”ましょうと言われ、あっという間にすっかり良くなったとします。そこで、痛みが軽減したのはアライメント(配列)が整ったことによるものと思い込んでしまって何が悪いのでしょうか? 短期的に見れば、害を及ぼさないのかもしれませんが、長期的にとらえると、誤った思い込みがいずれは問題に発展し、悪影響を及ぼすかもしれません。 首の痛みが再発したとします。クライアントは、また首が“ズレ”てしまったに違いない、もう一度ポキッと戻さなくてはならないと思うでしょう。そうなると、そのクライアントはエクササイズや休息、動きに気をつけるなど、他の解決方法を見落としてしまいます。もし、その首の痛みが継続してしまったら、きっと自分の首はズレやすく不安定であると病的な思い込みを抱くようになるかもしれません。ノセボ効果にもなりえます―― より大きな痛みを起こし、健康的な動きさえも避けるようになります。 これに似た誤解を持つクライアントを多く見てきました。これは明らかに時間とお金を無駄にし、不安や混乱をかきたてます。 私は、カイロプラクターのクライアントについてだけ指摘しているのではありません。 いつでも常にストレッチをしているヨガ愛好者を見たことがあります;ピラテス愛好者はいつでも安定化エクササイズをし、コレクティブエクササイズ愛好者は筋の微細なアンバランスにこだわります。関節モビリティーの信奉者は、関節が常に滑液で満たされていなくてはいけないという思い、ひっきりなしにモビリゼーションをします。さもなければ、ほんの少し動かないだけでも筋膜、いわゆる“ケバケバ”がはびこって身体が固まってしまうと感じるのでしょう。サビは決して休むことがないのです! このような病的行動のすべては、過去に効果があった特定の療法がなぜ有効であったのかについて誤った思い込みをしていることがそもそもの原因であるようです。これらの思い込みは、神経系の感受性を一時的に調整することとは対照的に、“組織の問題”を完治したという考えに執着しているのです。 要するに肝心なことは、その思い込みがいくら小さくても、ウイルスのように増殖し、感染し、そして耐性のある害虫のように突然変異して、結果として発病することがあるということです。他の人にまん延させないしないようにしましょう! 3. 真実は重要 真実の実用的な適用は即座にはっきりとわかるものではありませんが、真実には本来の価値があります。知識は、私たちにとってもクライアントにとってもすべての社会において常に強い存在です。 人間が慢性痛を患う理由や、その最適な治療方法は、厳密にはまだ分かっていません。 その知識がまだはっきりとしていなくとも、もう学ぶ必要がないということではないのです。誤報や混乱を回避するために進む一歩一歩は、真実に近づく一歩なのです。 現実を受け止めましょう! 真実はよいことであり、無知は最低なことです。それを示す賢人の言葉があります。 "すべての悪は知識の欠如から起こる" -- David Deustch(デイヴィッド・ドイッチュ) “間違っているかもしれない答えを出すより、解らないまま生きて行く方がずっと興味深いと思う。” -- Richard Feynman(リチャード・ファインマン) "知らないことが問題をおこすのではありません。よく知っていると思ったことがそうでないときに問題が起きるのです。" -- Mark Twain(マーク・トウェイン) “真実はあなたを開放してくれますが、最初はイライラさせられるでしょう。” -- Joe Klaas(ジョー・クラース) 思慮深く、懐疑的で、エビデンスに導かれることを恐れない、私の投稿の読者と私のソーシヤルメディアコミュニティーのみなさんに感謝します。

トッド・ハーグローブ 3896字

ムーブメント"コレクション"における問題点

モーシェ・フェルデンクライスは “コレクト(修正)はインコレクト(間違い)である”と語っています。彼は人々のムーブメントパターンをコレクトしようとする労力のことを語っているのですが、これは人々のムーブメントをより効率的にするためのメソッドを掲げていた人の言葉としては、少し変にきこえるかもしれません。ムーブメントをコレクトする労力とは、彼にとってどういった意味があり、何を示唆していたのでしょう?私は、彼のメッセージはクライアントに今の動きが間違いで修正が必要であると伝えるよりも、クライアントに違った動きのオプションや選択肢を教えるものなのだと理解しています。 以下にコレクションを処方するよりも、より好ましい、選択肢を与える3つの方法の解説を簡潔にお話します。 1. ある人にとっての“正解”は、他の人にとって“不正解”である 私達が勘違いしているかもしれない最初の問題は、ムーブメントには正解と不正解があるという私達の考え方です。 誰かのムーブメントパターンを見て、どこかにぎこちなさや違和感を感じたとしても、そこに、その人特有の身体構造における最適な運動解決策を見いだすことはできるでしょう。 最近目にした、極度のO脚のランナーのことを思い出します。もちろん彼の歩行は普通ではないパターンでしたが、その身体構造で可能な限りスムーズに動いていた彼のランニングは、私に何かを考えさせるものでした。感心させられました。 しかし、もしも彼がランニングフォームを技術的にコレクトするのに私の目に見えないような関節、筋肉または神経システムの怪我や疾患といった障害を持っていたとしたらどうでしょうか?その場合には、彼にはコーディネーションがかなり必要である、と私は考えていたことでしょう。しかし、これは間違いとなっていたはずなのです! 私は、ほとんどの人は動作をかなり向上させることができると信じています。もしそうでなければこの記事も書かないでしょう!ですが、もし全てに関連する変数要素を知ることがなければ、特定の動作に対して向上が可能であるかどうかを判断する事はとても難しいということに気づきました。 例えば、制限や違和感があるように見えるかもしれない特定の動作は、動作スキルが悪いのではなく、身体組織へダメージを与える可能性に対しての、神経システムの一部の知的な判断なのです。バレット・ドルコは、普通でない動作を病理的と分類することの問題を説明するのに、素晴らしい表現をしています — 私達は ”防衛反応”を見ているのか”欠点”を見ているのか?それを知ることはとても困難かもしれません。 このような不確実なことを踏まえて私が考える(そしてフェルデンクライスが主張している)優れた解決策は、修正を指示してそれが効果的であると推測するのではなく、よりオプションと多様性を提供し、その結果をテストするというアプローチをすることです。もしも新しい動作オプションが前の動作よりも本当に改善されているのであれば、セラピストの判断に関わりなく、クライアントの神経システムがそれを好んでいるというサインを示すでしょう。 2. “機能不全”の識別は動作への恐怖心とノーシーボ効果を生み出す “機能不全”の認識と修正の処方におけるもう1つの落とし穴は、本来役立つ動作パターンに対する説明できない恐怖の要因になってしまうことです。 キネスフォビア(動作への恐れ)は、慢性痛における良くない結果に繋がります。その理由を理解するのは簡単です。痛みは恐怖の認識の結果であり、脳が恐怖を分析するのに考慮する入力の1つは認識能力–特定の動作が安全かどうかに関する思考と信念です。もしもクライアントが、専門家からその動作は危険であるというメッセージを受け取った場合、その動きにたいする恐怖、つまりその動きが痛みの原因になるという思い込みの要因となるでしょう。 何を恐れるかを決定するのは脳内の知性、意識性、合理的な部分だけではないということを忘れないでください。これは同時に愚かさ、無意識、原始的な部分でもあるのです。それゆえ、もしあなたがクライアントに特定の動作は病理的であると意見した場合、クライアントの脳の愚な部分が間違った理解をし、極端に対応してしまうかもしれません。 私はスチュアート・マクギルの本を呼んだ後、多少ではありますが腰椎の屈曲にたいする不健全な恐怖を抱いたことを告白します。同じ事を報告した少なくとも数人のセラピストと話をしました。ポイントは、これらの素晴らしい本に問題があるわけではなく、身体を守ることを目的にした善意のアドバイスが、予想外の形で動作への恐怖へ発展してしまうということです。 この問題は、クライアントに特定の動作が間違っているとか病理的だと伝える前に、充分に注意を払う事で防げると私は考えます。重点はオプションや違う方法の提案、そして効果を生み出せたかどうかを見極めることです。 3. 信憑性欠如 動作を修正する次の落とし穴は、修正された動作パターンは強制的で不自然、そして信憑性の欠如を感じることにあります。例えば、クライアントは自分達の姿勢を変えるためにセラピストのアドバイスを実行するかもしれませんが、その新しいフォームを維持するにはぎこちなさと意識的な注意が必要とされます。問題はクライアントの意識的な脳は働いていても、動作をコントロールする深層の無意識な部分はしっかりと使われていないことです。 クライアントのほとんどは、どんなに推奨されるムーブメントパターンであっても、もしそれが不自然だったり意識的な注意なしで継続できなければ、単に諦めるでしょう。しかし非常に強い意志を持っている人達はその不自然なムーブメントパターンが病理的な習慣に変わってしまうくらい長い期間をかけて順応するように継続してしまうのです。そして本物の動作との繋がりは失われてしまいます。 どちらのケースにおいても、もしクライアントの神経システムの深層で無意識な部分が、その新しい動作パターンを効果的であると受け入れなければ試みた修正法は失敗するでしょう。ゆえに、繰り返しますが、クライアントに何をすべきかを伝えるのではなく、彼らに自らの利益として使えるリソースや情報を与えることに重点を置く方向性を持つアプローチがより望ましいのです。 修正することは間違っているのでしょうか?それはクライアントをより動きやすくする為の助けとなる素晴らしい方法であり、私が目指していることでもあります。ただそれをどういったスタイルで行うかは大切です。私は修正を指示して現状のパターンを敵扱いするのではなく、オプションを提案するという方法で考えたいと思います。

トッド・ハーグローブ 2187字

痛みと学習

慢性疼痛と学習にはどのような関係があるのでしょうか? 慢性疼痛における学習の役割についての理解を助ける3つの最近の論文から、リンクと引用を併せて簡潔にここに投稿したいと思います。多くの引用は、あまりにも難しい用語が使われ過ぎていますから、押えておきたい内容の背景を簡単にまとめました―― パブロフの反射条件による学習について。 犬は、鈴の音を餌と関連づけることを学習できます。鈴の音を聞くことで、餌を与えられる前から犬はよだれを垂らします。同様にして、人間は痛みを動作と関連づけて学習することができます。つまり、侵害刺激が消えた後でさえも、その動作は痛みを引き起こすことがあるのです。 このことを頭に入れておくと、シンプルな療法に導いてくれます。もし、餌を与えずにベルを鳴らし続けたら、いずれ犬はよだれを垂らさないようになります。人間も痛みを感じることなく動く方法が見つかれば、痛みと特定の動作を切り離して捉えることができると期待できます(たぶんゆっくり動くとか、これまでとは違った意識や注意を払いながら状況に応じた動きをするなど)。 これは、患者に慢性疼痛を治療するための段階的露出療法の情報を伝えたり、療法の論理を説明したりする仮説として素晴らしいものです。 論文と参考文献のリンクをここに載せます。 侵害受容器だけでは説明できない:慢性疼痛における不正確性仮説 これは、ロリマー・モズリーとジョアン・ヴェラーエンの最近の論文からの引用です: 非侵害受容性の情報のコード化の予測性が、侵害受容性の入力と一致していることで、一連の同様な出来事への反応が実証されます。簡単に言えば、私たちの仮説は、痛みの経験における多感覚情報(経時的感覚、固有感覚、空間的感覚)のどれがコード化されて、脳内で表現されるのかの正確性が、その後同様の出来事が起きた時にどれだけ痛みに対する反応が一般化されるかの度合いを決定づけるということを推測するものです。いったん、侵害受容と非侵害受容の入力が関連づけられてしまえば(この過程を“獲得”と言います)、最初の多感覚の出来事だけでなく、多感覚の出来事の特徴を共有する出来事でも痛みの反応を起こします。 簡単に言えば(なぜ論文は分かりやすく記してくれないのでしょう?)、人間は侵害受容と他の刺激を関連づけることを学習してしまうことで、その他の刺激でも痛みを起こしてしまうのです。関連づけの範囲が広ければ広いほど、より多くの種類の刺激が痛みを起こします。 このコード化が“あいまい”であればあるほど、凡化という現象が起きます・・・もともと痛みを経験した出来事(たとえば、前かがみになった)のコード化が不正確であれば、他の似たような動きや活動を腰痛と関連づける結果となります・・・凡化の過程で、防御機能は適応や有用な状態から不適応で無用な状態へとシフトします。 ・・・ 先ほどの「不正確であるという仮説」と中枢性感作の概念はどのように異なるのでしょうか? 主な違いは、中枢性感作は関連づけとはまったく無関係なメカニズムに起因するということです。 ・・・ 多くの臨床データや実験データは、「不正確性仮説」と一致しています・・・広範囲に広がる痛みは・・・時間の経過と伴に徐々に発生する広い一連の痛みの引き金として特徴づけられます。慢性疼痛の人の大脳皮質体に、不正確性があると報告する文献は増えています・・・多感覚の出来事の空間的そして固有受容的な側面は、慢性疼痛を患う人では対照群である健康である人や急性疼痛を患う人と比べ、正確性を欠いてコード化されます・・・慢性疼痛の人においては、固有受容器の鋭敏さが低く、身体部位のサイズやアライメントの認識が崩壊し、精神的に体の痛い部位をどうしていいのか分からなくなります・・・ もし、私たちの言っていることが正しければ、急性疼痛の患者の治療に新たな可能性をもたらすことになるでしょう。気を散らしたり痛みを鎮静させたりということではなく、痛みが発生した出来事の正確なコード化に焦点を当てることができるからです。運動学習や空間的注意、感覚トレーニング、神経可塑性についての既存文献は、そのような療法に取り組むための価値ある基礎を提供してくれるはずです。 慢性疼痛:学習の役割と脳の可塑性 これは、アッカリアらによる最近の論文です。ケガ直後に脳に起こる変化をMRI画像によって確認し、その人がやがて慢性疼痛を患うかどうかを予測できるとする、彼らの既存研究を基盤にしたものです。 いくつかの引用です: パブロフの研究によって、痛みは、顕著な記憶を作るほど強力な嫌悪刺激であることが知られています。これは、たったひとつの出来事で学習したことが、潜在的に一生続く記憶になるということです。これらの概念は、何世紀にもわたる記憶や学習の神経科学の分野で利用されていますが、驚くことに、痛みに関する研究にはほとんど影響を与えてきませんでした。 ・・・ “治癒の過程を経た後もしつこく残る痛み”の不可知論的な定義とは対象的に、私たちは慢性疼痛は、記憶の痕跡を消し去るものではないと再定義します・・・ 慢性疼痛の継続する苦しみは、モチベーションや感情の中脳辺縁系前頭前野回路の状態に決定的に左右されます。侵害受容性入力に関するこの回路で起こる可塑性変化は、慢性疼痛への移行を決定づけます。実際それは、身体的なものからより感情的なものへと痛みを表出させます・・・ このアプローチは、慢性疼痛における末梢神経と脊髄神経の個々の役割を否定するのもではありませんが、慢性疼痛を十分に理解するために、脳の感情学習と記憶回路を中心として捉えることにより拡大して考えるものです。 筋骨格系の慢性疼痛のための運動療法: 痛みの記憶を変えるという新たな考え この投稿も同じ概念です。痛みの治療の段階的な露出の原理に適用するため、その概念を常識的な枠組みとして利用します: 侵害受容性病理は、たいていの場合すでに鎮静しているにもかかわらず、慢性的な筋骨格系の痛みを患う患者の脳には、防御のための(動きに関連した)痛みの記憶が後天的に存在します。慢性的な筋骨格系の痛みをもつ患者に対する運動療法は、しばしばそのような痛みの記憶に妨げられています。 ・・・ 運動療法を始める前に、まず痛みについての神経科学を集中的に教育する準備段階が必要です。その上で、‘危険を伴わない露出’の原理を適用することによって、運動療法は動きに関連する痛みの記憶に取り組むことができます。運動に対する患者の認識を考慮することにより、セラピストは、運動の本質を深く考慮したり、恐怖の裏にある理由を理解したり、運動の安全を確保したり、運動の成功に満ちた達成を得ることで自信を増やすことにより、予想される危険(恐怖感のレベル)を減らすよう努力すべきです。 悪くないアプローチですね! わたしは大変気に入っています。なぜなら、非常に複雑な原因をもつ問題にも単純な解決があるかもしれないから。もちろん、臨床では簡単なことではないでしょうが、基本原理はシンプルです。

トッド・ハーグローブ 2983字

段階的露出

動きによって引き起こされる痛みを軽減させる方法を理解する上で、段階的露出は重要な概念です。これは、たいへん常識的で、たいていの人はある程度知っている考えです。というのも、これには深い真理があるのです。しかし、多くの人がこれをシステム化して実践することが難しいであろう概念でもあります。そこで、それが何であるか、なぜ効果があるのか、どのように実施すればよいか簡単にディスカッションします。 段階的露出とは? 段階的露出とは、ある種のストレスに過敏な反応をしないように、そのストレスにゆっくり段階的に曝していく方法です。動作に関連して言えば、痛みをあまり感じないように、身体を脅かすような動作を、タイミング良くしかも適切な量を段階的に導入することです。次のふたつにひとつの方法で行うことができるでしょう― 身体を変化させることによって、または身体への脅威を認識する神経系を変えることによって。 組織の適応:身体を強くする どんな辛い経験も人間を強くするという考え方には、生理学的事実があります。SAIDの原則によれば、身体に課せられるある特定なストレスの程度が十分であれば、その要求によりうまく耐えられるように身体は適応するであろうということです。たとえば、ウェイトリフティングで、十分な負荷が筋にかかれば、微小な損傷を起こし、筋の生理学的変化を活性化します。ここで起こる変化は、筋を強くし、その後同じウェイトにより負傷することが少なくなります。この原理を念頭に置き、段階的に筋に過負荷をかけることにより、徐々に筋は強くなることができます。秘訣は、ストレスに対し段階的な方法で露出することです −適応が起こるための十分な刺激でありつつ、負傷させたり治癒を妨げたりしない程度に。 特に腱症のような酷使による損傷などのリハビリにおいても、この原理は応用できます。ここでの違いは、適当なタイミングと適切な運動量の調節がより難しいことです。なぜなら、損傷や不完全な回復の可能性が非常に高くなるからです。適応が起こるための十分な刺激でありつつ、負傷させたり治癒を妨げたりしないさじ加減、いわゆる「スウィートスポット」を見つけにくくなります。注意深い系統的な取り組みが必要になります。 たとえば、あなたは最近1マイル走ると足に痛みを感じるとします。そうであれば、1マイルよりも短い距離を試してみることもできます。それから、ゆっくり少しずつ距離を伸ばしていき、その痛みを悪化させないようにします。これがうまくいったならば、治癒を妨げることなく新たな損傷を起こすこともなく、組織に十分な負荷をかけ有益な適応が起きたしるしになるでしょう。実施しないまでも、たいていのクライアントは、この方法を実に簡単に理解してくれます。 特定の動作に関連する痛みがなぜ段階的な露出で軽減されるかは、もっと複雑な説明になりますが、その動作によって神経系を脅かさないようにするからです。組織に特に有意な適応が起こらなくてもです。 神経系の適応:痛みと動作を切り離す 神経系が、その動作は身体への脅威であると認識した場合、その動作に関連づけられた痛みを経験します。他の知覚と同様に、脅威の認識は、多種多様な情報に基づいて変更するものであるという解釈です。段階的露出プログラムは、認識を変えさせるような動作について新たな情報を神経系に提供することができます。現在痛みを伴う動きを、痛みを感じない程度の低い強度で行う方法が見つけられれば、この動作は安全であるというフィードバックを神経系に送ることになります。これを繰り返し行うことで、神経系は痛みと動作を切り離すようになるかもしれません。不安症や恐怖症の多くの治療においても、これと同じ論理が根底にあります。 例を使って説明すると、ある子どもが過保護な母親に、公園で遊ぶことは安全であることを説得したいとします。その子は、まず最初にケガをしないで遊べるということを見せる必要があります。最も安全な遊びからゆっくり始め、それから少し危険性を含んだ遊びに移っていくことが良策でしょう。そして、ケガや危険がなく安全であることをその間ずっと母親に見せるのです。うまくいけば、母親は最終的に落ち着くでしょう。段階的露出でも同様に、ある特定の動作が安全であると神経系に教えます。3マイル走るとパニックになるとすれば、1マイルだけ走ってどうなるか試してみましょう。そして、少しずつ距離を伸ばして反応を観察します。 まとめ:段階的露出はよい情報を伝達する 健康な動きを促進するあらゆるプログラムにおいての主な目的は、身体が置かれている状況と動作による負荷に耐えられる身体能力についての情報を、神経系にできるかぎり“良い情報”として伝達するということです。これを、身体を強くすることによって達成しようが、または神経系に身体の強さをあまり意識させないようにすることによって達成しようが、どちらでもよいこともあります。どちらにせよ、動作を成功させる秘訣には変わりありません。まずは自分で動きたいように動くことから始め、この過程で必ず痛みがないことを確認します。それから、次にほんの少しだけ多く動いてみます。これが段階的露出であり、どんなことでもうまくなるための方法です。その他の数ある健康促進の方法同様、単純なことですが簡単ではありません。

トッド・ハーグローブ 2240字

運動療法はロケット科学か?

痛みと動作は、とても複雑ですね。ある意味ではイエス、ある意味ではノーです。痛みと動作は、複雑ではなく、複合的であり、これらはまったく別ものです。 仮に、あなたは、月にロケットを打ち上げようとしているイーロン・マスクだとしましょう。この課題に取り組むために、どのような思考プロセス、分析、モデリング、調査、予測、制御方法が必要でしょうか? このような工程は、たとえば育児に取り組んでみることと、どのように異なるのでしょうか? みなさんは、これらの課題がどのように異なるか、たくさんのことを考えつくでしょう。たとえば、育児にはオムツが必要ですね。待ってください、本当に? それってパレオ? 他にもあるのですが、実は、宇宙飛行士は離陸時に“最大吸収衣服”と呼ばれるものを履いているということを、Googleで検索したときに見つけました。率直に言えば、それはオムツのことです。 話が脱線してきましたが、たとえオムツが必要かどうかだけが、ロケット科学と育児の確かな相違ではないにしても、この投稿の主題に実際関連した違いが、まだたくさんあります。要点を分かり易くするために、似たような特質を挙げてみましょう: ソーシャルメディアプラットフォームをデザインする vs 何百万人もの人が使えるようにする 高速道路を建設する vs 交通渋滞を解消する 脳腫瘍を切除する vs 健康全般を維持する 戦いに勝つ vs 平和を保つ 違いは何でしょうか? システム理論家の考え方によると、左側に列挙してある課題は複雑であり、右側に列挙してある課題は複合的なのです。これらの言葉は似ているようですが、ふたつの異なる体系を示し、求めている変化を生じさせるには異なるアプローチ方法が必要です。複雑系は、通常デザインにより構築されるもので、たとえば、車、コンピューター、建物などが含まれます。複合系は、組み立てられるものではなく、進化するもので、たとえば、生き物や生態系、経済体制などを含みます。 痛みや運動に携わる医療従事者は、課題があたかも複雑であるだけかのように複合的な問題に取り組む傾向にあります。下記でも説明しますが、これはまるでカギを路地で失くした酔っぱらいが、明かりがあるという理由だけで、街灯の下ばかりを探しているかのようです。 では、これらの異なる体系がどのように異なるのか、そしてどうしてそれが重要なのかを知るために、もう少し読み進めてください。基本的な考え方は、運動や痛みに関する問題の多くは、おそらく複雑ではなく複合的であるということです。驚くことに、この事実に気がつくだけで、改善のための取り組み方はシンプルになるでしょう。 いくつかの定義 体系とは、共通する機能を実施する要素の集まりです。複雑系にも複合系にも、相互に関係する多くの異なる要素や部分的因子があることにより、ひとつの要素はその他の要素やシステム全体に影響し合います。しかし、ここには決定的な違いがあります。 ひとつは、複合系には中枢制御の手段がないことです。体系の秩序立った挙動は、すべての因子の相互作用により“出現”します。たとえば、蜂の群れは蜂の巣を作るなど驚くほど高度な作業を成し遂げますが、それをどのように作るか知っている蜂は一匹もいないのです。そうではなく、それぞれの蜂は、彼らの行動の単純なアルゴリズムに従っているだけです。蜂の巣を作る知性は、蜂同士の相互作用によって発生します― それは、その部分の合計よりもはるかに優れたものなのです。ですから、中枢性やトップダウンに対して、私たちは蜂の巣の知性を、“出現する”とか“ボトムアップ”などと言うのです。 建築家がいない建築物 これとは対照的に、高速道路は複雑なプロジェクトです。蜂の巣とは異なり、中心的な計画に従って建てられます。指揮系統のトップの専門家たちによって、すべてデザインされ、予測され、管理されています。専門家たちは、そのプロジェクトと関係のあるデータをすべて収集管理する能力があり、そして全ての関連する変数において、変更を指示します。何かがうまくいかなければ、機能不全の原因を突き止めることができ、適切な修正を指示することができます。高速道路を建設するという課題は、非常に精巧な工程により成し遂げられます。それを構成する要素を適切に分析することで、全体を理解できるのです(これは基本的に還元主義です)。 では、交通渋滞を思い浮かべてください。そして、それを解消したいと考えるとき、同じような還元論に従い、似たような制御工程で管理することができるでしょうか? できませんね。なぜなら、渋滞の度合いは、どんなに綿密に設計された計画でさえも、制御や測定、予測が不可能なさまざまな要因により変化するからです。つまり、天候、事故、各ドライバーによる何千通りもの判断などすべて、予測されるドライバーの行動や事象と実際の行動や事象の関連で起こる要因によって変化します。 つまり、交通渋滞は、複雑ではなく複合的な問題と言えます。これは、問題が解決できないということではなく、異なったアプローチ方法が必要であることを意味しています。ドライバーの行動をコントロールすることはできませんが、公共交通機関やカープールレーン(相乗車線)を設えたり、通行料を設定することにより改善を促せるかもしれません。これらの方策の効果は、ある程度は予測できるかもしれませんが、常になんらかの不確実性があります。これは幼児と接することと似ています− ひとりの子どもにうまくいったことをやってみても、ほかの子には結局裏目に出るというような。行動を強制することはできませんが、動機や環境制約を変えることにより、ある方向に導くことはできるでしょう。   さて、みなさんはどう考えますか? 運動のパフォーマンスを向上させたり、痛みを軽減させたりすることは、高速道路を建設することと交通渋滞を緩和させることのどちらにより似ていますか? みなさんが選択しやすいように、さらに特質を示した表をご用意しました。 これらの要素を考慮に入れて、クライアントとのやり取りを考えてみましょう。 たとえば、何年にもわたるトレーニングが絶対的に必要ですか? 手術や麻酔をするような場合、もちろん必要です。また、減量やマッサージなどの癒しを目的とする場合、トレーニングは役に立つものの必ずしも必要なものではありません(または、成功を約束するものではありません)。 もうひとつ質問があります:全ての関連する変数を管理し測定することによって、問題を理解し解決することができるでしょうか? あるいは、人間の知識や管理を超えた重要な変数が多く存在するのでしょうか? 人体は複合的なもの 人体を含む生体系で起こることは、たいてい複合的です。人体は何億もの細胞で構成されていますが、細菌よりも優れた細胞はひとつもありません。運動制御、知覚や痛覚を含む感覚を発する知性は、これら何億もの細胞の比較的間抜けな相互作用から出現します。責任を担っている細胞はひとつもないのです。車のように体系が組み立てられたのではなく、体系は成長したのです。 人体は、車とはほど遠い… それより生態に近い。 しかし!身体が複合的だからと言って、身体に関するすべての問題が複合的であるとか、ましてや複雑であるという意味ではありません。 たとえば、骨折には分かりやすい原因があり、その解決策も単純です。さらに、急性のケガや反復ストレス損傷など、突然発生する身体の不調は、単純または単に複雑な問題かもしれません。運動療法の専門家にとっての関心事の他の多くのエリアは、複合的なものです。 生体力学は複合的なもの。 運動制御も複合的なもの。 そして、慢性疼痛は間違いなく複合的なもの。. 単純な証拠があります:これらの分野で世界のトップレベルの専門家たちが、こんなに単純な事柄について無知であることをあっさりと認めています… 腰椎の屈曲と腰痛が密接な関係があるかどうか実のところはっきりとわからない。 大腰筋が股関節屈筋であるのか脊柱安定筋であるのかわからない。また、それが立位で骨盤を後傾するのか前傾するのかわからない。 慢性疼痛の最適な治療方法を知らない。実際、一般的なエクササイズと比べ運動制御のアプローチ方法の方が多少良い結果がある。 このような不確かな要素があるとすると、運動と痛みの問題は、ロケット科学というよりは子育てにより近いように見えます。専門知識は明らかに役には立ちますが、(現在の知識のレベルを考えると)問題の完全な理解と制御へ導いてはくれませんし、良い一般常識より著しく優れているとは期待できません。 ここで、慢性疼痛を軽減しようとしても無駄だと言っているのではありません! 単純な一般常識の介入が、健康的な子どもの育児に効果があるのと同じように慢性疼痛にも効果的なのです。 家族や友人、医療従事者の協力を得ましょう。理学療法士に診てもらいましょう。マッサージをしてもらいましょう。 痛みについてもっと学びましょう。楽観的な見方や制御の内的感覚を維持しましょう。 どのように動いたらいいか、いろいろな動作の仕方を試して楽しみましょう。自分が抱いている恐怖に立ち向かいましょう。 痛みの部位をさらに損傷しないようにしながら、適応を促すために適切な強度の運動負荷をかけてみましょう。 運動と十分な睡眠、バランスの良い食事を取り、ストレスを減らす努力をしましょう。 これらいずれの方策も、複雑系において予測可能な変化を起こすような対象を絞った鋭い介入ではありません。ムーブメントの教祖が売っているような、ある種のアルゴリズムやレシピ、設計図があるわでもありません。 しかし、効果があります!特に、その適用に長けている熟練者の指導のもとで行えば。これらは、人体を生態としてではなく機械として取り扱うような介入よりもずっと簡単、経済的、安全で良心的なものです。

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感触を与えてくれる動作

野球選手がバッターボックスに入り、バットを回しながら体重を前足から後足に移動させます。右の踵を回旋してグラウンドを踏み固め、バットをセンターフィールドに向けながら視線をピッチャーへ向けて、3、4回ゆっくりバットを振り、ボールが当たるポイントを思い描きます。そして、腰を低くして投球を待ちます。ここでもまだ、体重は右足、左足へと移動します。このような意味がなさそうな動きをするのは何のためでしょうか? 次の行動を起こす直前に、選手がこれに似たルーティーンを行うのを他のどのスポーツでもみることがあります。 ゴルフでショットの前にクラブをワッグルする。 フリースローの前やテニスのサーブの前にボールをバウンドさせる。 デッドリフトの前にありとあらゆる奇妙なことをする。

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極限のパフォーマンスか理想的な健康か? どちらかひとつを選ぶ!

特定のスポーツや活動は健康的な動きをもたらすかどうか、多くのクライアントから私の意見を求められることがあります。たとえば、ヨガ、ランニング、水泳、ウェイトトレーニング、バレエ、サッカー、体操、クロスフィットなど(特に子どもたちにとってこれらの活動が健康的であるかどうか興味をお持ちのようです)。興味深い質問だと思います。なぜなら、みなさんが思いつくたいていの身体活動には長所と短所が必ずありますから。当然ですが、すべての人に個体差があり、スポーツや個人により異なるというようなことを答えています。また、私の考える「特殊化の大統一理論」についても言及します。「大」と「統一」というぐらいですから、これはほとんどのすべての活動に共通することで、次の様に説明できます: 一般的に、どのようなスポーツや活動でも、初心から中級へと漸進すると、筋力や有酸素能力などの今まで十分に発達していなかったフィットネスの質を改善することによって、総体的にみれば動きの健康に効果があるでしょう。また、身体コントロールやバランス、視覚と手の協調の発達によって身につく基本的な運動スキルが改善されることでしょう。このようなフィットネスの質やスキルは、他の分野へ移行できる可能性があります。そして、実施していることは、おそらく十分に低いレベルの強度や頻度で、ケガや過剰負荷を最小限に抑えられるものでしょう。これはよいことです。 しかし、中級からエキスパートへの漸進では、動きの健康にマイナスに働く可能性がずっと高くなります。みなさんが発達させる動きの技能とフィットネスの質は、もっともっと特異性を増し、他の分野での活用がより低くなってきます。そして、さらに重要なことに、これらの適応は、極限レベルの物理的なストレス下に身体を置くことよってしか得られないということがあります。そうなると、オーバートレーニングやケガのリスクが高くなります。 一般的なルールを簡潔に言えば、もちろんたくさんの例外はあるものの、たいていのスポーツや活動は中級レベルまでは、身体に良く、それ以上のレベルでは身体に悪くいものになります。それぞれ異なるスポーツや活動の状況で、このルールがどのように展開するか説明しましょう。 美的な動きの鍛錬 体操やダンス(特にバレエ)は、中級まではとても健康的な活動であると思うのですが、一流レベルのパフォーマンスになると、とても悲惨な状況になるという良い例でしょう。これらの良い点は、身体の制御に関する素晴らしい一般教育を提供してくれるということです。高い成功を収めたソビエトスポーツ開発プログラムは、体操こそが、どんなスポーツ選手にとっても一般的身体準備(GPP)の重要な要素であると考えました。ダンサーや体操選手との私個人の経験から、彼らは、動きの動作を比較的簡単に修正できる大変素晴らしい身体感覚を持っていると思います。 ただ、悪い点は、目標を達成していくある段階で、これらのスポーツは身体に多大な負荷を与えてしまうことです。特にバレエにおいては明らかです。つま先で歩いたり、つま先を外側に向けたりすることで、足や股関節にはひどいストレスがかかります。動いている身体の外見ばかりに過剰な焦点を当てるということは、身体がどう感じるか、または身体がどう動くかとは対照的に、自己イメージを形成するのに不健康な方法である可能性があります。 チームスポーツ サッカー、野球、バスケットボール、ホッケーなどは、ストレングスやスピード、耐久性やパワーといったフィットネスの質を幅広く発達させます。同時に、視覚と手の協調性や空間認知、アジリティー、片脚バランス、または蹴る、投げる、泳ぐ、ランジなどの基礎的な動きのパターンなど多くの基本的運動技術も提供してくれます。(ところで、音声認識ソフトのドラゴンディクテイト(Dragon Dictate)に最後の文章を収録した時、“スウィンギングとランジング”というのを“スィンギングインロンドン”と書き起こしてしまいました!) チームスポーツの欠点のひとつに、体操や移動性の高いスポーツのように身体内部に注意を払うことの重要性を忘れ、身体外部(たとえば、ボール、相手、ゴールラインなど)に注意を払い過ぎてしまうことがあります。人気のあるスポーツを観戦するだけでも、最高レベルの試合では身体に甚大なダメージを負うことがすぐに分かります。30歳を過ぎて一流選手の座を維持できるのはほんのわずかな人たちです。趣味レベルの選手でさえも45歳を過ぎれば試合は難しいと感じます。 フィットネススポーツ ランニング、水泳、サイクリング、ウォーキング、クロスカントリースキー、ボートはすべて原始的な全身運動を伴う周期的でリズミカルな反復性の動きです。この種のエクササイズは、有酸素能力の発達や代謝の健康の維持、集中した瞑想的鍛錬のメンタル状態を生み出すことに効果があるようです。 レジスタンストレーニングは、代謝や心身の健康に多いに効果があると示されました。そして、年をとればとるほどレジスタンストレーニングの重要性が増すと考えられています。 しかし、あなたが向上させようとしているフィットネスの質がどのような種類のものであろうと、その分野の一流の業績は、必ず他のフィットネスや健康の犠牲の上に成り立っています。ウェイトリフティングをすればするほど、走り難くなり、またその逆もあります。1マイル歩くのがやっとというパワーリフトのトップ選手もいます。マラソンのトップ選手でも、腕立て伏せがほとんどできないこともあります。両者とも、素晴らしい成果が評価されるべきではあっても、彼らの健康が羨ましがられることはありません。ある意味で、実際あなたの身体は1マイルを4分以下で走ったり、何千ポンドもあるウェイトのデッドリフトなんてしてほしくないのかもしれません。こうした能力は、限られた健康リソースを、ある特定の方向に、不健康なほど過度に振り向けてしまう恐れがあることをほのめかしています。 内的鍛錬 太極拳やヨガ、フェルデンクライスなど、ある種の武道やゆっくりとした瞑想的動作の鍛錬には、計り知れない潜在的な効果があり、そのことについて私はブログを通じてよく書いています。これらは、動きに対する脅威値を下げることができ、慢性疼痛の助けとなり、新しい動きのパターンを構築し、単なる動きという枠を超えて自己認識をさらに成長させます。 私はこのような動きの練習が 大好きではありますが、こうした訓練における内的集中の度合いが、ときに行き過ぎてしまうことに思いを馳せなくてはいけません。必ず、自分とは対極にある人や客観的計測値が提供してくれる現実世界の厳しさに自らを照らし合わせ、バランスをとらなければならないのです。こうしたことが、独善的な内的探求がもたらす気味の悪い逸脱へと踏み外すのではなく、現実という地に足をつけさせてくれるのです。 結論 みなさんが、取り組んでいることのなかで最高のレベルを目指すことに何ら問題はありません。それは、とてもやりがいのあることです。実際、私はさまざまなスポーツにおいて、潜在能力を発揮するために多大な時間と努力を費やしてきましたし、今もそうしています。しかし、このことが私自身をより健康にしているとは考えにくいのです。健康は常にバランスを必要とします。極限のパフォーマンスか、理想的な健康か。どちらかひとつを選んでください!

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