マイクロラーニング
隙間時間に少しずつビデオや記事で学べるマイクロラーニング。クイズに答えてポイントとコインを獲得すれば理解も深まります。
発達性運動:パート1
幼児の運動は、複雑な運動を構成する基本要素である一連の基礎的運動パターンを、漸進的に学習することで発達します。たとえば、幼児がさまざまな姿勢で床に横になったり座ったりしている間、周囲が見渡せるように頭部の位置を安定させようと学習します。頭部の安定化のスキルは、立位や歩行に必要な姿勢制御を構成する基本要素です。興味がある物をつかもうと手を伸ばす時、腕と体幹の協調パターンを学びます。それは、ハイハイや歩行、最終的には投げる動作や登る動作にも反映します。 幼児が、仰向けからうつ伏せに寝返りをうつ時、片方の脚を安定させながら、もう一方の脚を持ち上げ動かします。これは、移動運動の基本を構成するスキルです。這う動作では、歩行に移行される四肢が斜めに交差するパターンを使用します。そして、しゃがむ動作では、3つの伸展と屈曲のパターンを習得します。これは、ほぼすべての立位で行うパワー系の運動の基礎になります。(ところで、これらのパターンのいくつかは、他と比べてより基礎的なものもあります。ハイハイをすることなしに歩行を習得する子どももいますが、頭の安定化ができずにそれを習得する幼児はいません。) 幼児期に身についた基礎的運動パターンは、いろいろな名称で表現されています:運動の原型、相乗作用、原始的パターン、発達パターンなど。これらは、数多くの運動レパートリーを生み出すために、さまざまな方法で結びつく神経制御プログラムと考えることができます。 そういう意味で、運動は言語のようなものです。基礎的運動パターンは文字や簡単な語彙のようなもので、それらが組み合わさることでより複雑な文を作ることができます。口語では、比較的少ない語彙でも千差万別の考えを伝えることができます。同様に、スポーツやダンスで見られる複雑で変化に富んだすべての運動も、歩行、スクワット、リーチ、回旋などの、はるかに少ない基本的な運動パターンに分解することができます。ダンスのアラベスクは、サッカーにおけるフリーキックのバックスウィングにとてもよく似ています。これらは、同じ基本的な運動の原型から成り立っているからです。 この組み合わせシステムは、神経制御という点において複雑な構造の形成をより簡単にします。私たちが思い浮かべる思考を表現する語彙をその都度覚えなくてはならないとすれば、きっと脳は正しい思考を伝えなくてはと正しい語彙を保存したり検索したりする困難さに圧倒されてしまうでしょう。限られた量の語彙を記憶して、それを組み合わせる方が断然簡単です。 運動にも同じことが言えます。少ない数の一般的な運動パターンを組み立てて、より複雑な運動を形成する方が、神経系にとってより簡単です。これらの運動パターンに関与する筋協働は、動きやすくするように自由度や動きの選択肢を抑制します。 このシステムから読み取れることのひとつとして、もし基礎的要素のひとつが欠如していたり損なわれたりしていれば、その上に構築される構造全体が危うくなります。もし、言語においてとても基本的な語彙や文字が失われていたら、文を作ることに苦労することが多くなります。同様に、運動の語彙においても、スクワットなどの重要な運動の原型のひとつ、あるいはそれ以上が欠如していれば、日々の運動は広範囲で損なわれるでしょう。それとは逆に、もしスクワットのような動きを改善すれば、日常の動作の中にも多大な改善がみられるかもしれません。 今後の2つの投稿で、発達性運動パターンの向上と回復の2つの方法を紹介したいと思います:(1)四つん這いや斜め座りのような発達上の姿勢で行う運動と(2)デッドリフトやスクワット、プッシュやプルのような重い抵抗を用いた運動。それぞれの方法が大きく異なっているように見えるかもしれませんが、重要な共通要素があります:どちらも、理想的な発達パターンを促すために、運動の選択を制限します。また、特定の動作に対する特異性は高いが、他の場面では恐らく無用である運動パターンを阻止します。
発達性運動:パート2
前回の投稿で、幼児期に学習される発達性運動パターンは、成人の日常生活で使われるもっと複雑な動きの基礎的要素であるということを指摘しました。語彙や文字が組み合わさり文章を作るのと同樣に、これらの単純なパターンが組み合わさって洗練された動きを形成します。この組み合わせシステムが意味することの一つとして、もし基礎的要素のひとつに支障をきたせば、その上に構築される構造全体は危うくなります。たとえば、スクワットや回旋などの基本的な運動が制限されていれば、日々の運動は広範囲において損なわれるでしょう。このことを念頭に置きながら、これらの発達パターンが生まれる状況や、この状況が見過ごされたり衰退したりしているかもしれない成人の原始的パターンの向上や回復に役に立つかどうかを見てみるのは興味深いことです。 発達環境の重要な側面のひとつは、ポジションです。原始的な運動パターンは、仰向け、うつ伏せ、四つん這い、三脚ポジション、斜め座り、両膝立ち、片膝立ち、スクワットなどの発達上のポジションで習得されます。これらのポジションは、有益な発達パターンを習得しようとする幼児にとって潜在的な利点となります。そして、もっと重要なことに、このようなパターンを磨いたり取り戻そうとしたりする成人にとっても役立つ可能性があります。実際、マッサージや理学療法、コレクティブエクササイズ、ヨガ、ピラテスなどあらゆるリハビリのための運動や感覚入力のために、発達上のポジションは広く使用されています。その理由は下記の通りです。 安定性やバランスの要求の低減 まず、立位に比べて発達上の姿勢は安定性の要求が大幅に低減します。床の上では、単に動く部位が少ないことから、同時にコントロールする変数はより少なくなります。立位では、姿勢のバランスを保つために、足首や膝、股関節、脊椎などの協調活動が必須となります。膝立ちの姿勢では、足首と足は関わりがなくなり、それによって直立姿勢を保つための運動制御はより単純化します。さらに、重心が低く支持基底面に近いので安定性を増します。 仰向けの姿勢では、安定性の需要はほぼゼロに減少します。ですから、転倒への恐れを感じる必要が大幅に減少し、また、体が硬くなったり、力が入らなかったり、不快感を持ったり、運動プログラムを変更したりするような転倒の知覚に関連した不必要な防御機構も減ります。多くの場合、歩いたりしゃがんだりする際、転ぶ心配を意識的にしているわけではありませんが、転倒することがないように、無意識な神経系の顕著な活動が必ずあります。防御のための過剰な筋活動と制御されていない可動性の制限などが含まれるかもしれません。ある程度、発達上の姿勢がこの防御活動を軽減でき、これは立位ではかなり分かりにくい、運動パターンの回復も促進できます。たとえば、股関節の筋群がバランスや安定性を保とうとする要求に占領されていないため、スクワットで必要とされる股関節の完全屈曲が簡単にできるかもしれません。 固有受容感覚の増加 その他、発達上の姿勢のメリットは、床に身体が接していることで固有受容感覚のフィードバックが増えるということです。たとえば、立位の時よりも床に横になっている時の方が、脊椎や肋骨の形状や動きを知覚するのが容易になります。仰臥位では腰椎を床に押しつけることにより屈曲を知覚できます。立位では、このようなフィードバックは得られません。 制限の増加 興味深いことがあります。発達上のポジションが動きを改善する理由のひとつに、運動の選択肢を制限することがあります。床の上にいることで、ある意味、自由度は制限され、特定の動作を行う時に使われる運動パターンの数は減少します。よって、多くの潜在的な“悪い”運動パターンは使えなくなり、“良い”運動パターンはすべて残るわけです。(もし、発達上のポジションが基礎的運動パターンの使用を妨げるのならば、そもそも最初から発達なんか決してしなかったでしょう!)発達パターンが、運動の障害に対する数少ない解決法になっている場合は、そのパターンを見つけるのはより簡単です。 たとえばハイハイでは、片方の腕は必ず体重を支えなくてはならないので、歩行時よりも腕をどう使うかという選択肢は少なくなります。手が床に固定されるので、身体に対して腕が動くのではなく、腕の筋群は腕に対して身体を動かします。支持している腕は、反対側の支持脚と同調し、四肢の運動に斜めに交差するパターンが現れます。 歩行においても、同じ斜めに交差するパターンが維持されるべきですが、腕に余分な自由度があるために、必須ではなくなります。腕は体重を支える必要がなくなるので、反対側の脚との同調から自由に外れることができるのです。ハイハイの時のように、支持している腕の筋群が身体を前方へ“引き寄せる”必要がなくなり、代わりに、手を後へ引く操作ができるようになります。ハイハイの時の腕の“クローズドチェーンの感覚”をそのまま歩行でも感じるためには、スキーストックを持って歩くことを想像してみてください。ハイハイのように前方に伸ばされた手が、空中である程度の“固定支点”となり、そこから腕と体幹につながっている筋群が身体を前方へ引くことができます。このような方法で歩いてみれば、歩行中の腕と体幹の一体化をもっと感じることができるかもしれません。 つまり歩行は、ハイハイではより必須である原始的移動パターンを見過ごす機会を提供します。もし、この見過ごしが最終的にこのパターンに関する感覚運動健忘症という結果になるのであれば、再活性化するのにハイハイが役立つことでしょう。なぜならば、ハイハイは、単純な基礎パターンのみを維持しつつ、特異性の高い複雑な運動パターンを数多く使用する可能性を排除するからです。 もうひとつの例をみてみましょう。もし、私が仰向けになっている赤ちゃんで、胸骨から数フィート離れている、紐にぶら下がっている目の前のモノに手を伸ばしたいとします。そうするための関節運動の組み合わせと関連する筋活動パターンはかなり限られています。どの解決策にもほぼ含まれていることは、90度までの肩の屈曲;肩甲骨の前突、伸ばしている腕とは反対側への胸郭の回旋です。肩の屈曲と肩甲骨の前突、胸部の回旋の協働作用は、とても基本的なリーチングのパターンであり、投げる、打つ、押す、走る、歩くなど、数多くの場面で用いられる基礎的要素として用いられます。 さて、さらに自由度がある座位におけるリーチングのオプションを考えてみましょう。私の胸骨の前、数フィートのところにあるテーブルにあるパソコンのマウスに腕を伸ばそうとしているとします。仰向けだった時とまったく同じ筋の協働作用で行うこともできますが、他にも多くの選択肢があります。これらの多くは非常に特異的で、特有で、他の状況では使い道のないことがあります。たとえば、肘を屈曲し股関節から前屈すれば、肩の屈曲、肩甲骨の前突、胸部の回旋すらしなくてもマウスに手を伸ばすことができます。また、立ち上がって、向きを変えて、腕を後方へ伸ばしマウスに伸ばすこともできます。より多くの選択肢があれば、より多くの“間違った”方法もあります。原始的パターンは必須ではなく、その他では使い道がないような、完全に特定の動作ためだけの特異的な解決策もあります。 それとは逆に仰臥位では、他の運動においてもすばらしい基礎要素を形成する、理想的なリーチ動作の協働作用は、実際に達成するための唯一の方法です。ターキッシュゲットアップが人気のあるコレクティブエクササイズである理由のひとつは、この姿勢が適切なリーチパターンを引き出す傾向があるからです。 他のいくつかの例も考えることができるでしょう。床に座りながら、後ろを振り向くには首から始まり、肩甲骨、胸部、腰部、股関節の協調、統合された回旋が必要になります。立位では、膝や足首、足の代償的な動きを使うことで胸椎や股関節の動きを避けることができます。もし、伏臥位で周囲を見渡したければ、胸椎はかなりの伸展と回旋の動きが必要になり、肩甲骨と首もその活動に協調しなくてはなりません。また、立位では、足首や膝の代償性運動によってそれほど胸椎を使わなくても容易に上の方向を見ることができます。 それぞれのケースにおいて、立位での自由度の追加は、発達上の姿勢では必ず必須とされる原始的パターンを無視させてしまうかもしれません。その結果として、同じ動作をするのであっても特有で特異的なパターンを使うかもしれませんが、これでは効率が悪くなり、ランダムに偏った運動負荷をかけてしまい、健康的な動きをするためのとても重要な基礎的要素を維持するチャンスを逃してしまいます。 よって、発達上の姿勢に戻ってみることは、日々の生活で無視されているかもしれない原始的パターンを促してくれます。もちろん、これは即効性のあるマジックではありませんし、これが運動を向上できる唯一の方法ということでもありません。しかし、役に立つツールではあります。そして、これが、動きも気分も良くしたいと思ったときに、多くの人は床の上で動く理由なのです。 次の投稿では、運動に抵抗を加えることが、いかに発達性運動パターンの使用促進を制限することもありえるかについて記述します。
発達性運動:パート3
これまでの2回の投稿で、ふたつの基本的な考えについて述べました。まず、幼児期に学習される発達性運動パターンは、もっと複雑な成人の日常生活で使われる動きの基礎的要素であるということがあります。語彙や文字が組み合わさり文章を作るのと同様に、これらの単純なパターンが組み合わさって複雑な動きを形成します。スクワットや回旋などの基本的な運動に制限があれば、日々の運動は広範囲において損なわれるでしょう。ですから、運動の向上を図るために時間を割くのであれば、これらの基礎的運動パターンこそが、最も注目すべきところなのです。 二つ目に、発達上のポジション(四つ這いやうつ伏せ、仰向け、横座りなど)に戻ってみることは、日常の生活で無視されてしまうかもしれない基礎的運動パターンを促してくれるということがあります。なぜなら、ひとつの動作にしか適用できないような特異的で、特有な動きに対して、基礎的運動を使う傾向にあるという点で、発達上のポジションは、立位で多く発生する動きの選択肢を制限するからです。このようなことから、多くのリハビリプログラムでは、立位ではなく、床の上での発達上のポジションで実施されるのです。 この投稿で、運動に抵抗を加えることで、発達上のポジションと同様の効果があると論じたいと思います。運動に負荷を加えることは、ある特定の動作を行うために使用可能な運動パターンを制限します。凡用性のない非常に特異的で特有なパターンとは反対に、このような制限は、さまざまな状況下で非常に実用的な基礎的な運動パターンを見つけ出すのに役立ちます。 補助としての抵抗 たとえば、1ポンド(454g)の重さの物を床から拾い上げようとする時、この作業を成し遂げるための異なる動き方は文字通り何百通りもあります。つま先立ちで、後ろ向きに腕を伸ばしたり、側屈してその物を拾い上げることもできます。その選択肢は無限にあります。これらのほとんどは、今後一切使うことがないかもしれない関節の動きの組み合わせを含むことでしょう。 しかし、もしこの物に重さを加え始めたならば、選択肢の幅は狭まります。最終的にとても基礎的でパワフルな発達性の股関節ヒンジやスクワットパターンを使用しなくてはならなくなるまで狭まります。そのパターンは重いおもちゃを拾い上げる幼児とほとんど変わらなく見えることでしょう。 これが、スクワットを指導するトレーナーの多くが、ウェイトを追加することでたいていクライアントのスクワットが改善することに気づく理由です。ダン・ジョンは、負荷がない時にはいいかげんに見えてしまうスクワットを正す方法として、ゴブレットスクワットを普及させました。身体の正面にウェイトを置くことで、負荷がないときに起こりやすい望ましくない動きの使用を防ぐ制限となります。つまり、ウェイトは筋群へ抵抗を加える手段のひとつではありますが、神経系が最適な運動パターンを探し出す補助としての役割もあります。 発達性パターンの使用を促す異ができる他の制限は、スピードとパワーを伴って動く必要性です。バラエティーに富んだ運動パターンを使って空中に1インチ(2.5cm)ジャンプすることができます。たとえば、片足を浮かし、両脚を交差させ、両側の股関節は屈曲とは反対に完全に伸展させたり。しかし、完全な垂直跳びを15インチ!(38cm!)したいのであれば、従来のパワースクワットポジションを取る必要があります。(これは、重い物を拾い上げる時に使った動きに大変よく似ています。) 他の例として、交差パターンではなくて同側パターンで腕と脚を動かし歩くこともやってみればできるでしょう。つまり、右腕は左脚ではなく右脚と同期して前後に動かすことができます。しかし、速く歩こうとする場合、同側パターンを保つのはほとんど不可能です。そして、必然的に交差パターンが現れます。(試してみてください)。原始的なパターンはスピードとともに不可欠になります。 ここで覚えておいてほしいことは、自分自身を制限のほとんどない運動環境(ひとつの動作を成し遂げるためにいろいろな動きで行える環境)に置き続ければ、我々の機能の基本となる基礎的運動パターンの使用が促進されることはほとんどありません。一方、原始的パターン(発達上のポジションまたは力やスピード、パワーを必要とする動き)をもっと使用しなければならない状況に自分自身を置けば、これらのパターンを維持し改善することを余儀なくされます。 これらの異なる選択肢の中で、発達上のポジションに戻ることは、運動に効果的な制限を生み出す最も簡単で安全な方法のひとつです。なぜなら、ストレングスやスピード、パワーで動くのとは異なり、驚異の知覚と、それに伴う防御機構を増やすのではなく、むしろ減らすからです。 しかし、もしどこにも痛みがなく、最速のスピードや最大のパワー、力を出す動き(デッドリフト、スクワット、ランジ、プッシュ、プル、スプリント、ジャンプ、スローイング、キックなど)をトレーニングすることは、良い運動パターンを維持するだけでなく、さらに向上させるひとつの方法です。そして、このプロセスで鍛えられもするでしょう。
生体力学の複雑さ
生体力学の勉強は、本当に楽しいものです。たとえば、ある筋は関節を大きく動かすためのものではなく関節を安定するのに非常に優れていることや、ある動きでは活動するのに他の動きでは活動しない筋があること、慢性疼痛で筋が萎縮を起こすことなどを学ぶのは本当に興味をそそります。このような発見がある勉強はとてもおもしろく、そこで学んだことをクライアントに適用してみるのがいつも楽しみです。しかし、 他の学問にも共通しますが、生体力学では、学べば学ぶほど、自分がそうでありたいと思うほどには知識がないことに気がつかされるので、イライラするところでもあります。時には、自分が施しているプロトコルが理屈に合っているのか十分理解していないこともあります。 私を含めたマニュアルセラピストは、私達の生体力学の知識の程度に関して謙虚であり続けるべきだと気づかせてくれるポイントを順不同で下記に列挙します。 関節の複雑な相互作用 最近、トーマス・ミシャウド著の『ヒューマンロコモーション』という、かなり生体力学に重点を置いた本を手にしました。素晴らしい本です!そして、頭が下がります。理解と応用のためには、2つの高度教育の学位が必要な程の生体力学的分析の詳細が400ページにわたり説明されています。 この本を拾い読みするなかで、得ることができた一つのポイントは、人間はそれぞれ異なる骨の形をしており、その個体差を見つけることは難しく、しかも、これらの違いには生体力学的な重要な因果関係があるということです。たとえば、この本は、次のような事に多くのページを割いています: 距骨下関節の制限は、回内あるいは回外が阻止されてしまうような骨(の形状)によるものかもしれません。回外が制限される最も多い骨性の原因は、3つの関節で構成される距骨下関節です。この変則は、人口の約36%に見られ、距骨と踵骨の前外側関節面どうしが接触している時、距骨下関節が回外をし続けないように制限を生み出します。 ... またその他には、距骨下関節の回外の可動を減少させる骨性の制限として、未発達な距踵間の癒合があります・・・従来のX線技術で見つけるのは困難なこの骨性の変性が、踵を外反位に保つように骨性のブロックの役割をします。 著者は、歩行を改善するための介入を考案するために、これらの個体差を理解することが重要であるかもしれないことを、多数の例で示しています。たとえば、あるタイプの足の人には前足部で着地することが有効である一方、そうでないタイプの足の人には、踵で着地する方がよいかもしれないというように。 この本のもうひとつ興味深い点として、たとえ単純な生体力学についてでも、より優れた測定を提供する新しいテクノロジーによって、専門家の意見が完全に覆されることがあるということです。たとえば、歩行時のインソールの効果を調べるために使用した最新の3D画像技術では、専門家をすっかり驚かせるような所見がありました。つまり、回内するのをインソールで防ぐのはこれまで考えられていたよりはるかに困難であったのです。 (驚くほど)複雑な筋 足のように多関節構造の機能が複雑であることはよく知られていますが、筋の単純な活動でさえ、確定するのは大変難しいものです。筋機能についての一般的な推測が、研究によって疑問を投げかけられているかという、少なくとも3つの例に最近遭遇しました。 腰筋 わたしたちは、腰筋の基本的機能について、未だ学習途中にいます。そして、世界でも有数な専門家の間でも議論が続いています。一方で、エビデンスは次々と出てきています。この筋は、股関節を屈曲する働きよりも、より脊椎や股関節を安定化する筋としての機能を持ち、立位において骨盤を前傾するのではなく後傾する働きがあります。この情報はまさに、骨盤の前傾または過剰な前弯が原因で起きると考えられている腰痛に対して、腰筋の“リリース”が役に立つという生体力学的な理論的解釈に疑問を投げかけます。 上部僧帽筋 ボグドゥク氏による調査研究では、上部僧帽筋は肩甲骨を挙上したり上方に回旋したりすることよりも、肩甲骨を安定させ後退する役割を持つと論じています。そうなると、上位交差症候群のための多くの治療方法の理論的解釈に疑問が投げかけられます。 棘上筋 肩の外転を開始させるのは棘上筋であるとだれもが教わってきましたが、新しい研究では、それは三角筋よりも早く作動しないと示しています。おそらく、このことは、肩のインピンジメントのための治療方法の土台となっている生体力学的解釈に影響をもたらすでしょう。 ここで重要なことは、上記の研究に載っている新しい解釈の善し悪しを論じることではなく、非常に基本的な生体力学的問題でさえも、未だ解明されていないということを単に記しておくことです。しかも、施術のプロトコルの多くは、根拠のない思い込みという不完全な土台のもとに実施されているかもしれません。 複雑性は、エラーがあることによって予測を困難にする マニュアルセラピーにおいて非常にたくさんの療法を生み出した最も単純なモデルのひとつは、下位交差症候群に基づいています。たとえば、腰痛を患っているクライアントを評価して、その人の骨盤が前傾し腰椎が過剰に前弯しているとします。施術者は、腰筋が“短い”ので伸ばし、弛緩する必要があると判断します。 これは、徒手療法の中の生体力学を基にしたいかなる治療においても、かなり単純化されたものではありますが、これが意味を成すには、いくつの事柄が真実である必要があるのか見てみましょう。原因を探る論理のリンクはたくさんありますが、普通の読者の皆さんも、すぐにほぼすべてが欠如だらけであると気がつくでしょう。 一つ目に、腰痛は過剰な腰椎前弯や骨盤前傾によって引き起こされると信じる理由がほとんどないことがあります。なぜなら、ほとんどの研究でこれらの変数間に相互関係は少ないことが分かっているからです。 二つ目に、椎体の形や仙骨底角、骨盤の骨性のランドマークに、解剖学的個人差がかなりあるとすれば、あるクライアントの立位姿勢はその人にとって骨格構造上の中立であるにも関わらず、骨盤の前傾または腰椎の過剰前弯があるとする評価に、疑問を抱くだけの理由があります。 三つ目に、先ほど腰筋について学んだように、この筋は立位における骨盤の前傾の増加には何の関係もなく、実際にはその逆の働きをする可能性があるということです。 四つ目に、短くなった腰筋を徒手療法で伸長できると信じる理由があまり見当たらないことがあります。 よって、この一連のあまりにも単純な思考は、すべて、いかなるリンクの理由付けとしても成立しないことになります。 これは、初心者が教わることのひとつで、私たちが目にする最も単純な生体力学的モデルのひとつです。長年にわたって研究されている、より洗練された生体力学的モデルには、たいてい論理の鎖のリンクは更に多くなり、更に誤った方向への解釈の余地が増えます。たとえば、骨盤にある筋Aの過活動は、関節Cを屈曲方向に動かす筋Bの活動を抑制し、その代償として関節Dは伸展方向に動き、このことによって、結果として・・・外側翼突筋へと影響する!というような。 それぞれの思考の連鎖は、はるかに多くのエラーを生じやすくする状況を作り出しています。複雑系でのエラーは特に問題になります。 複雑系の特徴のひとつとして、すべての変数とそれらがどのように相互作用しているかを完全に知っておかない限り、行動が予測できないということがあります。システムの初期症状の測定における、とても小さなエラーでさえも、少し時間が経つにつれて大きなエラーになり兼ねません。よって、身体の相互作用が複雑である(たいてい複雑です)という点で、ひとつの部位の変化が遠位にある他の部位にどう影響するかを予測することはありえないことです。ひとつのことがもうひとつのことに影響するという考えには確信できるかもしれませんが、どのようにそうなるかを的確に把握するのは難しいでしょう。 結論 私たちが、生体力学において絶望的に無知であるとか、それらは複雑過ぎて理解したり実践レベルで適用したりすることができないと言いたいのではありません。それどころか、生体力学的分析においてもちろん確信が持てる状況も多くあります。(ここでそれを挙げていないだけです!) ここで申し上げたいことは、生体力学的モデルは、計り間違いや誤った情報という点で、いかに脆いものであるか留意しておく必要があるということです。もし、みなさんの介入が非常に複雑な生体力学的分析に基づいており、そのシステムに関連するすべての変数やそれらの相互作用についての確固たる知識がなければ、おそらく自分で考えているようには、力学に影響を与えてはいないでしょう。
慢性疼痛を予測するために脳を見てみよう
腰痛は非常に一般的です。事実、一年に一度も腰痛を患わないなんていう人は、少し異常でしょう。(もちろん、何か重要な体験をしそこなっているというわけではありません)。 幸い、たとえ腰痛を患ったとしても、かなりの短期間で回復する確率は高いものです。急性腰痛の90%以上は、特別な介入がなくても数週間から数ヶ月程度で自然治癒します。しかし、人によっては痛みが慢性化することがあり、何年間も継続してしまうことがあります。腰痛がたどる経過には、なぜ人によってこれだけの差が現れるのでしょうか? 腰だけに目を向けていては、その答えは見つからないでしょう。専門家は長年にわたって身体検査の結果を参照にして腰痛のアウトカムを説明しようと努めてきました。しかし、姿勢、コアストレングス、脊椎と椎間板の健康状態のエビデンスの収集は、正確な予測を立てるにはほとんど役に立ちません。姿勢とMRI結果は、痛みとの関連性が乏しく、腰痛の原因となる構造的/物理的な所見さえひとつも見つかりません。 もっと最近では、主観的な要因を重要視するようになりました−疼痛の強度、ネガティブな気分、破局化、うつ状態、仕事の満足度など。これらの要因の説明は、腰部の物理的状態をただ見ていくよりも、腰痛のアウトカムを予測するのに少しは役立つでしょう。しかし、多くの疑問が残ります。 ヴァニア・アプカリアン博士の研究所による最近のいくつかの研究では、痛みを説明する"聖杯"を発見したのかどうかがかなりの賢人たちを湧かせることになりました――ある人は慢性疼痛を発症してしまい、またある人は回復することがあるといったことの正確な要因です。 もし、アプカリアン博士が正しければ、聖杯は脳にあるということになります(ひとつ重要な注意点と警告:脳が痛みの主な原因であるとしても、痛みが"気のせい"であるとか、痛みは自分のせいである、痛みは自分で忘れられる、身体は関係ないなどと、ここで言っているのではありません。) アプカリアン博士研究所の論文から抜粋したものを下記にあげます(このポストの最後をご参照ください。各論文の全文は、フリーオンラインでご覧になれます)。腰痛の有無に関わりなく、回復期や慢性期などさまざまな段階の脳のスキャンが主に含まれた彼の研究は大変興味深く、その解釈や結果をまとめるのに役立ちます。 侵害受容、急性疼痛、動き、感情の関係性 痛みは、一般的に侵害受容活動による意識下の主観的経験である。Baliki 2015 意識下の急性疼痛の知覚は、非常に影響を受けやすい・・・痛覚は、価値判断を反映しその瞬間その瞬間で移り変わる。Baliki 2015 感情行動に関与する大脳辺縁系が、侵害受容と痛覚の橋渡しに重要な役割を果たしている。Baliki 2015 侵害受容器は、疼痛の知覚がなくても活動することがある・・・・私がこの投稿を書きながらも椅子に座りながらもじもじ姿勢を変えている主な理由は、私の皮膚や筋や骨を支配している侵害受容器が私の姿勢を調整する必要があると命令しているからである。Baliki 2015 意識的に痛みを認知していなくても、行動の侵害受容性制御は繰り返し起き、"潜在意識"となる。Baliki 2015 日常の運動は、各個人の自然な関節可動域を越えれば、ケガや組織ダメージを起こしやすい・・・これは、運動行動は侵害受容器によってひとまとめに抑制されるという結論を裏付ける。Baliki 2015 我々は、侵害受容が痛覚の存在なしに起こり続けるということと、それが基本的な生理的過程であるということに私たちは異議を唱える・・・痛みが存在しなければ、侵害受容によって調節される行動は、すでに成立している習慣的な行動範囲によるものと推定する。それとは対照的に、痛みが引き起こされると、これにより末梢神経と脊髄に新たな侵害受容性学習/感作を起こすこととなる。嫌悪感を抱くような経験から受けとる価値観やサリエンシー(強烈な体験による痛い記憶)によって増強される情動学習も同様である。Baliki 2015 急性疼痛から慢性疼痛への移行 負傷による急性疼痛を経験した被験者のごくわずかなものが、慢性疼痛に進行する。Hashmi 2013 急性腰痛患者の大半(90%以上)では、しつこい痛みがほとんどないかまったくなく、一日または数週間で完全な機能回復を果たした。Apkarian 2009. この領域が慢性疼痛に関してまだ取り組んでいない2つの批判的な問いとは:1)どのような人が発症しやすいのか? そして、2)発症しやすさの根底にあるものは何か? Hashimi 2013 これまでの臨床研究は、人口動態や感情状態、ライフスタイル、併存疾患、その他といった慢性疼痛を起こす多くのリスクを明らかにしたが、全体としては、こうしたパラメーターは慢性疼痛の分布の中では比較的小さな部分を占めているにすぎない。それとは対照的に、脳の解剖学的そして機能的特徴は、80%~100%の精度で慢性疼痛の発症を予測する。Hashmi 2013 今では、慢性疼痛を持つ脳の解剖学と生理学は、急性疼痛を経験している健常者の脳とは異なることを示す十分な証拠がある。Vachon-Presseau 2016 人間や動物に関する一連の論文は、報酬を得ようとする動機付け行動の中心である皮質辺縁系が、急性疼痛ではモジュレーターとして、慢性疼痛ではメディエーターとして働くと特定した。Vachon-Presseau 2016 脳の縦断画像研究で、深刻な腰痛歴がある人を1年間追跡した。この間、痛みと脳のパラメーターが度々記録された。この研究がスタートする時に、内側前頭前野と側坐核の同期性の強さ(つまり、機能的連結性)は、被験者が一年後にそのまま慢性に移行するであろうことを予測した(80%以上の精度)。Apkarian 2016 持続的に増大するmPFC―NAc間の機能的連結性は、感情的サリエンシーの信号の増幅として理解できるかもしれない。Vachon-Presseau 2016 皮質辺縁系のあらゆる分野は、継続的な疼痛状態から影響を受けるか、または、継続する疼痛状態を制御あるいは増大するという有力なエビデンスがある。Vachon-Presseau 2016 慢性疼痛の再定義 慢性疼痛の定義は、単に長く持続する痛みとか正常な治癒期間を越えて続く痛みなどといった同じような言葉を繰り返し当てはめているにすぎない。Baliki 2015 私たちは、慢性疼痛の新たな定義を提案する。痛みを、そのセンセーションによって定義するのではなく、行動適応を制御する神経生物学機構を強調した定義を提案する。そして、私たちは、疼痛の持続性は、皮質辺縁系の学習機構による皮質の再構成を介して起こると仮説を立てる。Baliki 2015 侵害受容から疼痛への変換を開閉する閾値メカニズムでの長期的な変化も、慢性疼痛への移行の根底にある。さらに私たちは、閾値のシフトはシナプス学習を基にした再機構を発動させる辺縁系の回路によって決まってくることも提案する。つまり、これらの考えを簡単にすると、疼痛の意識的知覚のための中脳辺縁系域値の低下としてまとめることができる。これは機能的に、脳を痛みに対して中毒の状態にしてしまうことである。Baliki 2015 慢性疼痛とネガティブな気分の関係 侵害受容や疼痛が身体的損傷に対して行動を制限することで私たちを保護するのと同様に、ネガティブな気分というのも危機に曝されることを最小限に抑え、行動を抑制することで生存を促進する。Baliki 2015 慢性疼痛の症状と海馬の体積の減少が関連づけられるのと同様に、うつ症状も海馬体積の減少に関連すると、多くの論文が示唆している。Baliki 2015 よって当然、これらの症状が併存することが多いのは驚くべきことでもなく、実際、現在ではネガティブな気分と急性疼痛や慢性疼痛の間の相互関係に関する論文がわずかではあるが発表され始めている。Baliki 2015 意義と新たな疑問 この研究は、既にわかっていることに加えて何を提供してくれるのでしょうか? 慢性疼痛は中枢性感作と脳の変化であると理解してきました。しかし、これらの変化は継続的な末梢からのインプットによって引き起こされているという可能性はまだあったのです。アプカリアン博士の研究では、末梢性侵害受容は慢性疼痛の中心的な要因ではないと示唆しているようです。 いくつかのアプカリアン博士の研究は、さらなる追試を実施する必要があるということと、彼の所見を異なる角度で理解する人もいることを追記しておくべきでしょう。 私は間違いなく、彼の数多くの論文で基本的に未解決な疑問をアプカリアン博士に訊ねるでしょう: 仮に慢性疼痛の大部分が脳の情動系によるものであるならば、実際問題として、治療や予防に役立てるために私たちに何ができるでしょうか? そして、慢性疼痛から回復した人たち(私を含めた多くの人たち)の脳はどうやって変化していったのでしょうか? 彼らの脳は、進化したのでしょうか、それとも退化したのでしょうか? 私は、すべての人に当てはまるような、いかなる特定個人の動きや恐怖感、価値観、意義といったものと脳との無意識な結びつきを変えることへの成功への簡単な答えは存在しないのではないかと推測します。 参照文献 Apkarian, A Vania, Marwan N Baliki, and Melissa A Farmer. 2016. “Predicting Transition to Chronic Pain” 26 (4): 360–67. doi:10.1097/WCO.0b013e32836336ad Hashmi, Javeria A., Marwan N. Baliki, Lejian Huang, Alex T. Baria, Souraya Torbey, Kristina M. Hermann, Thomas J. Schnitzer, and A. Vania Apkarian. 2013. “Shape Shifting Pain: Chronification of Back Pain Shifts Brain Representation from Nociceptive to Emotional Circuits.” Brain 136 (9): 2751–68. doi:10.1093/brain/awt211. Vachon-Presseau, E, M V Centeno, W Ren, S E Berger, P Tétreault, M Ghantous, A Baria, et al. 2016. “The Emotional Brain as a Predictor and Amplifier of Chronic Pain.” Journal of Dental Research 95 (6). International Association for Dental Research: 605–12. doi:10.1177/0022034516638027. Baliki, Marwan N, and A Vania Apkarian. 2016. “Nociception, Pain, Negative Moods and Behavior Selection” 87 (3): 474–91. doi:10.1016/j.neuron.2015.06.005.Nociception. Apkarian, A.V., Balik, M.N., Geha, P.Y. 2009. “Towards a Theory of Chronic Pain.” Progress in Neurobiology 87 (2): 81–97. doi:10.1016/j.pneurobio.2008.09.018.Towards.
エキスパートとグールー:その違いは?
グールーとエキスパートの違いは何でしょうか?辞書によると2つの言葉は基本的に同じ意味を持ちます:特有の分野において高度な知識を持つ人。しかし、ある状況において、グールーという言葉は間違いなく好ましくない意味を含んでいます。人々はエキスパートを尊敬しますが、グールーのことは崇拝し、彼らがもの凄く非現実的なレベルの知識と力を持っていると想像します。科学の分野では、それが問題なのです。 その人がグールーまたはエキスパートだということは、見る人によって変わるのでしょうか?人気があるからといって、その人を非難するのはフェアではないでしょう。リチャード・ファインマンやアルベルト・アインシュタインは、尊敬されていたがために「グールー」なのでしょうか?彼らを嫌っている人だけがそう言うでしょう!その人の誇張された名声−嘘っぱちの資格を作り出したり、人々の無知さに付け込んだり−を非難できる場合のみ、その人をグールーと呼ぶべきでしょう。 見たことがあるであろう、素晴らしいグラフ(サイモン・ワードリーより)に基づいた、もう一つの区別の仕方があります。このグラフは、実際に持っている知識の量に対して、知っていると思っていることの量と、知らないと実感していることの量の関係性を示しています。 真ん中のステージを見てください:「ハザードゾーン」では自身の知識のレベルをかなり過大に評価し、知らないことの量を過少に評価します。あっていますか?多くの人が一度や二度このゾーンに入っていたことがあると思います。 このグラフに基づいて、ハザードゾーンで導き出された意見を売り込んでいる人気の先生をグールーと定義できると思います。グールーはビギナーに感銘を与えるだけの知識はありますが、本物のエキスパートではありません。彼らは、カリスマ的な個性、マーケティングの優れたスキル、他人を助けたいという本当の欲求、そして彼らの推測に反する情報を学ぶことに対する興味の欠如を持ち合わせています。 残念なことに、慢性痛を含む健康に関する分野で人気の非常に多くの先生達は、グールーでありエキスパートではありません。もし、あなた自身が「エキスパート」ではなく、または「ビギナー」でしかなかった場合、どのように見極めればよいでしょう?答えはグラフにあります−グールーは自身の知識の限界を知らず、そのためそれについて絶対に言及しません!本当のエキスパートは、自身の理解度、問題の複雑さ、逆説、または対立するエビデンスの存在に言及します。 例えば、ロリマー・モーズリー、ポール・ホッジスやグレッグ・レーマンのよう人々は、痛みと動作の研究と調査に長年を費やしてきましたが、自分たちがどれだけ知らないということを彼らの聴衆に度々思い起こさせていました。彼らが、自身の知識をどのように応用してある問題を解決するかを問われた時、彼らは度々「一概には言えない」、「もっと情報が必要だ」や、それどころか「誰も本当は知らないんだ!」と答えます。 この謙謙さは、痛みの科学の現状に対する正確な知識を反映しています。痛みの複雑さを理解は、ようやく前進し始めたところなのです。おそらく、物理や科学の分野のようにエキスパートによってほぼ解明されているものもありますが、慢性的な痛みについてはその通りではありません!運動制御やバイオメカニクスもそうです。これらの分野に対して全てを知っている様に振る舞う人は、ほぼ間違いなくエキスパートではなくグールーでしょう。 例を挙げると、動作や徒手療法のグールーは、慢性的な痛みについて、それは独特の方法や計画にそったり、トリックや秘訣、裏技などを駆使したりすることで簡単に解決できる問題だと語るでしょう。 腰痛?コレクティブエクササイズのグールーは、本当の問題は、コアの筋力不足や骨盤の前傾、股関節屈曲筋の硬さ、または臀筋の弱さではないか、とすぐに教えてくれるでしょう。そして、痛みをなくしたり、または完全に消し去ったり、そのプロセス内で腰痛への耐性をつけさせるような簡単なエクササイズを提供してくれるでしょう。 マッサージセラピストのグールーは、様々な処方の組み合わせをしますが、同時に自信満々に、どの筋肉の固まりや筋膜の癒着が問題を起こしているかを教えてくれるでしょう。カイロプラクターのグールーはどの脊柱がずれているか見極め、姿勢のグールーは、ほとんどの腰痛は座位や立位の時に、ある特定の筋群が活性化されてないためである、と説明してくれるでしょう。そして、彼らは肩痛や足痛、膝痛などに対しても同様に自信に満ちた処方をするでしょう。 この様に早くて簡単な解決策、特に同じ分野の異なる10人の「エキスパート」が、同じ問題に対して全く違う10通りの解決策を出した時には、極度の疑いの目を持つべきです。もしこれらのエキスパート達の一人が本当に全てを解明していて、難なく痛みを取ることができるのであれば、説得力のあるエビデンスを用いてそれを証明するのは比較的簡単なはずです。もしできたのであれば、世界中で一番大きくて難しい健康に関する問題を解決したとしてノーベル医学賞を受賞するでしょう。 私はとても好奇心が旺盛で、様々な分野−栄養や経済、政治、スポーツトレーニング、社会学、心理学、動作、痛み等についてオンラインで読みます。私はこれらの分野において本当のエキスパートではありませんし、いくつかの分野ではビギナーのレベルでしょう。そのため、私が読んでいるものに、明らかで重要な欠点があることに気づくほどの知識がありません。それでは、私は誰を信じれば良いのでしょう?私は、問題の複雑さと不確定さを認識し、自身の知識の範囲を打ち明け、対立するエビデンスによって考え方を変え、異なる意見を敬意をもって考慮する人を信じます。そして、私は、これとは反対のことをする人達を避けます。 実際に、この二つのスタイルの違いを理解するのは難しいことではなく、その違いを認識する方法を学ぶことがエキスパートとグールーを見分ける最良の方法なのだと思います。
あなたの身体はなぜ偽善者なのか
この記事の主題のひとつは、多様な知覚に関連しています。あなたが見るものは、あなたが知っていることや聞いたこと触れたことに影響を受けます。またその逆もあります。脳は非常に複雑で相互に関連し合っており、脳の各部位すべては、目や耳、触感、記憶、予測、期待、フェースブックなどのあらゆる情報源から得た情報を共有し統合するからです。 つまり、あなたが味わうものは、見るものに影響され、感じるものは考えるものに影響され、耳にすることは、知っていることにより変化します。私たちはよく痛みは単に“組織内の問題”と関連づけますが、実際、身体の状況に関わる他の情報源も重要です。すべてつながりがあるのです。 そうではないですか? 私は最近、ロバート・クルツバン著の『だれもが偽善者になる本当の理由』を読んでいます。少し誤解を招きそうなタイトルですが、ここでは人がなぜ嘘をつくのかという説明についてではなく、心のモジュール説の含意に取り組む内容がほとんどです。クルツバンは、進化心理学者です。進化心理学の理論的主柱のひとつにマインドのモジュール性があります。つまり、すべての汎用的な問題解決知能とは対照的に、マインドはある特定の能力を持つように進化したというものです。 この考え方は、蜘蛛のように人間よりもかなり知能が低い生き物に関連して言えば、最も明らかに理解されるでしょう。基本的に蜘蛛は、蜘蛛の巣を張ったりするということに関しては建築の天才であり、食べ物を獲得したり、捕食を回避したり、仲間を捜したりすることに関する問題解決にも、大変優れています。このような具体的な状況でない限り、蜘蛛はそれほど賢いとはいえません。 つまり、自然淘汰では、汎用的な問題解決能力ではなく、生存と繁殖に関わる特定の認知能力を生き物に備えさせるのです。このような意味では、マインドをまるで様々なアプリが備わったスマートフォンや、多目的な道具が付いているスイスアーミーナイフとして捉えることができます。人間は蜘蛛に比べはるかに高い計算力と応用力を持っていますが、基本的には同じモジュラー型オペレーティングシステムです。ですから、私たちは、運動制御や言語(人間の方がどんなコンピューターよりも優れています)などある特定の分野には驚くほどの才能を発揮するのです。一方で数学の計算(これに関して私たちは単純な計算機に惨敗です)など、他の分野ではそれほどでもありません。 この考え方にクルツバンが思わぬおもしろい展開を見せてくれました。それは、それぞれ異なるモジュールは必ずしも互いに情報を共有しないということです。それらは、単独で働き、一部で起こる間違いは、他のモジュールのより正確な情報によって必ずしも修正されないことも多いということです。彼は、このことを説明するために2つのよくある視覚的錯覚を用いました。 この写真の斑点は何を示していますか? もしまだ答えを知らないのであれば、ダルメシアンが“見えてくる”までに数分間は奮闘するでしょう。この写真に何が映っているか分かるやいなや、ほとんど瞬間的に見ることができ、もはや“見えないでいる”ことの方が難しくなるでしょう。クルツバンによると、つまり脳の意識モジュールは、その画像の情報を視覚プロセスモジュールと共有しており、それが情報処理、ひいては画像の知覚にも影響するということです。同様の理由で、高価なワインだと思い込んだ時の方が、ワインを美味しく感じるのです。また、身体に大きなダメージを負ったと思い込んだ時には、特に問題なく治癒していくにも関わらず痛みをより強く感じるものです。しかし、“トップダウン”の情報の共有は、必ずしもみなさんの知覚を変えるとは限らないでしょう。 チェス盤の錯覚を考えてみよう。AのマスとBのマスの色は、実際は同じ色! 大量の情報の処理を行う視覚プロセスモジュールが、このような(誤った)知覚を提供してしまうのです。そこでは、シリンダーの置かれた場所、それが作る影、四角が規則正しく並んでいるチェス盤などが認識されます。これらすべての情報処理を基に、視覚プロセスモジュールは、この四角の色は異なると“判断”するので、あなたにはそのように見えます。このような結論に至るまでの思考の過程や一連の想定、“未処理のデータ”をそのまま提供されることは決してありません。みなさんは、最終的な結論:これらの四角は同じ色であると示すメンタルイメージのみを受け取ります。 それからおもしろいことに、これらの四角は同じ色でないという事実を意識的に認識したとしても、あなたの知覚を変えることはないのです。ダルメシアンの写真とは異なり、視覚プロセスモジュールは、あなたが持った知覚をもっと正確なものにするために認識された知識を使用することはありません。よって、錯覚は残ることになります。その証拠に、クルツバンによるとこのモジュールによって行われる処理はたいていかなり独立したもので、修正されることもなく、より多くの知識が備わっている他のモジュールからの入力さえも受け付けないこともあるようです。 (私たちが偽善者でありえるとクルツバンが考える理由のひとつがここにあります。脳には外向きの顔としての社会的関係を担うモジュールがあり、その優先事項と機能は、高い社会的地位を自身に与えることです。それとは別に、心のモジュールというものがあり、私たちが外向きに主張するほど、自分は賢くはなく、モラルもなく、正直でもないことを証します。社会的関係を担うモジュールは、そこに存在する情報についてはあまり気にしないどころか、知らないかもしれません。モジュール同士の分離は、“戦略的無知”を生み出します。) では、この考え方を痛みに当てはめて考えてみましょう。身体についての私たちの知識と意識的な思考過程は、身体のある部位の感じ方に影響することがあります。仮に身体のある部位が壊れ、退行変性が起こり、ボロボロになり、不安定であると思ってしまったら、余計に痛みを強く感じることがあります。また、もし、自分の身体が丈夫で、強く、適応力があると思えば、痛みは和らぐでしょう。これが、多様な知覚です― それぞれのモジュール間での情報の共有。さきほどのダルメシアンの写真で、その画像が持っている意味についての意識的な知識は、私たちの知覚に影響を与えました。 しかし、痛みは残念ながらチェス盤の錯覚により近いのです ― 論理を受け付けない。人間は、何の損傷もない部位に痛みを感じることがよくあります。また、時には身体の一部でない部分にも痛みを感じることがあります! このような事実を意識的に知識として得ても、知覚に影響することはありません。モジュールという意味では、痛みのモジュールは認知モジュールからの修正情報にあまり聞く耳を持たないと言えるかもしれません。これは、結論について戦略的無知であるように構成されていています。もどかしいことではありますが、私は、痛みの問題が“独自のマインド”を持っていると捉え、おもしろい理論的な方法を考えています。もし、痛みのモジュールがそれよりも認知能力の高いモジュールに“聞く耳を持たない”のであれば、それが聞いてくれるような“言語”を話してくれるモジュールはないだろうか? 動きのモジュールが、このリストの筆頭に挙るでしょう。
痛みの全体像
痛みは、複合的な現象と言えます。つまり、多くの異なる要因が痛みに関わっている可能性があるのです。また、これらの要因が互いに絡み合うことによって、痛みの説明や医療の介入を行おうとしても、それら一つ一つを切り離すことが非常に困難になることがあります。 これは、数週間前にオスロで開催された、ペインクラウドコンベンションでの私の講演テーマでした。そこで、複合系理論には痛みの性質を理解する上で役に立つ概念が多くある、ということについて私は議論しました。 これらの概念の一つに、複合系はたいてい入れ子構造になっているということがあります。つまり、全体としての体系がそれより小さな下位組織によって構成され、またそれは、さらに小さな下部組織によって構成されるといった具合に続くことを意味します。 その痛みはどこある? たとえば、人間は器官系(神経系、筋骨格系など)から構成されており、またそれらは器官(脳、脊髄、筋、腱など)から成り、さらにそれらは、細胞(神経細胞、筋細胞など)から成るといったように続きます。さらに言えば、人間はもっと大きな体系(家族や地域、経済など)の一部分でもあります。 臨床の観点から、このことが興味深い理由は、それぞれの入れ子になっている体系は、私たちが痛みを治療しようとしたり、説明しようとしたりできる様々なレベルを提供するからです。 ここで図解しましょう: “下位”の方のレベルでは、細胞や臓器(筋、腱、椎間板、神経など)の健康状態を見ることができます。たとえば、あなたの足が痛いのは疲労骨折のためだからとします。こうして、あなたは“身体組織の中の問題”を見つけ出すことができます。これは、伝統的な痛みの治療が、最も注目してきた領域です。これはしばしば、“生体医学的アプローチ”または、生物心理社会的モデルの生物という一部を取って“バイオ”と呼ばれています。損傷を受けている構造を探し当て、その修復に取り組むことです。 分析の“上位”の方のレベルでは、人間や環境などのより複合的な現象を見ていきます―思考や感情、社会的関係の役割など。これらは、慢性痛に非常に重要な影響を与えると知られている“心理社会的”な問題です。これらの分野における問題は、微妙で比較的分かり難く、骨折や損傷といったものより、調節不全や不均衡といったものが多くなります。このような問題は、もし下位レベルだけで探していたとしたら、見逃してしまいます。たとえば、足の評価によって破局的思考を見抜くことはできません― その人と対話する必要があります。 研究分野 各レベルをより深く理解するために研究できる、さまざまな学問が数多く存在します。これらはそれぞれ大きく異なったスタンスであることを覚えておいてください。二つ以上のレベルでかなりの知識を持てる人はほとんどいないでしょう。 下位の方のレベルでは、生体力学や運動生理学、神経動力学などを学び、それぞれの分野で、身体の物理的な構造が負荷に対してどのように反応するか(耐えきれず損傷を負うのか、または順応してさらに強くなるのか)をもっと深く理解できるようになるでしょう。 次に1つ上位のレベルに進み、神経系や免疫系、内分泌系などのもっと大きな体制の性状を研究し、そうすることで、身体がどのように知覚された脅威に対する防御反応を開始するのかをもっと深く理解できるようになるでしょう。痛みの本質は、警告です。神経系、免疫系、内分泌系は、警告の感度設定を担い、警告が作動するような出来事を探ります。“痛みの科学”の大半は、痛みに関係するこれら体系の基本的生理学の教育なのです。 痛みにおける感情や認知の役割を研究する、次のレベルである“人間”に進むことができます。これは心理学の分野で、この分野との関連性は明らかで、痛みは心理学的できごとであるということです。 心理学的概念は、なぜ運動や身体活動が痛みに役立つのかを理解する上で、たいへん役に立つことがあります。たとえば、認知行動療法は、エクササイズがどのように恐怖や痛みの連想を消し去ることができるのかを説明してくれます。多くの症例において、この概念は、筋群やレップ数、セット数を考慮した“下位レベル”に注目したものよりも、エクササイズプログラムの選択に役に立ちます。 社会体制と経済体制の役割を研究するために、さらに上位のレベルに進むこともできます。多くの社会的評論は、様々な慢性疾患(薬物依存症、不安症、うつ、慢性疼痛など)を引き起こすような実際の病理は、個人よりも社会レベルにより多く存在すると論じるでしょう。たとえば、社会経済状態の低さは、慢性疼痛の大きな予測因子です。この記事の読者のほとんどは、積極的にこのレベルで問題を解決しようと取り組んではいないでしょう。しかし、臨床上の結果に大きな影響力があることは、十分感じているでしょう。 異なるレベルを比較 “上位レベル”と“下位レベル”という用語は、いかなる価値判断を反映するものではありません。これらは、単に異なる視点を意味します: ひとつは、腱や筋のような単純なもので比較的小さなものなどの“マイクロ”的視点、もうひとつは、神経系や感情などのもっと大きく複合的なものを見る全体像や“マクロ”的視点です。 一般的に、ある問題を説明しようとレベルを下げれば、“還元主義”、そして、レベルを上げていけば“全体論”、または“体系的な思考”のアプローチとなります。 確認までに、ここでも、正誤を問う必要はありません― 適切なレベルは状況次第です。痛みに関する問題で、特に急性損傷に関するものであれば、下位レベルからアプローチした方が有効です― ここを強化して、ストレッチして、それをYレップでXセット、Z週間続けて、そうすれば治りますよ、といった具合に。一方、完全に“治癒”しないような問題もあります。たとえ心理療法士、ソーシャルワーカー、弁護士を含むチーム全体で取り組んだとしても難しいかもしれません。 そのスペクトラムの両端には、それぞれの費用対効果がありますが、つい最近まで徒手療法や運動療法は、下位レベルにかなり時間をかけ過ぎていたことは間違えありません。目の前にある実際の人間の問題を無視して、身体組織の中に問題を見つけようとしていたのです。もし“痛みの科学の革命”に何らかの意味があるのであれば、それはより上位のレベルでの基本的なリテラシーを改善しようとすることでしょう。
エクササイズ誘発による鎮痛
なぜエクササイズは気分を良くするのでしょうか?よく耳にする考え方は、エクササイズは“エンドルフィン”を与えるというものであり、この説明は実際に的外れではないようです。エンドルフィンという言葉は、内因性のモルヒネの略です。内因性のモルヒネは、動くと分泌されるかもしれない、オピオイド“薬物”です。この投稿では、身体の疼痛抑制システムの活性化を含む、“エクササイズ誘発による鎮痛”のさまざまなメカニズムについて詳しく説明します。このシステムは、ランナーズハイを得るためだけでなく、慢性的な痛みを防ぐためにも十分に機能する必要があります。定期的な身体活動は、その健康と適切な機能を維持するための最良の方法かもしれません。 痛みのトップダウン制御:下行性抑制 エクササイズ誘発による鎮痛の重要なメカニズムのひとつは、特定の脳領域が脊髄の侵害受容性信号を抑えるときに起こる、侵害受容の下行性抑制です。身体からのボトムアップ信号を受動的に反映するのではなく、脳には痛みを発生するかどうかについて能動的に発信する機能があることから、これは痛みの“トップダウン”制御と呼ばれています。 たとえば、緊急時に脳が生存のために走ることが必要であると認識したら、侵害受容を抑える下行性抑制システムを活性化させます(興味深いことに、この抑制は選択的であり、伝導速度が速いA線維よりもC線維が優先されます)。つまり、既存の組織損傷に関する“古い情報”は効果的に無視されますが、システムは新しい損傷に関する知覚情報には注意を払い続けます(Heinricher 2010) 。 下行性抑制システムは、一般的に激しい身体活動によって活性化されます。マラソン中(軽度の緊急事態と認識されるかもしれないもの)、足と膝は多くの侵害受容を発生しているかもしれませんが、高次脳センターがマラソンを完走することが価値のある目標であると判断した場合、その多くは抑制されます。驚くべきことでもありませんが、トライアスリートは、過給された下行性抑制システムを備えています:彼らはランニングから、本当の意味でのハイを得るのです。慢性疼痛や線維筋痛症の人たちは、このスペクトルの反対側にいます。- 彼らの下行性抑制システムはまったくうまく機能しないため、身体活動中に気分が良くなるどころか悪化すると感じることがよくあります。多くの専門家は、下行性抑制システムの挙動が、慢性疼痛を説明する上で重要な要素であると確信しています(Ossipov 2012、2015)。 下行性抑制に関与する主要な解剖学的構造 中脳水道周囲灰白色(PAG)は、その刺激が即時に疼痛緩和をもたらしたため、内因性の疼痛抑制システムを活性化することが最初に示された脳領域です(Kwon 2014)。PAGは、大脳辺縁系の一部や、感情、恐怖、および動機の処理に関与する脳領域から入力を受け取ります。これらのつながりは、思考や感情が痛みに影響を与えるメカニズムであると理解されています。たとえば、PAGはプラセボ反応に役立ちます。 PAGは、主に吻側腹内側延髄(RVM)への接続を介して下行性抑制に影響を与えますが、侵害受容を促進してしまうこともあります。侵害受容を促進するか抑制するかに関する判断は、侵害受容の意義とそれに対応する方法について、より高次の脳領域がそれをどう捉えるかによります(Melzack and Wall 2014)。 生命の維持のために痛みの反応や回復行動が起こるのを回避しなければならない、非常にストレスの多い危険な状況では、痛みの抑制が有益になることがあります。同様に、差し迫ってはいないが脅威が存在しうる状況では、痛みの促通は病気を患っている時には回復行動を促進し、警戒を高めることがあります(Heinricher 2009)。 RVMでは、痛みの調節を担っている2種類のニューロンが確認されています:オン細胞(on-cell)とオフ細胞(off-cell)です。オフ細胞は下行性抑制を担い、オン細胞は下行性促進に関与します(Kwon 2014)。オンとオフの動的バランスは、行動の優先順位、恐怖、および脳の高次構造によって評価されるその他の要因によって決定されます(Heinricher 2009)。促進に対するバランスの崩れが病理学的な痛みの状態の根底にある可能性があることが示唆されています(Ossipov 2012)。 下行性調節の主要なターゲットは、脊髄後角であり、末梢神経が脊髄に接続するところです。後角は侵害受容の“ゲート”として機能します。なぜなら、その感度は、侵害受容が身体から脳に伝達するかどうかを判断するのに役立つからです。感度は、上行性の感覚情報(末梢からの侵害受容の量)によって部分的に決定されますが、PAG-RVMシステムからの下行性調節によっても決定されます。したがって、不十分な抑制は、中枢感作および慢性疼痛に陥る重要な原因である可能性があります(Ossipov 2012)。 内因性オピオイド、カンナビノイド、セロトニン、カテコールアミンなど、侵害受容を抑制する働きをする化学物質は多種多様です。たとえば、オピオイドペプチドは、中枢神経系および末梢神経系の多くの部分でオピオイド受容体に結合し、これにより侵害受容器の興奮を低下させ、その発火を抑えます(Da Silva 2018)。 免疫系の変化 身体活動は、免疫系の挙動に局所的および全体的に複雑な変化を起こすことによって痛みに影響を与えることがあります(Petersen 2005; Sluka 2018)。たとえば、運動は筋内のマクロファージの表現型を調節することができ、炎症性サイトカインとは対照的な抗炎症サイトカインを放出する可能性を高めます。定期的な運動は、線維筋痛症患者および、健常対照群の血中の炎症性サイトカインのレベルを低下させる可能性があることを示す研究があります。他の研究は、定期的な運動が中枢神経系のグリア細胞の活性化を減少させ、炎症性サイトカインを減らし、後角の抗炎症性サイトカインを増加させる可能性があることを示しています(Sluka 2018)。 コンディション・ペイン・モジュレーション(CPM) 運動が痛みを消してくれるかもしれないもうひとつの理由は、コンディション・ペイン・モジュレーション、または“CPM”(広汎性侵害抑制調節または対向刺激とも呼ばれる)によるものです。 CPMは、“痛みが痛みを抑制する”現象を説明しています。 CPMはかなり研究が容易であるため、少なくとも70年間研究されてきました。実験は通常、次のようになります:(1)まず侵害刺激(圧力など)を受け、痛みのレベルを報告します。次に、(2)手を冷たい水に浸すなど、被験者を痛みを伴う“条件刺激”にさらします。そして(3)最初と同じ侵害刺激を与えることを繰り返し、その痛みのレベルを報告します。通常、2回繰り返すと痛みが薄れてきます。痛みの軽減の程度は、下行性抑制システムがどの程度機能しているかを示す尺度と考えられます。 CPMに関するいくつかの興味深い事実があります: CPMは、深部組織のマッサージや鍼、ドライニードル、補助器具を利用した軟部組織のマニピュレーション、フォームローラーなど、さまざまな徒手療法で痛みを軽減するためのメカニズムとして考えられます。これらの療法のいずれかがあなたの痛みを和らげてくれるのであれば、あなたは適切な運動から似たような効果を得ることができるでしょう。 CPMは、過敏性腸症候群(IBS)や顎関節症(TMJ)、緊張性頭痛、線維筋痛症、うつ病の患者では効果が低くなります(Yarntisky 2010)。 術前のCPMの有効性は、術後の痛みのレベルを予測するとされています。どのような患者が急性から慢性の痛みに移行してしまうかを予測します。(Yarnitksy 2010)。 CPMの効率は、エクササイズによる鎮痛作用の効き目を予測します。おそらく少なくともいくつかの共通のメカニズムよるものでしょう(Stolzman 2016)。 活発な活動を頻繁に行っている人は、活動が少ない人と比べCPMが向上しています(Sluka 2016)。 エクササイズによって下行性抑制を改善できるのでしょうか? 運動不足は慢性疼痛の危険因子であることや、運動が疼痛調節システムを刺激すること、および慢性疼痛を回避するためには健全なバランスがとれたシステムが必要であることは知られています。これは、定期的なエクササイズが疼痛抑制システムの適切な機能を維持したり回復させたりするひとつの方法であるかどうかという問題を提起します。 Sluka氏と同僚らは、その答えはイエスだと提言しています。 定期的な身体活動で、中枢性疼痛抑制経路と免疫系の状態を変化させ、その結果、末梢からの侵襲に対する保護効果をもたらします。 この議論を支持する根拠は、混乱と矛盾を招いていますが、いくつかの有望な結果があります。上記の研究に加えて、定期的な有酸素運動は線維筋痛症の効果的な治療であり、健康な人の虚血性疼痛に対する耐性を高めることができることも示されています(Sluka 2016、Ellingson 2016)。一方、有酸素能力は受けた刺激に応じた痛みのレベルを予測しないことがわかっており、いくつかの研究はエクササイズが線維筋痛症の痛みを引き起こしたり再発させたりする可能性があることを示しています(Ellingson 2016)。一般に、ほとんどすべての種類のエクササイズは、ほとんどすべての種類の慢性疼痛に役立つようですが、効果は小さい傾向にあります。 まとめ エクササイズ誘発による鎮痛は、ジョギングやウェイトリフトなどのセッションから一時的に心地よい化学物質を得ることだけではありません。むしろ、常に気分を良くするために適切な機能が必要なシステムを調整することなのです。 ここで説明されている生理学に関する注意事項:下行性抑制システムにおいてマイクロレベルで役割を果たしているそれぞれの物質のすべてについて学ぶことは非常に興味深いですが、それらはとても動的で複雑な方法で相互に作用していることを忘れてはなりません。したがって、個別の物質で分析しても、それらの集合的な影響を予測することは非常に難しいかもしれません。たとえば、セロトニンは状況によっては痛みを抑制しますが、他の状況下ではそれを促進します。これが、非常に特定の標的を狙った療法(特に薬物療法)にも関わらず意図しない効果をもたらしたり、むしろ意図した効果と逆の効果をもたらしたりする理由です。 私の考えでは、潜在的な身体的危険に直面したときに、自身に有益な動作を行うのに役立つという、下行性抑制システムが進化してきた意味に留意することが、より実用的な見方であると思います。下行抑制は、動きが侵害受容を引き起こしている場合でも、それらの動きに意味があり、本質的に動機を与えてくれる場合に、動き続けるためのものです。システムを正常な状態に保つには、可能な限り日常的にゴールディロックレベル(つまり、程よい強度)で、この機能を実行するようにし、その機能が向上しているか適応性を確認しましょう。 これは、筋や腱、骨、心血管系など、私たちが活動するための身体のすべてのシステム機能を改善する方法です。それらのシステムが上手く機能するための適切なレベルのチャレンジやストレスを与えられれば、それに対して機能はさらに向上されます。おそらく、同様のことが下行性抑制システムにも当てはまると言えるでしょう。心地よく、または少なくとも“良い痛み”を感じられる程度の運動を見つけ、それを頻繁に行いましょう。 参照 Da Silva Santos R, Galdino G. Endogenous systems involved in exercise-induced analgesia. J Physiol Pharmacol. 2018;69(1):3-13. doi:10.26402/jpp.2018.1.01 Kwon M, Altin M, Duenas H, Alev L. The role of descending inhibitory pathways on chronic pain modulation and clinical implications. Pain Pract. 2014;14(7):656-667. doi:10.1111/papr.12145 M.M. Heinricher, Tavares I, Leith JL, Lumb BM. Descending control of nociception. 2010;60(1):214-225. doi:10.1016/j.brainresrev.2008.12.009.Descending Ossipov, Morimura. Descending pain modulation and chronicification of pain. Curr Opin Support Palliat Care. 2015;9(1):38-39. doi:10.1097/SPC.0000000000000055 Petersen AMW, Pedersen BK. The anti-inflammatory effect of exercise. J Appl Physiol. 2005;98(4):1154-1162. doi:10.1152/japplphysiol.00164.2004 Polaski AM, Phelps AL, Kostek MC, Szucs KA, Kolber BJ. Exercise-induced hypoalgesia: A meta-analysis of exercise dosing for the treatment of chronic pain. PLoS One. 2019;14(1):1-29. doi:10.1371/journal.pone.021041 Price TJ, Ray PR. Recent advances toward understanding the mysteries of the acute to chronic pain transition. Curr Opin Physiol. 2019;11:42-50. doi:10.1016/J.COPHYS.2019.05.015 Sluka KA, Frey-Law L, Hoeger Bement M. Exercise-induced pain and analgesia? Underlying mechanisms and clinical translation. Pain. 2018;159(9):S91-S97. doi:10.1097/j.pain.0000000000001235 Ellingson LD, Stegner AJ, Schwabacher IJ, Koltyn KF, Cook DB. Exercise strengthens central nervous system modulation of pain in fibromyalgia. Brain Sci. 2016;6(1):13. doi:10.3390/brainsci6010008 Melzack and Wall. Textbook of Pain Ed. 6. Zhuo M. Descending facilitation: From basic science to the treatment of chronic pain. Mol Pain. 2017;13:1-12. doi:10.1177/1744806917699212 Yarnitsky D. Conditioned pain modulation (the diffuse noxious inhibitory control-like effect): Its relevance for acute and chronic pain states. Curr Opin Anaesthesiol. 2010;23(5):611-615. doi:10.1097/ACO.0b013e32833c348b Alsouhibani A, Vaegter HB, Bement MH. Systemic exercise-induced hypoalgesia following isometric exercise reduces conditioned pain modulation. Pain Med (United States). 2019;20(1):180-190. doi:10.1093/pm/pny057 Stolzman S, Bement M. Does exercise decrease pain via conditioned pain modulation in adolescents?". Pediatr Phys Ther. 2016;28(4):474. doi:10.1097/PEP.0000000000000313 Ossipov MH. The Perception and Endogenous Modulation of Pain. Scientifica (Cairo). 2012;2012:1-25. doi:10.6064/2012/561761 Yamamotová A. Mechanisms of exercise-induced hypoalgesia. Psychiatrie. 2018;22(1):33-38. doi:10.1016/j.jpain.2014.09.006.Mechanisms
スムーズな動きの科学
「スムーズさ」は熟練した動きの美しさの質を特徴づけるものとして広く認識されています。ロジャー・フェデラーがバックハンドでボールを打つのを見る時、彼の動作は滑らかで優美であり、そしてこれは彼が何かを非常に正しく行なっていることを示しているのです。そして間違いなく、ガタガタのストロークでボールを叩きつけるように、テニスの初心者がどうも非常に間違ったことをしていることを私達は知っています。熟練した動作の質はわかりやすく、そしてそれがスムーズであるということと何か関係があるように思えます。しかし、この捉えどころのない資質をどうにかして客観的に測る方法はあるでしょうか? バターの様に。 フェルデンクライス・メソッドの教育を受けたものとして、私はより簡単にそして滑らかに動き方を学ぶ方法がある事を知っており、そしてこれはあなたの身体的な快適さとパフォーマンスを向上できるものです。しかし、フェルデンクライス・メソッドは、客観的な測定によって動作の質を定義したり測定したりする方法を提示していません。そうではなく、動きの質は簡単なアセスメントによって測定するにはおそらく個体差がありすぎ、状況次第であり、そして複雑すぎることを認めています。 対照的に、グレイ・クックやシャーリー・サーマンといった多くの理学療法士達は、コーディネーションにおける「機能不全」を見極めようとする客観的なテストによって動作の質を評価することができると主張しました。しかし、研究は概してこれらの試みに対しては親切ではなく、一般的なコーディネーションスキルを科学的に測定するという希望を多くの人が諦めることにつながりました。 個人的には、私は動きの質がまさに現実のものであるということを疑ったことは一度もありません。これが実在することを証明するには、あなたはエリートバレリーナの流れる様な動作を見るだけで良いのです。しかし、客観的で、そして特定なテクニック以外で一般化できる様な方法でこの資質を表すことができるでしょうか? 最近の論文は、「スムーズさ」は全ての良い動作に必要不可欠な資質かも知れず、またこの資質は測定することができると主張しています。John Keily、Craig Pickering、そしてDavid Collinsによる、スムースさ:調和されたランニンングの熟練への未開拓な領域と呼ばれるその論文のリンクです。以下は簡潔な要約です。 スムーズさを定義する:最小限の躍度モデル スムーズな動きとは「ぎこちない」動きの正反対として最もよく知られています。スムーズな動作が滑らかな連続性の印象を作り出す一方で、「スムーズでない動きは、対照的に、突発的やとっぴな不調和、そしてバラバラでコントロールの予測ができない印象を残します」。 ぎこちない動きは、動いている身体の部位の加速の率または数として定義できるために、この区別は役に立ちます。したがって、スムーズさとは、最小限の「加速や相対的な関節の位置、または動作の軌道の突発的で、断続的で、とぎれとぎれの変化」を意味します。この加速は測定することができ、そして現在その測定は、ウェアラブルテクノロジーが広く利用できることでより実用的となっています。しかし、予備研究の結果が非常に興味深いのにもかかわらず、この様なデータを検証した研究は少々驚くべきことにほとんどないのです。 スムーズな動きについての研究 これまでの研究では、動きのスムーズさは、幼児の運動技能発達や歩行、筆記、ロッククライミング、ゴルフや投球などといった様々な状況における動作スキルの向上に沿って向上することを示してきました。例えば、熟練したゴルファーのゴルフクラブのヘッドの軌道は初心者のそれよりもよりスムーズです。さらに、機能の低下はぎこちなさの増大と相関があり、加齢や怪我、神経の損傷または運転時の注意散漫といった時に見ることができます。座位から立つ、または姿勢動揺といった動きにおけるスムースさのテストは、スポーツや日常生活の動作における怪我のリスクを予測することができます。 なぜスムーズさはそれほど良いものなのか? スムーズな動きは予測できる動きであり、そして予測できる動きはコントロールが容易です。これによってポジティブなフィードバックの循環を作ることができます:予測性の向上によってコントロールが容易になり、それによって動きがスムーズになり、それがまた予測性を向上させる、というように続きます。これが、スムーズに動く人は難しいタスクを簡単に見せ、ぎこちなく動く人では簡単なことが難しく見える理由です。 スムーズさと複雑さ 論文の筆者らは「複雑さの喪失」仮説について言及しており、この仮説は「複雑さの減少は神経生理的な反応性と適応範囲の低下を暗示している」と特筆しています。 なぜ良い動作は複雑である必要があるのでしょうか?なぜならスムーズな動きは、適切な軌道またはリズムからのズレを修正する能力から生じるためです。そのような修正は動きの変動性を必要とし、そして変動性がより大きいということはより複雑であるということを意味します。 熟練した鍛冶屋が、異なる振りの軌道で繰り返し目標物を叩いているところを写したこの古い写真を見てください。振りを開始するとすぐに、思い描く振りの軌道からの小さなずれが生じ、これによって何らかの形で修正する必要があります。このような変動はさらなる調整が必要であり、そのためそれぞれの振りはその前のものと微妙に異なるのです。したがって、あらゆるスキルにおける必要不可欠な要素とは、異なるコーディネーションのパターンを用いて同じ結果を得る能力と、動作中に調整する能力です。 繰り返しのない繰り返し。 これをランニングに応用すると、この考え方は、ストライドにおける変動性の喪失は、効率を低下させ怪我のリスクを増加させることを意味します。したがって、アスリートは痛みやけが、疲労や筋力不足などの、実行できる動作の選択肢の範囲を狭める、そしてそれゆえに複雑性を減少させるような状況に注意するべきです。反対に、アスリートは、フィットネスやスキル、筋力、快適さなどの向上を通して動きの問題を解決するためのより多くの方法を持つことで向上が期待できます。
ランニングテクニックを最適化する方法
多くのスポーツにおいて、フォームに対してしっかり取り組む必要があります。体操やゴルフ、またはテニスでは、ジュニアのトップ選手はプロを良く観察し、彼らの動き方を真似しています。彼らは、さらにコーチからの特別な技術的アドバイスも取り入れます。もちろん、これは動作が複雑で直感的でないスポーツで必要不可欠なことですが、ランニングのような自然とできるアクティビティではどうでしょうか?私たちは自身のストライドを分析する、または足の着地や、歩調または姿勢について専門家のアドバイスを用いるべきでしょうか? ランナーが、走動作のメカニクスへの変化が怪我の発生率を低下させたり、パフォーマンスを向上させたりすることができるかどうか、に興味を持ちだしたのは最近のことです。伝統的な取り組み方ではテクニックを無視し、十分な距離を走ることや、多様性練習、そしてもしかしたらAスキップやBスキップによってテクニックが最適化されると思い込んでいました。しかし、今ではランナーは、ポーズランニングやチーランニングといった形式モデルを含め、正確にどう走るかついての多くのアドバイスを見つけることができます。これらは、旧式の「ただ走るだけ」の方法に比べて何か効果があるでしょうか。ランニングに対する修正方法が流行になっているにも関わらず、これらは質の高いエビデンスによって強く支持されているわけではありません。以下は、関連した研究や理論考察のレビューであり、多くは私の新刊「Playing With Movement」から翻案したものです。 一部の動きは自然とできるようになるものでしょう。子供は、教えられることなく歩き方や走り方、スクワットの仕方を学び、そして上手によじ登ります。しかし、バックフリップやトップスピンをかけるフォアハンドストローク、またはピアノを演奏することのような、より直感的ではないスキルに対してはそうではありません。私たちは走るために生まれますが、ドリブルからスリーポイントシュートを打つために生まれたわけではありません。 移動運動は、あらゆる動物にとって非常に基礎的な生き残るためのスキルであり、そのため、それを調整するための神経システムの構造は原始的で、やや反射的で、非常に効率的で、そして多くの場合で無意識的です。一部の動物においては、移動運動のパターンは単純に脊柱の「中枢パターン発生器」を刺激することで引き出すことができます(1)。人間は歩行に対する中枢パターン発生器を有していますが、バックフリップに対してはなく、それが、子供が外で遊んでいるときにこの動作が自然と発生しない理由です。これに対して、もし子供がA地点からB地点へ速くたどり着こうと意欲的であるならば、彼らは教わることなくある程度のランニングテクニックを身につけるでしょう。彼らに必要なのは、様々な走り方‐速い、遅い、左や右、ターゲットを追ったり避けたり、様々な坂道や地形の上、で遊びまわることです。これによって、彼らの運動制御システムにランニングのあらゆる可能性を探求させ、それが最も効率的な答えを導き出し始めるために必要な全てのことなの です。 大人は子供ほどの可塑性はありませんが、時を経るにつれ、十分に多様的なランニングによって、そのことを考えることなく、無意識のうちにより上手い走り方を学びます。身体はエネルギーを節約し怪我を防ぐことに大きな優先権をおいており、そしてそれ故に別なことを考えているときにも、常に無意識により効率的に、そして安全に走ろうとしています。 しかし、意識的にテクニックのアドバイスを取り入れることで、学習プロセスを早めることはできるのでしょうか?例えば、ランナーはよく、ストライドを短くし、ストライドの頻度を多くし、かかとから着地しないようにと教えられます。一部の高いレベルのランナーはこれらのルールを守らないかもしれませんが、教科書のフォームに従うことでパフォーマンスが向上すると言われています。 この万人受けするアドバイスを懐疑的に思う一つの理由は、身体構造は皆異なるということです。したがって、私達はパフォーマンスと安全性を最適化させるためには、人々は異なる方法で走る必要があると予測すべきです。例えば、ウセイン・ボルトは微妙に非対称なストライドで走りを学びました‐彼は一方の足よりももう一方の足を少しだけ強く使ってスプリントをします。専門家は、このテクニックは、彼の身体の構造の小さな非対称性に対する賢明な(そして意図的でない)代償動作であると考えています。教科書を真似るためにそれを「修正する」ことは、おそらく彼を遅くしてしまうだけでしょう。この教訓は、具現化された「ボトムアップ」で、身体は移動動作の問題に対する巧妙な解決策を見つけるということであり、私達はトップダウンでの修正することによってパフォーマンスを向上させようという自身の能力について謙虚になるべきです。この見解は、人はその人にとって機能するランニングのスタイルを選択することが結構上手であるという研究の結果によって支持されています。 かかと着地についての研究 かかと着地はよくばかにされますが、それは怪我の発生率の増加とは関係しておらず、またそれはほとんどの人にとって、走るための最もエネルギー効率の良い方法なのです(2、3、4)。これが、エリートハーフマラソンランナーの75%を含む、大多数のランナーがかかと着地をする理由です(3、5)。さらに、ランニングフォームを修正しようとすることは怪我を予防することではなく、多くの場合でランナーを遅く、そして非効率にしてしまうでしょう(3)。いくつかの研究では、ランナーに対して、習慣的なストライド長を変えるよう依頼したところ、同じペースで走るためにはより多くの酸素が必要であることが発見されました(6、7)。例えば、16名のトライアスロンの選手が、かかと着地から前足部着地への変更を推奨するポーズ走法について専門家による監督を受けました。12週間後において、前足部着地は依然としてより効率が悪いものでした(8)。それどころか、変化させようという努力なく、単にランニングフォームへ注意を向けることは効率性の低下と関係していたのです(9)。これは、意識的に身体を意識することは硬くぎこちない動作を作り出すという運動制御についての一般的なルールにのっとっていて、よく分析麻痺と呼ばれます。しかし、もしあなたが動作の目的に集中を保てば、身体は自身をより上手に自己組織化できます(17)。動きをコーディネートする知能の多くは無意識であり、これは、移動動作のような基礎的な動作において特に当てはまります。 回内についての研究 回内についてはどうでしょうか?足の過度な回内はよくないものであり、足や膝、股関節さらには腰のオーバーユース傷害に貢献するかもしれないと長くにわたって主張されてきました。しかし、数十年の研究の末、過度な回内はけがのリスクと有意に関係していないようであり、もしそうであるとしても、走動作の修正によってリスクが減少するかどうかには疑問が残ります(11、12)。もし回内傾向が足と足関節の骨格の構造によって起こっているのであれば、これは変えることができるものではありません。もしかしたら、回内は装具によって改善できるでしょうか?装具がけがのリスクを減少できるということは事実です。しかし、装具が特注品か既製品であるかは関係がないようです(13)。 回内を和らげるように、特別に設計されたシューズを買おうとすることもできます。しかし、シューズが常に設計者が意図したバイオメカニクス的な効果を持たないということを研究は示しています。例えば、クッション性の高いシューズは地面からの衝撃力を和らげることはなく、何故なら、身体は地面からの一定量のフィードバックを「欲して」いるようであり、身体はクッションを通してもそれを得るためにより一層頑張ろうとします(14)。ランニングシューズ、走動作、そしてけがの関連性についての第一人者であるBenno Niggによれば、これは足に「好ましい動きの軌道」があるからだそうです(15)。したがって、ランナーが異なるシューズを履くとき、通常は、彼ら自身が好む軌道をたどり続けます(12)。この理論通りであれば、けがを予防するための最良のシューズは、好ましい軌道を促すシューズであり、単に最も快適な靴を選ぶことで決めることができます。Niggの研究の一つでは、快適さに基づいてインソールを選んだランナーは、対照群と比較して怪我が少なかったのです(16)。この研究、およびこの問題の複雑さを研究してきた40年以上の経験に基づくNiggのランナーに対する実践的なアドバイスはシンプルです:4つか5つのシューズを試し、店の中をジョグし、そして最も快適であったものを選びましょう。 ランニングでいろいろと試す この研究には、共通するテーマがあります:身体は安全で効率的な走り方に対する非常に良い直感的な感覚を持ち合わせているということ。身体は試行錯誤によって学習し、そして早く学習するためにあなたができる最良のことは、多くのボリュームと十分な多様性の中で多くの試行錯誤を行うことです。 これは、走り方についてのバイオメカニクス的なアドバイスを無視するべきだということを意味するのでしょうか?私はそうではないと思います。それを新しいランニングの実験に、あなたの身体をさらすための方法に対するアイディアの情報源として利用しましょう。意識的に新しいテクニックを5分間試し、その後それを忘れて自然に走りましょう。もし、新しいフォームについて何か使えるものがあれば、次の数マイルにわたって無意識的に取り入れる「感覚」を与えてくれるかもしれません。例えば、中足部での着地やステップ数を多くしたランニングは、必ず試さなければならないというものではありませんが、それらは間違いなく合理的な選択肢です。これは、あなたに膝痛があるならば特に当てはまることであり、何故なら前足部での着地は力学的なストレスを膝から遠ざける傾向があるからです。一方で、より多くのストレスをアキレスや足に移すため、一方が他よりも良いとは思い込まないでください(10)。 ここでの教訓は、多くの様々な走り方があり、そしてそれらにはすべて異なる短所と長所があるということです。あなたにとって何が最もよく機能するかを見つける最大のチャンスは、異なる地形や異なるスピードや疲労度、異なる靴など、可能な限り多く試すことで得られます。向上するにつれ、あなたの走動作は実に「教科書」のように見えてきますが、これらの変化は、意識的に「良いフォーム」で走ろうとすることではなく、具現化され根拠があり、より強固で持続可能といった方法で進化するのです。 参照 Kiely J, Collins DJ (2016). Uniqueness of Human Running Coordination: The Integration of Modern and Ancient Evolutionary Innovations. Front Psychol, 7(APR). Warr et al. (2014). Footstrike Patterns Do Not Influence Running Related Overuse Injuries in U.S. Army Soldiers. Medicine & Science in Sports & Exercise, 46, 812. Hamill et al. (2017). Is Changing Footstrike Pattern Beneficial To Runners? Journal of Sport and Health Science, 6(2), 146–153. Gruber et al. (2013). Economy and Rate of Carbohydrate Oxidation During Running with Rearfoot And Forefoot Strike Patterns. Journal of Applied Physiology, 115(2), 194–201. Hasegawa et al. (2007). Foot Strike Patterns of Runners at the 15-Km Point During an Elite-Level Half Marathon. Journal of Strength and Conditioning Research. 21(3), 888-893. Cavanagh et al. (1982). The Effect of Stride Length Variation on Oxygen Uptake During Distance Running. Medical Science and Sports Exercise, 14(1), 30-35. Hunter et al. (2017). Self-Optimization of Stride Length Among Experienced and Inexperienced Runners. International Journal of Exercise Science, 10(3), 446–53. Dallam et al. (2005). Effect of a Global Alteration of Running Technique on Kinematics and Economy. Journal of Sports Sciences, 23(7), 757-64. Schücker et al. (2018). Thinking About Your Running Movement Makes You Less Efficient: Attentional Focus Effects on Running Economy and Kinematics. Journal of Sports Sciences, 1–9. Payne et al. (2016). Barefoot and Minimalist Running: The Current Understanding of the Evidence. Revista Española de Podología 27 (1). Consejo General de Colegios Oficiales de Podólogos, 1–3. Neal et al. (2008). Foot Posture as a Risk Factor for Lower Limb Overuse Injury: A Systematic Review and Meta-Analysis. Journal of Foot and Ankle Research, 7(1), 55. Nigg et al. (2015). Running Shoes and Running Injuries: Mythbusting and a Proposal for Two New Paradigms: ‘Preferred Movement Path’ and ‘Comfort Filter.’ British Journal of Sports Medicine, 49 (20), 1290–94. Richter et al. (2011). Foot Orthoses in Lower Limb Overuse Conditions: A Systematic Review and Meta-Analysis—Critical Appraisal and Commentary. Journal of Athletic Training, 46(1), 103–6. Baltich et al. (2015). Increased Vertical Impact Forces and Altered Running Mechanics with Softer Midsole Shoes. PLoS ONE 10(4), 1–11. Nigg et al. (2017). The Preferred Movement Path Paradigm: Influence of Running Shoes on Joint Movement. Medicine and Science in Sports and Exercise, 49(8), 1641-1648. Mundermann et al. (2001). Relationship between Footwear Comfort of Shoe Inserts and Anthropometric and Sensory Factors. Medicine and Science in Sports and Exercise, 33(11), 1939–45. Wulf et al. (2001). The Automaticity of Complex Motor Skill Learning As A Function Of Attentional Focus. Quarterly Journal of Experimental Psychology Section A: Human Experimental Psychology. 54, 1143–1154.
姿勢、赤ちゃん、そしてお風呂の水
姿勢は議論を呼ぶトピックです。その痛みとの関連が“ペイン・サイエンス(痛みの科学)”愛好者たちによって適切に問いかけられてきた一方で、よりバイオメカニクス的思考の人たちは、お風呂の水と一緒に赤ちゃんも捨てられているのではないか?(何かを捨て去ろうとすることで、価値のある考えを失ってしまっているのではないか)と案じてきました。過去のポストで、私は本当に捨てなくてはならないとても汚いお風呂の水(不必要なもの)について書いてきました。このポストでは、私は赤ちゃん(大事なものが汚い水の中に一つあると仮定して)の取り扱いについて思うことを2,3個提供します。 幅広い研究が、姿勢のアライメントの客観的な評価尺度は、痛みとの相関は乏しく、もしあったとしても非常に低い相関であることを示しています。しかしこれは、姿勢が健康や、特にパフォーマンスと関連していないということを意味しているのではありません。姿勢は協調された動作の基礎となる部分で、赤ちゃんが学ぶ最初のスキルの一つです。わたしたちは、世界を見るため、腕と脚の動作を協調するため、重要な構造をケガから守るため、そしてバランスを維持するために、よく統合された体幹と首を必要とします。わたしたちは、最小レベルの姿勢のスキルがなければほとんど何もすることができず、もしエリートレベルのアスレティック・パフォーマンスを望むなら、そのスキルもエリートレベルに上げられなくてはなりません。 痛みに関して、姿勢が時に主要な原因になることは、よくある経験からも明らかです。たとえば、私は、カクテルパーティや博物館で同じ場所に長い時間立っていると、時々腰が固くなることに気が付きました。数分腰かけると、ほぼ即時にそれは和らぐのです。背中を丸めた体位が一番効果があり、そしてそれは私が長時間座りっぱなしの中で休憩をするための最も快適な方法でもあります。私クライアントには、文字通り全く逆の好みを持っている人たちもいますが、彼らが職場で立って使うデスクを使ったり、座っている間腰のサポーターを使うのはそのためです。 これらの話は、姿勢や痛みの研究と矛盾することは何もないのですが、それは人々がすべての体位において平等に快適であることや、あるいは様々な選択肢をあれこれ試してみても利益は得られないということをほのめかしているのではありません。姿勢をより快適になるよう調整することは難しいことではなく、多くの人々は無意識のうちに行っているでしょう。しかし、自己調整するという、わたしたちの生来の傾向は、必要としているフィードバックを姿勢への変動的な刺激という形で身体に与えなければ、悪い型にはまってしまう可能性があります。そして、もしわたしたちが自然だと感じるある姿勢を、間違ったもので避けるべきだと決めてしまったら、わたしたちは本当に動けなくなってしまうでしょう。意識的に姿勢をある仮定された理想へと型にはめようとすることは、それが剛性をもたらす傾向にあるため、恐らく良いアイデアではないのです…。 それでは、悪い姿勢の型からどう抜け出し、どう進展させていくのでしょうか?一つの方法は、あなたの姿勢が自己調整しやすい様々な制約を試してみることです。次の5つ:調整力、筋力、可動性、社会的状況、環境、そして痛みを再考察してみましょう。 調整力 姿勢のスキルを鍛えることに重点を置いた一般的なエクササイズ方法は、数多くあります。たとえば、ヨガ、ピラティス、または太極拳は、まさに様々な機能的状況において特定の姿勢のアライメントを維持することそのものです。あなたは機能的で健康でいるために、その特定のアライメントを必要としますか?恐らくそうではないでしょう。しかし、変動する状況下にてそれを維持しようとすることは、調整力を構築する一つの方法です。 移動運動は全て、腕と脚の動作と脊柱のアライメントとを調整する能力を要求します。それゆえに、クローリング、ウォーキング、ランニング、クライミング、そしてスイミングのような活動におけるあなたのパフォーマンスを向上させることは、あなたの姿勢を改善することにもなるでしょう。 姿勢のスキルは、バランスを維持できるようにすることでもあるため、それが体操、ダンス、あるいはスケートボードのようなバランスを要する活動を通して改善されると期待してもいいかもしれません。 筋力 重いウエイトを挙げているとき、速いペースで長い距離を走っているとき、あるいはパワフルな投球をしているとき、安全で機能的な姿勢を保持するのは大変です。アライメントを崩そうとする力に対抗する筋力が必要です。ヨガ、またはピラティスのように、多くのウエイトトレーニングエクササイズにおける”良いフォーム”とは、たいてい脊柱を長く維持することです。繰り返しますが、ニュートラルな脊柱のポジションは、安全で機能的なリフティングに絶対に必要だということではないものの、それを維持しようとする努力は、有益な順応をもたらすチャレンジなのかもしれません。 注意すべきは、リフティングで構築された姿勢のスキルは、状況に特定されているものだろうということです。フィットネスや筋力は、驚くほどコアの筋力を必要としない日常の活動において、姿勢の調整を阻害する要因にはならなさそうです。 可動性 姿勢におけるもう一つの潜在的な制約は、可動性です。たとえば、脚を伸ばした状態、あるいは脚を組んだ状態でも、床に直立して座るためには、股関節の関節可動域が非常に良くなければなりません。もしそうでなければ、ハムストリングスか殿筋が骨盤を後傾させ、それによって頭の高さを守るためには背中を丸めなくてはならなくなるでしょう。もし股関節の可動性を改善すれば、座る姿勢は瞬時に体幹をより垂直にしようと再調整し、快適さと効率が向上するかもしれません。しかしこの変化は恐らく脚を伸ばした状態の座位に特定のものであり、その他の姿勢には影響しないでしょう。 社会的要因 姿勢には、心理社会的な面があります。ボディランゲージは気分や自信についての社会的信号を送ります。10代の若者たちは、かっこよく見せるために背中を丸めるでしょう。おなかを平らにするためにおなかをへこませる人、優位性を示すために胸を張る人、または服従的になろうと胸を縮ませる人もいます。休暇中、ボディランゲージはよりリラックスして快適な気持ちを反映して変わるかもしれません。私はスーツやネクタイを着用しなくてはならないフォーマルな社交の場の後には、腰が疲れることに気が付きました。その場の何かが私の自然な動きを抑制し、文字通り固くなっているように感じさせるのです。 環境 注意と環境は姿勢を制御します。あなたがコンピュータのスクリーンを見るときに背中を丸める理由の一つは、そうすることによって注意の対象に近づこうとするためです。もしあなたが周りの広い世界に、遠くも近くも、上も下も、左も右も、そして背後にあるものにさえも注意を向ければ、あなたの頭は自然とより直立したポジションへと動くでしょう。今度ハイキングに行くとき、自分は手つかずの自然の中にいて、360度から来る潜在的脅威に注意していなくてはならないと想像してみてください。体幹と首の統合の無意識の変化に気が付くでしょう。 痛み 痛みは姿勢の主な制約になることがあります。わたしたちは本能的に痛む体位から逃げます。“ぎっくり腰”を持つ多くの人々は、彼らが無意識のうちに非常に湾曲した姿勢になっていることに驚くでしょう。姿勢のシステムは、痛みのある部分を守るために瞬時に再調整します。何か痛むのを止められたときはいつでも、姿勢のアライメントの新しい可能性を開いているのです。 要約すると、全般的な身体的機能を改善するためにできることはすべて、姿勢の統合をも改善するかもしれません。より垂直に見えるという意味ではなく、より機能的で住み心地の良い身体を持つという意味で。