ファンクションの基本原則

前出の記事において、ファンクションは私達の目の前に立っている個人によって定義されるため、ファンクションをテストする万能な方法は無いと主張しました。私達はまた、コーキネティックにおいて、私達が唱えるファンクショナル・ムーブメントの基本原則が、何がファンクショナルなのかを定義する手助けをしていると論じました。よって、今回は、私達が個人のファンクションを定義するために使用する基本原則について、もう少し話してみる価値があるであろうと考えたのです。 あなたがクライアントに対して何かをする前に、まず自問すべき最初の質問は、“なぜ、そうしたのか?”です。 多くの人達は、彼らが常に行ってきたことに固執し、他人が行っていること、彼らが雑誌で見たもの、その分野の“教祖”が行っていることに追随するでしょう。しかし、私達がいかなる技法を駆使する前に自問すべきことは、“それは、自分の基本原則に適合しているか?”ということです。 私達は、私達の評価、トレーニング戦略・技法が、私達の唱えるファンクショナル・ムーブメントの基礎、もしくは基本原則に適合するように、基本原則/戦略/技法の一連のプロセスを用います。これは、グレイ・インスティチュートの友人たちによって用いられているものと同様のプロセスです。これは、全てが、私達の唱えるファンクショナル・ムーブメントの基本原則に回帰することを意味しています。下記が私達の唱える基本原則のリストです。 ファンクションとは: 動的 タスク駆動的 統合的(関節) 3次元的 直立位 クローズド・チェーン 身体に作用する力 これは、誰かを治療、もしくはトレーニングしている際、それが彼らのファンクションの特定部位でないかぎりは、重力を避けるために仰臥位にさせたり、トレーニング機器の上に座らせたり、決して、身体や動作を単関節や単一面に分離したりはしないということを意味しています。言及したこれらのいかなる技法の使用にあたり、ファンクションの正当化無しに実施することは、私がとても大切に思っている基本原則に逆らうことになってしまうでしょう。 私がランナーをトレーニングするのであれば、ランニングは、圧倒的に片脚支持動作が多い(約85%)ため、片脚支持でのトレーニングにかなりの時間を割くようにするでしょう!統合された直立のキネティックチェーンとしてアプローチをします。ランナーの重力、地面反力、推進力への対処を向上させるために、これらの力を利用するでしょう。そして、ランニングは、これ以上ない程にダイナミックなものですから、可能な限り、動的に行いたいというのも確かでしょう。私は、ファンクションの基本原則、具体的には、ランニングのファンクションの基本原則に目を向け、彼らのトレーニング方法に関する思考プロセスを決定するために、それらを利用しています。 ここでもう一点、私は同様の一連の基準を使用して、評価したいのでしょうか?もちろんです!誰かをベッドに寝かせた際にも、同様の特定の回答を見出すでしょうか?もちろん、そうではありません。身体に作用する力と関節の統合が異なるとき、問題は異なったものとなります。特定の問題に対して、特定の回答が得られるように、間違った問題を問えば、間違った回答に至ります。評価がランナーのファンクションの特異性からかけ離れているせいで、問題が見つけられず、明確な手助けができないことが、多くのランナーが、慢性障害を抱えている理由なのかもしれません。 基本原則に基づいたアプローチを持つことが、コーキネティックにおける評価、治療、トレーニングの方法の礎を築いています。基本原則が無ければ、エクササイズや評価、戦略、技法を選択する際に、いったい何が導いてくれるのでしょうか?私達がクライアントに関わる際、私達の基本原則/戦略/技法の一連のプロセスが、“理由”と“方法”間の継ぎ目のない統合を可能にしています。

ベン・コーマック 1703字

ランニング中の背中の痛み。足の親指を疑ったことはありますか?

さて、今回の内容はランニング中の背中の痛み、腰痛や膝痛、そして足の痛みなどにも当てはまります。足の拇指、第一足趾の可動域は、統合された動きにおいて、前述の身体各部全てに影響を及ぼします。今回はランニング中に伴う痛みとパフォーマンスに関わる拇趾のチェックと、その対策を、テクニカルになりすぎることなく書いてみることにしました。 私は今まで、股関節の伸展可動域を向上させたり、腸腰筋や股関節屈筋群のストレッチに関する記事は数多く読みましたが、足の拇趾の股関節伸展や股関節屈筋群への影響に関して書かれたものはあまり読んだことがありません。 歩行のような、運動連鎖によって行われる動きでは、足の持つ可動域を如何に上手く使う事ができるかが、直接的に股関節の可動域に影響します。股関節を伸展するストレッチの多くは、膝を床につくことで足部から股関節を孤立させているようです。このようなストレッチは、股関節関節包等の構造のストレッチとして使うことができますが、キネティックチェーン全体を統合した動きのパターンを神経学的なシステムの中で作り上げ、統合的なシチュエーションにおいて、足部が股関節にマイナスの影響を与えていないかどうかを見極めることも必要です。 股関節伸展 生体力学 股関節に動きが起こることで、特に横断面においての、腰椎に対する動きの需要が低下します。股関節の矢状面、横断面の動きは密接にリンクしていて、股関節の伸展が大きくなればなるほど、骨盤は同側に向って、より大きく回旋します。 試してみてください!歩幅を大きくすればする程、骨盤は大きく回旋します。足を前後に踏み出しながら、骨盤を上から見るようにします。つまり、近位の骨盤が遠位で床に固定されている大腿骨(足部を介して)の上で回旋することで、股関節には、より大きな内旋が創りだされているということになります。股関節において、より大きな伸展、回旋を得ることにより、腰椎のエリアでの動きの需要は低下し、身体上部の構造をより健康に保つことに役立ちます。また、股関節周囲の筋肉の動きでフォースが吸収されることで腰椎の構造にかかるストレスは軽減されます。つまり股関節の伸展、股関節の動きは腰椎の健康にとって重要なことですが、そんなことは、皆さん、既にご存知ですよね! では、股関節伸展における足の役割とは何でしょう? より良い股関節伸展を得るためには、骨盤は、大腿骨に対して、前方に移動する必要があります。 歩行時、地面に固定されている後ろ脚の股関節屈筋群はストレッチされていて、その上を重心(骨盤)が通り過ぎる時、股関節屈筋群は爆発的に求心性筋収縮を起こすことで、股関節を屈曲し、前方へスィングし、歩行の新たなサイクルに入ります。 この爆発的な力の発揮がなければ、重心の移動も不十分なものになります。走ることの本質は、コントロールされた重心移動にあります。 これは、足部と脛骨によって大腿骨が地面にしっかりと固定されていれば簡単です。そのためには、拇趾の背屈可動域が充分にあることが不可欠です。可動域が充分にない場合、足部に足りない動きを代償動作で補おうとすることで、大腿骨と骨盤のポジションに影響を与え、股関節伸展にも影響が及びます。 代償性動作 母趾の背屈の可動域に制限がある場合、足を踏込む動作時に、足部が外転し、スピンをするように拇趾の内側で床を押すような代償動作がよく見られます。 この動きは、メディアルヒールウィップ(踵内側打擲)と呼ばれ、足部近位部(踵)は中心線に向って動きます。このような場合には、拇趾の内側、爪に近い部分に胼胝(タコ)が見られます。また足首の背屈に制限がある場合にも、回内の外転の要素で背屈の代償をしようとすることで、このメディアルヒールウィップが見られます。これが、拇趾の背屈制限の原因ともなり得ます。 このような回旋は大腿骨と骨盤にも影響し、骨盤や関連部位の構造に対して、より強い回旋力を生み出します。そのストレスが、横断面での股関節の動きによって軽減されない場合、腰椎や、仙腸関節の圧縮につながります。筋肉の動きを介して、ストレスを軽減できる回旋の動きの幅は、腰椎全部位を総計しても5度までです。球関節である股関節の横断面の可動域を考えれば、股関節の動きの必要性が理解できます。今回のケースでは、原因は、股関節ではなく、拇趾にあるのです!ここで解説した歩行のパターンを見てみると、足は外側に向ってターンし、臀部は、増幅された横断面の動きのために、一足早く、”外に飛び出す”ような動きをしています。 ウィンドラス機構 拇趾の背屈は足に強固さと安定をもたらし、効率的な股関節の伸展と推進力を生み出すウィンドラス機構にも貢献します。この観点から見ると、拇趾の可動域制限によって遊脚相に制限がおこると、拇趾の背屈制限は歩行のサイクルにおいて、反対側の股関節への身体上部から下方向へ向かっての動きの駆動にも影響を与えます。 拇趾の背屈がなければ、歩行中、片足立ちで身体の質量の衝撃が最大限に足底にかかる瞬間に、足底腱膜が短縮して抵抗することができません。つまり足底腱膜は、長期的に、過度な伸張力を受け、その影響で骨の異常発達や痛みを引き起こす可能性もあります。 ではどうすれば良いのでしょうか? まず拇趾の背屈可動域を確かめましょう。 これは自分の手で質的に測ることもできますし、角度計などで具体的な数字を求めることも可能です。もし動きが制限されてると感じたのであれば、まず体重がかからない状態で拇指を動かすことから始めてみてはどうでしょう。私は拇趾を背屈させながら手で第一中足骨を底屈させるよう押し込む方法が気に入ってます。また、関節を広げるために足趾を後ろに引っ張ることも出来ます。 私が使っている方法のひとつである“拇指マトリックス”は、偉大なギャリー・グレイから学びました。歩行時の片足支持と同じように足を地面につけた状態で、拇趾を背屈し、膝を動きの3つの面全てに向って駆動します。これによって、歩行時と同様に、トッダウン(身体の上部から下部への動きの駆動)で拇趾に動きが生まれます。 その次のステップは、足の動きを股関節屈筋群のストレッチに統合することです。つまり床に膝をついた姿勢ではなく、踵が地面から離れた状態で重心が拇指の上を通過するようにしながら股関節を伸展します。代償性動作が起こってないかどうか、あるいは足部や股関節の動きが減少していないかをしっかりと見極めてください!

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立位での股関節外転&内転アセスメント

ベン・コーマックが、上半身の動きで下半身の動きを駆動することで、立位での前額面における股関節の動き(外転&内転)の運動キャパシティーを評価する方法をご紹介します。

ベン・コーマック 6:49

痛みの科学の実際の適用に関する10のヒント

痛みの科学に関する知識は、パーソナルトレーナーから医師、外科医に及ぶ全ての人に向けた論文やブログと共に急速に成長し、話題は出回っています。身体に携わる全ての人なら誰もが痛みの仕組みについての基礎的な理解を持つべきである、ということが議論されるかもしれません。 私達は未だにこの分野において十分な理解に至っていないという批判もありつつ、極論から極論へと大きく振り子が振れるようになっている人たちもいます! この大量の情報を消化することが重要はありますが、私達はまた学問の、端末利用者(例えば、この全ての情報を理解する手助けをしたいとあなたが思う人ですが、この話題はなかなか難しいものとなります)にとっての現実世界での適用について考える必要もあります。 1. 痛みの科学は、言うべきでないことを私達に理解させる手助けをしてくれますが、言うべきことを理解させてはくれない。 かなり少なく見積もっても、痛みの科学をより理解することが、私達の言うことが、彼等が彼等自身と彼等の現在の状態の認識に著しい影響を及ぼすということに関する、より良い理解を与えてくれるはずです。残念ながら、以前にそれらの単語が何度も何度も使われてきたために、手助けになるというよりも妨げになる単語がしばしば、口にされてしまいます! 特定の単語を避けることは、有害なノセボ効果を作り出さない手助けになるかもしれません。 裂ける 破れる 不安定 損傷 変性 慢性の 位置のずれた これらの単語は、人々の能力、信念、回復への期待に関する認識を変える可能性を持っています。‘思考に影響を与えるウイルス’は、後ろ向きの信念や、どのようにそのウイルスが生じ、人々の間で伝えられているのかという点で、惑わされやすい言葉です。 では、私達は何を言うべきなのでしょうか?それはとてつもなく難しい質問であり、各個人間で異なるものです。決まったレシピは明らかに存在しません。 ですから、言うべきでないことを学ぶことはしばしば、良いスタートなのです! 2. テーマについてもっと学びなさい! 現在の私達の教育課程に関する批判は、大学レベル、あるいは傷害を扱う多くのコースにおいて、疼痛経験の背後にあるメカニズムに関して十分に教えていないということです。 いくつかの映像を見たり、ブログを読んだりし始める一方で、痛みの仕組みに関する実際的な知識によって裏打ちされた現代的な痛みの科学の概念が使用されるべきです。いくつかの話題の言葉、あるいは比喩表現は恐らく、対象者、特に扱いにくい問題に関して質問する癖のある対象者に理解させるには、十分ではありません。 ここに答え、あるいは説明の仕方を知っておく価値があるかもしれない、いくつかの質問があります: 痛みとは何か? 痛覚はどのように作用するのか? 中枢性感作とは何か? 末梢性感作とは何か? 疼痛経験に関与している脊柱上部のメカニズムは何か? 下行性抑制・促進とは何か? なぜストレス、状況、感情が疼痛経験に影響を及ぼすのか? 3. 痛みのような複雑なテーマの説明は、練習を必要とする。 人々は、専門家のように‘痛みの説明’をすることにプレッシャーを感じる可能性があります。まず第一に、あなたは基礎科学を必要とし、それを明確に話す方法を学ぶ必要がありますが、一晩でできるようになるものではありません。 アインシュタインの言葉のように、“もし物事をシンプルに説明することができないのであれば、あなたはそれを十分に理解していないということだ” 説明における複雑さと混乱は、理解する側の混乱と不確実性を引き起こす可能性があり、実際には、その人の疼痛経験を軽減するのではなく増大させるかもしれません。 それは、あなた自身の自信とコミュニケーション能力を構築するために、     ‘ライブの’環境から離れて実践されるべきものかもしれません。何度か大失敗をして、そこから学び、必要な時に使えるようにしておいてください! 結局のところ、優れた講演者は練習をしているのです。 4. いくつかの比喩が必要かもしれない。 比喩は、痛みのような複雑なテーマを理解するための、素晴らしい方法として奨励されています。毎日の生活の中で私達は多くの比喩を使用していることから、これはとても理にかなってはいますが、比喩の使用は、その比喩の受け取る側の以前の経験、文化的要素、教育レベル次第であるということを留意しておくと良いでしょう。 一つの比喩がうまく作用しなければ、別の比喩に切り替えてください。 5. 人々ではなく、概念に挑戦する。 達成しようとしている事の成功に不可欠かもしれない信頼関係を損なう優れた方法は、彼等に‘あなたは間違っている’と言うこと、あるいはバカにされたと彼等に感じさせることです。信念は強力瞬間接着剤のようなものであり、それに対する対立を加えることは、物事を急速に悪化させる可能性があります。何かがいっていないのであれば、止めてください。後でその話題に戻ってくることができますし、繰り返し提供することもできます。 6. あなたが言っていることを人がどのように認識しているかを常に解明すること。 これは非常に重要です。あなたが提供している情報が、あなたが全く意図していないこととして認識されているかもしれません!Kieran O’Sullivan教授は、“あなたは私が話したことを、あなたの家族や友人にどのように話しますか?”と質問するといった最善策を奨励しています。 これは、“彼等が、痛みの全ては、私の頭の中にあると言っていた”というような、‘思考に影響を与えるウイルス’に変化するまえに、あらゆる伝達不良が(うまくいけば)改善される可能性があることを意味しています。 7. レシピやプロトコルは無い−個体差がある。 ある個人に有効なことは、他には有効ではないかもしれません。恐らく、痛みの科学にとってのプラスは、よりプロトコルに基づいたアプローチのような、全ての人に対する特定のプロトコルを持つというよりも、対象者中心に向けられているということです。 心理学の分野から奨励されている戦略は、疑似体験療法や期待違反理論のようなテクニックを含みます。私達は、患者/クライアントが、特定の恐怖や信念が取り扱われたことを識別し、できれば抑制されたことに注意する必要があり、これは一般概念として見なされません。 8. 信念を変えることは瞬間的なプロセス、精密科学ではなく、ましてや常に可能なものでさえない。 第5項で述べたように、信念は厄介で、友人、家族、職場の同僚の間で(ドクター・グーグルではなおさら)人から人へと感染しやすい可能性があります。セラピスト、あるいはトレーナーとの会話が終わって外に出た際に、急に彼等自身の見解や考え方、または信念を変えることは滅多にありません。 それは、ゆっくりで多くの時間と労力を要するプロセス(恐らく!)であり、あるいは実際には決して起こらないことかもしれません。 9. 人々はしばしば、あなたがそばにいなくても直感的に真実を理解する 再概念化は、不思議な方法で、不思議なきっかけによって発生する可能性があり、頭にリンゴが落ちてくるのに少し似ています!あなたは、目の前で彼等が直感的に理解するのを待つとうよりも、提供している情報に関して、彼等が自身の気づきに辿り着くのを待つ必要があるかもしれません。 10. 言葉で言っただけでは組織に耐性はつかない BPSモデル(biopsychosocialモデル:生物心理社会モデル)における主要部の一つは、生物(biological)の“B”です。あなたが人々に彼等が虚弱ではないと理解させる手助けをすることができるというだけで、彼等が急に運動能力の強化を発現するわけではありません。あなたの運動量が少なければ少ないほど、運動における頑健さが損なわれる傾向にあり、それが実際のSAIDの原則なのです。 誰かがかつて述べた“言葉で言っただけでは組織に耐性はつかない”は、真をついた発言です。しかし、あなたは最初に、人にその作業をさせ、耐性をつけるように話をする必要があるかもしれません! 11. BPSモデルは、未だにソーシャルメディアから隔たっている少数派である 鋭い観察眼の持ち主の方、そう、すでに10のヒントについてを述べてしまいました!これは11個目です! ソーシャルメディアは、誰かが喜ぶような(そうでない人もいるが)、あらゆる角度からの痛みの科学で溢れているように感じるかもしれません。インターネットのより広い世界に入って、現実の世界に衝撃を受け、ゾッとしてください。痛みに関する医学界とトレーニング界で配信されている情報は、未だに構造的・生体力学的要因を用いた、かなり昔ながらのものばかりが推奨されているのです。

ベン・コーマック 3775字

ファンクショナル・トレーニングとは?

単純な質問をしたいと思います。ファンクショナル(機能的)とは何ですか? ‘ファンクショナル’は、様々な人にとっての、様々なことを意味していることから、私はこの問いかけをするのです。よく使用される用語でありながら、はっきりとした明確な意味を持たず、多くの誤解があるようです。コーキネティックでは、ファンクショナルという用語は、ひとつの意味を持っているものではなく、あなたの目の前に立って、あなたが評価、治療、トレーニングをしようとしている人に関連しているものです。 質問は、ただ単にファンクショナルというのではなく、“何のためにファンクショナルなのか?”、“誰のためにファンクショナルなのか?”である必要があります。BOSUの上で3つのダンベルをジャグリングしたり、スイスボールの上で膝立ちしたりすることは、ファンクショナルに対する、私の見解ではありません。あなたが、誰かがBOSUの上でテニスをしたり、スイスボールと共にランニングしたりするのを、最後に見たのはいつのことですか? ファンクショナルムーブメント=機能的な動きは、数えきれないほど存在しますから、様々なハードルや棒を用いる5~6種のスクリーニングでファンクションを定義しようとすることが、ファンクションが何であるかについての真の見識を与えてくることは決して無いでしょう。質問は、“あなたはファンクション(機能)をテストしていますか?それとも、ただ単にテストをテストしていますか?”ということです。あなたの行っているテストは、個人のファンクションに関連がありますか?他に行うべきテストが無いからといって、そのテストを行っていませんか? 私達は、身体の生体構造を鍛えることに、多くの時間を費やしています。これから、私達は、人々のファンクション=機能を鍛え始めなければなりません。生体力学や筋機能といった動きの解剖学は、それぞれの異なる機能において変化をするでしょう。単純な解剖学的モデルは、21世紀では、もはや有効ではないのです。私は、ボクサーにランナーと同じようなトレーニングや治療を施したいのでしょうか?決してそんなことはありません!研究を伴う特異性の原理は、一般的に、特定の動作パターンをトレーニングすることによる影響が、他の動作パターンに及ぶことは、ほとんどないことを示しています。これは、ボクシング特有のトレーニングは、ランニングパフォーマンスの向上には、ほとんど影響しないであろうということを意味しています。そして、それは、ベンチプレス、もしくはラット・プルダウンが、ボクサーやランナーに与える影響は、更に少ないということを意味しています。ただ単に生体構造を鍛えることが、トレーニング効果の繰り越しを生むことはほとんどありません! それが、私達が、コーキネティックにおいて、クライアントが自ら、彼らにとってのファンクションを明確にすることを好む理由なのです。クライアントの個人的なファンクショナル・ニーズを理解することによって、あなたは 極めて適切な、正真正銘の、特定のリハビリテーション、トレーニング、パフォーマンス・プログラムを作り出すことができます。クライアントを関わるトレーニングが本当の意味での、パーソナルトレーニングになるのです。 コーキネティックにおいて、私達が唱えるファンクショナル・ムーブメントの基本原則が、何がファンクショナルであるかを定義する手助けをしています。ファンクショナル・ムーブメントの基本原則の数例を挙げるならば、私達は、ファンクションは統合的、3次元的、タスク駆動的、動的であると信じています。これに生体力学の知識と加えることにより、私達は、クライアントのファンクションを本当に理解し始めることができます。速く、動的に、楽しく工夫された評価技法を用いて、実際にクライアントに動いてもうことによって、私達は人々の動作を評価することができます。それが、動作問題解決のプロセスであり、本質的かつ、特有のトレーニングなのです。

ベン・コーマック 1718字

骨盤前傾はじわじわとあなたを葬っているのか?

ほら、かなり引き込まれるセンセーショナルな見出しでしょう!引っかかりましたね! 私は、骨盤前傾(APT)と骨盤前傾が引き起こす可能性がある問題について、最近の議論に基づき、手短かにブログを書こうと思いました。これは決して独創的な投稿ではありませんが、すたることの無いテーマです。実際に、ただの理論ではなく、このテーマに関する研究に少し焦点を当てた投稿は、山のようにある、ストーリーとしか呼べないようなものと比較すると、大海の中の一滴にしか過ぎません。これらのストーリーは、“XがYを引っ張るとZ(一般的に痛み)を引き起こす”という生体力学的な理論が多い傾向にありますが、それを裏付ける真の科学的根拠の数があまりにも少ないのです。 その理論は、このような感じかもしれません:長時間の座位のせいで、股関節屈曲筋が緊張するため、腰椎前彎を増大させる骨盤前傾を引き起こし、腰痛を引き起こします。 控えめな骨盤前傾は、腰痛、鼠径部痛、股関節痛等、実に骨盤に近いどこかに少しでも関連のある、あらゆる痛みの原因として非難されます。身体の中間点であることが、非常に多くの事の原因になっているのかもしれません。 ‘ドクター・グーグル’(ネットで検索)やフェイスブック(もしくは同様のソーシャルメディア)をチェックしてみてください。非常に多くのくだらないものが次々に出てきます。これは、グーグルで“骨盤前傾”と入力した検索結果の1ページ目です。 最初に、骨盤傾斜に関して、何が正常で、何が正常でないか、少しでも多くの知識を持つことがここでは重要です。数多くの罪を着せられる可哀想な骨盤前傾は、これら全ての問題に関する利用可能な研究において、確かに、前彎増大というような関連因子や、関連性があり、無症状の集団よりも痛みがある集団の方でより高頻度に見られます。 この研究、”Assessment of the degree of pelvic tilt within a normal asymptomatic population ( 正常で無症状な集団における骨盤の傾斜角度の評価 )”では、これを正確に調査したかったのです。彼らは、無症状で痛みの無い人たちの骨盤傾斜に着目しました。 彼らは、私達のほとんどが骨盤前傾を有していて、実に85%もの男性が骨盤前傾を有していることを発見しました。つまり、ジムで男性を無作為に10人選んだら、8.5人は骨盤前傾であるということを意味しています。女性では、この数字は75%まで下がりますが、それでも大多数です。もし骨盤傾斜がこれら全ての痛みに対して非難されるのであれば、私達のほぼ全員が骨盤内や周辺の痛みで、苦しみ悶えながら歩いているのは間違いないのではないでしょうか?たった9%の男性が、伝説的な骨盤“ニュートラル”位を有しているのです!よって、再びジムで無作為に10人を選んだら、1人の男性の90%(一人未満)だけしか骨盤のニュートラル位を有していないことになります。女性では、この数字は少し大きくなり、18%まで上がります。 これは主に治療家やトレーナーによって、上記の研究よりも初歩的な方法で評価され、しばしば骨指標、すなわち上前腸骨棘( ASIS ) や上後腸骨棘(PSIS )、そしてお互いの関係性を確認することによって評価されています。 この研究、“Variation in Pelvic Morphology May Prevent the Identification of Anterior Pelvic Tilt ( 骨盤の形態学における多様性は、骨盤前傾の識別を妨げる可能性がある )”は、骨の前後・左右対称性において、かなり大きな多様性を発見しました。骨盤は全て具合悪いように思えるかもしれませんが、実際には、それはただ各人の自然な骨の形状なのかもしれません。おそらく、第一に多様性が問題ではないこの場合では、触診は骨盤前傾を計測するのに、あまり確実な方法ではないのかもしれません。 無痛であるためには、完全に対称な骨格と姿勢が必要であるというのは、私達の思い込みであり、私達の間に見られる姿勢ではなく、完全に対象な骨格と姿勢が生まれながらの正常なデフォルトであるというのは、間違っているのかもしれません。 姿勢に関して言えば、ニュートラル、あるいは整ったアライメントという考えは、身体をニュートラルに回復させる、あるいはバランスを保つことを目的とした、100以上の継続的能力開発(CPD)コースの数々を生み出しています。全てのエビデンスは、私達のほとんどがニュートラルではないという事実を示し、痛みに関しては、恐らく関係ないでしょう! 先程、お話したように、骨盤前傾は、腰椎前彎の増大によって腰痛を引き起こすとされています。この研究、 “Lumbar lordosis: study of patients with and without low back pain ( 腰椎前彎:腰痛を持つ患者と腰痛を持たない患者における研究 )”では、腰痛がある腰椎前彎の女性と腰痛の無い腰椎前彎の女性との間に、違いは発見されていません! この研究 “Low back pain and lumbar angles in Turkish coal miners (トルコ人炭鉱作業員における腰痛と腰椎の角度 ) ”も同じことを示していて、腰椎の角度と腰痛には相関関係は無いことを発見しています。 よって、私達のほとんどが骨盤前傾を有していますが、経験する腰痛とは相関関係が無いようです。 座位は、骨盤前傾の原因として非難される主なものの一つです。この研究、“Use of intermittent stretch in the prevention of serial sarcomere loss in immobilised muscle (不動の筋に置ける連続的な筋節喪失の予防における断続的なストレッチの活用 )” では、1日30分の、単に動くだけで得られるようなストレッチでさえ、関節可動域を維持するのに十分であることが発見されています。怠け者のろくでなしでさえ、ベッドから起き上がり、仕事へ行き、コーヒーを作り、夕食を調理したりします。おそらく、これだけでも合計すると、必要とされている30分になるでしょう。 この研究、“Effect of Changes in Pelvic Tilt on Range of Motion to Impingement and Radiographic Parameters of Acetabular Morphologic Characteristics (骨盤傾斜の変化がインピンジメントのある関節可動域に与える影響と寛骨臼の形態学的特徴のX線写真パラメーター )”では、動的な骨盤傾斜と大腿骨寛骨臼インピンジメント(FAI)の関係性に着目しました。彼らは、骨盤前傾の増大は、大腿骨寛骨臼インピンジメントの早期発生をもたらすかもしれないと提唱しました。 最初に、これは症状のある集団を用いた後ろ向き研究でした。前向き研究によって、理論に基づいた結論の信憑性が高まるかもしれません。 では、骨盤前傾と関連しているかもしれない大腿骨寛骨臼インピンジメントが、どのように股関節痛と関連しているのでしょうか?この研究、“Radiographic Prevalence of Femoroacetabular Impingement in Collegiate Football Players (大学フットボール選手における大腿骨寛骨臼インピンジメントのX線写真にみる有病率 ) ”では、なんと95%の無症状の大学フットボール選手が大腿骨寛骨臼インピンジメントを有していました。もしあなたがスポーツをし、骨盤の動的な運動を沢山経験すれば、何らかの形の大腿骨寛骨臼インピンジメントを有しているかもしれず、そして、それは痛みを伴わない可能性が高いのです。 私達はまた、位置と運動はそれぞれ別物であることに気付かなければなりません。私は、男性のわずか9%しか有していない、伝説的骨盤ニュートラルを有しているかもしれませんが、私の骨盤は動的に大きく傾き、それによって、私の股関節の骨の本質に影響を与えています。同様に、その姿勢の位置からあまり動くことのない、ほぼ静的な骨盤前傾を有しているかもしれません。よって、静的な測定は、動的な測定とはあまり関連性がなく、何らかの形式での動的測定のメソッド無しで得られる結果は、単に推測でしかないのです。私達は皆、推測や思い込みは全ての大失敗の元であることを知っています。 通常の臨床環境、あるいはジムの環境において、大腿骨寛骨臼インピンジメントの早期発生を予測する研究で使用された、時間のかかるスキャン検査とモデリングの全てが無い状態で、どのようにこの動的な骨盤傾斜を測定しますか? 私見ですが、私達の姿勢は、それが動かない時、より問題のある、関連性のあるものになるのではないでしょうか。私達は、姿勢自体が問題であると示す前に、静的な姿勢からの推測ではなく、その特定の姿勢が、実際に動き変化することができるかどうかを評価する必要があります。 最後に、多くの科学的証拠は存在しませんが(ちなみに、複数のエピソードは証拠ではありません、骨盤前傾は実際に“矯正”されることができるという話もあります。 あなた自身の、あるいはあなたのクライアント/患者の骨盤前傾にストレスを感じるのをやめて、より生産的に時間を使いましょう。

ベン・コーマック 4083字

リハビリテーションにおける教育 – それは一体何を意味するのか…?

教育、教育、教育。現代の筋骨格系の臨床に関連して、この言葉をどれくらいの頻度で耳にするでしょうか? ごめんなさい、間違えました。教育&運動、教育&運動、教育&運動 : ) いつだって答えはシンプルです! しかし、教育もエクササイズと同じように、非常に一般的な言葉で語られながら、実際に適用するためのフレームワークがほとんどないという問題を抱えているのです。どのガイドラインをみても、教育が治療の中心であるかのように示していますが、実際には何の方向性も示されていないことが多いのです。私には、セラピストが不確実性に直面し、より伝統的な視点に戻ってしまう理由が分かるような気がします。 では、教育とは何について? いつ? どのように? 誰に対して? よくよく考えてみるとこのような疑問が湧いてきます。教育はここ数年、痛みに関する教育に乗っ取られていますが、実際には筋骨格系の臨床の根幹を成しています......永遠に。教育については、私が授業でたくさん話していることですが、生徒は、“ベン、早く本当の治療の話をしてくれ、こっちは退屈しているんだ”と感じているのが私には伝わってきます。 教育が適切な治療と見なされますか? 私はまだ確信していません。 人は常に情報を求めてきた これは今に始まったことではありませんね! “私の今回の腰痛は、いつもより少し長く続いているので、診てもらった方がいいと思って”と来院される方がよくいらっしゃいますね。 例えば、腰痛は2~6週間続くことがあり、これは全く普通のことだと私達は知っています。しかし、これまで数日間しか問題がなかった人にとっては、おそらく少し心配になり、ストレスの多い状況で膨らんでくる心配を減らすために、何が起こっているのか知りたくなるのでしょう。 人々は痛みを取るために私達のところへ来るのは確かなのですが、それだけではなく、自分の問題やその意味を理解し、対処法を知りたいと思っているのです。 Louis Giffordは、多くの人の間でかなり普遍的な事柄を強調しました。それは何なのか? いつまで続くのか? それに対して何ができるのか? その他に私が定期的に受ける質問は、“XXXはまだできますか…”というものです。人々はまだ何かをしたいのですが、問題を悪化させたくないと考えています。しかし、しばしば、分別良く対処するための知識を得るよりも、怖くなって活動を減らしてしまいます。 教育かまたは知識の伝達か? 私たちは“教育”という言葉を使いますが、“教育”というと、学校でやんちゃな子供たちを前にした厳しい教師のイメージがあり、私たちが実際に行なっていることをあまり反映していないように思います。 教育とは、その人が問題を理解するのを助け、問題に関する不確実性や危険性を減らし、前進する道筋を提供することなのかもしれません。これは、従来の教訓的な教育モデルよりも、知識の伝達を組み込んだパートナーシップの視点と言えるでしょう。つまり、知識の伝達や意味付けという言葉の方が適切なのかもしれませんね? 私たちは何について‘教育’できるのでしょうか? (たくさんのこと、というのがシンプルな答えです・・・) それは何か? おそらく、人々が最も望んでいるのは、診断ではないでしょうか。診断名が分かれば、効果的な治療ができる、ということですね? そうかもしれません・・・しかし、多くの筋骨格系の問題では、構造的な観点からそれが不可能であることが分かっています。このような条件下で、私たちは、問題に対して前向きで一貫性のある説明が必要なのです。その中には、痛みに関する教育も含まれますが、痛みに関する情報が優先である必要はありません。 "非特異的な筋骨格系の痛みで、痛みの原因が明らかではなく、画像診断でも所見がなく、治療によって痛みが完全に緩和されるとは限らない症例では、特定の診断がなくても、具体的で明確、かつ一貫した情報が回復の助けになる“ Carroll et al 2016 回復にどのぐらいかかるのでしょうか? 腰や膝、肩の痛みなど、診断がはっきりしない場合、予後とそれに影響する要因を知ることが、とても役に立ちます。現実的な予測を設定することも重要です。期待値が高すぎると、それが達成されなかったときに失望することになりますし、低すぎると、それを取り組むモチベーションが低下し、成果が限定的になってしまいます。 それに関して何ができるのでしょうか? 健康やライフスタイル、エクササイズ、活動、自己管理など、私たちがお手伝いできることはたくさんあります。私が思うに、管理計画を効果的に作成するための手助けが断然不足しています。ここでもまた、これを治療と見なしてもらえるのかという疑問がありますね? 相手が知りたいことは何なのか? 実際に効果的な知識の伝達のためには、相手が何を知りたがっているのか、時間をかけて探ってみることが重要かもしれません。ただ情報を流すだけでは、重要な疑問が解決されないままになってしまうかもしれません。私たちが考えもしなかったこと、あるいは重要でないと思っていることで、他の人が抱いている疑問は非常に多くあります。もし、その人にとって重要なことであれば、私たちにとっても重要であるはずです! "あなたの問題で一番心配なことは何ですか?" "私に話しておきたい大きな悩みはありますか?" "この件で一番恐れていることは何ですか?" "私が今日お答えできる最も重要な質問は何でしょう?" 状況 私の友人であるJoletta Beltonが言うように、“生物学的、経歴的な意味”を持たせる必要があるのです。これが痛みの教育で大きく欠如していたことだったと私は思うのです。自動的にその人の話に溶け込めるわけではありません。パブで見知らぬ人が自分の人生について話しているときに、自分とは関係ない話をされているようなものです。自分のことばかり話す友人もそのひとつ例で、あなたはその場から逃げ出したくなるでしょう。 ですから、あなたの知識の伝達が、実際にその人とその人のストーリーに関連する形で行われるようにしてください。 失敗 私たちが役に立つと期待するものの中に成功しないものがあるのは、このためかもしれませんね? 例えば、何をすべきか、なぜそれをするのか、それがどのように役立つのかという知識がなければ、そのエクササイズは、その人とその人が抱える問題には関係がなくなってしまいますね? 私の失敗の多くは(プロとしての)、相手と治療哲学の点で一致しなかったことが原因だったと思います。私のビジョンと相手のビジョンが一致しないのは、私が、何を、なぜ、どのように、を‘教育’することができなかった、または失敗していたからかもしれません。 まとめ 教育 は治療です。 実際はどのような意味があるのか? たいていの人は常にセラピストからの情報を求めています。 教師のスタイルではなく、人中心で考えましょう。 何であるか?回復にどのぐらいの期間かかるのか?何ができるのか? 相手が知りたいことを見つけましょう。 状況に応じた情報を応用しましょう。

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レジリエンス:それは何か、そしてなぜ回復にとって重要なのか? パート1/2

レジリエンスとはセラピストによってより多く使用されるようなった言葉であり、流行用語かもしれないと示唆する人もいるので、この複雑な題材について私の考えを述べていきたいと思います。私は長らくこのことをブログに書きたいと思っており、そこで私が苦労したのはその記事を気軽なものに留め、学術的にしすぎず、そして何よりも長すぎないようにしようとしたことです。私は、集めたレジリエンスについての研究と個人的な経験のバランスを取ろうとしてみました。 本題に行く前に、このブログで私が主張したい3つの主な論点があります。 まず、レジリエンスとは男らしく(または女らしく)あることではなく、また、単に頑張り続けることではありません。それは人生においてポジティブな影響を与える特定の行動、精神面や身体面の重要性を認識する柔軟で順応性のある状態なのです。 二つ目に、レジリエンスとはレジリエンスであるとないという2つのみからなる状態ではありません。それは内的および外的な要因のバランスによって私たちが行き来する連続体なのです。 三つ目に、レジリエンスとは人によって見え方や感じ方が違います。あなたがレジリエンスとみなすものは、あなたが関わっている人と同じではないかもしれません。 レジリエンスとは何か? レジリエンスはSturgeonによってここで次のように定義されています。 「著しい困難や難題にもかかわらずポジティブな身体および感情的な機能を維持すること」 したがって、レジリエンスとは身体面および心理面の両方におけることなのです。しかし、この二つを切り離さないことが重要です(痛みと同様に!)。身体的なことにおいて多くの場合でレジリエンスを表しますが、そのためには強力な心理的な構成要素が必要であり、多くの心理的な利益をももたらすのです。 これも良い記事です。 Karolyはここでレジリエンスを次の様に定義しています。 「ストレスの多い環境や内的な苦悩にさらされながらも効果的に機能する」 両方の定義は「機能」および「痛みにも関わらず」という言葉を用いています。 これは、レジリエンスを様々な人において全く異なってみえる、非常に個体差のあるものとします。私たちに対してレジリエンスを表すものが他の人に対しても同じだと推測するという間違いを犯してはいけません。 痛みは多くの人にとって間違いなくストレスの多い状況であり、そしてそれが私たちの機能を妨げる時に実に問題となります。しかし、痛みというストレス要因に注目することはこの問題の一部かもしれません。本質的に、レジリエンスとは痛みの問題ではなく機能の問題としてとらえられるべきです。痛みという、多くの人(患者とセラピスト)が注目しえるものではなく、機能の認識と関連が重要な焦点とならなくてはならない(私の見解では)ことから、これは重要な区分けなのです。 Sturgeonはこの様に述べています: 「慢性痛の様な慢性的なストレス要因をコントロールしようとすることは、多くの場合で非生産的であり、ストレス要因のネガティブな効果を深刻化させることもあるでしょう」 持続可能性 GoubertとTrompetterはここで持続可能性のコンセプトを紹介しています;これは次の様に定義されています: 「逆境の中でも人生のなかで長期的なポジティブな結果に向かって行動する能力」 持続可能性は、痛みそのものよりも痛みを持つ人を対象にします。機能の回復よりも先に痛みが引くことに注目することもあるかもしれませんが、私たちはこれをレジリエンスを介して機能することを最初のステップとして逆にとらえることができるでしょう。 リスク要因よりもポジティブな特性に目を向けるために、持続可能性のコンセプトは重要です。これは、病気よりも健康に焦点を当てるAntonovskyの健康生成論のアプローチ(このリンクより)に少し似ています。 レジリエンスをまとめると、それは痛みや痛みに耐えることよりも、より人と機能に関したことです(私の見解です)。どのような痛みやケガに取り組むこともレジリエンスのいくつかの要素を必要とします。最も起こりやすい痛々しい問題の一つである急性的な腰痛は、腰痛の治療の最初の選択が、活動的であり続け、通常の活動に取り組みましょうというアドバイスを伴う、レジリエンスの必要性を示すいい例となるでしょう(このリンクより)。 もしかしたら、最初のレジリエンスは、より頑固な痛みの状態への移行を仲介するのでしょうか? 適応性と柔軟性 レジリエンスとはレンガの壁のようにとらえられるべきではありません。レジリエンスのある人とは、ただ単にどんなストレス要因にも影響されない不感な岩のような人ではありません。それはタフネスのことではなく、柔軟に適応できる状態のことなのです。 それは全く逆かもしれません。レジリエンスのある人たちは助けを求めようとするのに対して、強く寡黙なタイプは外見ほどレジリエンスがなく、助けを求めることで弱くまたは傷つきやすく見えることができないかもしれません。レジリエンスとは、圧力弁を開けて過剰なものを解放し、ストレスを減らす、またはストレスの多い状況でバランスをもたらすものを見極めることでストレスを減少させる能力のことかもしれません 痛みの軽減vsレジリエンス 長い間、セラピーは痛みを軽減することに駆動され、そしてこれが人々がケアを求める理由となっていることに疑いの余地がない一方で、 人々は痛みが彼らの生活や機能を妨げているという理由でもケアを求めており、もしかしたらこの理由のほうが大きいのかもしれません。 このFerraraによる研究では、痛みの強度よりも身体的な障害がケアを求めるより大きな理由であることを発見しました(このリンクより)。 レジリエンスを理解するためには、私たちの患者の機能と、彼らが何をレジリエンスを表すための主なマーカーとしているかを理解することを理解しなければならないのかもしれません。一般的にVAS(視覚的アナログスケール)のスケールと筋力といった身体的な数値が医療の成功を計測するために用いられてきました。しかし、これらの数値は、重要な活動やその人にとってレジリエンスが意味するであろうことをとらえているでしょうか?おそらくそうではないでしょう。この研究は、医療的に計ることができるものに対する人々の実際の目標というこのような題目について注目しています(このリンクより)。 そこで人々がレジリエントであるように手助けをするための良い出発点は、彼らがレジリエンスをどのようにとらえて、効果的に機能することをどのように定義し、そしてどのように彼らの現在の状態と望む状態の溝を埋めるかということを見つけ出すことでしょう。

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エクササイズ処方の神話

始める前から問題への答えを持ち合わせていることはいいものです。考えなければならないような厄介で不確実なものを拭い去ってくれるという点で、エクササイズ処方という考えが、非常に魅力的である訳です。 しかし、患者の2回目の来院時に多くのセラピストが患者に尋ねる最初の質問のひとつは、“これらのエクササイズはうまくいきましたか?”ということだと思います。そして、私たちは答えが欲しい一方で、心の底では、物事が必ずしも私たちが望むようにうまくいくとは限らないと経験から分かっているのです。 では、私たちはなぜそれを処方的と考えるのでしょうか。あなたが対応しようとしているのは、症状なのか、評価基準なのか、または異なるニーズと機能を持つ実際の人間なのでしょうか? 私にとってリハビリとは、最初に設定された一つの処方的な手段ではなく、むしろ徐々に改善されていくような適応的な過程です。選択した成果に対する反応を測定しながら、繰り返し行う過程で加減したり作り変えたりしていくものです。強度、頻度、種類すべては、その人によって変化させ、彼らのニーズや要望に応じていつでも調整することができます。 私の個人的な意見として、それを心地よく感じられることは、積極的な運動ベースの介入に取り組むためのカギになると思います。 評価というものも、改善するためのひとつのプロセスです;新しい情報が明らかになったり、仮説が期待どおりに展開しなかったりした場合、問題となっているものは何かについての考えが変わる可能性があります。とにかく、私たちがしているほとんどのことは、とにかく情報に基づいた試行錯誤なわけですから、とうとう言ってしまいました! 初回の介入とそのパラメータは、単なる始まりに過ぎず、次に何が起こるかを確認するための試行であり、情報に基づいた推測でさえありますが、このことは実際、あまり話題になっていないようです。処方は、私達が認めたがるよりも、より提案に近いのでしょう。(大変面白いトレバー・ノアが、南アフリカでは信号機を“提案”であると解説するのに、いつも笑ってしまいます)。 身体的適応のためのエクササイズでさえ、処方的ではなくなってきています。身体的な適応は、非常に幅のあるレップ数と負荷で得られる可能性があることが分かってきています。努力と強度が身体的適応のカギであるように思われます。多くの場合、リハビリ研究では決して測定されないパラメータです! 学習過程 セラピストもその患者も、このことを学習プロセスとして見るべきです。これは、失敗でも、内省的でも、何もわからないことの現れでもありません。私たちが事前に答えを持ち合わせているという考えは、しばしば有害になることもあります。そのことによって、セラピストが自分の能力に自信を失い、リハビリの現実とは異なる期待を生み出す可能性があるからです。私たちは多くの場合、痛みと機能回復の間でどちらかを達成するためにどちらかを犠牲にしながら、試行する必要があります。 データ 研究データは、少し切れ味の悪いツールとして使用されることもあります。もちろん臨床経験も同じです。それぞれの患者特有の症状や治療および治療の効果はすべて、論文に書かれていることと一致すると想定してしまう可能性があります。しかし、データの報告の詳細を見ると、すでに設定されている変数の推定値があり、実際の患者にどのように効果があるかは、やはり適用前ではなく、適用後にしか知ることができません。 私たちの患者と彼らが紹介する症例は、研究では必ずしも正確に反映されていない可能性があります。どの論文も調査対象が人口全体でなく、ごく一部を対象としているため、信頼区間というものが設けられているのです。データを患者とマッチングさせるのが、臨床における課題です。 「研究の視野を広げる」は、ロジャー・ケリーの素晴らしい論文です。 “酔っ払いが灯かりを求めるためでなく、体を支えるために街灯にしがみつくように、統計学を使う人がいる” A. E. Housman また、現代の生物心理社会的な理解では、私たちが直面する多くの問題に対して、文字通り処方することなんてできないということを認識する必要があります。前にも言った通り、私が取り組んでいる主要なことのひとつは、身体を使って再び物事に従事する自信です。そのための処方は何でしたか? また、論文では、どのようなことをしたかについて明確な概要が示されていないことがよくあります。多くの場合、彼らは、別の論文や決して一覧されることもない付録を見るようにと指図します。それを実際に見てみると、強度や休憩時間などの重要な変数が欠落していることがよくあります。そのため“エビデンスに基づく” リハビリは、多くの場合、みなさんが考えているものとはまったく異な流ことが多いのです。 研究におけるプロセスが必ずしも臨床のプロセスを反映しているとは限らないと言ってしまうと、意見が分かれますかね? これはひとつのプロセスです 残念ながら、臨床的推論はカッコよくありません。治療が効くか効かないかを明白に示す方がかっこいいですし、その方が共感を呼びます。臨床での取り組みのニュアンスは、しばしばなおざりにされ、偏見と二極化に支配されます。臨床的に難しいのは、研究に基づく情報を、個人の症状や経験/信念などと調和させることです。 ただし、これは1回限りの取引ではありません。推論と改善のプロセスは、ケア期間を通して継続する必要があります。単に診断して初期評価で処方、ということを繰り返し行うだけではありません。 ツイッターでの会話でとても素晴らしいコメントがあったので紹介します: “エビデンスに基づく臨床とは、利用可能なエビデンスをやみくもに患者に投げつけることを意味するのではなく、来院するすべての患者それぞれに合った最適な戦略を見つけるための繊細な調節をするプロセスです”-Nihar Palan 私の意見として、偉大なセラピストは最高の処方や計画を持っている人ではなく、計画的に進まないときに何をすべきかを知っている人です。対処しなくてはならない状況や人の変化に応じて、適応し調整することができる人です。 他の方法 1. 臨床的推論 研究データ 病歴 検査 診断 適用 2. 反応 成果はなにか? どのくらいの期間がかかったか? 3. 適応 同じことを続けるか、または、変えていくか? 何を変えますか? 結論 処方とは、実は提案です 私たちは反応に基づいて時間をかけて改善していきます 実際、情報に基づいた試行錯誤です 研究は、明らかに結果のバリエーションが反映されます 研究では、処方に関して明確に示されないことがよくあります 適応方法を理解していることがスキルであり、フローチャートに従うことではありません 推論、反応 & 適応は、より優れたモデルです

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筋肉の孤立?あなたはそうやって動作を覚えましたか?

今回のブログは昨日子供を公園に連れてった時に思いついた事をまとめました。特に科学的事実に基づいてるというわけではないのですが、個人的に伝えたいことを書いてみました。 私の息子は今16ヶ月を迎えたところですがその成長のスピードには目を見張るものがあります。特に言語と動作・身のこなし方の二つの分野での成長は著しく、息子の成長過程をみるにつれ、私たちがどうやって人の動作やそれに関する問題を矯正し、より効率よく動く事を教えることが出来るのか、について考えさせられました。 よく私たちは、動作の機能不全の原因は“特定の筋肉が電気信号を正しいタイミング・強度で発していない事”(筋繊維動員)や、違う筋肉が本来すべき筋肉に代わりその働きをしていることに起因すると聞きます。そこで正しい“筋繊維の動員”という名目の元、人を横たわらせ、様々な部位を突っついたり、今までにしたこともないような動きをするように命じることで筋肉の動きを誘発し、問題を矯正しようとします。この”筋繊維動員パターン”という用語は私のブログに関してグーグルでもっとも検索されている用語のひとつですが、そこである疑問が浮かびました: 人は最初からこういう特別な意識をもって動作を覚えたのだろうか? きっと、違うのだと思います。前述されたような筋動員テストは特定や細かな動きを求めていますが、息子の動作や言語に関する成長において、私が一つ気づいたのは、それらは特定されず大雑把に習得されていくという事。彼はまず大まかな動きや声を出すことを覚え、それらを土台に複雑な言葉や動作を習得していきます。その基本的な動作などを体に染み込ませ、生涯をかけて磨きをかけ、改良していくのだと思います。 身体の動きの中で特定の筋肉のみを孤立して動かすことはできませんが、特定な動きを孤立することは出来ます-例えば股関節の外転のように、関節周辺の筋肉が調和して働くことで、特定の関節に孤立した動きを起こすことはできます。しかし、私の息子が、横向きに地面に寝そべりながら脚を外転したり、ブリッジの体勢で臀部の筋肉を狙って緊張させたり、ハーフスクワットのように屈みながら横歩きするのは見たことがありません。彼が特別なだけなのかもしれませんが、私は今まで他の赤ちゃんがこういう特定な動きを狙って行っているところを見たことはありません。(その分野での私の見識は限られてはいますが) では、元々細かな意識で動作を学習していないのに、なぜ私たちはそのような方法で動作を学びなおそうと試みるのでしょうか? 今、私の息子は世界と触れ合いながら様々な仕草や実用的な動作(そのほとんどは現時点ではあまり使えないとは思いますけど!)を覚え、これからの人生の糧となっていくであろう膨大な貯えを養っています。寝返り、這うこと、歩くことを学び、そして走ることを学ぶようになります。しゃがみ、立ち上がり、身体を起こし、よじ登り、これら全てを深く考えることなく、様々な方法で学びます。そして私達からしてみれば簡単な動作である、物を拾い、落とす仕草を繰り返して、彼の運動制御系統が発達しているのがわかります。やがて、これらの作業の難易度は増し、早くなり、無意識な状態で行われるようになるのでしょう。 これが、完璧で、深く考えられた、機能的とはいえない孤立した筋肉の動員を通して動きの矯正をしようとする私達の試みに、どのように関連づけられるのでしょうか?関連性はあまりないですよね。息子は遊びながら、探求心をもって様々なことを学ぼうとしています。私たちの脳は新しい動きを好みます-特にその動作の種類、また引き出しが日々の生活やその繰り返しの中で失われてく日常生活の中では。 これら全ては息子の脳に神経可塑性の変化を生み出し、生涯にわたって神経レベルでの発達を続けていきます。ニューロンは共に発火し、配線されます。動きのパターンの中で同時に働くニューロン数が少なければ、共に発火、配線するニューロン数も少なくなります。筋肉を孤立させようとする、というよりも、動きを孤立させようとすることで、私達は運動パターンの連結も、なめらかで可変的な運動学習の環境をも損なうことになってしまうのです。 私たちが時に問題に直面するのは、細かい動作の欠落が原因ではなく、もっと単純で根本的な、幼少期に覚えたはずの動きをどこかで失ってしまうからではないでしょうか。 私達の動きの能力が、日々の暮らしの中で、徐々に衰退していくこともあります。座位中心、不自然で型にはまったエクササイズ、特定の筋肉のみを活性化しようとするエクササイズ等のために。私達は、子供の頃のように遊び心を持って、体の動き・動かし方を探求することで、動きのポテンシャルを模索しようとすることをしなくなっています。 神経可塑性の変化が常にポジティブなものであるとは限りません。 神経学の表現で“使うか失うか”というものがありますが、これは使われていない神経接続は時と共に失われていくことを表してしています。これは、私たちが、幼少時に遊び、模索しながら培ったものに対しても言えることでしょう。 私たちは失敗を通して学びます。失敗は、私達が学習の過程で通り過ぎる、生物学的に必要なものです。最初から完璧な動きができるのではなく、常に新しい動作や流れを覚えたりします。私たちは、完璧なフォームでエクササイズや動きが実施できないのであれば、実行する価値がない、と感じてしまいがちです。どんなスポーツを習うにも、最初のうちは、上手くできるわけではなく、我慢して努力して上達しようとします。私達は、最初から、完璧な運動パターンや筋肉を活性化できるわけではなく、出来の良くない状態からスタートし、関連性のある動きを学習しながら徐々に上達をしていくのです。 私達は賢くなりすぎて、それが逆に私達の首を絞めているのでしょうか?私たちの人体の解剖学に関する知識は膨大になり、人体解剖を行い、身体中の筋肉の付着部や働きに関する詳細を素晴らしいイラストレーションで伝える分厚い書籍が出版されています。それ自体は素晴らしい業績ではありますが、臨床や、エビデンスを基本とした研究などによって実証された手法によって、何をすれば良いのかを判断する指標としている風潮もあります。これでは、どこかポイントがズレてしまってはいないでしょうか? 私たちが、どのようにして運動コントロールを学習してきたのかを鑑みることをしなければ、進化はそこで止まってしまうでしょう。なぜなら自然は、あらゆる変数を計算しつくし、何億年もの時間をかけ、もっとも実用的で、効率的な人間の身体を作りあげてきたからです。 私達は、三次元の環境に存在する私達人間のスピリットや、多面的な動きの能力を大切にする替わりに、ある意味、本能に逆らうように、調査に調査を重ね、身体を複雑化しているようにみえます。 私達に、一番問題が少なく、身体が自由に、痛みなど無く動いたように思えた時代を振り返ってみましょう。赤ちゃんのようにスクワットをすべきだとか言っているわけではないのです。ただ、私達が動きの基本を形成した運動学習の時期を振り返って、どのように行ってきたのかを伝えているだけなのです。 あまり科学的な内容ではないことをお詫びします。ただ考えていたことをシェアしたかったので。

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痛みと予測 パート4/4

生体力学の関わり 私達が自問自答しなければならない疑問は、構造的生体力学モデルの関わりについてです。構造的‘異常’は、運動制御の‘順’モデルを考慮に入れる際、私達が見込む予測可能な方法で動作を修正することはできないかもしれません。私達が、痛みを動作と体組織への実際の影響として考えるのではなく、痛みを予測や運動指令と関連していると考えるならば、それは、もしかしたら私達に、生体力学的/デカルト的フィードバックの視点を考え直すことを余儀なくさせるに違いありません。疑問は、“動作は痛みを引き起こしているのか、それとも痛みが動作を修正しているのか”ということです。体組織の潜在的知覚の変化は、施術者によって異常、もしくは損害を与えると見なされる特定の動作よりもむしろ重要なのかもしれません。 表現がより良ければ、予測もよりより良いのでしょうか? 私達の神経構造と神経構造の組織は、私達が記憶-予測モデルを考察に含める際に、いかに未来の事象を予測するかに関して重要だと思われます。 バトラー、モーズリー、フロアー、ラマチャンドランやその他の研究者によって、私達の体部位再現は、慢性痛の状態に関連しているとされています。 モーズリーとフロアーは、“慢性痛の治療における皮質表現へのターゲティング:総括”(2012年)の中で、下記のように説明しています: 科学的根拠の大部分は、慢性痛は、身体に関連する皮質表現領域の障害に関連していることを明らかにしている。そして、この障害が慢性痛の一因となっている、もしくは保持しているという科学的根拠がある。 私達は、未来レベルの体組織への脅威や危険を予測するために、これらの表現を利用しているかもしれません。そして、重要な変化が、慢性痛を患っている人たちの疼痛部位において、確認されています。痛みが表現を修正しているのでしょうか、それとも修正された表現が痛みの一因となっているのでしょうか?これは、答えにくい疑問ですが、両方のシナリオについて考察していかなければなりません。 皮質表現へのターゲティングは、モーズリーとフロアーによって提案され、NOIグループの段階的運動イメージプログラムによって実施されています。www.gradedmotorimagery.com フォーラとその他は、“筋骨格系疼痛障害のためのリハビリテーションの取り組みにおける運動学習と神経可塑性の役割”(2010年)の中で、下記のように述べています: 新しい運動技能の獲得において、皮質性神経可塑的変化は、しばしば運動能力の向上のような、有利と考えられる性質を伴う 彼らは、下記のように書き加えています: 皮質性神経可塑的変化の及ぶ範囲を最大化しようとする、リハビリテーションの取り組みは、リハビリテーションの成功のための最大の可能性を提供する立場にある。 モーズリーとフロアーは、下記のことも書き加えています: 感覚・運動戦略を利用している感覚・認知表現をターゲットにする治療は、明らかな機能的かつ対症的効果を示している。 悪循環を断ち切る 私達の見解では、持続性の疼痛反応を変える手助けをするのは、予測を断ち切ることかもしれません。そのための特定の‘方法’は、このブログの焦点ではありませんが。これには、痛みに関連した、潜在的に染み込んでいる出力を断ち切るために、行動、感情、運動戦略に気づくことを含んでいるかもしれません。 時として、いくつかのケースに於いては、ただ単に、動く前に意識的にリラックスさせることのように単純なことかもしれません。事例的成功は、この方法の利用を介して得られています。運動作用への単純な連続的な変化を通して、痛みを修正することが可能だということは、患者にある程度の内部制御部位を還元できるかもしれませんし、脅威の予測の修正と同様に、患者の情動状態に影響を及ぼすかもしれません。 疼痛教育と生物-心理-社会モデルは、予測の変化、もしくは痛みと脅威の知覚にも関連があるのかもしれません。患者が何を経験しているかと患者の身体への実際の損傷との間の関係を再評価を助けます。 状況に応じたわずかな変化は、結び付いている痛みの構成要素を持つ特定の運動指令に影響を与えるかもしれません。これは、身体の姿勢、位置もしくは情動状態かもしれません。 痛い動作にできるだけ近い痛くない動作が、私達に、痛みの関連性を増強することなく、動作の確かさを築き、維持することを可能にしているのかもしれません。四肢位置のわずかな変化は、疼痛反応を修正し、動作と痛みに関連した防御機構を縮小するかもしれません。痛みの出力の程度に応じて、罹患部位の痛くない/脅威でない動作へ後戻りさせる必要があるかもしれません。 結論 痛みを体組織の状態、病理、痛覚、生体力学から分離し始めることが重要です。痛みは、身体からのいかなるインプット無しに発生する、脳の出力です。しかし、これは、これらの構成要素のどれもが痛みを引き起こすことができないということを意味しているのではありませんが、現在、多くの人達が信じているように、痛みは、確実に、それらの構成要素だけにとどまりません。 脳の機能構築を変化させるかもしれない学習体験に基づく痛みの予測は、運動時痛のフィードフォワード・モデルを作り出すかもしれません。これもまた、私達の個々の‘神経基質’に作用し、痛みの体験を増幅するストレスや疾病のような、多くの要因によって調整されています。 私達の皮質表現へのターゲティングは、動作制限、もしくは痛みの出力の増大を介して、体組織への保護する知覚された脅威を含まない予測において、(できれば、より良く)異なる変化と長く持続する変化を作ることを可能にしているのかもしれません。これは、視覚系とイメージ、運動技能、与えられた痛みの状況のわずかな修正を通して、行われるかもしれません。

ベン・コーマック 2554字

痛みと予測 パート3/4

記憶-予測モデル 脳がどのように機能するかについての一つの理論は、記憶-予測モデルを介しています。 脳が多くの変数に直面し、それらすべてを処理しきれない時、脳は、以前の事象や学習体験に基づいた予測を使用します。ベイズ確率理論は、どのようにこのモデルが機能しえるかに対しての洞察を与えるかもしれません。 仮説の可能性を評価するために、ベイズ蓋然論者達は、新たな関連データを踏まえて更新された、いくつかの事前確率を明確化します。Bayesian probablility. Wikipedia. この一例は、あなたがラジオで知っている歌を聴き、それに合わせて歌っているということかもしれません。あなたは、次に来る歌詞を予測するために、その歌に関する以前の記憶を利用します。私達はクイズ番組の中で、ある単語に欠けている文字を入れる際や、良く知られている熟語を完成させるために単語を入れる際にも、同じことを目にします。このように、記憶-予測モデルを説明するために利用可能な例は、数限りないのです。 また、私達はボタンを押すことに関連した報酬、もしくは制裁に反応するネズミにおいて、基準面におけるこの神経処理を目にします。 この方法で、過去の事象と体組織、もしくは体組織の状態への脅威や危険の現在の予測との間に繋がりが見え始めてきます。特に、痛みのような記憶しやすい事象に関して。 予測は、過去に何が起きているかによって影響されます。特定の行動や出力の蓄積と呼び出しにおいての直接水準とインプットの処理とそれに続く出力全体の両方が、遺伝子要因と習得した要因によって形成される、私達のひとつひとつの‘神経基質’を通して、指令を出します。 私達が実際の状態を問わず、体組織の状態を、損傷した、もしくは運動作用によってさらなる損傷になりそうである未来の体組織の状態の予測として知覚するとすれば、、痛みの出力は、運動作用や伴う痛みを防ぐために利用されたり、運動計画の段階で動作を制限、または修正する効率的な方法として利用されたりするのかもしれません。 ここでの問題は、(存在している、もしくは関連性のある)痛みのある動作や病理ではないのかもしれません。それは、脳による知覚と、それに続くさらなる損傷への予測です。学習した反応を変更することは、より困難なことです。実際、ラマチャンドランは、これを‘学習された痛み’と呼んでいます。痛みは習慣であり、私達皆が知っているように、習慣を変えることは困難でありえるのです。 痛みの‘記憶’ メルザックは、彼の論文 “幻肢の痛みの‘記憶’:総括と臨床観察”の中で、‘身体の記憶’について考察しています。四肢は、もはや存在しなくとも、切断前の痛みは、‘幻肢’において持続します。 メルザックは、下記のように述べています。 その結果によると、十分な強度と持続期間の体性感覚入力は、中枢神経構造内に持続的変化を生じさせる 損傷は、下記のようにの変化に富んでいて、包括的です: 皮膚病変、深部組織損傷、骨関節痛、痛みを伴う切断前の姿勢 痛みは、末梢部には存在しません、存在しえないのです。その代わりに、四肢に関連している特定の表象において、神経可塑的に脳を変化させます。ここでの疑問は、完全な求心路遮断ほど極端ではない例の場合でも、これは発生するのかということです。 ディヴィッド・バトラーは、“敏感な神経系”(NOIグループ出版、2000年)の中で次のように述べています: 過度の使用、不使用、軽傷、関連した認知もまた、表現を修正させる。切断は、ただ単に劇的な一例である。 ここで私達は、未来の疼痛経験に影響を与えている過去の痛みの体験についてみていきます。完全な求心路遮断ほど極端ではない例において、私達は神経可塑的に脳を再編成している痛みの‘記憶’を規則的に目撃するのでしょうか?その結果、未来の知覚や、それに続く体組織への脅威の予測の修正を目撃するのでしょうか?脳の出力は、動作の小さな修正から、衰弱性の慢性痛にまで至るかもしれません。 “順”モデル 予測モデルもまた、運動制御理論において、運動制御の順モデルという仮説として取り上げられています。 フライシャーは、彼の論文、“小脳、大脳基底核、海馬における予測の神経相関”の中で、‘順モデル’を考察しています。 順モデルは、神経系に身体の状態が、近い未来にどのようになっているかの予測を提供する。 彼は、下記のように書き加えています: 最適な運動制御理論は、どのような運動指令の効果が、現在の状態や運動指令に与えられているのかという順計算の存在を必要としている。 そして、 その代わりに、順モデルは、フィードバック制御のみの使用よりも速い動作の生成を可能にさせる。 私達の体部位再現の表現が蓄積され、恒常的な情報の流れが起こる小脳と大脳皮質のつながりを理解することが重要です。私達は、要求された課題を達成するために、運動野からの意図的動作と、運動指令を修正するために情報を使用している末梢からの報告された動作を比較しました。 ここで再び、フィードバックではなく、フィードフォワード・モデルの関わりをみます。何が起こるかを予測できる必要性は、過去の体験のみに基づくことが可能です。痛みと運動調節において、生体力学の力に基づくモデル、もしくは痛みのデカルト的見解のように、フィードバック・モデルが支配しています。

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