マイクロラーニング
隙間時間に少しずつビデオや記事で学べるマイクロラーニング。クイズに答えてポイントとコインを獲得すれば理解も深まります。
関節は中心化される必要があるか?それが本当に問題なのか? パート1/3
最近、私のコースやこれまでに読んだ論文のいくつかにおいても何度か登場している話題の一つが、‘関節中心化’理論、あるいは関節の‘中立’ポジションです。 この理論は、関節周辺を回旋させるための最大許容量を可能にするためには、関節の中立的“ポジション”、あるいは回旋軸を持つことが有利であるというものです。関節の‘中心化’によって、関節の最終域に向かって位置することによって運動能力を減少させるのではなく、全方向に向かって均等に動くことが可能になるでしょう。そして、関節と組織への機械的ストレスを削減し、最適な荷重伝達を可能にすると提案されています。この考えは、数多くの見解において、極めて重要な構成要素です。 私はこの考えを大変気に入っていて、力学的視点からみても非常に道理にかなっています。しかし、過去数年にわたって私が学んできた最大の教訓の一つは、私達が人体をそれほど機械的でなく、予測不能で、個人差が大きいものであるとして見る際に、道理にかなっていることが全て真実ではないと判明したり、あるいはそれほど道理にかなったりしているわけではないということです。 関節中心化は、理論モデルにおいて定義されている正確で協調的な順序と、筋肉の活性化のタイミングを介して発生すると提案されています。このプロセスを通して、私達は‘最適な’運動、あるいは‘理想的な’運動を実現することが可能なのです。 以前に私が提言したように、これは聞こえが良いですが: もし関節が中心化されていなければ、それは問題ですか? この中心化の欠如を、痛みや損傷と関連付けることができますか? その理論は、研究によって支持されていますか? 正、あるいは負のどちらかに相関した、一貫性のある活性化パターンを発見することができますか? 何が本当の最適/理想的な運動なのかを知っていますか? これらの疑問を探るために、このブログにおける二つの主要問題に着目する必要があります。 静的姿勢と動的姿勢 筋肉活性化の順序とタイミング もし、関節中心化に影響を及ぼし、そして機械効率と提案された過度な組織応力にも影響を及ぼすこれらの要因が、痛み、あるいは損傷と関連があるのであれば、この二つの要因の間には相関関係があるでしょう。 最初に、痛みを持つ人とその姿勢の間にある相関関係に着目してみましょう。 あなたの静的姿勢は、上記の図で示され、組織へのストレス、そして、中枢神経系へのストレスをも作り出すと提案されているように、関節の開始位置に影響を及ぼすでしょう(私はこれを支持する科学的根拠を見つけることができませんでしたが)。 ですが、同様に、私達は終了ポジションもまた重要であるということを覚えておなかなければなりません。これは、どのくらいの運動が可能なのかを私達に知らせてくれます。私達は完璧に配列された姿勢をしているかもしれませんが、運動能力がなければ無意味ではありませんか?同様に、安定性は可動性が無ければ重要ではありません。どちらがより重要ということではなく、これらには象徴的な関連性があります。 もし関節のアライメントが重要であったのならば、間違いなく論文で十分に支持されているのではないでしょうか? 私は、この題目は過回内に似ているように思います。多くの人が過回内足を持っていますが、彼等はいまだ痛みは無く、マラソンを走り、ハイレベルなスポーツに従事しています。 静的と動的の両方で、‘悪い’姿勢と見なされ、多分関節中心化の欠如を伴う何かを持っているにも関わらず、痛みが無い人たちはどのくらいいるのでしょうか? 私達がしばしば、人々の組織耐性、反射、筋力を通して、さまざまな姿勢や構造的‘異常’に対する人々の驚くべき代償能力を歓待するでしょう。しかし、関節アライメント不良による痛みや損傷が無い全ての人達は、特別な部類に分類されないのでしょうか? 姿勢 ですが、私の見解はもうたくさんですね!では、私達が利用可能な研究に着目してみましょう。静的姿勢に関して利用可能なものがかなり多くありますから、そこから始めましょう。 この研究は、頸椎の姿勢と頸部痛との間の相関関係に着目したものです。*ここをクリックしてください* 研究者達は、被験者を頸部痛を持っている有痛群と無痛群の2つのグループに分けました。彼等は、頸椎の全体的な角度と部分的な角度の両方を計測し、それぞれ頸部痛を感じる角度を計測しました。 有痛群と無痛群の姿勢の間に有意差はありませんでした。後弯レベルにおける平均的な部分的角度は、有痛群では6.5度で、無痛群では6.3度でした。 ここでの問題の一つは、正常に対する基準値が無く、そのために、正常な姿勢からの逸脱は頸部痛における要因なのかどうかということです。姿勢と運動を見る場合の恒常的な問題は、最初に何が正常なのかを定義しようとすることなのです。もし基準値を持っていなければ、何が‘悪くて’、何が‘良い’と言えるのでしょうか? もう一つの研究は、5~6歳の被験者と15~16歳の被験者の間の姿勢の変化に着目したものです。*ここをクリックしてください* 10年間にわたる縦断的研究では、被験者の脊椎の形状と可動性において、著しい変化が見られます。この姿勢の変化において、もしその二つが相互に関連があり、時折15~16歳の被験者達の38%が腰痛を訴えていたのであれば、疼痛レベルに変化が見えるはずです。しかし、研究者達は、姿勢、脊椎の可動性、あるいは身体活動と痛みの間に相関関係がないと発表しました。 この研究*ここをクリックしてください*は、元エリート体操選手と現役エリート体操選手における腰痛に着目しました。元体操選手の27%と現役体操選手の38%の両方が腰痛を訴えましたが、姿勢、関節可動域、報告された腰痛の間には相関関係は発見されませんでした。 この文献*ここをクリックしてください*では、急性痛群、慢性痛群、健常人群の脊椎の姿勢が研究されました。私達は、加齢と体重増加による姿勢の変化を確実に目にしましたが、痛みに関しては、三つのグループのいずれの姿勢においても有意差は見られませんでした。 長きにわたり、脚長差(LLD)は運動連鎖をたどって、私達の姿勢を台無しにし、そのため、私達が持つであろう可能な関節運動の位置と量を台無しにすると仮定されています。実際には、グーグルの画像は、私達の姿勢によって生じた結果を示している写真で溢れています*ここをクリックしてください*。 この研究*ここをクリックしてください*では、脚長差と腰痛の間に関連性は見つかりませんでした。この研究*ここをクリックしてください*は、脚長差による骨盤と脊椎の運動学へのわずかな影響を発見しました。
あなたは‘魔法の筋肉’に心を奪われていますか? パート2/2
筋肉‘発火’(続き) 腹横筋 腹横筋はしばしば、発火しないと非難されたり、痛みを引き起こす不十分な脊椎の安定性の原因とされたりする筋肉です。発火の遅延を示しているいくつかの初期の研究が確かにありますが、明確に定義された発火遅延と腰痛の間に因果関係はありません。EMGとMモード超音波の両方を用いた後期の研究*ここをクリックしてください*では、発火遅延は腰痛患者において一貫性のある結果ではないということと共に、健常者と腰痛患者における筋肉発火に関する変数を示しています。 Vasseljenおよびその他は、“今後の研究において、被験者内と被験者間における変化が認識される必要がある”と述べています。この研究論文では、深層腹筋群の発火開始時間の変化と腰痛の間に関連性はないことが発見されました。 この研究成果は、Mannionおよびその他の研究*ここをクリックしてください*とよく似ています。彼らは、トレーニング前後、両方における腹横筋活性化能力と臨床転帰の間に関連性がないことを発見しました。 臀筋群とほぼ同様、腹横筋の筋肉組織の活動の開始は、タスクによって変化しやすいということが示されています。よって、素早い腕の動作のような特定の動作を用いている一つの研究の中で起こったことを一般化することを、人間の機能の一般的な筋肉モデルを作り出すために使用することはできません。 Morrisおよびその他は、腹横筋の役割は、行われている行動の方向と大きさに左右される筋肉の活性化を伴う、より機能特化されたものであるを発見しました*ここをクリックしてください*。以前から、腹横筋は単独で(機能依存的ではなく)、両側性に脊椎を安定させるコルセットのような役割を果たすという仮説があります。オリジナルの研究は、(腕の動きと)反対側の腹横筋にだけ着目したものですが、これを両側性の活動と推定したのです。 Morrisおよびその他は、(7名という明らかに少ない被験者数の中ではあるが)誰も片側性の腕の動作に対して、両側性の活性化戦略を使用せず、腹横筋は相互的かつ非対称的に作動したことを報告し、著者は、腹横筋を両側性に作動させるためのトレーニングは、実際には、正常な動作を抑制するかもしれないということを示唆しました。 これもやはり、それほど単純なものではなく、理論自体をさらに少し深く探れば、筋肉にタイミング戦略を伴う特定の働きを与えることは、問題のある思考の道筋である可能性があります。 回旋腱板 回旋腱板(RC)もまた、仮説立てられた、より早い発火開始時間と、関節の安定性を提供するための共収縮を伴い、関節窩上腕関節を安定させる役割を与えられています。回旋腱板の安定の特徴に関するこの系統的レビュー*ここをクリックしてください*は、テストされた10種類の動作の内、たった4種類の動作においてのみ、RC発火開始時間が、肩関節周辺の‘広範囲の’筋肉よりも早かったということを発見しました。同時活性化はまた、異なる動作にわたっての一貫性はありませんでした。 著者はここで、RC筋肉群が単に安定筋として理解するための、明らかな科学的根拠はないが、方向特異的に作用していると結論付けました。これは、棘上筋と棘下筋のどちらかと肩甲下筋間よりも、棘上筋と棘下筋の間での更なる共収縮によって支持されています。RCの安定化の役割は、方向特異的な関節内における移動の制限なのかもしれません。 このことは、肩甲下筋が肩関節伸展時により活発で、棘上筋と棘下筋が肩関節屈曲時により活発であることを発見したこの研究論文*ここをクリックしてください*によって支持されています。興味深いことに、外部負荷のレベルは、筋肉活性化レベルを変化させることはありませんでした!それはまた、筋肉の役割に影響を及ぼす肩のエクササイズにおける様々なバリエーションでも支持されています*ここをクリックしてください*。 Boettcherおよびその他は、わかりやすく、彼らの結論を研究論文のタイトル“肩の筋肉群の役割は、特定のタスクを行うことである”に組み込みました。彼等は、RC筋群がはっきりと区別できる回旋筋、あるいは安定筋なのかどうかを調べたかったのです。タイトルがそうではなかったことを示唆しているように、特定のタスクでの活性化が明らかであると研究論文の中で立証されました。*ここをクリックしてください* 筋線維タイプ 筋肉における主な線維タイプは、‘安定筋’あるいは‘主動筋’として筋肉が分類されるべき理由として挙げられています。主動筋はタイプⅡ線維とタイプⅡA線維の割合が多い一方、安定筋はタイプⅠ線維の割合が多いでしょう。 しかし、私達が、筋肉内における線維タイプの優位性を目にすることがあるでしょうか? 体幹の筋肉群はしばしば、理論的に‘インナー’と‘アウター’に分けられ、深層筋群を含むインナーユニットは、タイプⅠ線維の割合が多いはずです。以前から着目しているように、インナーマッスルユニットには、反射的な活性化と非依存的な活性化、あるいは動作戦略があるようには見えません。では、それらの線維タイプはどうでしょうか?その線維タイプは安定化に適しているのでしょうか? この研究*ここをクリックしてください*は、腹直筋、腹横筋、腹斜筋を調査するために、生体検査法を使用しました。そして、彼等は、被験者間において、かなりのバラツキがあるものの、個体内の筋肉における差異がほとんど無いことを発見し、実際に、“(差異は)わずか、あるいは存在しない”という言葉を使って表現しました。そのため、彼等は、実際には筋肉は、同様の機能的能力を有していると結論付けました。 この研究論文*ここをクリックしてください*は、比較的若い被験者36名の筋肉に着目しました。そして、彼等は、“調査された筋肉のほとんどは、緊張性機能と相動性機能の両方を遂行することで知られていたが、どちらかのの線維タイプが圧倒的多数ではないことを示した”と述べました。 高齢者人口における回旋腱板に関して、この研究論文*ここをクリックしてください*もまた、タイプⅠ線維とタイプⅡ線維の間で、最大60/40の割合で線維が混在していることを示しました。また、背筋群においてタイプⅠ線維とタイプⅡ線維がほぼ同様の割合であったことを発見した、この古い研究論文*ここをクリックしてください*においても明白でした。確かに、筋肉を特定の役割に分類することを正当化するには十分ではありません。 更に最近の系統的レビューの研究論文*ここをクリックしてください*もまた、健常者と腰痛患者の多裂筋と脊柱起立筋における、相互間、あるいは内部の線維タイプの区別はほとんどなかったことを示唆しています。 タイプⅠ線維の圧倒的優位であるように見える二つの筋肉*ここをクリックしてください*は、より‘姿勢に関与している’線維を約80%持つヒラメ筋と前脛骨筋です。私達はこれら二つの筋肉について同様に話されているとは思いませんが、明らかにこれらの筋肉は持久力タイプの仕事を行っています。 結論 研究が私達に何を伝えているのか? 筋肉発火パターンは、しばしば議論され、エクササイズの処方に影響を及ぼしている理論と一致しているようではありません。 何度も繰り返し行われる実験に着目する際に、筋肉発火は個体間、個体内において変動するようであり、‘機能不全’を基盤とする特定の筋肉戦略を支持していません。 筋肉は、単純に、行われている行動から独立した‘役割’を持っていないようであり、一貫して明確にされています。 共収縮レベルは、関節を安定させる唯一の役割を支持するには十分に一貫していないようです。 一つのタスクからそのタスクの域を超えて、活性化パターンを一般化することは、事実に基づいていないようです。 割合が完璧な50/50ではありませんが、線維タイプは安定筋、あるいは主動筋への分類を可能にしている筋線維の優位性を実際には示していません。運動データもまた、このことを支持していません。
あなたは‘魔法の筋肉’に心を奪われていますか? パート1/2
身体には、‘魔法’だと考えられている筋肉がいくつかあります。 これらの‘魔法の筋肉’は、身体の他の筋肉とは異なった役割を果たすように見え、‘機能不全’や‘準最適’な活性からの痛みへの避けられない負担を防ぐために、私達は、それらの筋肉を刺激し駆り立て、あるいは‘発火’させるために、奇抜なエクササイズを行うことによって、何としてでも動かせるようになる必要があるようです。 これらの筋肉とそれらに関連する‘機能不全’の例として、腹横筋と腰痛、回旋腱板と肩痛、臀筋群と膝から腰部や肩にかけての全ての痛みがあります。 時折(ここではしばしばという意味)、私達はいかなるテストをすることもなく、ただ自動的に筋肉のせいにしてしまいます。 “あなたの腰痛は、腹横筋が発火していないせいです”と単純に述べてしまう。 ‘魔法’の筋肉が、いつ、どのように活性化されるべきなのか、それらの筋肉が、関節を動かす筋肉なのか、それとも安定させる筋肉なのか、関節においてどのような役割を果たしているのかに関するいくつかの理論があります。 股関節の他の‘主動筋’である浅層筋が活性化されるよりも先に臀筋群が活性化されるべきである一方で、腹横筋や回旋腱板のように身体を動かす手助けをするというよりも、安定性を提供するために、行われている動作からは独立して、まずいくつかの深層筋が最初に活性化されるべきであると示唆されています。 筋肉は、線維のタイプによって特定の働きがあるかもしれないという仮説も立てられています。遅筋線維優位の筋肉は、タイプⅡ線維の割合が多いと提唱されている動作筋よりも、姿勢における役割、あるいは‘安定筋’としての役割により向いているということを意味しています。時に私達はそれらを、局所性と全体性、あるいは、よりしゃれた感じだと…緊張性と相動性と呼びます。 これは、治療とジムの両方の環境において、人々が行う非常に多くの事に影響を及ぼします。私達は、これらの一般的な実践を支持するための、理論を凌駕する根拠を持っているのでしょうか? これが、筋肉に関するこの一連の理論と実際に研究されていることが対照をなすのかどうかに関して、このブログで答えるべき三つの疑問を与えてくれます。 ‘魔法’の筋肉は、特定の発火パターン、あるいは発火開始時間を持つのか? ‘魔法’の筋肉は、安定化のような特定の役割を遂行するために、独立した行動を取るのか? ‘魔法’の筋肉は、それらの筋肉が動作筋、あるいは安定筋のような特定の役割を果たすことを意味する、はっきりと異なる線維タイプの優位性を示しているか? 筋肉‘発火’ 臀筋群 あなたは“私の臀筋群が発火していないと言われた”と誰かが言っているのを聞いたことが何度ありますか?最初に発火しない、あるいは活性化されていない臀筋群は、腰痛、仙腸骨痛、膝痛、私のお気に入りである反対の肩痛(真実です…筋膜のスリングですよ)などの原因とされています。 この‘発火’の欠如の理由と言われているものがいくつかあります。 受傷後の筋の“抑制” 抑制を引き起こす過剰な座位 特定の発火順序があるべきかどうかを判断するために、どのように健常者が筋肉を活性化させているかを客観的に着目することが重要です。そうすれば、私達は、特定のパターン、あるいは健康であるために私達が目指すべき活動レベルがあるのかどうか、そして、抑制があるのかどうか、または理論が間違っているかどうかを見ることが可能です。 腹臥位での股関節伸展テストは常に、これを行うためのお気に入りの方法でしょう。ご存知のように、人をうつ伏せにして、治療家、あるいはトレーナーの指が筋電計(EMG)であるかのように装い、どの筋肉が最初に活性化するかを見分けることが可能だと!これは、腹臥位股関節伸展テスト(PHT)として知られています。 もし痛みが臀筋群における一貫した抑制因子であるならば、PHTにおいて、傷害の既往がある人達におけるEMG(指ではなく実際の機器)での出力の減少を目にするはずです。この研究論文*ここをクリックしてください*は実際に、以前に傷害(この場合はハムストリングス)を経験した患者は、EMGにおいて、より大きな出力があることを発見しました。これは、腰痛を患っていない対照群と比較すると、慢性腰痛群はPHTにおけるEMGの信号がより大きかったという、この研究論文*ここをクリックしてください*でも同様です。実際、いかなる筋肉‘抑制’も、受傷後、かなり素早く解決するように見えます*ここをクリックしてください*。 1990年まで遡って、私達は、彼等がPHTにおいて、筋肉発火がかなり変動するものであることを発見したことを知っていたわけです*ここをクリックしてください*。健常者20名が、右側の臀筋群、大腿二頭筋、脊柱起立筋と左側の脊柱起立筋の発火開始時間を計測するために、EMGを着けた状態で30回腹臥位股関節伸展を行いました。筋肉間での発火開始時間と対象者内と対象者間での筋活動における変動性に有意差は見られませんでした。よって、同一人物が活動を異なった方法ですることが可能で、別の人達もまた異なる活動をするのです。このことが‘機能不全’の土台を作る客観的な発火順序を実に困難にしています。 この研究論文*ここをクリックしてください*は、客観的な筋肉発火の順序を発見しました。彼等は、研究の必要性の論理的根拠を非常にうまく述べています。 “腰痛の発生は、腹臥位股関節伸展における筋肉発火の順序の変化によるものとみなされている。腰部と股関節の筋肉組織において、認識変化に対する根拠を提供するための、筋肉発火の順序に関する規範的なデータは無いようである” 彼らは15名の健常者を採用し、若干異なる臀筋群を対象としてよく似た試験方法を実施しましたが、実際には、大臀筋は最初ではなく、最後に活性化されたことを発見しました。 この研究*ここをクリックしてください*は、50名(腰痛患者群30名、対照群20名)という、より大きなサンプルサイズに支持されています。彼らは発火開始時間と活性化の量の両方に着目し、臀筋活動は有症状群と無症状群において共に、有意に遅延していることを発見しました。そして、PHTは腰痛有症状者と無症状者の間で、区別することができないと結論付けました。 彼らはまた、腹臥位で起こることを立位、あるいは歩行に一括化するのは困難であるという重要な点も強調しました。この研究論文*ここをクリックしてください*は、股関節外転の変化が、臀部の筋肉組織において、活性順序と活性化の量(EMGの振幅)を変えたということを発見しました。股関節外転15~30度において、大臀筋の発火時間は、ハムストリングスと比較して、遅延0度へと向上しました。 腹臥位における股関節位置の若干の変化が、発火順序を変化させたのです!身体の方向(腹臥位、仰臥位、立位)の変化、あるいは実際の動作、そして異なるスピードでは何が起こるのでしょうか?異なる地形が、腰幅に影響を及ぼすかもしれません*ここをクリックしてください*。そして、このことが恐らく、脚の方向に基づいて発火順序を変えるでしょう。 歩行時と走行時の臀筋群に着目したLiebermanの研究*ここをクリックしてください*において、二つの活動の間に発火時間の変化とかなりの活性化の変化が見られます。これは、単一検査では、恐らく、異なる発火時間と活動レベルを必須とするかもしれない複数の活動に転嫁できないであろうということ示唆しています。 私が知る限り、長時間の座位による臀筋群の抑制に関しては研究されていません。どれだけこの理論が広くいきわたっているかを考えれば、これはかなり驚くべきことです。よって、この理論を裏付けることは困難です。しかし、このことを支持する科学的根拠は存在せず、私達が臀筋群において、無痛の個人における発火の遅延を目にするのであれば、この主張を支持する前に、更なる科学的根拠の出現を待つ必要があります。 あなたが本当に指先で筋肉活性化における、マイクロ秒の差異を感じ取れるのかという、ちょっとした問題もあります。指先が非常に繊細であるとしても、それが重要なのでしょうか? ‘臀筋群が発火していません’という一節は魅力的で、問題に対するシンプルな説明のように聞こえますが、実際の科学は、そのようなシンプルな回答を本当は支持していないのです。
重要な動作、痛みの‘記憶’、再調整! パート3/3
痛みの記憶と連合学習(続き) 私達は、ベイズ確率で見られるように、記憶(神経パターン)のような蓄積された以前の経験を使用し、私達の今後の行動は、以前の状況からの知見によって導かれているということが仮説として取り上げられています。これは、類似する求心性の感覚情によって想起された、過去に符合化された神経パターン、あるいは直近で起こる可能性のある事象の予測モデルを形作るために使用される内在する要求であり、最終的な結果は、反復的な条件性恐怖、防御反応、痛みであるかもしれません。 NijsとZusmanの両者は、特定の動作、あるいは一般的な動作における知覚、あるいは記憶を変えることについて議論しています。これは、ジョンの事例における腕の挙上のような通常の無痛の状態での反応での中性刺激として知覚されるべきものへの防御反応に対する‘再修正’でしょう。 Zusmanは、これを入力が痛みという出力を引き起こさない状況にたどり着くために‘危険を伴わない露出’を使用することによる以前の記憶の‘消滅’として説明しています。これは、正常で無害な刺激と痛みの反応との関係を絶つように意図されています。このことは、‘段階的露出’や‘脱感作’を含む多くの名前で呼ばれていて、基本的にそれらの全ては、計測された入力を通して出力を弱めるように働きます。 動作に対して異なる初期反応を与えること(可能性としてリラクゼーションを用いた不安行動の減少)と、運動入力におけるさらなる変動性を作り出すことによって、私達は、うまくいけば、主要な神経パターンとなる様々な関連反応で、新しい‘記憶’、あるいは符号化されたパターンを築き上げることができる可能性があります。 連合学習が発生するには、実際の結果と期待される結果に差がなければなりません。もし同様の刺激と反応しかないのであれば、関係性の強化が起こるだけです。ただその動作を再形成するだけでは、恐らく、全く同様の結果しか得られないでしょう。私達は動作に対する行動と、そして、あるいは何らかの方法で動作自体を変えなければなりません。 実際の結果における変化は、2つの主な方法で発生すると提案されています: 認知力をターゲットとしたもの 動作をターゲットとしたもの 認知力と動作の両方を含む集中的なアプローチが、最も好ましい結果を得る傾向が強いのかもしれません*ここをクリックしてください*。 両方のアプローチは、リハビリテーションアプローチにおける私達の5つのRを網羅しています。 危険信号 安心させる 再概念化する−認知力重視 再調整−動作重視 頑強な−動作重視 認知力をターゲットとしたもの 認知力に基づく入力は、痛みの神経科学に関する教育を通して、痛みに対するある個人の見方の再概念化を手助けすることを目的としています。これは、痛みが常に損傷と等しいという概念と、現在進行形の痛みに伴う中枢と末梢の変化に関する単純な理解を切り離すことができるかもしれません。 認知力をターゲットとした入力はまた、エクササイズの予測される危険性と活動が引き起こすかもしれない痛み(彼らにとって損傷として捉えられる)の知覚に取り組むために使用できるかもしれません。恐怖の本質とその背後にある論理的根拠への挑戦は、知覚の変化を引き起こすかもしれません。 単純にジョンに“これがあなたの肩を脅かしていると感じますか?”と尋ね、その理由を尋ねてから、与えられた理由に取り組むことになります。これはエクササイズや動作の後に行われるかもしれません。うまくいけば、認知力をターゲットにした入力は、実際に経験したことで、脅威の起こり得るレベルの再調整の手助けになります。 個人目標設定の使用はまた、Nijsによって提案されています。これらの目標は、職場、あるいはスポーツへの復帰であり、これらが意欲を起こさせ、結果への期待を増大させるために使用できるかもしれません。 動作をターゲットにしたもの 動作をターゲットにしたアプローチは、脅威ではなく、多様な露出を与えてくれる今までにない新しい動作の型の導入と、腕の挙上、あるいは前屈のような恐怖反応を含む動作を目的とした、より特異的な型である恐れられている動作のバリエーションの両方を含む二つの要素から成るかもしれません。最初は、特に信用を得るために、大きな疼痛反応を引き起こさないことが重要で、恐らく、痛みというよりも不快感に対して取り組むことが重要かもしれません。これは‘段階的露出’の概念、あるいは‘恐怖心を伴わない露出’の概念に同調するかもしれません。 Nijsおよびその他は、エクササイズはまた、痛みよりも時間に左右されると示唆し、この概念は認知力をターゲットにしたものに関する議論の中で紹介されています。彼らの痛みをよりよく理解することによって、人は恐怖をあまり感じなくなることが望めます。このプロセスは、今までの障壁を押し開け、より大きな‘安全地帯’あるいは活動能力を構築するために重要かもしれません。 動作前の単純なリラクゼーションのように、不安行動(今では条件刺激かもしれない)を変化さることはまた、関連痛と運動反応を変化させ、新しい痛み軽減の経験、あるいは無痛の経験でさえも提供してくれるかもしれません。 感覚入力を変化させることもまた、出力を変化させるかもしれません。もしこれをジョンに置き換え、腕の挙上が固有受容感覚であるならば、単に彼の腕の回旋を変化させることが、異なる機械的受容器を刺激することになるでしょう。脊柱伸展を変化させることが、効果をもたらすかもしれません。肩甲骨、頸椎の位置、あるいはいかなる関連部位における動作の変化でも同様かもしれません。これは、Lewisによって提案された症状の修正による治療に類似していますが、組織における身体的効果と同様に、入力の変化と中央処理に関する論理的根拠にかなり基づいています*ここをクリックしてください*。 視覚情報と前庭情報の変化や、楽しむことと気を逸らすこともまた、入力−出力の関係性の変化を作り出すかもしれないとも提案されています。 ジョンにとって、異なる角度で腕を肩の高さ以上に挙上することもまた、入力の変化を作り出し、よって恐怖行動に密接に関係している状況においての出力にも変化を作り出すかもしれません。 以前に不活発な状態だった動作(例として、上腕骨の様々な三次元的位置での上腕骨頭の下制)を刺激することを目的とした関節において、ターゲットとした様々な動作に取り組むことは、今後の使用のために、入力を変化させ、脳構造における可塑的変化を作り出す、今までにない新しい方法で、運動系と固有受容感覚系を刺激するかもしれません。 最後に、耐えられる時間(持久力)のために頑強さを増し、スピード、負荷、姿勢の多様性に取り組まれなければなりません。これらの入力は全て、能力の知覚に基づく出力に影響を及ぼすかもしれません。テニスの試合の特異的機能性や関連する需要に取り組むこともまた、非常に関連性があります。 これら全ての事が、ジョンが愛して止まないテニスに復帰することを目的としていて、彼にとっては非常に意味のあることなのです。
重要な動作、痛みの‘記憶’、再調整! パート2/3
痛みの記憶と連合学習 連合学習における最も単純な形は、二つの事象間で発生します。今回の投稿との関連では、痛みと動作になります。 連合学習における典型的な例は、パブロフの犬のそれにあたりますが、できるだけ簡単な方法で理解できるように最善を尽くしたいと思います! パブロフは彼の犬がエサを与えられた際に、よだれが出ている事を発見しました。全く正常な生物学的反応です。彼はエサを無条件刺激と称し、よだれが出ることを無条件反応と称しました。 人間にとって、痛みは恐怖と防御における無条件反応を引き起こす無条件刺激です。 パブロフは、無条件刺激である‘エサ’を中性刺激である‘ベルを鳴らすこと’に結合させた際に、犬がそれら二つの事象を関連付けることを発見し、彼はただベルを鳴らすだけで犬によだれを垂らさせることを可能にしました。そのベルの音は、よだれを垂らすという条件反射のための条件刺激になりました。 もしジョンが繰り返し腕を拳上し(今までは中性刺激)、痛みを感じるのであれば、中性刺激は、痛みという無条件刺激と関連付けられることになるかもしれません。そして、腕の挙上は、犬にとってのベルのように、条件反応になっている恐怖と防御行動を伴う条件刺激になります。このような行動は、恐怖回避、過剰警戒、関連部位における可動域の減少や全身性筋硬直のような運動系の反応(防御)を含むかもしれません。 関連性/予測としての痛みは、以前にこのブログ内の‘痛みと予測’*ここをクリックしてください*で議論されています。 “The brain that changes itself(邦題:脳は奇跡を起こす)”の著者であるNorman Doidgeは、インド人神経科学者Ramachandranの,彼の患者における痛みと動作の関連性に対する見解に関して議論しています。 “Ramachandranは、これらの慢性痛を抱える患者において、痛みの指令は痛みのシステムと配線されて、四肢が癒えても、脳がその腕を動かすように運動指令を送ると、まだ痛みを誘発するということを信じるようになった” ‘The brain that changes itself(邦題:脳は奇跡を起こす)’ Penguin社, 2007年, p193 MoseleyとVlaeyen(恐怖回避モデルに広範囲にわたって着目)による興味深い研究論文では、痛みが他の反応のための刺激というよりも、条件反応になり始めているということが議論されています*ここをクリックしてください*。 MoseleyとVlaeyenの仮説では、侵害受容(不快、あるいは有害な刺激)は、痛みに対する刺激として、もはや必要ではないとしています。侵害受容に付随して起こる関連する固有受容感覚入力は、実際に刺激になり、いかなる最初の不快な刺激を必要ともせず、痛みに対して関連する反応を呼び起こす可能性があります。腕の挙上というジョンの条件刺激は、痛みという条件反応を引き起こします。動作と痛みは、実際の組織から発生する侵害受容なしで結びつくようになります。 私達は、重要な事象を固有受容的なもの、視覚的なもの、聴覚的なものや痛みのような関連する構成要素を持つ神経パターンに符号化しています。そして、感情要素と記憶要素も結び付けるかもしれません。このプロセスは、‘獲得’と表現されています。 このような神経活動の独特なパターンは、ニューロタグ、あるいはニューロシグネチャーといわれています。‘Graded Motor Imagery Handbook(段階的運動イメージハンドブック)’ (NOIグループ 2012年)の中で、Moseleyおよびその他は、このことを下記のように述べています: “ニューロシグネチャー(あるいは、ニューロタグと呼ばれる落書きの断片のようなもの)は、ニューロマトリクスにおける活動パターンの一つである。それは、ある特定の時におけるニューロンの物理的結合であり、痛み、動作、あるいは感情のような出力を引き起こす可能性がある” MoseleyとVlaeyenはまた、研究論文の中で、神経パターンの‘不正確な符号化’の概念に関しても述べています。神経パターンの不正確な符号化によって、非特異的でより一般的なパターン認識が、痛みと関連する防御行動の条件反応を引き起こすのを目にするかもしれません。このようにして、多くの異なる様々な動作が、腕の挙上、あるいは腕を拳上するという概念にただ緩く関連しているだけの痛みの反応を引き起こすかもしれません。これを不正確で減少した固有受容や皮質再現(運動計画に使用される)の変化と組み合わせれば、頭上での全体的な方向への腕のあらゆる動作は、ジョンにとっての潜在的な地雷原になるかもしれません。 運動恐怖症(動くことへの恐怖)はしばしば、腰部屈曲、あるいは怪我をした膝を使った動作のような特定の動作に関連しています。運動恐怖症は、慢性腰痛に関与*ここをクリックしてください*しているのと同様に、ACL損傷後に顕著であることが示されています*ここをクリックしてください*。 この運動への恐怖は、徐々に恐怖回避へと移行し始めるのでしょうか?理論は、明らかな病変の存在無しに、急性痛から慢性痛への移行に関わる連合学習を含む可能性があるため、恐怖回避モデルはここでは関連性があります*ここをクリックしてください*。 恐怖回避は、特定の行動への条件反応なのかもしれません。もし私達が継続的な回避行動や防御行動と結合している多くの問題における時間的尺度に着目するならば、病状との関連性は弱くなり、行動と信念との関連性は強くなるかもしれません。 Zusman (2004年)は、“Associative memory for movement-evoked chronic back pain and its extinction with musculoskeletal physiotherapy(運動誘発性慢性腰痛における連想記憶と筋骨格系の理学療法による痛みの消滅)” の中で、痛みの記憶/関連性の概念に関して議論しました*ここをクリックしてください*。彼は、“回避、準備、防御”を促す中立的または無難なキューを解説しています。 Zuamanは、“同じ扁桃体ニューロン”と“学習と想起”に関連する扁桃体(脅威と恐怖を司ると提示されている脳の部位)への中性刺激と侵害刺激の収束を述べています。 これが連合学習プロセスを引き起こすでしょう。 “現在の提案は、急性に、静的動作と動的動作によって作り出された無害な固有受容感覚情報(‘中性’入力)が、偏桃体での適切なニューロン収束後の侵害受容(炎症性痛覚)に‘関連する’ようになるということである” 私達は、強く関連する疼痛反応によって、通常の、あるいは中性の固有受容感覚の求心性入力の汚染を受けているかもしれません。私達は通常は脅威ではない入力への反応として、痛みを出力することを学習するのです。 これは、神経パターン、あるいは‘痛みの記憶’として蓄積されます。私達は、これらの記憶と行動を補強するトップダウンとボトムアップの両方の影響力を持ち、特異的、あるいは不正確な符号化によって非特異的な動作による長期的な問題を引き起こす可能性があります。 Nijsおよびその他は、彼等の研究論文“Exercise therapy for chronic musculoskeletal pain: Innovation by altering pain memories(慢性筋骨格痛におけるエクササイズセラピー:痛みの記憶の変化による革新)”*ここをクリックしてください*の中で、急性期における痛みを伴う動作はしばしば、慢性期においては完全に安全であるという事実を議論しています。 “問題は、脳が動作を危険/脅威に関連づけ、長期的な痛みの記憶を手に入れているということである。そのような‘危険な’動作に対して準備することでさえ、脳がその恐怖記憶中枢を活性化し、よって痛みを産生(侵害受容無し)するのに十分であり、変化した(防御的)運動制御戦術を使用する” ここでは、組織の現状に対する脅威/防御の知覚レベルの再調整が目標であるべきです。MoselyとVlayaenが提示したように、組織や問題となる組織からのシグナルではなく、動作自体と関連する反応が問題を引き起こすのです。
重要な動作、痛みの‘記憶’、再調整! パート1/3
関連性のある重要な動作に関する考えは、ここコーキネティックにおける私達にとって大変重要です。そこで、私が読み、消化し、整理したい最近のいくつかの事柄について書き留めようと思いました! それはしばしば、人々にとって問題となる特定の動作であり、丁度目の前に立っている人間にとって関連がある、あるいは重要であるとして、私達が判断する可能性のある動作です。これは、腰痛を抱える人における特定の角度での前屈、あるいはテニスのサーブやゴルフのショットのような特定の動作に関連しているのかもしれません。 これらの動作は、より危険性の少ない他の動作よりも、中枢神経系によってより注意深く精査されているかもしれず、そして、その反応として、痛みと恐怖の不均衡なレベルを産出するかもしれません。 これらの動作は、スポーツができない、子供を抱え上げられない、あるいは靴ひもを結ぶことすらできないというような、障害の感覚と生活の質を形作るかもしれません。 特定の動作を行うことに対する現在の認識は、現在の解剖学的な状態によって影響されているのではなく、知覚された解剖学的な状態、あるいは以前の疼痛経験に基づいて発生した関連する学習によって影響されているのかもしれません。この関連する学習プロセスは、‘痛みの記憶’を吹き替えており、それらの背景にある科学や理論に関しては後で述べます。これらの変化した知覚は、正常な治癒に掛かる時間をはるかに超えて、痛みに関連する感受性の上昇や運動行動に影響を及ぼすかもしれません。心理的要因が患部における運動行動、生体力学、生理学に実際に影響を及ぼす可能性があります。 再修正 動作の再修正に関する考えは、組織における知覚された状態とそれに続く運動反応、そしてかなりの時間が経過した後に、生命体にもたらすかもしれない動きの脅威低減という実際の現実を調整する手助けをすることです。ネガティブな知覚は、ネガティブな動作反応と感覚反応(痛みに至る不快感)を引き起こす可能性があります。再修正プロセスを促進するための、認知的入力と動作入力の両方について後に述べます。 再修正は、ただ単に筋肉、腱、神経、骨等に関して考える以上のものであり、むしろ、人間的側面をも解剖学の中に包含することです。再修正とは、どのように人間が、一般的な動作、特定の動作、あるいは腰部のような身体の特定部位の動作に関する考えに対して知覚し、反応するのかを考えることです。 これは現在進行中の衰弱させる痛みのケースの極端な例かもしれず、決して完全に解決することの無いような内在する小さな悩みの一部を形成するかもしれません。痛みと動作の関連性は、数多い怪我の後に起こり、現在進行中の不快感と痛みの状況の一因となるかもしれません。 これを状況に当てはめてみましょう: ジョン(45歳)は長期間(3年間)にわたり、90度以上の肩関節屈曲時に肩の問題を抱えていて、以前に‘肩峰下インピンジメント’と診断されました。肩を素早く動かす際、あるいは通常よりも重たいものを持ち上げる際にかなり悪化します。彼は数多くの受診をし、以前に画像診断を受けた際に、いくらかの構造的変化が認められました。これまでにマッサージや超音波を含む様々な用手療法を受けてきました。加えて、いくつかのセラバンドエクササイズも行ってきています。 このことが彼のジム通い、スポーツ、家周りのDIYを制限しています。そして、彼が可能であると感じている事に大きな影響を及ぼし、彼の活動レベルと彼の主な身体活動であった大好きなテニスの障害になっています。この肩痛は、最初はあるテニストーナメント後に起こり始めました。初期の頃は休息後に、わずかに改善しましたが、痛みが完全に消え去ることはなく、毎回、腕を90度以上挙げる度、重いものを持ち上げる度、素早く動かす度、あるいは長い時間行う度に痛みを感じ、時には急激に悪化し、それが2,3日続くこともあります。彼は、これらの行動を取るときは毎回、影響を及ぼすことを知っています。肩痛が絶えず彼を後戻りさせるため、彼はテニスへの復帰を試みることを諦めています。 ジョンはテニスができなくなって以来、体重が増えていると感じ、元気が出ないことに悩まされています。そのテニスクラブは、ジョンの社会生活のリソースでもあったため、時折、ジョンは社会生活にも影響を受けていると感じています。 私達は活動が問題であると見なすだけではなく、ジョンの生活の他の部分にも大きな影響をもたらすと考えています。彼に腕を頭上まで挙げさせることや活動を行えるようにすることは、ただの身体活動自身よりも大きな意味を持っていて、彼の生活の多くの部分に影響を及ぼします。 その痛みがジョンの生活に対して何を意味するのかが、彼の肩から来る情報を中枢神経系が処理する方法を変化させるかもしれません。ジョンは、組織は繰り返し圧迫され継続的に損傷しているという、以前から言われてきたことを信じていて、そのこともまた彼の反応に影響を及ぼしているかもしれません。 世の中にはジョンのような人達が数多くいるのでしょうか?彼のような人に会ったことがありますか?彼等は肩、膝、背部、あるいは他の部位に長期間にわたる重大な問題を抱えている可能性があります。彼らは進み続けていくことができるのですが、一見したところ‘永続的な’問題を抱えています。 問題はむしろ、組織自体の中にあるとともに、あるいはそれ以上に、その考え方や条件反射の中にあるのでしょうか?私達の知覚もまた、生体力学的領域と生理学的領域の中に現れるのでしょうか? ジョンは腕を挙げるように言われるとすぐに、痛みが出ることを知っています。それを彼の表情から読み取ることができます。彼は歯を食いしばり、息を止めます。彼の肩帯は挙上し、僧帽筋が硬直・挙上し、肩甲骨がわずかに前突するのが見て取れるでしょう。そして、脊柱屈曲の状態になり、肩甲骨の下制、あるいは内転はありません。肩関節屈曲90度に達する前でさえ、動作に応じた硬直は明らかです。 ジョンはこれらのいかなる身体的反応にも、まったく気付いていません。彼にとって、それらの身体反応は、ただ単に腕の挙上動作の一つに過ぎないのです。それらは無意識で条件付きなのです。ある時点では、恐らくそれらは傷害部位と痛みのある組織にストレスを加えることを回避するように適合(助けになる)していましたが、もしかすると、私達はそれらに不適合(助けにならない)であるとレッテルを貼ることができるかもしれず、現在進行中の問題の一因になっているかもしれません。 ジョンに頭上でのテニスショット(最も問題となる)に関連したポジションを取らせる際、他のキネティックチェーンからもたらされる動作はほとんどなく、肩関節可動域は減少します。肩関節可動域は、重量、あるいはスピードの増加に伴い著しく減少します。 単純に、ジョンが動く前にリラックスし、肩を下ろした状態を保ち、幾分かの脊柱伸展をするように言うことには絶大な効果があります。可動域が増大し、幾分違いを感じ、やや改善しているように感じます。 “ほら、ジョン、リラックスすると幾分良くなった感じがしますよね。” ジョン - “そうですね。” “少し可動域が広がって、そんなに痛くないですよね、これに取り組んでいきましょう!” ただシンプルにジョンの知覚を変化させることが、いかに実際の動作の力学を変えるのかをみることができます。 私達は、ジョンの肩帯を下制させる能力、脊柱を幾分伸展位に持っていく能力、体幹を伸展させる能力に着目することができたでしょう。そして、どのように全ての事柄が、テニスのサーブや頭上でのショットといった関連する動作に相互作用するのかに着目することもできたでしょう。これは意義深く関連性があることです。
生きた経験をメインで生物学はサイドで、お願いします パート2/2
生物心理社会的な要因 おそらく私たちは、知覚や感度の強弱を説明するために、主な痛みの誘因である睡眠、ストレス、信条などもっと広範な生物心理社会的な要因も使っています。 痛みの感覚が患者の一番の感心事であるという考え方は、痛みの度合いよりも活動の制限の方がより重要であるのではないかということから、すでに疑問視されています。 より広範な生物心理社会的な要因は、しばしば“疼痛感受性”または“疼痛耐性”との関連性が研究されています。疼痛刺激や長期化する刺激への反応が増減することは、知覚または“感受性”の増大との関連性を用いて議論することができます。それらの要因がその人自身やその人の生活の質に与えた影響よりも、痛みへの影響の方に注目が向けられているようにみえます。私たちは、両方に取り組むべきではないでしょうか? 睡眠を一つの例として見てみましょう 睡眠には、痛みと双方向の関係があります。それは、ニワトリが先かタマゴが先かと同様、はっきりしたものではありません。不適切な睡眠は、実際に仕事にも社会的交流、生活の質にも影響することがあります。それよりも、私たちは、この点に注目し、これを調節因子として知覚を説明してもいいわけです。 また、ストレスと痛みの“アロスタティック”負荷の観点に関して言うと、“痛みは、何か悪いことが起きていることを示してはいるが、それが何なのかは分からない”という概念化されています。 このようなことから、痛みはたいてい組織損傷を報告するには不適切であると説明される一方で、痛みにまつわるより広範な要因について正確に伝えてくれるという捉え方ができるかもしれません。とはいえ、正確に何であるのかは教えてくれないのですから、そこに何でも放り込んで痛みのせいにしてしまうのです。 正直に言うと、この概念に振り回され、私も多分メンタルな難題にはまっているのではないかと認識しています。 ある意味、“警告”はそれほど注意を払う必要のないものとしてみるべきです。たとえば、エクササイズによる“痛みの偶発性”ではなくて“時間の偶発性”の考え方のように。痛みが心理社会的ストレス要因を“報告している”のであれば、もっと注意を払うべきです。 心理社会的な要因は、組織の損傷でもなければ痛みでもないかもしれない、またその可能性は高そうです。しかも、同じ“ストレス要因”に対する私たちの痛みの経験は、個人差が非常に大きいものです。しかし、これはやはり知覚を優先にした見解であり、そこが、私がまさに反論しようとしていることなのです。 私たちは、ごく一般的に生物学についても話すこともあります。生物学は、基本的に全ての人に共通と言えますが、この共通の生物学が同じ経験に結びつくでしょうか? 私は、個人的には、そう考えていません。生物学から始まり、複雑な生きた経験につながっていきます。 知りたくてたまらないのは、理解されるのにどのぐらいの生物学の知見が必要なのか、そして生物学に主に焦点を当てた場合、それがどれだけ役に立つのか?もちろん、その答えには個人差があり、全てに共通して言えるひとつの解決はないでしょう。 警告システムに共通する議論は、進化に基づいている 痛みに関する最近の議論の一つに、進化論的観点に基づいているものがあります。痛みが“警告”や“防御”であるという考え方は、痛みを基本的な生命の維持に必要なものとしてみています。 おそらく、生物心理社会的観点から痛みを見る場合、より基本的な進化論的観点から痛みをとらえる防御としての考え方ほどには、しっくりこない部分があるかもしれません。 最も基本的レベルでは、侵害受容は警告として概念化されているのだと私は思います。高度な閾値検出システムのネットワークは、ちょうど警告の区分に入ります。しかし、侵害受容が単純に痛みと同等でないことも私たちは認識しています(過度な単純化のことを思い出してください)。警告システムのさらなる分析によって、またはもしかすると分析の不足によって、痛みが発生するかもしれません。ということは、痛みは私たちの警告システムに対する反応なのでしょうか? しかし、私はそうは思いません。 この痛みの概念化は、痛みが与える広範レベルの影響についてあまり注目していないのかもしれません。心理学的傾向が強い研究は山ほどあり、また社会学寄りの研究もいくつかあります。その一方で、痛みが持つ最も有用なメッセージを患者に説明できるほど、十分にはまだ探求してきていないように思います。痛みの多面的見解とは、単なる生物学的役割と痛みの脅威だけでなく、痛みが生物心理社会的スペクトラム全体に及ぼす影響やその双方向性だと考えます。 警告の概念化では、痛みがどのように人間に影響を及ぼすのか、その心理や社会的広範囲の影響の説明になっていません。私たちは、障害や苦しみなど心理的および社会的機能に及ぼす多くの痛みによる影響を、単なる警告の役割として片付けられるでしょうか? もしかすると私達の生物学は、心理的および社会的環境の変化と歩調が合っていないのかもしれませんね?単純な警告システムは、私たちの痛みに対する意義や感情、そして社会における機能に及ぼす広範な影響と適合していませんね? 将来の方向性は? ここで、私の意見として、痛みの科学教育での最近の優勢なアプローチは、生物学的側面に焦点を当て、徐々にそこから心理社会的側面へと移り変わっているようです。おそらく、私たちは、人生に及ぼす痛みの影響という大局的な視点からスタートするべきで、そして必要に応じて生物学的側面に落とし込んでいくべきかもしれませんね? それを説明する前に、まずは、その人とのラポール(信頼関係)を築き、その人とその人が置かれている状況を理解することに努めましょう。 患者と痛みについて話し合っても良いでしょう。そのことで大きな変化が起きる人もいます。全員ではありませんが。他の全ての治療がそうであるように効果には個人差があります。 痛みについての万能な説明は、ないのかもしれませんね?それぞれの痛みの経験に正解がひとつだけというような概念はなさそうです。 私がこれまで話してきた何かが、皆さんが治療している人に結びつくことがあるでしょう。彼らの個人的な経験や痛みの意味を彼らが理解できるよう手伝うことは、より関連性のあるものにしてくれるでしょう。 ただ情報をあてがうだけで、彼らの行動を変えられると期待してはいけません。行動の変化を明確にし、具体的な情報を利用し、行動を変えられるように試験的にアプローチしてみましょう。そして、その効果があるかどうかをしっかり見極めてください。
生きた経験をメインで生物学はサイドで、お願いします パート1/2
痛みの科学の世界、またはもっと聞き慣れた言葉の“疼痛科学”は、論議の際に必ず意見の分かれるトピックです。 私は決して研究者ではなく、平凡なブロガーであり臨床家であることを前置きしておきたいと思います。私の意見の価値を低下させることになると示唆されますが、私はそれでも構いません。そう、みなさんに忠告しておきましたよ! 本題に入る前に、コメントしておきたいことが二点ほどあります。 まず一つ目に、臨床的立場と患者の観点の両方から、痛みについて、より多くのことを理解する重要性を強調しておくべきでしょう。この分野に関わるすべての人にとって大いに役立つはずですが、いくつかのメジャーな意見よりも、まだ進化していて解明していく余地のある意見の方が役にたつかもしれません。 二つ目に、痛みはちょっとした“特別な関心事”として見ることもできます。しかし、痛みに苦しんでいる人に関わる人が、もし痛みにまつわる最新の概念について、少なくともある程度の教育を受けていないのであれば、まるで料理する食材についてあまり知らないシェフのようです!痛みの科学は、クライアントや痛みに苦しむ人に協力する人はだれでも、熟知しておくべき基本的な分野のひとつです。 生物学的なものへのとらわれ? 生物心理社会的という言葉が、ヘルスケアでは頻繁に使われるようになりました。私の意見として、痛みを理解する上で生物心理社会的見地ほど重要なことはないと思っています。異論はあるかもしれませんが、最近の主流な見解や“疼痛科学”から発信されるメッセージは、多くの点で生物学的なものを本当はまだ超えられていなのだと思います。 この投稿ではっきりと申し上げたい点は、生物学的なものが不要だということではなく、痛みやそこから派生する人々の人生への影響を本当に理解するのに十分でないということです。すでにこのことを提唱して、両側面を取り入れている臨床家達もいます。 私たちが掲げている痛みについてのスローガンや情報の大多数は、とりわけ生物学と解剖学に焦点をあてています。そして、教育も主にそれらの要素に基づいています。公平な立場で言うならば、もしかするとこの生物学的メッセージは、生物学の域を超え行動にまで効力がおよぶことをねらいとしているのかもしれませんが、行動に関する側面への注目が薄いようにみえます。 以上のことから最も重要なメッセージは、次のことかもしれません: "痛みがあるということは、身体的な危害が加わるということと同じではない" ですから、感覚やその大きさ、重症度など、その人がそれをどのように表現したとしても、それらは、組織の損傷と“アイソモーフィック”(単純、直接的、1対1の対応という意味をかっこよく言ってみると)の関係ではないのです。多くの人にとってこれは参考になり、力づけてくれる情報ではありましたが、中には自分たちの痛みの経験をこれと同じように共感できない人もいるわけです。 警告や神経、脳、センサー、侵害受容器など、痛みについて議論する時に使われる用語を考えてみると、それらのほとんどは、実際、刺激と反応過程、もしくは基本的に痛みの知覚に関連した生物学的用語です。つまり、そういった情報の方が、それを受け取る人間よりもさらに重要であるかのように言っているようです。 痛みは、感覚識別的局面だけではなく、情動動機づけ反応を引き起こす局面もあります。それらのバランスがとれていることもあれば、どちらかが優位になることもあり、問題が生じることもあります。生きた経験は、私たちが感じる感覚以上のものなのです。 これらすべてをややこしくしてしまい、私は、責められるかもしれません。プラスの影響をもたらす単純な情報もある一方、過度に単純化することで、痛みを理解する上で“痛みの伝達経路”と“痛みの受容器”が問題であるかのように議論を導いてしまうことが、しばしば指摘されます。 痛みが単なる感覚や、ある“警告”であるかのように考えることは、それを生物学の枠外でとらえ、心理学的または社会学的領域で見る場合、中途半端になってしまうかもしれません。これは、複雑で多面性がある問題を単純化し過ぎということかもしれませんね? おそらく“痛みは防御です”とか“痛みは警告です”などと、一文で概念化できるものではないのかもしれません。痛みの体験の生物学的側面を除外して、大事なものを無用なものと一緒に捨てるというわけにはいきませんから、ここでの問題は、痛みが人生にどのように影響するかを解説する生物学的観点とその説明は十分であるか?ということです。私は、多くの場合、十分ではないと思います。 私たちは、知覚がどのように起こるのか、そしてそれに関する生物学的過程など、知覚について論じることに非常に長けているようです。しかし、広範な心理的および社会的影響となると、痛みが、生活や感情、モチベーション、各個人の全体的な経験などにどのように影響を及ぼすかを説明したり探求したりするのは得意ではなさそうです。 生物心理社会的レンズを通して痛みについてさらに詳しく見てみましょう 臨床家と患者の両方の見地から、痛みに関する知識の真の変容は、すでに構築された偉大な業績のもとに深められ、進歩しています。この変容こそが、人間の経験の心理的・社会的側面への影響を理解につなげると私は信じています。障害や苦しみを、生物学的“警告”システムの一部としてではなく、痛みの経験の社会的側面として表すことができるかもしれません。 痛みは正常で頻繁に起こるものであるということは、“疼痛科学”からの重要なメッセージです。継続的な痛みへと進行しない人や継続的な痛みでも上手く付き合って生活できる人は、痛みによって最も否定的な影響を受けてしまう人と何が違うのでしょうか? 痛みによって最も強く影響を受ける人は、おそらく知覚レベルの増減によって影響を受けるのではなく、その代わりに、痛みが彼らの生活全般にどのぐらい影響を与えているのか、つまり、働くことが可能か、社会との繋がりが保てるか、積極的に社会全体に溶け込むことができるのかどうかなどで変化します。そこで当然、知覚の解釈もここには含まれますが、決して全てではありません。痛みは、損傷だけではなくそれ以上の数多くの意味を持つのかもしれません。この意味を知ることやそれに関連した情報を与えることが、糸口になるかもしれません。 このことは、エンゲルが提唱した生物心理社会モデルに重なります。そこでの中心は生物学的側面ではありますが、社会レベルに至るまでの影響を示しています。
リハビリでの痛みのあるエクササイズ:イエス、ノー、または考えるべきことがたくさんある? パート2/2
痛みだけが問題ではない 潜在的に痛みのあるエクササイズの最も問題となる部分、そしてとても議論されていることの一つは、痛みに関連するより心理学的な面について、そしてそれらがどのように個人に影響を与えうるかということでしょう。多くの身体部分における回復の最良の予後因子の一つは、痛みの自己効力感であり、*ここ*にChesterらによる最近の論文、そして*ここ*にFosterらによる論文もあります。痛みの自己効力感は、痛みに関わらず通常の機能を継続することのできる能力です。より高い痛みの自己効力感を持つ人々は、より着実にエクササイズに取り組む傾向もあるということを留意しておくことは重要です。 したがって、ある人の痛みの自己効力感は、特に痛みが落ち着くのに24~36時間かかる場合に、彼らが痛みを抱えながら耐えられるかどうか、そして機能し続けることができるかどうかという、痛みを伴うエクササイズの要となる基礎的技術の重要な因子となります。 予測される成果はもう一つの重要な予後因子であり、もしある人が痛みの増加は悪い成果をもたらすと信じている場合、これは実際の成果に悪い影響を与えるでしょう。 Jackら*こちら*は、エクササイズプログラムを着実に実行できない一番の理由は、人々が問題を悪化させたくないからだということを発見しました。したがって、痛みについての負の信念を伴う痛みのあるエクササイズ、低い痛みの自己効力感、そして悪い予測結果の組み合わせは、うまくいかないかもしれません。 Sandfordらの「回旋筋腱板腱障害における家庭内およびクラス受講型エクササイズに対する経験、障壁、そして成功要因を探索する」という定性的な論文もまた、問題を悪化させるという不安がエクササイズへの順守を減少させる重要な要素であることを発見しました。 私たちに何ができるか? まず、もしあなたが必要だと感じるならば、これらの要素を持つ人々をスクリーニングすることができるでしょう。私たちは、痛みの自己効力感アンケート(PSEQ)や、より短いバージョンのPSEQ-2のようなツールを持っています。 私の意見ですが、アンケートを用いることの一つの警告は、それは私たちに痛みを管理することにおける自信や回復力を評価するための点数を与えてくれますが、恐らく私たちの患者特有のことについては教えてくれないだろうということです。そのため、話の中からこれらのより個人的な部分を徐々に引き出す優れた主観的調査に加えて、アンケートを取り入れられることは必須です。 また、彼らがトリートメントから得られると期待する成果、そしてもしそれが痛かったらそれは何を意味するかについて尋ねましょう: 「このエクササイズがあなたに効果があるだろうと感じますか?」 「このエクササイズを行うことについて何か心配することがありますか?」 ある人はあなたに、彼らは以前エクササイズを試したことがあるが効果がなかったこと、あるいは特にそのエクササイズが痛みを伴う場合、それは問題を悪化させるかもしれないと感じていると伝えるかもしれません。 また、全ての患者と、痛みに関して彼らが信じていることは何かを議論することも重要です。彼らが信じているのは、痛みは彼らが身体によりダメージを与えていることを示している、または、彼らは痛みを持っているために、あるいは将来の機能への影響のために働くことができない、ということかもしれません。それはしばしば痛みが患者に何を意味するのかということであり、そのことが単なる痛みの感覚そのものよりもむしろ本当の問題なのです。 覚えておくべき重要な要素は、痛みのあるエクササイズが肯定的であるか、痛みのないエクササイズに劣るものであるかに関わらず、負の思い込みはあなたの患者がエクササイズすることを阻むだろうということです。 教育 私たちが自由に使える最もパワフルなツールのうちの一つは、教育です。それは師弟関係をほのめかしうることから、私は必ずしもこの単語が大好きだというわけではありません。しかし、人々に効果的な教育を提供するために、私たちはまずラポール(信頼関係)を築き、それから彼らがもっと知らなくてはならないだろうことは何かを理解する必要があります。 私たちは様々なことを教育することができます: -多くの問題に対するエクササイズの効果性 -痛みのあるエクササイズは大抵有害ではない -痛みの自己効力感は重要な予後因子である -痛みが実際何を意味するのか、そして身体的ダメージとの関係 一連の過程と期待されることは何かについて話すこと、そしてしばしば、それは適切なレベルや望ましい反応を得るための試行錯誤の過程であるということについて話すことは価値があるでしょう。 これは患者、彼らの履歴、そして信念構造を知ることから始めなくてはなりません。 あなたがスタートする場所は、あなたがゴールしなくてはならない場所ではない 私たちは、痛みのあるエクササイズにまっすぐ飛びつかなくてはならないのでしょうか?私はそうは思いません。それは必須でもなければ、害になるものでもないのです。 指摘しておきたい重要な点は、痛みについて非常にネガティブな信念や低下した痛みの自己効力感、そして成果についての良くない信念を持つ人に対し、すぐに痛みのあるエクササイズに挑戦させることは、必ずしも最良の行動であるとは限らないだろうということです。彼らがあなたへの信頼や身体への自信を構築するにしたがって、徐々に痛みがあるところまで進めていくことが、より良い手段である場合もあるでしょう。 私たちは人々に痛みを避けるという選択肢を与えることが、実際に痛みの回避を維持してしまうことを知っています。そのため、回避する行動を推奨してはいませんが、特にその人が多くの否定的な痛みや回避に基づく信念を持っている場合、これらの物事に立ち向かうことには、少しの時間や自信、そして教育を必要とするかもしれません。 治療効果をもたらさなかった痛みを伴うことの実施に固執する人たちは、しばらくの間痛みのないエクササイズも有効であるかもしれません。もしあなたが彼らのこれまでの過程を見て、痛いところまで進めることが望ましい反応を与えなかったと感じるならば、一休みするか用量を変えることがまさに近道となることもあるでしょう。 概して、ベースラインでより高いレベルの痛みを持っている人たちは、臨床成果がより悪いようであり、このことが、エクササイズを通してこのレベルの痛みを維持することが必ずしも良いアイデアではないだろう、と私に判断させてもいるのかもしれません。 ここには本当に厳格な決まりなどなく、あるのは個人および個別に考慮すべき点のみです。 もしすべてがうまくいかなければ??? ここは、自己効力感が本領を発揮するであろう場面です。エクササイズの過程において、あなたの患者に自己管理する権限を与えることは恐らく有益でしょう。 できれば患者がエクササイズプログラムに取り掛かる前に私たちが患者に伝えておきたいことですが:これはしばしば試行錯誤でありがちです。もしエクササイズが少しうまくいかない場合、私たちは患者がエクササイズ量を調整できるようにしてきましたか?(リハビリにおける用量についての短い論文は*こちら*です。) それでは、あなたの患者は症状について何に注意すべきか知っていますか? 彼らはどのように用量を調節するか知っていますか?これはエクササイズ頻度や強度、時間、セットおよび回数(量)におけることでしょう。 彼らは質問するためにあなたに連絡することができますか?このことを彼らは知っていますか? これらはすべて、痛いところまで頑張らせる際の必須条件だと思います。 先週私が見た患者は、48時間おきに痛みを伴うリハビリに忠実に取り組んでいました。彼は、伝えられたことをすれば良くなると信じていました(信頼ですね!)。しかし三か月後、望まれた成果は出ませんでした。このケースでは、彼はこれが起きた場合は何をすべきかという指示を与えられておらず、ただ彼は良くなるという全面的に盲目に信じることのみを与えられていたのです。 重要な点(キーポイント) 私たちの持つ研究によると、痛みのあるエクササイズはより悪い成果をもたらさない 研究は、痛みのあるエクササイズに対するあなたの患者の反応を保証してはいない ただ痛みのセンセーションだけではない!痛みが何を意味しているのか、そしてそれがエクササイズ順守のような行動にどのように影響するのか? 痛みの自己効力感と予測される成果は重要な心理学的尺度であり、議論され、計測されることができる エクササイズと痛みへの反応に関する教育について考えよう 痛みのあるエクササイズから始める必要はない! あなたの患者に自己管理できる力を与えよう
リハビリでの痛みのあるエクササイズ:イエス、ノー、または考えるべきことがたくさんある? パート1/2
リハビリのエクササイズが痛いものであるべきか否かは、最近多く議論されるトピックとなりました。私たちがリハビリで(最適な)負荷をかける役割や、リハビリの過程の非常に早くから患者を動かし負荷をかけ始められることの価値を評価し始めたのと同時に、私たちはこれが痛みを経験せずには起こりにくいということもわかってきました。 もしあなたが痛みについて何らかのタイプの理解をしているのであれば、「我々は痛みのあるエクササイズを用いるべきか?」という単純な質問が、突如それほど単純には思えなくなってしまうかもしれません! シンプルなイエスかノーよりもむしろ、どれくらいの痛みなら大丈夫か?誰に有益であり、誰に有益でないのか?というような、答えるべきたくさんの疑問があります。そして、その過程を管理する最良の方法は何なのか?特に、もしすべてが計画通りに進まなかった場合には! 研究 データの観点から、もしここに、私たちを導くために使える何かがあったら素晴らしいですよね。驚いたことに、あるのです、それもオープンアクセスで。 スミスらは2017年にこの疑問を調査しました。 Should exercises be painful in the management of chronic musculoskeletal pain? A systematic review and meta-analysis 「慢性的な筋骨格系の痛みの管理においてエクササイズは痛みを伴うべきか?系統的レビュー及びメタ分析」 この系統的レビュー及びメタ分析は、痛みの度合の異なるエクササイズを用いた9つの試行を調査しました。彼らは、短期、中期、あるいは長期間のフォローアップにわたって、痛みのあるエクササイズが統計的により悪い成果をもたらさなかったことを発見しました。短期間においては、約0.2という標準化平均差値(Standardised Mean Difference; SMD:メタ分析の効果量)に示されるように、痛みのあるエクササイズに小さな統計的有用性がありました。つまり、研究の観点からは、これは肯定的なニュースです。 臨床の観点からここで一つ述べたいのは、痛みのあるエクササイズを用いることがあなたの患者にとって有益な効果をもたらすという保証はないということです。全ての統計的検査は、私たちにある効果の確率を与えるだけであり、よって肯定的な効果が得られる可能性が高いのですが、私たちが痛みのあるエクササイズの標準化平均差の平均を見ようと信頼区間(変動性尺度)に目を向けると、研究の大多数においてはそれらがマイナス効果の領域に入り、その研究のいくつかにおいてはかなり大幅にマイナス効果が見られるのです。 また、痛みのあるエクササイズの可変効果は(短い時間枠を通してではあるものの)、O Neillらがアイソメトリクス(等尺性)の急性効果を調査した最近の文献でも示されました*こちら*。もちろん、アイソメトリックエクササイズと痛みのあるエクササイズは同じものではないとはいえ、ここでのポイントは、エクササイズの可変効果が浮き彫りになっていることです。痛みのベースラインがより高い患者において、アイソメトリクスは実際運動後に彼らの痛みを増加させており、これはただグループの平均を見るのではなく、研究内の個別の反応を調査することにより得られたものです。ベースラインでより低い痛みを訴えた患者は、アイソメトリックエクササイズでより大きな鎮痛効果を受けていたようでした。 しかし、少なくとも私は、それが有害な効果をもたらさない可能性が高いと言えると思います。リハビリはしばしば痛みを伴うものであると私たちはかなり確信を持っていますが、痛みのあるエクササイズをある種の打ちっ放し万能薬として考えることなく、痛み独自の本質をよく理解しています。 私たちは、痛みの習慣性から条件付きの疼痛調整および知覚メカニズムに至るまで、痛みのあるエクササイズがどう働くのだろうかというメカニズムを議論することもできますが、現時点において、私達は、本質的にはあまり理解できておらず、これは人によって異なったりいろいろな組み合わせになるのかもしれません。 利益 利益は、身体的および心理学的な両方にあるでしょう。 まず、それによって患者はより多くのエクササイズをすることができます。もし彼らが痛み(あるいは偶発的な痛み)によって制限されていないのであれば、彼らはエクササイズが痛みを伴うためにできなかった場合よりも、より大きな用量を扱うことができます。しかしながら、現在私たちは、痛みに影響するエクササイズの理想的な用量がどれくらいか知らない、ということを付け加えることは重要です! 次に、それは痛むことは危害と同じではないというメッセージを送っています。その問題は痛みを伴うかもしれませんが、正しく管理すれば鎮ませることが可能です。これによって人々は、彼らの痛み、そして彼らがそれをどのように管理することができるかの新たな洞察を与えるかもしれません。 痛みの自己効力感もまた、経験に基づき構築されるかもしれず、痛みのあるエクササイズをツールとして用いることは、これを助けるための一つの選択肢となるかもしれません。 臨床での応用 さて、このテーマにいくらかの客観的データを用いることは素晴らしいのですが、ご存知の通り、それを臨床での応用に取り入れることが常に容易であるとは限りません。 まず、いくらかの痛みを恐れないこと!それがより悪い成果をもたらさない可能性は高いのです。しかし、私たちが考え、感じる人間と関わるがゆえに、それは当然このように単純ではないのですが、それについてはのちほどお話します。 いつもエクササイズで痛みが出ないように、あるいは継続的に痛みを治療することにおける問題の一つは、それが痛みについて何といっているか?ということです。私たちは痛みが危害であるとは限らないと人々に伝えてはいるものの、私たちの行動は同じことを伝えていないかもしれません。もし痛みが大丈夫なのであれば、もしそれが正常なのであれば、問題を改善していく過程の中で私たちは痛みを少し我慢しなくてはならないのかもしれません。 しかし、どれくらいが大丈夫なのかは重要な質問ですよね?痛みのあるエクササイズをさせた研究は、運動中または運動後に基準となる症状から増加なしというものからVASの5/10までの幅がありました。 私たちは、VASが非常に主観的な尺度であるという制限を知っているので、恐らく数字での点数よりもむしろ、耐えられる痛みか耐えられない痛みかという考えを導入するかもしれません。 耐えられるというのは、少し痛むけれども障害となるほどではないものかもしれません。耐えられないというのは、私たちの日常生活における活動を妨げることだと考えられるでしょうし、私たちの睡眠に影響し、生活を全般的に少し不幸にするかもしれません。これは人によって異なるため、耐えられるという概念が重要になるわけです。 私たちはまた、痛みがどのように落ち着くかも知りたいと思っています。エクササイズ刺激の後なかなかひかない痛み、あるいはエクササイズをする中で何日にも渡り次第に悪化し続ける痛みは、恐らくあまりいい案ではありません。私たちは、遅発性筋肉痛(DOMS)に非常に似ている、24~36時間に渡り徐々に落ち着いていく、ベースライン(耐えられる痛みでしたよね)よりほんのわずかに増加した痛みを伴う良い刺激反応が見たいのです。 したがって、DOMSに関しては、痛みの増加が、実際に元の症状と同じなのかを判断することが重要です。運動後の軽い痛みはごく普通ですが、エクササイズに不慣れな人たちにとっては、特に現在痛みのある部分についてはこれを認知できないかもしれません。痛みが何か、そして軽い痛みが何かを定義することは、患者にとって理解をするための良いエクササイズの一つなのかもしれません。漸進的な過負荷が、リハビリでのエクササイズに必須であるかどうかわかりませんが、それは恐らく良いアイデアであり、したがって患者のために前進あるいは後退させる基準となるなんらかの耐えられる痛みのベースラインを持つことも素晴らしいアイデアなのです。これには、もちろんおまけとして、エクササイズを用いた彼らの自己効力感への影響もあるかもしれません。
痛みに対するエクササイズ投与はフィットネスのためのエクササイズ投与と同じではない パート2/2
耐性 痛みに対するエクササイズは、症状を変化させるためのエクササイズ/運動のコンセプトからわかるように、短期間で痛みを軽減するものとして常に見られるべきではないかもしれません。代わりに、痛みの自己効力感の増加や痛みのある中で身体を動き続けるという、我慢できる痛みの量で動いていることは同じくらい重要なシナリオです。 耐性は、実際には患者ごとに定義されるべきであることを覚えていてください。エクササイズは患者の痛みを減少させることに加え増加させる可能性もあり、そしてエクササイズによって患者の症状を再発させたことのある、医療現場にいる全ての人はこのことを理解しています!最適な負荷設定のコンセプトはまさに組織/生理的な適応に関することですが、おそらく私達はこの適切な負荷設定のコンセプトを、痛みへの適応、痛みの増加、現在の症状レベル内での維持、そしてさらに痛みの減少へと応用する必要もあるのかもしれません。 私達は、痛みを伴ったエクササイズすることで悪い結果にはならないことを理解しています(こちら)。私は以前にこれについてここで述べました。 患者の現状 耐性のコンセプトにおいて、処方量に関連して患者の現状について考慮しなければなりません。耐性のコンセプトを筋力やROMなどを変化させるというモデルの中で一致させることは私にとっては難しいことであり、それはこれが私たちの患者のエクササイズに対する耐性に影響するかもしれないことを考慮していないからです。 患者の痛みに対する耐性に影響を与えるかもしれないものは: 現在/以前のエクササイズレベル ストレスレベル 睡眠習慣 刺激に対する痛みの感度の増加に関連したあらゆるもの 私の好きな医療的推論手段の一つはMaitlandによるSIN分析です。性質(痛みの種類)についてはあまり掘り下げることなく、重症度(現在どれだけ痛むか)と過敏性(与えられた刺激に対してどれだけ長く痛むか)は、実に現代の感受性のコンセプトに相当するのです。「感受性」における重要な要因の一つが不均衡な刺激と反応(痛みのレベルや持続時間または重症度と過敏性)です。これは、刺激やエクササイズの処方量を現在の感受性のレベルに合わせて引き下げることで、医療的推論に情報を与えてくれます。 自覚的運動強度(RPE) 私が処方量を判断する数値の一つがボルグスケールを用いた労作レベルです。これは伝統的な固定観念からのセットや回数を用いるものよりもかなり主観的ですが、痛みはかなり主観的な体験なのです! もっとも難しいことの一つが、私たちの患者の反応についての知識が限定されている、または全くない場合に、私たちのエクササイズの処方量を最初は我慢できる限界以内に収め続けること、または処方量を滴定することです。私はRPEよりも痛みの視覚的アナログスケール(VAS)を使う傾向にあります(そうです、それがひどい測定値であることは理解しています)。もしVASが高ければ、私は労作レベルが低くなるようにします。私は、これによって反応を耐性限界以内に抑えられるように感じますが、もちろん毎回ではありません。 私はこれを10のルールと呼び、両方の数字を足すと…そうです、10になるのです!例を挙げると、もし痛みがVASで7であれば、RPEを3に維持します…もし痛みが低ければ、たとえばVASで3であれば、RPEを7まで上げるかもしれません。 しかし、もし患者のストレスや不安が大きいまたは、睡眠不足であるとあなたが感じたら、処方量を我慢できる反応以内にとどめておきたいのであれば、これらのどれをも処方量の思考プロセスの計算に入れなければならないかもしれません。 処方量に対する反応をチェックする 最も重要なことは、処方に対する反応をチェックすることです。注意深くなり、そしてVASが高いため、RPEを低く保ったとしましょう、そして患者はそれが簡単に我慢できると感じれば、もう少し強度を上げて負荷をかけられることがわかるでしょう。もし、労作や負荷を抑えているにもかかわらず逆の反応がでたならば、より低く下げなければならないかもしれません。 グレーでもOKとしましょう 私達は、実際に処方量を実施して反応をチェックするまで、どれくらいの処方量にするべきかは本当にはわからないでしょう。そのため、何が起こるかわからないことはOKで、頭を使い、そして時々間違うことをOKとしましょう。パニックにならないで、ただ処方量を調節して、これが普通だと慣れること、それは間違いなく精密な科学ではなく、多くの場合で試行錯誤なのです。 人々はいつも何らかの指示を欲しがるでしょう この問題の一つになり得るのが、人々は実施する量を知りたがったり、何らかの指示を欲しがったりするということです。このような指示は1日に10回3セット(正直に言いましょう、あなたはこれを言ったことがあるでしょう!)に大抵落ち着きますが、より具体的になるのが実になかなか難しいので、私はなぜこれが処方されるか理解できます。これが、なぜ多少ともちゃんとした理由づけを伴った試行錯誤であり、そして患者が再発とは何か/どのような意味があるかを理解するのを手助けすることが重要な理由です。 結論 現在、痛みに対するエクササイズの処方量がない 痛みは現在の処方のパラメーターに対して一定に反応しない 身体的な要素以外にも他に治療的な目標がある エクササイズのデータはリハビリにおける現在の処方量の考え方を支持しない 処方量のレベルに関連して患者の現在の状態を考慮する 医療的推論を用いる グレーでもOKとする
痛みに対するエクササイズ投与はフィットネスのためのエクササイズ投与と同じではない パート1/2
リハビリにおけるエクササイズの処方量は、いまだに医療現場における最大の不確かな領域の一つです。ある一方で、患者に対して負荷と処方量を高くすることを推進する近代的な考えがあり、もう一方で、痛みの増加やセラピストに対する患者の信頼の低下といった不都合なシナリオを最小限にするために発展してきたであろう負荷と処方量の低い伝統的なモデルがあります。 現在は、リハビリの一部となり得ると私たちが理解している身体特性に焦点を当てた、リハビリのための基礎的な処方量のガイドラインがあります。しかし、もし大部分のリハビリの主要な目的を、痛みということにして、私たち自身の現状の知識ベースに対して正直になった時、患者の痛みに対して信頼できる結果を得るために用いることができるセットやレップ数、またはその他の処方量のパラメーターを、私達は実際には持ち合わせてはいないのです。 リハビリのエクササイズに対する現在の研究基盤に目を向けた時、痛みに対する平均的な効果に関する信頼区間がゼロを跨いでいる、つまり効果が大きい、小さい、さらには有害である可能性がまだ全て残っていることを度々目にします。 大まかな身体的な処方量のパラメーター 持久力 12+、2〜3セット 筋肥大 6〜12、3〜6セット 筋力 6以下、2〜6セット パワー 1〜2レップ、3〜5セット 残念なことに、これらのどれもが痛みと密接に関連してはおらず、そしてそれはかなり理にかなってはいるのですが、混乱も招きます。私達は痛みが多次元的なものであることを理解しているので、一つの要因を信頼して痛みに深く関連づけることはあまり理にかなっていませんが、問題は一つの要因(エクササイズ)が痛みに関連した複数の次元にも効果があるかもしれず、これは少し紛らわしいことなのです:)。もしかしたら、ここでの重要な点は信頼できるという言葉かもしれませんね? そこで、もし私たちがリハビリでこれらの身体的側面を向上させたいのであれば、取り組む必要のあるパラメーターがあります。ここでの疑問は、私たちがエクササイズについて理解していることをリハビリエクササイズと痛みに単純に移行できるか?ということです。 私は個人的にはそう思いません。 したがって、身体的なパラメーターが重要ではないとは言わないようにしましょう。しかし、エクササイズやエクササイズの処方量の伝統的な見解から痛みに対する予測可能な効果を期待することも賢明または正しいことではないかもしれないことを認識もしましょう。 エクササイズのプログラム作成に関してよく議論される原則が、SAIDの原則、Specific Adaptation to Imposed Demand(課された要求に対する特異的な適応)、であり、これは身体は常に与えられた刺激に対して適応するということです。さて、これは常に当てはまる原則ですが、身体がどのように適応するかということは依然として個人差があり、そして予想することはしばしば簡単なことではないのです。 しかし、問題は、私たちの現在の処方量についての知識を用いて具体的な目的とすることができると期待することこと、例えば、6回かそれ以下の回数の範囲及びそれを反映した負荷による筋力とでもしましょう:は痛みという別の治療的な目標と予測可能で明確な関係性を持つことを私たちが望むということです。 したがって、目標とする身体的な成果と関連した処方のパラメーター、そして痛みの成果の間に繋がりがないため、このケースについて実際に具体的になっていることは全くないのです。 身体的な適応だけよりも、現代のリハビリの見解は、患者に対して良い影響を与えるものにエクササイズが影響するかもしれないことについて考え始めたかもしれません。これらのことから特定の効果を得るために、私達は現在のリハビリの処方量が自動的にそれらを改善させると示唆するよりも、これらの成果を達成するために特異的にプログラムを組むことを考えなければならないかもしれません。 治療的エクササイズの目標: 痛み(大きな交絡要因) 特定の機能(身体的能力は一部であるがこの全てではない) 恐れの忌避&心理的な数値(成果と予後について非常に重要であると示されている) 自信&モチベーション 運動/リラクゼーションの自由 運動の戦略 継続 エクササイズについての研究 急性的な痛覚の消失(即効の鎮痛作用)について調査したこのO‘Neillによる最近の研究をみると、この研究で用いられた定められた処方量は、個々の反応を見たところ、特に患者の痛みの基準値がすでに高い場合に、痛みの増加さえも含んだ痛みに対する様々な反応を引き起こすことがみてとれました。 この別の文献は、痛みに対する異なるエクササイズの種類の影響を調べ、そして興味深い最近のこの研究は、エクササイズに対する痛みの反応を用いてメカニズムと個人的な性質について検証しています。 痛みが主要な結果の数値の一部であった、エクササイズを比較したいくつかの研究を見てみましょう。異なる処方量のパラメーターによる異なるプログラムが同様の成果を示したことがわかります。また、私達が痛みに対するエクササイズの平均的な効果についてみているのであれば、これは異なる処方量に対する低応答者と高応答者を隠してしまうかもしれないことに気づかなければなりません。 この研究は、ローテーターカフの腱障害に対する低負荷と高負荷のエクササイズプログラムを比較しました。 この研究は、腰痛に対する高負荷(デッドリフト)と低負荷(運動制御エクササイズ)を比較しました。このグループによる研究の結論は、高負荷の方が痛みの少ない人に対してより適切であったということでした。 この研究は、アキレス腱障害に対する異なる負荷のプログラムについて検証しました。