マイクロラーニング
隙間時間に少しずつビデオや記事で学べるマイクロラーニング。クイズに答えてポイントとコインを獲得すれば理解も深まります。
脅威の閾値
クライアントや患者さんが向上すれば、エクササイズの漸進をするのは自然な流れではありますが、漸進のスピードが速すぎてしまうと脳や神経系にマイナスの反応をひき起こすこともあります。 運動制御への要求があまりにも早く漸進してしまうと、脳や神経系がいかにモビリティーをシャットダウンしてしまうのか、そしてモビリティーをリストアするために、脳や神経系を静めるためのリグレッションがいかに必要性かをベン・コーマックが解説します。
助けて...なぜまだ痛むのですか?
なぜまだ痛むのですか? なぜ今回は痛みが消えないのでしょうか? なぜ私はそんなに敏感なのでしょうか? なぜ繰り返し起こっているのでしょうか? 人々は答えを欲しています これら全ては、人々が彼等の持つ痛みや傷害に関していつも尋ねる質問であり、彼等は理由を知りたがっています。結論は、人々は答えを知りたいにもかかわらず、満足のいく答えが無い場合には、しばしば考えられる最悪の結論に飛びつくということ。 ひょっとすると、これらのような質問は、病理解剖学的モデルの理解を超えた異なるタイプの説明が必要だという指標ではないのでしょうか? 不確実性 不確実性は、急性疼痛と慢性疼痛の両方に存在する可能性があります。Mishelは、“theory of uncertainty of illness(疾病における不確実性の理論)”(ここをクリックしてください)において、これを最初に提議しました。不確実性は認知的ストレス要因であり、診断期において最高潮の可能性があります。これは、“疾病に関連する事象を決定できないこと”として定義され、患者は何が問題であるのかを判断することができず、どのような結果になるのかを正確に予測することができません。 Mishelは、“theory of uncertainty of illness(疾病における不確実性の理論)”において、3つの主要なポイントの概要を述べています。 不確実性の前例−疾病以前に起こること。これらは、痛み、これまでの経験、知覚のような患者の思考に影響を及ぼす可能性がある。 不確実性の評価−不確実な状況に価値を与える手続き。 不確実性への対処−不確実性に対処するに際して用いられる活動 不確実性は、疼痛感受性の増大、心理的苦痛の増大、不適切な対処と結び付きがあります(ここをクリックしてください)。より高いレベルの身体障害や鬱病が、彼等の痛みが診断の不確実性によるものであると感じている腰痛患者において発見されました(ここをクリックしてください)。この研究(ここをクリックしてください)では、人々が経験する痛みに影響を及ぼしている不確実性に関する実験データを見ることができます。 答えを得ること 知覚はしばしば答えである可能性があり、あるいは診断はうまくいけば、次に行うべき方向性と処置、解決策、あるいは治療を私達に提供してくれます。答えはしばしば、かなり豊富にあり、ありとあらゆる治療家、トレーナー、医師、もちろん全員がお気に入りの医師…グーグル医師によって与えられています。回復の期待における重要な側面、実際の回復における極めて重要な要因(ここをクリックしてください)は、一部に画像診断を含む診断です(ここをクリックしてください)。残念ながら、私達はまた、それがそんなに単純なものではないことを知っています(ここをクリックしてください)。 明確な診断が無ければ、回復の期待もまた縮小するかもしれません。私達は、行うと考えるだけではなく、実際に行うのです(ここをクリックしてください)! ストレスと痛みの増大はネガティブな関係にあり、不確実性は心理的ストレスを増大する可能性があります。よって、不確実性は、潜在的に疼痛レベルの増大の原因にもなります。より高いレベルの急性疼痛は、慢性疼痛の発生における危険因子として挙げられています(ここをクリックしてください)。 残念ながら、私達がまだ知らないことや決して知ることがないかもしれないことが数多くあり、痛みを伴う多くの状況は原因不明・診断不明です。そして、症状は予測不能である可能性があります。 潜在的にこれが、私達の‘悪い’姿勢、適正な位置にない関節、機能不全な動作パターンの所有を引き合いに出すことによって、ギャップを埋めようとする、かなり多くの理論と症候群が存在する理由です。人々が答えを求める状況において、基本的で単純、時には真実ではない説明をスラスラと言うことは簡単です。詳細はこちらをご覧ください( ここをクリックしてください)、(ここをクリックしてください)。不確実性は減少するかもしれませんが、より大きなストレスを引き起こすネガティブな思考に取って代わられるかもしれません。あるいは、動作の回避、彼等のセラピストによる‘元に戻す’ことへの依存のように、行動を後ろ向きに修正するかもしれません。 一つには、これらのタイプの疑問に起因する状況での答えは、疼痛経験自体に関わるシステムの中で発生する可能性のある無数の変化に関して、さらに理解することにあるのかもしれません。もっともらしい説明が不在の状況においては、人体に関して広がる通説は蔓延し、人々が是が非でも埋めてしまいたい空白状態を埋め続ける可能性があります。本質的に、痛みの教育の前提は、人々が経験する痛みを彼等の身体の状態と区別することであって、痛みが単純に組織の状態を反映するものではないということです。痛みは、損傷の増大の指標ではありません。 何が本当の問題であるのかの再概念化は難しいことです。問題は、単純な隠喩が十分であるのかということです。人々を本当に助けるために、私達の知識がどの程度まで必要なのでしょうか? もちろん、それは個人、彼等の教育レベル、彼等がどの程度本当に知りたいのかによって決まります。私達がしばしば、画像診断の報告をする際に目にするように、ある人達にとって、科学は彼等を迷わせ、混乱させ、そして、望む結果をもたらさないかもしれません。他の人達は、信じられる、もっともらしい高レベルの詳細を必要とするかもしれません。潜在的に過度に表面的で隠喩的であることと、過度に科学に基づくことの間に、バランスを見つけることは重要ですが困難でもあります。 あなたがどんなルートを選択するにしても、あらゆるところで、突然のひらめきで素早く、あるいは単純にできる可能性は低いのです。 アインシュタインは私達に“もしあなたがそれを単純に説明できないのであれば、あなたはそれについて十分に知らないのである”と言いましたが、彼はまた、“物事はできる限り単純にすべきだが、単純過ぎてもいけない”とも言い残しています。これらの引用は、痛みに関する説明を非常に良くまとめているかもしれません。時折、物事は単純である必要があり、またある時は、複雑な物事は複雑のままである必要があります。 私達には、痛みのような複雑なものを説明する際に階層が必要かもしれません。表面的な隠喩と物語は、概念において役立ち、末梢、脊髄後角、脊髄から、脳の中までに及ぶ重層的に発生する可能性のある変化に関する深い知識よる裏付けに役立ちます。 これは、‘痛みは脳の中にある’というアイデア、あるいは人々が述べているような主張を取り巻くいくつかの問題に関する、より最近の問題がある理由なのかもしれません。そして、もし受け手がそれを純粋に心理学的問題と誤解するのであれば、悪影響を及ぼすかもしれません(ここをクリックしてください)。発生する可能性のある物理的・生化学的変化はかなりあり、心理学的要因と同様にこれらに関して議論することは、より不確実な側面のいくつかを満たす手助けをするかもしれません。 知識を持ち、伝える方法 最も強力な鎮痛薬(Gifford)のような安心への鍵となるもの、そして、本当に何も深刻なことはないということは、良い臨床検査を行う能力と、全てOKであるという自信のある立場から話ができることかもしれません。 Louwおよびその他は、最近の研究報告において、良い臨床検査の必要性を議論しています(ここをクリックしてください)。動いたり、誰かが“なぜまだ痛むのかを発見することに興味がある”か否かを判明させる前に、この基本がカバーされているかを確認してください。 私達は、人々が痛む理由に関して知る必要がないかもしれない、あるいは知りたくないかもしれないということを理解する必要があります。この側面は、大部分の状況において、独立したもの、あるいは回復に十分なものとして見られるべきではなく、治療に対する多次元的アプローチの一部として見られるべきです。教育は、他のものとうまく組み合わさると、より効果的のように見えます。これが、痛みは“脳内”には無いということを示唆していますか? しかし、もしそれが必須とされるのであれば、再概念化へのカギは、あなたが支持しているテーマに関して、類似したレベルの知識と自信を持つことでもあるのでしょうか? Wijmaおよびその他は、この研究(ここをクリックしてください)で、より詳細な原因の診断を下すことを可能にするために、痛みのタイプを分類することに着目しました。彼等は、痛みをメカニズムに基づいた分類、既往に基づいた分類、そして、侵害受容的、神経障害的、あるいは中枢性感作に基づく分類に着目しました。これは、より従来型の損傷の病理解剖学的モデル、あるいはアライメントに起因する痛みというよりも、痛みに関わるメカニズムの説明の道筋を可能にしました。 Nijsおよびその他は素晴らしい研究論文(ここをクリックしてください)を発表し、LotzeとMoseleyもまた、このテーマにおいて研究論文(ここをクリックしてください)を発表しました。 研究の批評が、学究と治療家の間の隔たり、そして、治療家と一般人の間の隔たりを埋めていて、適用性の提供を可能にしています。これは、生化学の複雑さのレベルのようなテーマを伴う、痛みの分野の難しさを証明することができます。基礎となる科学の適切に理解することの代わりになるものは無いのかもしれません。 このブログでのポイントは、人々は完璧な説明を欲しているということです。ただ“痛みを気にしないで”と言うだけで十分でしょうか? 痛みは警告だ! 痛みは脳の中にある! それは知覚だ! 痛みが私達を守る手助けをしてくれる! 時折、あまりうまくいかない! 常に誰かが、“なぜ?”と尋ねる よって、私達は、どのように、そして、なぜ痛みが増幅されるかもしれないということを説明できる必要があります。可塑的変化を支えるメカニズムは、末梢的に神経終末、以前は静かだった受容器、受容野と利用可能なシナプスを伴う後角における変化、入力情報へのより一層の注意を伴う脊柱上の変化、感覚皮質と神経連絡の強化における変化において働きます。 ストレスは、状況を再度不確実にする他の相反する情報から来る可能性もあります。 個人にとって、単純さと複雑さの間の連続体における適所を発見することが重要かもしれません。もし知識ベースが単純な方に偏ってしまうと、これは困難になる可能性があります。 もう一つの課題は、あなたがそれを楽しくできるかどうかです。恐らく、人々は退屈な説明に興味をなくすでしょう。どう物事を伝えるかは、恐らく、実際に何を言うかよりも更に重要なのです! 視覚表表象と図表の使用は役に立ちます。基本的構図を用いることで、中枢神経系における処理の多層を見せることができ、後角の扉をすぐに開けることができるかもしれません。これは、世界中のクリニックで使用されている膝や腰の模型となんら違いはありません。 疼痛科学の実際の適用において、いくつかの基本的なヒントがあります(ここをクリックしてください)。 個別化すること 毎回、お決まりのパターンを持ち出すよりも、個人との関わりを個別化するために、人々の経験を生かすのが良いかもしれません。私達は、痛みの不明確な性質、もしくは痛みの軌跡的な性質を強調するのに役立つ、その人の既往、あるいは話の一部を見つけることができるでしょうか?これは、長期間にわたって相対的に不変である検査結果とは対照的かもしれません。 彼等の痛みは、過度のストレスに晒されていた期間と相関関係がありますか?あるいは、週末や休日にかけて軽減されますか? 診断を目的とした以前の治療方法は、長期間にわたって助けになっていますか?私達は、その治療法がいかにして短期間でも助けになったかもしれないことを説明することができますか? なぜボールペンを拾うことで急に腰痛を引き起こすのに、ジムでは起こらないのでしょうか? 明らかな刺激、あるいは有害事象無しに急に腰痛が発生しましたか? 重要な点 人々は説明、あるいは診断を欲している。 不確実性はストレス要因である。 回復の期待は、重要なことである。 誤った情報は、とてもうまくギャップを埋める。 単純な説明は、良くもあり悪くもある。 科学の十分な理解は常に役立つ。 個別化は有益である。
欠落しているリハビリテーションにおけるエクササイズの変数…それは用量!
用量!これは、頻繁に議論されるテーマではありませんが、リハビリテーション時の動作とエクササイズの使用の成功において、かなり大きな変化をもたらすかもしれないものです。恐らく、エクササイズそのものよりも大きな! 研究論文を一見したところ 用量は重要である 強度、量、頻度の全てが用量に影響を及ぼす 用量過多、用量不足のどちらも問題である 最小有効量を見つける試みをすること 最小有効量は常に漸進する 共通の意思決定は、許容量/有効量を見つける手助けをする 適正用量がもたらす感覚を明確に定義する 後退と漸進を提供する 用量を管理するためのサポートを提供する 用量とは何か? 単純にいえば、それは強度と量と頻度です! 強度は、私達が使用する重量、あるいはその重量をどのくらい速く移動させるかによって影響を受けるでしょう。そして、その両方が組織に掛かる力の量に影響を与え、これは単純にF = MA(力=質量x加速度)として表されます。個人の強度の測定は、その個人の現在の許容範囲によって調節されるでしょう。 反復回数とセット数が、量を決定づけます。これは、操作されるものであり、全体的な過負荷に影響を及ぼすでしょう。 頻度はもう一つの側面です。あなたは最も適切なエクササイズを行っている可能性がありますが、もしそのエクササイズを一日に10回行うのであれば(皆さん、そういう人を指導したことありますよね)、いくら良いものでも、それは過剰である可能性があります。よって、細胞レベルで起こるポジティブな適合に時間を必要とする、組織への負荷を重視したエクササイズよりも、運動技能、あるいは質(それが何であれ)の変化を重視したエクササイズが、潜在的に頻繁に行われるかもしれません。 私達は、望ましい反応を獲得するために、これら三つ全てを操作することが可能です。10回3セットよりも。皆さんが同意してくれるだろうと確信しています。動作/エクササイズの背後にある論理的思考のプロセスは、リハビリテーションに関する他のいかなる側面と同様に重要ですが、常時考慮されているわけではありません。 これは、強度を増やし量を減らしている、量を増やし強度を減らしている、あるいは強度と量は同様のままで頻度を変化させているのかもしれません。過負荷の大小の変化のために用量を操作するには、非常に多くの方法があります。 用量における大きな変化は、反対の後ろ向きな結果をもたらすかもしれず、より小さな変化は、前向きな効果を得るために明らかに重要である可能性があります。私は、量を減らさずに、負荷の観点から強度を変化させることによって、何度か後ろ向きな結果を得てしまったことがあります。 用量不足であること もし用量不足であるならば、真の適合を得ることはないでしょう。もしあなたが、目ざしている、標的となる側面においての変化を期待するのであれば(仮に筋力、あるいは荷重耐性として)、そして、もしあなたの変数に関する操作が不適切であるならば、十分な適合は得られないでしょう。 ここでの警告は、目標とする側面を変える必要がないということかもしれません。多くの研究が、痛みの変化以外、運動学、姿勢、関節可動域、あるいは筋力に変化が無かったことを示しています。 警告に対する警告は、私達はしばしば、研究において際立った痛みの変化における短期間の功を奏する結果を得ますが、長期にわたる傷害の軌跡を評価しない、つまり、多くの人々は未だにより長期にわたって傷害の再発に苦しんでいるということかもしれません。それは継続的ではなく、そのため、しばしば急性、あるいは慢性のように、痛みを伴う問題を単純に定義することが困難なのかもしれないため、これは慢性化とは異なります。私達は、長期にわたってこれらの事に影響を与えるために、いくらかの適合を必要とするのかもしれませんが、私はただ考えを声に出しているだけです。 恐らく、私達は局所的な生理学、細胞順応、神経生理学(侵害装置)、あるいは感覚表象や運動表象を司る皮質において発生する可能性がある中枢的な変化のように測定不可能なことを変化させているのかもしれません。 用量不足は、問題に影響を与える可能性が低く、快適と感じるプロセスを加速させないため(仮に私達にできたとしても!)、フラストレーションが貯まるかもしれません。これが、私達が用量不足になる可能性が低い、より大きな負荷を伴う筋力トレーニングの増加を目にしている潜在的な理由でしょう。 用量過多であること スペクトラムの対極にあるのが、度を越した用量を与えることです。感作されたシステムに対して、これは間違いなく問題であり、逆の反応を引き起こすかもしれません。そしてこれが、多くの治療エクササイズにおいて、最低限の自重、あるいはセラバンドの使用で、過負荷の危険性をかなり低くしている理由なのかもしれません。 人の痛みを悪化させることは、どのように彼等が、あなたの与えるケア、あなたの能力、治療関係、信頼関係を認識するかにおいて、真の影響を及ぼす可能性があるかもしれません。またこれは、彼等にとって、非常にフラストレーションが貯まることでもあります。人々は楽しんでいる活動に戻りたい、希望が欲しいと考え、そして、これはしばしば漸進によって促進されるものです。 残念ながら、誰かの反応を計測することは、非常に困難です。痛みそのものと同様に、ストレスから睡眠、感情の状態まで、その人の生活の、今その時に起こっている多くの要因に左右されるでしょう。 皆誰もが、本当に最小限の用量で、誰かを悪化させてしまい、また一線を超えるような大き過ぎる用量を与えたと考えつつも、実はその人は問題なく対応できていたことを発見したことがあるでしょう。 実際には、どこがその一線なのか、私達には知る由もないのです! 最小有効量 最小有効量は、単純に、あなたが効果もたらそうとしていることに対し過負荷を引き起こすしつつも、副作用の可能性が最小になる用量のことです。常に、用量の段階的な増減が可能であるということを忘れないでください。 20粒のイブプロフェンは、あなたの頭痛を取り除いてはくれるでしょうが、他の潜在的な合併症に晒すことにもなるでしょう。よって、2粒、あるいは200㎎が、効果的かつ合併症を減少する用量と考えられています。 残念なことに、薬物療法の生化学は、人口全体に対してより一般化され、あるいは、大規模臨床試験を用いて幅広く研究されているように見えます。エクササイズの用量は、いまだに、研究に基づいてさらに定量化される必要があるものです。 私達は、同じ傷害の慢性化、あるいは頻度、時間や負荷のように彼等の問題を悪化させるかもしれない刺激の量、問題発生後、それが落ち着くまでどのくらいの時間がかかるのかといった、その人の既往歴への着目を通して、用量を決めることができる可能性があります。もしボールペンを拾う際に急に腰痛が発生し、落ち着くまでに3日かかるとしたら、特に初期において、用量はそれを反映するべきです。 それから、私達は、重量、スピード、反復数、エクササイズを行う頻度の観点から、強度を適合させることができます。 どのようにしたら用量をより効果的にすることができるか? 最初に、共通の意思決定と操作される変数における潜在的結果に関して議論することを考えるべきです。 特に、彼ら感じていることは、なぜそう感じているのか、それが彼等にとって実際に何を意味しているのかを説明する場合において、これは、彼等に、起こっていることに関しての、より良い情報を与え、合理的に考える手助けになります。これによって、望むべくは、間違った情報やネット検索などによってうまれる不確実さを避けることにもなるでしょう。 リハビリテーションは直線的ではなく、私達は正しい用量がどうあるべきなのかを常に知っているわけでないということ、そして、なぜ彼等がこのプロセスにおける積極的な参加者である必要があるのかということを説明してください。 うまくいけば、これら全てがより大きな内的制御部位になるでしょう。 実際に、彼等と共にその用量、あるいは新しい用量を行って、彼等がどう感じるのか、そして、どの程度容易にこなせるのかを見つけだしてください。もし私達がある用量に適合しているのであれば、強度、量、頻度を増加させても、より快適と感じるかどうかを彼らに尋ねてください。時に、彼等は反復回数、セット数を増やすよりも、更に負荷を増やすことに前向きかもしれず、また時にはその反対かもしれず、もしかするとそれらを一日おきに行うよりも、毎日行う方を好むかもしれません。 次に、自立的に用量を操作する能力は大変重要です。しばしば、次回の面会までに数週間空く場合があるので、効果の無い、あるいはさらに悪化させる用量が、長い間チェックされない場合もあります。 ここに私の自己管理における5つのポイントがあります。 痛みが増大しているにもかかわらず、それでも多くの人達は、彼等が行っているエクササイズを続けます。彼等はそれでより良くなれると盲目的に信じています。従って、もし私達が、彼等がどう感じるべきなのかに関して、ある程度の知識で彼等を武装させてあげれば、彼等が行っていることを制限、あるいは適合する可能性があり、副作用を最小限に抑えられるかもしれません。 あらゆるエクササイズ処方(ところで、私はエクササイズに関して、この言葉が好きではありません)の一部は、意見が一致するレベルでの不快感(例えば、エクササイズが原因の筋肉痛、または実際の痛み)に基づいて、後退、あるいは漸進が可能であるべきです。これは、視覚的アナログ尺度(VAS)の点数、あるいはその他の個人的な評価基準に基づいているかもしれません。 もしあるエクササイズが本当に痛みを引き起こす(即座に、または24時間以内の反応)のであれば、アイソメトリックまで後退しますか?それとも、もしすでにアイソメトリックを行っているのであれば、さらに低いレベルの試み、あるいは頻度にしますか? もし十分な過負荷(恐らく筋肉痛によって評価される)が無ければ、更なる重量、あるいは反復回数やセット数、頻度を増やしますか?これは、人々により大きな内的制御部位を提供するでしょう。 予約と予約の間にサポートを提供することは、用量をより良く管理するもう一つの方法であり、これは電話やメールを使用して行われます。 結論 用量は大変重要である 強度、量、頻度の全てが用量に影響を及ぼす 用量過多、用量不足のどちらも問題である 最小有効量を見つける試みをすること 最小有効量は常に漸進する 共通の意思決定は、許容量/有効量を見つける手助けをする 適正用量がもたらす感覚を明確に定義する 後退と漸進を提供する 用量を管理するためのサポートを提供する
痛みの科学の実際の適用に関する10のヒント
痛みの科学に関する知識は、パーソナルトレーナーから医師、外科医に及ぶ全ての人に向けた論文やブログと共に急速に成長し、話題は出回っています。身体に携わる全ての人なら誰もが痛みの仕組みについての基礎的な理解を持つべきである、ということが議論されるかもしれません。 私達は未だにこの分野において十分な理解に至っていないという批判もありつつ、極論から極論へと大きく振り子が振れるようになっている人たちもいます! この大量の情報を消化することが重要はありますが、私達はまた学問の、端末利用者(例えば、この全ての情報を理解する手助けをしたいとあなたが思う人ですが、この話題はなかなか難しいものとなります)にとっての現実世界での適用について考える必要もあります。 1. 痛みの科学は、言うべきでないことを私達に理解させる手助けをしてくれますが、言うべきことを理解させてはくれない。 かなり少なく見積もっても、痛みの科学をより理解することが、私達の言うことが、彼等が彼等自身と彼等の現在の状態の認識に著しい影響を及ぼすということに関する、より良い理解を与えてくれるはずです。残念ながら、以前にそれらの単語が何度も何度も使われてきたために、手助けになるというよりも妨げになる単語がしばしば、口にされてしまいます! 特定の単語を避けることは、有害なノセボ効果を作り出さない手助けになるかもしれません。 裂ける 破れる 不安定 損傷 変性 慢性の 位置のずれた これらの単語は、人々の能力、信念、回復への期待に関する認識を変える可能性を持っています。‘思考に影響を与えるウイルス’は、後ろ向きの信念や、どのようにそのウイルスが生じ、人々の間で伝えられているのかという点で、惑わされやすい言葉です。 では、私達は何を言うべきなのでしょうか?それはとてつもなく難しい質問であり、各個人間で異なるものです。決まったレシピは明らかに存在しません。 ですから、言うべきでないことを学ぶことはしばしば、良いスタートなのです! 2. テーマについてもっと学びなさい! 現在の私達の教育課程に関する批判は、大学レベル、あるいは傷害を扱う多くのコースにおいて、疼痛経験の背後にあるメカニズムに関して十分に教えていないということです。 いくつかの映像を見たり、ブログを読んだりし始める一方で、痛みの仕組みに関する実際的な知識によって裏打ちされた現代的な痛みの科学の概念が使用されるべきです。いくつかの話題の言葉、あるいは比喩表現は恐らく、対象者、特に扱いにくい問題に関して質問する癖のある対象者に理解させるには、十分ではありません。 ここに答え、あるいは説明の仕方を知っておく価値があるかもしれない、いくつかの質問があります: 痛みとは何か? 痛覚はどのように作用するのか? 中枢性感作とは何か? 末梢性感作とは何か? 疼痛経験に関与している脊柱上部のメカニズムは何か? 下行性抑制・促進とは何か? なぜストレス、状況、感情が疼痛経験に影響を及ぼすのか? 3. 痛みのような複雑なテーマの説明は、練習を必要とする。 人々は、専門家のように‘痛みの説明’をすることにプレッシャーを感じる可能性があります。まず第一に、あなたは基礎科学を必要とし、それを明確に話す方法を学ぶ必要がありますが、一晩でできるようになるものではありません。 アインシュタインの言葉のように、“もし物事をシンプルに説明することができないのであれば、あなたはそれを十分に理解していないということだ” 説明における複雑さと混乱は、理解する側の混乱と不確実性を引き起こす可能性があり、実際には、その人の疼痛経験を軽減するのではなく増大させるかもしれません。 それは、あなた自身の自信とコミュニケーション能力を構築するために、 ‘ライブの’環境から離れて実践されるべきものかもしれません。何度か大失敗をして、そこから学び、必要な時に使えるようにしておいてください! 結局のところ、優れた講演者は練習をしているのです。 4. いくつかの比喩が必要かもしれない。 比喩は、痛みのような複雑なテーマを理解するための、素晴らしい方法として奨励されています。毎日の生活の中で私達は多くの比喩を使用していることから、これはとても理にかなってはいますが、比喩の使用は、その比喩の受け取る側の以前の経験、文化的要素、教育レベル次第であるということを留意しておくと良いでしょう。 一つの比喩がうまく作用しなければ、別の比喩に切り替えてください。 5. 人々ではなく、概念に挑戦する。 達成しようとしている事の成功に不可欠かもしれない信頼関係を損なう優れた方法は、彼等に‘あなたは間違っている’と言うこと、あるいはバカにされたと彼等に感じさせることです。信念は強力瞬間接着剤のようなものであり、それに対する対立を加えることは、物事を急速に悪化させる可能性があります。何かがいっていないのであれば、止めてください。後でその話題に戻ってくることができますし、繰り返し提供することもできます。 6. あなたが言っていることを人がどのように認識しているかを常に解明すること。 これは非常に重要です。あなたが提供している情報が、あなたが全く意図していないこととして認識されているかもしれません!Kieran O’Sullivan教授は、“あなたは私が話したことを、あなたの家族や友人にどのように話しますか?”と質問するといった最善策を奨励しています。 これは、“彼等が、痛みの全ては、私の頭の中にあると言っていた”というような、‘思考に影響を与えるウイルス’に変化するまえに、あらゆる伝達不良が(うまくいけば)改善される可能性があることを意味しています。 7. レシピやプロトコルは無い−個体差がある。 ある個人に有効なことは、他には有効ではないかもしれません。恐らく、痛みの科学にとってのプラスは、よりプロトコルに基づいたアプローチのような、全ての人に対する特定のプロトコルを持つというよりも、対象者中心に向けられているということです。 心理学の分野から奨励されている戦略は、疑似体験療法や期待違反理論のようなテクニックを含みます。私達は、患者/クライアントが、特定の恐怖や信念が取り扱われたことを識別し、できれば抑制されたことに注意する必要があり、これは一般概念として見なされません。 8. 信念を変えることは瞬間的なプロセス、精密科学ではなく、ましてや常に可能なものでさえない。 第5項で述べたように、信念は厄介で、友人、家族、職場の同僚の間で(ドクター・グーグルではなおさら)人から人へと感染しやすい可能性があります。セラピスト、あるいはトレーナーとの会話が終わって外に出た際に、急に彼等自身の見解や考え方、または信念を変えることは滅多にありません。 それは、ゆっくりで多くの時間と労力を要するプロセス(恐らく!)であり、あるいは実際には決して起こらないことかもしれません。 9. 人々はしばしば、あなたがそばにいなくても直感的に真実を理解する 再概念化は、不思議な方法で、不思議なきっかけによって発生する可能性があり、頭にリンゴが落ちてくるのに少し似ています!あなたは、目の前で彼等が直感的に理解するのを待つとうよりも、提供している情報に関して、彼等が自身の気づきに辿り着くのを待つ必要があるかもしれません。 10. 言葉で言っただけでは組織に耐性はつかない BPSモデル(biopsychosocialモデル:生物心理社会モデル)における主要部の一つは、生物(biological)の“B”です。あなたが人々に彼等が虚弱ではないと理解させる手助けをすることができるというだけで、彼等が急に運動能力の強化を発現するわけではありません。あなたの運動量が少なければ少ないほど、運動における頑健さが損なわれる傾向にあり、それが実際のSAIDの原則なのです。 誰かがかつて述べた“言葉で言っただけでは組織に耐性はつかない”は、真をついた発言です。しかし、あなたは最初に、人にその作業をさせ、耐性をつけるように話をする必要があるかもしれません! 11. BPSモデルは、未だにソーシャルメディアから隔たっている少数派である 鋭い観察眼の持ち主の方、そう、すでに10のヒントについてを述べてしまいました!これは11個目です! ソーシャルメディアは、誰かが喜ぶような(そうでない人もいるが)、あらゆる角度からの痛みの科学で溢れているように感じるかもしれません。インターネットのより広い世界に入って、現実の世界に衝撃を受け、ゾッとしてください。痛みに関する医学界とトレーニング界で配信されている情報は、未だに構造的・生体力学的要因を用いた、かなり昔ながらのものばかりが推奨されているのです。
運動制御の身体構造への影響
ベン・コーマックのセミナーから、股関節の運動制御と構造の評価のデモをご紹介します。運動制御を向上させることで、身体構造の制限と思われるかもしれないことが、実際に変化向上する様子をご覧ください。
悪いエクササイズは存在するのか?あるいは適用が悪いだけなのか?
健康の世界におけるほとんどのことと同様に、決してシンプルな答えなどありません!ソーシャルメディアにおいて、皆さんも5つの最悪なエクササイズに関する記事を見たことがあるのは確実だと思いますが、それらをもう少し分析的に見てみましょう…。 恐らく、ここには二つの質問があるでしょう。 まず最初に、悪いエクササイズなんてものはあるのでしょうか?そして、悪い動作なんてものはあるのでしょうか?良くないと見なされている動作、あるいは可動域(ROM)になるために、そのエクササイズが悪いと示唆される可能性があるために、私は二つ目の質問を問いかけています。 まずは最初の質問を先に考えてみましょう! はい、私は悪いエクササイズがあると考えています!そして、そのエクササイズが悪いという状況に値するかもしれない沢山の理由があります。しかし、これは大きなしかし、ですが、エクササイズ自身は、大抵、本質的に悪いわけではなく、特定の人、あるいは特定の状況へのこれらのエクササイズの適用が悪いのかもしれません。 主な理由の一つは、選択されたエクササイズが、クライアント、あるいは患者をしっかりと考慮に入れて、適切に考えられていないということです。人間として、私達は先入観、意識、あるいは潜在意識によって動かされていて、これにはエクササイズも含まれています。もちろん、私達は有益であると考える頼りになるエクササイズを持っているでしょうが、もし全員に同様のプログラムが適用されるのであれば、恐らく、対象個人は適切に考慮されていないでしょう。 ジェネリックなプログラムが正当化されるように、私達は常に何らかの精神鍛錬を行って、全員がより強くなる必要がある、特定の動き方をする必要がある、あるいは特定の筋肉を活性化する必要があると雄弁に語ることも可能です。しかし、無数の異なるゴール、傷害、機能、パフォーマンスが存在するなかで、全員が毎回同じエクササイズを行うべきであるというのは信じがたいことだと思います。 もう一つのとても重要なことは、エクササイズがただ単に危険なのかどうかということです。100kgの重りを頭上にかかげてスイスボールに乗ってバランスを取ることは、賢明であるようには思えません。ここでのリスクと報酬の方程式は、合点がいくものではありませんが、それを‘機能的である’と信じればそうなってしまうでしょう。YouTubeは、危険なエクササイズと危険な失敗で溢れています;何時間も楽しめますよね! 悪いこと エクササイズの悪い使い方を、三つの主なカテゴリーに総括することが可能だと私は考えます: 悪いタイミング 炎症を起こしやすい敏感な腱障害に対するプライオメトリクスは、炎症を引き起こす高い可能性があり、前十字靭帯再建術のリハビリテーション過程早期でのジグザグ・ホップも同様に頭に浮かびます。これら両エクササイズは、リハビリテーションに必要かもしれませんが、タイミングが極めて重要な鍵かもしれません。 動作への自信が低い人達にとっての高度なバランストレーニング、そして、フィットネスレベルの低い人達、あるいは禁忌である人達にとっての高強度インターバルトレーニング(HITT)は良い考えではないかもしれませんが、だからといって、ただ単にこれらのエクササイズが悪いエクササイズ様式であるというわけではありません。 悪い選択 ある人は、特定のエクササイズをただ嫌悪し、それを行うことを楽しまない、それどころか行いたくないかもしれません。これらの両要素は、低い適合性、あるいは努力不足を通して、結果に影響を及ぼす可能性があります。 悪い刺激 エクササイズの難易度が十分に高くない、あるいは高過ぎるかもしれません。どの程度の適合が前向きな結果に必要とされるかは議論を必要とするでしょうが、もし刺激がただ少なすぎるのであれば、十分な成果を得られない可能性があり、これは技能、あるいは筋力においてもいえることでしょう。同様に、刺激が多すぎると炎症を引き起こすかもしれません。ある特定の関節位置、あるいは可動域もまた、特定の傷害を引き起こすかもしれません。よって、感作が起きている時には、これらのことを避けることが、恐らく得策です。 なぜ? もしあなたがそのエクササイズを本質的に悪いと信じるのであれば、“なぜそれが悪いのか?”と自身に問いただしてみてください。 誰かがインターネットでそのように言っているからですか? 傷害の高率発生に関するいくつかの具体的なデータ、あるいはリンクがあるからですか? 私がそのエクササイズを好きではないからですか? しばしば批判的思考は他人の考えに対して向けられますが、私達は常に私自身の信念に対して最も疑問に思うべきです。 動作 では、二つ目の例に着目してみましょう。 悪い動作というものはあるのでしょうか? なんという質問でしょうか!この短いブログで取り上げるには、かなり大きな議論ですが、確かに、僅かな時間レベルで誤った動作をすることに関する考えは、利用可能なデータによって支持されているわけではありません。 もし同じ人間による同じ動作を繰り返し測定するのであれば、行われた方法において、わずかな、あるいは大きな違いを目にする可能性があるでしょう。異なる二人の人間が動作を行う際も同様で、彼等はほぼ確実に非常に異なる戦略を持っています。よって、同じ人間が毎回異なる動作をし、毎回異なる動作をする他の人とも異なる動作をするわけです。つまり、これは間違いなく非常に複雑であるということを意味しています! 誤った戦略とは何でしょうか?誰が知っているというのでしょうか!繰り返しますが、もし悪いと信じるのならば、なぜそう考えるのかを自らに問いただしてみてください。詳しく検討しても答えられますか? 冒頭に述べたように、腰椎屈曲、あるいは膝関節外反のように、好ましくないと見なされている動作を過剰にさせるため、そのエクササイズは悪いと示唆される可能性があります。クランチは、動きに関わる腰椎屈曲の量によって、一部においては、最も避けるべきであると示唆されている動きの良い例の一つでしょう。 もちろん、動作は方程式における小さな一つの部分に過ぎないのですが、どのくらい速く動作を行うのか、あるいはいつ外部負荷が掛かるのかによって発生する力が加わります。私は生体力学の天才ではありませんが(実際、天才からはかけ離れています)、私達は、本質的には、非常にゆっくりと潜在的に‘問題になりえる’関節可動域まで動くことは可能で、この場合、組織への危険は、速く動かすよりもかなり少なくなります。動作、あるいは関節可動域自体が問題というような単純なことではないのです。 タイミングの問題? すべてがタイミングの問題に帰着するのでしょうか?恐らく、炎症を起こす動作を短期的に回避することは賢明かもしれないと言えるかもしれません。 腰椎屈曲の例を取り上げてみましょう。腰椎屈曲は人間の行うことができる豊富な動作の組み合わせの一部であり、ほとんどの人達が日常の活動中に、かなり定期的に行うものです。よって、恐らく、私達はその動きを行い、幾らかの耐性を築き上げたいはずです。もし私が通常の負荷での正常な動作において、潜在的、肉体的、心理的に炎症を起こしやすくなるのであれば、腰部への刺激を短期的に回避することは賢明でしょうが、長期的に腰椎屈曲の回避を継続することは、重要な問題になるかもしれません。 動作自体は本質的に悪いものではありませんが、感受性が高い場合、あるいは高負荷下のようないくつかの状況においては、問題があるかもしれないというふうに、このことを簡単に要約できるかもしれません。 前十字靭帯断裂のような深刻な障害から得られる運動学的データを見れば、これが強調されています。前十字靭帯断裂は、浅い膝屈曲角度、高速度、片脚荷重の際に起こる傾向にあり、これによく外反膝がプラスされたりします! よって、スクワット、あるいはラテラルランジのような、その他の状況において、外反膝自体が損傷を与える可能性は低いかもしれません。スクワットによる前十字靭帯損傷の発生率に関してはわかりませんが、それほど高くないはないはずです。 どうか上記のことを“200kgを担いでのスクワットで外反膝になっても問題ない”として読み取らないでください。そうは言っていません!負荷が高ければ高いほど力が大きくなり、これは運動と力における運動方程式の両側面の性質を強調しています。しかし、スポーツをしている人達のほとんどは、ウェイトトレーニングルームで前十字靭帯を断裂しないのです! 適合 もう一つの疑問は、ある人は、これらのタイプの動作に適合したのかということです。もしあなたがテニスコート上のジョコビッチ選手のスナップ写真を撮れば、かなりの高負荷の状況下における彼の関節位置を見て、顔をしかめるかもしれません。レベルのもう少し低い選手が、似たような関節位置に入ることもあるかもしれませんが、試合がそこまで激しく、長い可能性はかなり低いでしょう。 なぜ彼は常に膝を損傷していないのでしょうか?恐らく、彼はこれらの動作にうまく適合しているためでしょう。これらの位置で彼がかけている負荷の量は、私達が機械的な物ではなく、生物学的な生き物であるための保護的なものなのかもしれません。 ジムでとんでもないデッドリフトを行っている人達においても、それは同様なのかもしれません。そういう人を見たことありますよね?なぜ彼は常にケガをしないのでしょうか?“とんでもない”トレーニングに、彼が適合しているためかもしれません。初心者にとって、これと同様の負荷は問題となるでしょうか?誰にもわかりませんが、危険の可能性は高まるでしょう。 本質的に、動作/エクササイズ、そのものではなく、それらを行う人と、彼らの現在の状況にとっての、動作/エクササイズの妥当性というところに帰着します。これらの動作と、これらの関節位置に入ることのできる能力を取り上げれば、それが良いことと素晴らしいことの違いになるのかもしれません。 覚えておいてほしいこと エクササイズが悪いこともある! 本質的には悪くないが、適用方法に問題がある 悪いタイミング、間違った選択、良くない刺激の可能性がある 悪いと信じるのなら、自分自身にその理由を問いただしなさい “動作が悪いのか?”というのは、重要な疑問である! 動作は変動性を持つ − 何が良くないのか? ただ単に動作だけではなく、産生される力も関わる 時に、回避すべき動作があるかもしれない ある状況下では、ある動作が良くない可能性がある 人間は適合し、高負荷はある動作において保護的かもしれない
エクササイズによる痛みの突然の発生は、まるで炎症を伴う日焼けのようなものなのか?
リハビリテーションの過程において、エクササイズは素晴らしい手段かもしれませんが、バンドエイドのようなものではないということを覚えておかなければなりません。やりっぱなし、あるいは自動的に行ってくれるわけではありません。全ての成功の陰には失敗が付き物です。リハビリテーションにおいて、特効薬のようなものは存在しないのです。 ごめんなさいね! 比喩に関して話を進める前に、最初になぜ私達は人々が身体に何が起こっているのかを理解する手助けをしたいと思うのか、そしてどのように比喩がその手助けをするのかを問いかけたいかもしれません。 場合によっては、実際に何を行うかというよりも、どのように行うかがより重要かもしれません。 なぜ? そのエフェクトサイズを確実に考慮しなければなりませんが、私達はエクササイズの価値を称賛している全ての研究において、尋ねるべき重要な質問は、現実の世界で、それらのエクササイズがどのように一般化できるのかということです。科学っぽく表現するのであれば、これを研究の外的妥当性という用語を使うこともできるでしょう。 なぜこれらの研究は外的妥当性を欠いているのでしょうか?厳格に管理されている科学研究の世界において、恐らく、参加者達は計画されたプロトコルに対して、彼等が独自に行うよりも忠実である傾向があります。そうでなければ、研究は決して終わらないのです。研究者達はまた、脱落者や欠測データのようなものを科学的に取り除くことを目的とする包括解析(ITT)の様なものを使用します。 しかしながら、現実の世界の複雑な生活の中に投入されると、科学的根拠に基づくエクササイズも、場合によっては、途中で挫折する傾向があります。これは人間に関する問題で、人間は常に科学的根拠に基づいた医療の枠組みにぴったりとはまるわけではありません。実際に、人々は信念、パフォーマンス、ライフスタイルのようなものを通して、人間は全ての科学をほんの少し余剰なものにしてしまう可能性があります。 “何人の患者が、いかに処方されたエクササイズに従わないかに関して、用いられた順守、測定、評価可能の定義の違いは変化するが、科学的根拠は50%、あるいはそれ以上に集中する”*ここをクリックしてください* それが、かなり高い割合で達成できていないことには、皆が同意できます!言えることは、もしやり遂げることができるのならば、エクササイズは何らかの恩恵を与えてくれるであろうということを推測できるということです!では、どのようにそれに取り組みますか?もちろん、それは100万ドルに値する質問です! 障害 これは、治療エクササイズプログラム順守の障害に着目した素晴らしい研究の一部です*ここをクリックしてください*。人々が痛みを有する際に、エクササイズ、あるいはエクササイズプログラムを順守(よりふさわしい用語として‘全力を傾ける’)しない主な理由の一つは、その痛みの増大に対する恐怖です。 ここにサンディエゴ・ペインサミットにおいて、私が最近のプレゼンテーションで使用したスライドがあります。 これは完全に理解可能です。恐怖は私達の行動を駆り立て、それを行うことがもし問題を悪化させると恐れるならば、ただ単に行わないでしょう。であるなら、彼等が何を感じるのか、どのように扱うことが可能なのかを理解する手助けするための鍵かもしれません。 多くの人々にとって、痛みとエクササイズの両方に関する科学は共に、かなり無縁なテーマです。エクササイズ誘発の不快感と実際の痛みの違いとは何なのでしょうか?前者を全く経験したことの無い人達にとっては、恐らく大した違いはありません!私は以前、トレーニングで筋肉痛になり、かなりの痛みを引き起こすいくつかの活動も発見したことがあります。 エクササイズに対する実際の経験が無い人や‘ホメオスタシスのコンフォートゾーン’が狭い人において、処方されたエクササイズによる遅発性筋肉痛を被る可能性はかなり高いかもしれません。ですから、これらのセンセーションを大局的に見て、恐怖を和らげ、人々がリハビリテーションを自分でやり遂げる手助けをすることが重要なのです。 かつて、私が取り上げた役立つフレーズは、“Agony(激しい苦痛)のYではなく、Pain(痛み)のPを目指しなさい”というもので、正常なある程度の不快感を経験するようにと表現するには非常に良い方法であり、強烈な痛みは回避するように伝えるのにも良い方法です。痛みを伴うエクササイズが実際に悪い結果につながるのかどうかに関して、私達はまだわかっていませんが、続けることを断念させるよう説き伏せることになるかもれません。 物事は、間違った方向に進むこともあり、また実際にそうなり、後退することも普通です。これらの後退は、回復に対してネガティブな影響を与えるストレスやライフスタイルを含む数多くの要因によって、影響を受けている可能性があります。特に、限界に挑もうと試みたり、将来の再発の対しての‘予防接種’を試みたりするのならば、直線的に上昇する軌跡をたどるようなリハビリテーションプランはありえないでしょう。 この研究*ここをクリックしてください*で、エクササイズからの回復を実際に損なう心理的ストレスに関して見ることができます。私達はこのことに気を配らなければなりません。対応に苦労するセンセーションの強さではなく、そのセンセーションがどれほど長く続くかが問題なのかもしれません。筋力のような求められる適合もまた、ストレスによって影響されているかもしれません*ここをクリックしてください*。 痛みはしばしば不安とストレスに付随して起こり、現在の個人の状況における原因と結果の両方である可能性があります。これが、私達のリハビリテーションプログラムが、ストレスを感じる際に副作用を引き起こす可能性を持っているということを自覚しなければならない理由なのです。 比喩 これらの要因への理解と対処の両方のために、人々に知識を身に付けさせることは、自己効力感において必要不可欠であり、リハビリテーションプログラムへの献身における、もう一つの重要な要素なのです。 比喩は、人々にほとんど経験のないテーマを理解させる手助けとして非常に優れた方法であり、多くの人達にとって、痛みとエクササイズの両方は、このカテゴリーの中に分類されるでしょう。エクササイズにおける不快感と痛みに関する私のお気に入りの比喩の一つは、‘日焼け’です。その理由は、痛み、あるいは不快感を大局的に(うまくいけば)見て、一時的なものや容易に修正できるものとして見られるようにするからです。 あるエクササイズを単に間違ったものと見なすのではなく、日焼けとの比較は適用される用量と身体の反応に関する問題であると見なすことをより可能にします。一般的に、私達は太陽を悪い物として見ていません。もちろん、そう考える人達もいるでしょうが、それは恐怖回避のスペクトラムの上におけるものかもしれません!ほとんどの人が人生のある時点で日焼けをし、それに関しては、ただ少し度が過ぎたと考えるでしょう! もし日光を浴び過ぎてしまったらどうしますか?一般的には、ただ用量を変えます。翌日は単に、ビーチパラソルの下に座る、あるいはタオルで日焼けした部位を覆うことで、あまり日光を浴びないようにします。私達はただ、自然適応を急がせすぎてしまっただけなのかもしれないのです。 ネガティブな身体的反応は、一時的なものであり、多くの場合エクササイズの用量過剰が引き起こす痛み同様に、炎症を起こした赤い皮膚とシャワーでのヒリヒリした感覚は、ただ用量を変えて自然に任せれば消え去ります。正しい用量で行えば、ゆっくりとした自然適応で、ポジティブに輝く肌をみることができるでしょう。 日焼け後、あなたは通常次に何を行いますか?再露出する際には、より気をつけてください。日の当たる場所では長く過ごさない、あるいは日焼け止め効果(SPF)のより高いものを塗布するようにしてください。怖がらせているわけではありません。実際は、私達はしばしば、自分自身を愚かであると非難します!結局こうしたことが起こる事はわかっています。エクササイズにおいても、同じことができます。積み上げる前に少し休みを取りましょう、あるいは行う量を減らしましょう。 なぜ私達は用量過剰になってしまうのでしょうか?もしかするとこれまでが用量過小だったのかもしれません。ただ日光の射さない長い冬のように、しばらくエクササイズを行わないでいることが、恐らく耐性を減少させ、それによって潜在的な副作用を引き起こすのかもしれません。このことが、わずか数セットなのに、かなりの筋肉痛が起こる理由を説明しているかもしれません。 もし以前からスポーツが得意ならば、現時点で対処可能な強度よりも、かなり高強度でプレーできてしまう傾向にあります。実のところ、何かが得意であることが、ある人達にとっては実は危険因子なのです!私達の技能レベルは、プレー可能な強度レベルにおける耐性をかなり上回るかもしれません。日焼けに関しても同様で、私達は、SPF30の日焼け止めを塗布しなければ皮膚が赤く炎症を起こす休暇序盤の日々よりも、SPFの低いハワイアントロピックを塗布する休暇終盤のダラダラした日々を覚えている傾向があります。 長い時間エクササイズをすることができて、何も感じない人たちもいます。それは、ただ太陽を見ているだけで美しい褐色の肌になってしまう気に障る人達に少し似ています!私達には、身体活動に対する耐性が低いという遺伝的な傾向があるかもしれません。この研究論文*ここをクリックしてください*では、感受性における遺伝的役割について議論しています。 色白の肌と赤毛を持つ人達はしばしば、生まれつきケルト民族の伝統を受け継ぎ、日光への耐性が低く、地中海沿岸起源、あるいはアフリカ起源の人種は、遺伝的により大きな用量の日光に対処する態勢が整っています。 どのような比喩も、間違った解釈から免れることはできません。日光は極度な用量過剰による皮膚癌のような危険な結果をもたらすものとして見られる可能性がある一方、セロトニンの減少による鬱病のような用量過小の問題もあります。すべての事と同様に、ここにも最適な用量があり、結局のところ水や酸素であっても、用量過剰、あるいは用量過小になれば死をもたらします! どのように用量を変えることができるでしょうか? 頻度 - どのくらい頻繁に:常に多いから良いというわけではない 強度 - どのくらいの重量で、あるいはどのくらいの速度で行うのか? ボリューム - どのくらいの量で。セット数、回数、レストはどのくらいか? 用量に関しては、この記事*ここをクリックしてください*を読んでください。 覚えておいてほしいこと 人々は、ただ上手い具合に科学に当てはまるわけではない 痛みの増大は、リハビリテーションエクササイズにおける本質的な不安である 何を期待するか、何を感じるのかについての情報を人々に与える まず賢くあれ - 少ない方がより効果があるかもしれない 自己管理:用量を管理するためのツールを与える 支援する:もし間違った方向に進んだら、元に戻す手助けをする
‘痛みは脳内にある’ - それは、でたらめか?
“痛みは脳内にある”は、私がとてつもなく気に入らない表現の一つで、痛みに関する現代的見解の理解の手助けにはならないと考えています。 なぜでしょうか? そこには数多くの理由があります: それは痛みは体内にないという意味を含んでいます(私にとっては)。多くの人達にとって理解することが困難であり、それは正論です。 これはまた、“全てが頭の中”であるという意味を含んでいます。これはまた多くの人達にとっての有用なメッセージではなく、問題の解決に努めているというよりも、潜在的に更なる問題を引き起こしているかもしれません。 これは分極化を作り出しています。明らかに、痛みの発生の大部分は体内であるため、“振り子が振れ過ぎた”反撃を受けています。これは完璧に、この議論に対する正当な立場です。問題は潜在的に、疼痛経験において脳が主役であると信じている人達が、痛みの“全てが脳内にある”と示唆する認識の中にあります。分極化した見解に対して反論をすることは簡単です。 それは特発的で自発的に噴出します。多くの人達にとって、これは特異な場合においては真実かもしれませんが、より身体的な発生に反応したシステムの不適応なのです。 痛みは脳からの出力である ‘痛みは脳からの出力である’は、痛みのプロセスを説明するためのより賢明な方法のように見えると私は考えます。これは、身体からの入力と脳内におけるその入力の調節の両方を包含するモデルを可能とします。 末梢と脊髄のつながりを通して、私達は侵害(侵害刺激)、あるいは危険処理システムにおける変化、あるいは可塑性が得られるということを覚えておかなければなりませんが、痛みが持続すればするほど、ボトムアップの影響というよりも、トップダウンによって駆動されるかもしれません。 脳内での刺激(危険!)処理は実際、痛みの出力、あるいは発生を増大させるのと同様に、減少させるために使用される可能性があります。吻側延髄腹内側部(RVM)において、‘オン’細胞と‘オフ’細胞とわかりやすく命名された、ただそれだけを行う細胞があります。‘オフ’細胞は、侵害受容伝達における下行性痛覚抑制を担う一方、‘オン’細胞は下行性痛覚増強に関与します。 ‘病的な’痛み 痛み自身が、より病的なプロセスの度合いを強めていく状況があるようです。幻肢痛は、潜在的に痛みのメカニズムは肢からの侵害シグナルよりも、脳内における肢の表象に関するものであるという一例で、肢切断患者の60~80%で頻繁にみられます*ここをクリックしてください*。この研究論文*ここをクリックしてください*におけるMelzackとKatzの見解もまた、読む価値があります。 Harrisは彼の研究論文*ここをクリックしてください*において、痛みの原因として、運動の意図と動作間の不一致を示唆し、こちらの研究論文*ここをクリックしてください*では、感覚運動の不一致が、慢性頸部傷害患者の痛みを悪化させると述べていますが、この研究論文*ここをクリックしてください*では、一貫性のある結果は出ませんでした。 MoseleyとValyaen*ここをクリックしてください*、およびZusman*ここをクリックしてください*による両方の研究論文では、身体からの侵害受容をもはや必須としない脳内の固有感覚情報、疼痛反応、記憶の間の結合を提議しています。 この研究*ここをクリックしてください* において、肢に対する視覚のゆがみが実際に痛みの処理に影響を及ぼすことが分かりました。 これらの研究や理論は、私達の痛みは複雑な過程であり、‘痛み’のシグナルは、ただ単に身体から中継されているのではなく、痛みは‘脳内’にだけあるわけでもないということの理解を手助けしてくれます。 もし誰かが“痛みは脳の中にあるのか?”と尋ねるならば、私の答えは、“No”でしょう。痛みは、多くの要素によって調節されるボトムアップとトップダウンの影響の間の複雑な相互作用であり、疼痛経験に関わるシステムの感度は、末梢、脊髄、皮質レベルにおいて、時間と共に変化する可能性があります。 意味論 誰かが、これは単に意味論であるということを示唆するかもしれず、また示唆しているでしょう。意味論は重要であるため、私は完全にこれに同意します。痛みに関して、人々がその意味合いをどのように解釈するのかは大変重要なことであり、それを認識しないことは問題です。これはDarlowによる優れた研究論文*ここをクリックしてください*で、もう一つはBakerによるもの*ここをクリックしてください*です。 ‘痛みは脳内にある’は、痛みを持つ人達や、体内における多大な痛みの発生の自覚をもつ人達によって、間違った解釈をされやすいようです。 問題は‘組織の中’か? ‘問題は組織の中にある’のでしょうか?もちろん、その可能性はあるでしょうが、ただ時折それ以上であり、またある時はそれ以下でもあるのです。これは、組織が病的状態である必要がある、あるいは、回復が、組織の状態の変化に付随するのか(これら2つの研究論文を参照:*ここをクリックしてください*・*ここをクリックしてください*)ということを意味しているわけではありません。 私達は、痛みと損傷が同じものではないと認識していますが、局所的な生化学的過程が、かなり関わっている可能性があります。病変はないかもしれませんが、病態生理学的過程が起こっているかもしれません。これは少しおかしくなってしまった生理学的過程なのです。 一例として、身体が普段慣れている以上に走ったとしたら、組織再生のような正常な修復過程は、神経ペプチドのような炎症性化学物質の異なる細胞発現によって置換されるかもしれません。これは機械的ストレスをペプチド作動的に動かされた組織の炎症状態を作り出すサブスタンスPの発現のような細胞過程に変換(機械的シグナル伝達)する腱細胞(線維芽細胞のような細胞)によって実証され*ここをクリックしてください*、この研究論文*ここをクリックしてください*では、負荷に応じて、体内におけるサブスタンスPの上昇が確認できます。 活動によって局所組織(恐らく以前に荷重された組織)の状態が化学的に感作される 状況があるかもしれません。そして、これは、末梢、脊髄、皮質で個人の以前の疼痛経験によって左右される、痛みに関連するシステムの感度の変化によって潜在的に増大するかもしれません。 疼痛経験における身体的変化 痛みの発生に関連するシステムの変化もまた、‘脳内’である必要はありません。皮質下の部分は、組織内の末梢神経系(PNS)において起こる実際の身体的変化と共に、その役割も果たします。これらの末梢神経系の変化は、細胞内へのナトリウムイオンの取り込み、脱分極、中枢神経系(CNS)へ信号(活動電位)を送ることを容易にする侵害受容器の端末側終端におけるイオンチャネルの数の増加を包含しています。また、受容器の数の増加と、いままでは沈黙していた受容器の活性化が確認できます。 後角での信号の処理はまた、末梢の信号が連鎖に送られるのを容易にする、より多くのNMDA/AMPAチャネルで‘増大’し、グルタミン酸塩やアスパラギン酸塩のような興奮性の神経伝達物質を増大させ、GABAや内因性オピオイドのような抑制性の化学物質を減少させます。 私達はまた、C線維からの反復刺激、あるいは持続的な‘連発’する信号に反応して脊髄ニューロンの長期間にわたる相乗効果を得ることができます。基本的に、侵害刺激を受ければ受けるほど、後角はその刺激に対して、より敏感になります。 振り子は、大きく振れ過ぎていないか? それは恐らく、あなたの偏見や見解によるでしょうが、もし誰かがただ単に痛みは‘脳内’にあると示唆するならば、私は“その通りです”と言うでしょう! 身体的、生理的、神経的、心理的な過程の変化を可能にする包括的モデルは、恐らく、現段階において、私達が痛みに関して知っていることに一致するでしょう。以前から抱いていた信念の慣性を打破するために、時折、振り子は最初に大きく振れる必要があるかもしれませんが、うまくいけば、その真ん中あたりで落ち着いてくれるでしょう。
目標設定−もし評価していなければ、推測しているだけ!
リハビリテーションの更なる個別化、患者中心化、関連化、有意義化に関する多くの議論と発表された研究とともに、治療関係と結果の向上の手助けをする:このブログにおいて、私がその実現のための重要なポイントの一つだと信じていることである目標設定!に重点を置こうと考えました。これは恐らく、生体力学に関する記事ほど魅力的ではないかもしれませんが、同等に重要なことです。 ‘もしあなたが評価していなければ、推測しているだけ’というのは、かなりつまらない表現で、ほとんどの場合のように、使用される評価がかなりくだらないものでもありえますが、私はリハビリテーションの目標がくだらないとは思っていません! つまり、もしあなたがその個人の要求、あるいは必要性を知らないのであれば、一体どのようにケアを個別化するのですか!時折、目標は明確に定義されるでしょうが、そうでなければ、より深く掘り下げることが必要とされ、具体的な事が何もなく、ただ痛みの無い状態にすることで十分かもしれません。リハビリテーションにおける数多くの事のように、恐らく、目標設定はかなり単純なものから非常に複雑なものまで広範囲に存在しますが、ある人達にとって、彼等が望む事に関して、少しでも多くの事を見つけることは大事なことかもしれず、また、意欲、焦点、方向性を提供することもできます。今までに、これらのことを欠いた患者に携わったことがありますか?? 人々の目標を見つけることは、常に型通りの質問を通してだけではなく、一般的なコミュニケーション通して起こるかもしれません。傷害の既往歴を聞き取る時によく起こる事ですが、形式的な質問では、サメに脚を噛み切られた時のことに関してあなたに言い忘れていて、エクササイズ中に何気なく話したりしますね。 治療中に使用される従来の測定はしばしば、目標、あるいはその目標が達成されているのかどうかを捉えられていません。この研究論文*ここをクリックしてください*は、対象者27名において、痛み、筋力、関節可動域に関する従来の測定とは無関係な個人目標を発見しており、従来の臨床転帰の測定は、治療が患者にとって意味のある達成であるか否かを捉えていないかもしれないということを示唆しています。これはまた、無痛状態にある事は臨床転帰にとって十分なのかどうかと言うことを問いかけてもいます。私達は、痛みが発生する好きな行動を避けることによって、無痛状態のままでいることが可能かもしれませんが、これは成功した回復なのでしょうか?もし痛みだけが測定されているのであれば、成功した回復と言えるでしょう! 身体的観点 いかなる優れた運動プログラムにも、彼らが望む活動の要求を考慮に入れたニーズの分析の要素、そして、リハビリテーションプログラムを通して、これを達成する方法の要素があるはずです。ある人達、特に現在、運動不足の人達にとっては、基本的なエクササイズプログラムでも十分すぎるかもしれません。その他の人達にとって、彼等のニーズは、明確に定義された活動、スポーツ、あるいは問題のある動作に関して、より具体的であるかもしれません。 効果的な個別化された治療は、より一般的なものと特有のもの融合である可能性が多く、リハビリテーションの様々な段階で変化するかもしれません。私達は、方向転換の無いACLのリハビリテーション、あるいは高速ランニングまたは伸長性収縮の無いハムストリングスのリハビリテーションを示唆するでしょうか?これらの要素は、これらのタイプの傷害が頻繁に発生し、競技復帰を必要とするスポーツのニーズに対して特異的です。潜在的に、私達はこれらタイプの傷害を、機能性がしばしば痛み自身に対して二次的なものとして見られる持続性の痛みとは異なる観点から見る可能性があり、競技復帰のような目標はそれほど明確に定義されていません。目標設定は、他の全てと同様に、全員に必須とされているわけではありません。ランナーにおいては、目標設定は必要なプロセスではないかもしれません。ランニング自体がゴールであることを知っていて、全身の筋力強化からより具体的なランニング技術にまで及ぶ、多くのことを行うかもしれません。 荷重耐性のような基本的なことは恐らく、動作やその動作が行われる方法においてある程度特異的でしょう。脊柱屈曲と腰痛を考えてみてください。これは、子供を抱き上げることや靴下を履くのに悪戦苦闘している人達にとっては非常に重要かもしれません。そして、それらが実際、彼等の目標であり、ただ痛みが無くなる事よりもはるかに回復を表している可能性があります。私達は、耐性や自信を築くために段階的アプローチをとる、あるいは、その代わりに屈曲回避を試みようとするかもしれません。両方とも痛みを軽減するかもしれませんが、障害を減らし、機能を回復し、恐怖を和らげてくれるかもしれないのは、前者のアプローチのみでしょう。屈曲や捻転のような動作を回避するというアドバイスは、腰椎の屈曲・捻転を数多く行っても腰椎変性の罹患率を示していない人達にとって事実に基づいていないことかもしれません*ここをクリックしてください*。 これら全ての変数は関連していて、個人的に認識された目標に関するリハビリテーションの特定の身体的側面によって少し異なるかもしれません。 負荷 姿勢 速度/力 環境 時間 目的 心理社会的観点 私達はまた、身体的要素はプロセスのほんの一部に過ぎないということを忘れてはいけません。どのような根拠に基づいていても、もしエクササイズが最初に行われなければ、それは冗長要素になってしまいます。私達は、いかに治療が多くの人達に作用するのかをはっきりと理解できておらず、正しい割合はいまだに身体的な部分に関して特異的ではないかもしれないため、行動において、あるいは説明において、時間をかけて特定の目標を探り、エクササイズプログラムをその特定の目標と関連付けることは、恐らく価値ある試みでしょう。この最近の研究論文*ここをクリックしてください*では、目標設定はエクササイズプログラムの順守を向上させるための効果的な方法であるということが発見されましたが、より多くのデータが必要であると注意されています。この研究論文*ここをクリックしてください*もまた、目標設定によって順守が向上することを示しています。 これを心理社会的観点から見るならば;人によっては、それが実際に彼等の個人的な目標に関連する何かであれば、心地よく感じたり、あるいはそれを行いたくなる傾向にあるかもしれません。患者中心のケアを通して、治療を個人向けにすることは、治療結果を向上させる治療家と患者間における相互関係の特徴であると示されています*ここをクリックしてください*&*ここをクリックしてください*。目標はしばしば患者の優先傾向も示し、それを考慮に入れることは、結果に良い影響を及ぼすということが示されています。 回復への重要な予後因子の一つとして、誰かの回復に対する予測された期待のように*ここをクリックしてください*、期待を向上させることに関連する全てのことはまた、治療結果を向上させる可能性があります。私は、個人の治療目標をはっきりと明示することと、お互いに同意した回復への指針を作成することが結果に良い影響を与えることを主張します。これはまた、目標に到達するための計画を立てることを通して得られる自己効力感と、内面的な制御部位を作り出すことの両方に影響を与えるかもしれません。そして、これら二つの事は、高い確率でリハビリテーションプログラムを成功裏に達成するために重要なのです。この研究論文*ここをクリックしてください*は、目標設定が自己効力感とパフォーマンスの両方に関連がある事を発見しました。 たとえ介入自体がかなり一般的な性質のものsであったとしても、なぜあなたがそれを行っているのか、どのように目標を達成する手助けをするのかに関する簡単明瞭な説明は、恐らく、あなたのリハビリテーションの選択に対する患者の認識を向上させるでしょう。 質問時間 第一に、私達は彼等の目標が何であるのかを明らかにし、下記のような質問をするかもしれません: 問題が、あなたが本当に楽しみたいことを妨げていると感じるのは具体的にどのようなことですか? 日常生活の中で、痛みがあることで実行の妨げになる何かがありますか?それによってどのように感じますか? あなたが避けている特定の活動がありますか? もし痛みが問題でなければ、あなたは何をしますか? 患者特有の機能的尺度*ここをクリックしてください*のようなツールが、より正式に確認し、目標を数値化するのに良い方法かもしれません。 賢くありなさい 目標が明確になった後、目標設定への SMARTアプローチの利用もまた目標に磨きをかける手助けになるかもしれません。その後目標達成プロセスを観察してください。 具体的に 目標は、小さく、そして明確な定義を保ってください。大きすぎる目標は、測定しづらく、達成が難しいのです。 測定可能 目標を達成したかどうか、いかにしてわかりますか?これは 視覚的アナログ尺度(VAS)、あるいは、設定された目標を達成したのかどうかを図るための“はい・いいえ”のような単純な二進法のような尺度の使用によって行えるかもしれません。 達成可能 目標は大きいものではなく小さくあるべきで、全体的な大きな目標と短期間で達成可能な小さな目標に分割されます。 大きな目標は数多くの小さな目標の総和ですが、小さな目標は時間と共に変化するかもしれません。 小さな目標が達成される際のドーパミン報酬系の活性化は、人々のやる気を保つ‘満足感を与える’要因を作り出すのかもしれません。 現実的 目標は非現実的で、それ故に達成不可能にもなりえます。治療から最良の結果を得る傾向がある人達は、現実的な目標を持っています。これらは、治療家と患者の間で管理・協議されています*ここをクリックしてください*。 時間に的を絞る 目標を達成する期限を設定することが重要です。このことが目標を追跡可能にし、週毎の説明責任に影響を及ぼします。 やってみましょう!試してみてください!
疼痛経験
ベン・コーマックの痛みをテーマにしたセミナーからの抜粋。下記のMoseleyとVaelayen の表現を引用し、私たちの疼痛に関する理解との関連性を解説しています。 “痛みとは、侵害受容としばしば関連する、あるいは関連し得る意識的経験と考えられるが、常に数え切れないほどの神経生物学的、環境的、認識的要素によって調節されているものである。 かなりの数のエビデンスが侵害受容は痛みにとって十分でもなければ必要でもないことを論証している。” Moseley & Vaelayen 2015
動作を評価する日々は終わったのか?
正直なところ、現在のフォーマットにおけるここでの答えは、無条件で‘イエス’でなければなりません。私達は動作を評価することをやめるべきです。 この意見は、私達が動作を評価する際に現在持っていると思われる二つの主な概念に基づいています。 最初に、ある動作、あるいは筋肉発火の‘理想’からの逸脱が、病理運動学モデルで見られるような痛みの原因であるという概念です。 次に、損傷の原因になる可能性がある不良動作を識別するために、私達は動作を‘スクリーン’することができるという概念ですが、これは踏み込むには大きすぎるテーマであり、スクリーニングは目的とする役割を果たしていないと示唆する新しいデータが毎週出て来ているようです。 これら両方の概念は、今のところ、その二つが述べていることをその通りに行っているという具体的な根拠の提供において、定義が難しいことが立証されています。 全ての痛みの要因に関する現代的な理解は、全ての人達において単一の要因によって恒常的に引き起こされる痛みの可能性は、実に理不尽であるということを意味しています。 変動的である 私達は動作を学べば学ぶほど、動作は本質的に非常に変動的であるということに気付きます。この変動性は、人々が同じ動作を繰り返す際に、ただ異なる個人間だけではなく、一個人の中にさえも異なった動作において見られます。健全な動作は変動的であり、変動性の喪失はそれ自体が問題であるということが示唆され、十分な量の科学的根拠によって支持されています。このことが動作評価のアイデアをより批評的に評価することを可能にするため、動作に関する変動性を理解することは重要です。 以前に私はブログで議論しています*ここをクリックしてください*。 もし単一の‘理想の’型に対して測定しているのであれば、不良動作パターンの識別が可能であることは大いに起こり得るということを意味しています。単一の理想の型が本当は存在しておらず、それほど関係しているようにも見えないこと、そして、これが全ての過程をちょっとした時間の浪費にしていることが問題なのです。 変動的でなければ意味がありません: 複数の選択肢が私達に冗長性を与えてくれる 様々な刺激に反応する能力 反復作業における負荷の関節への拡散 変動的な運動単位の動員を通しての疲労の回避 生物学的レベルでは不可避 私達はまた、批判的な分析無しに、単純に痛みは不良動作パターンの結果であると仮定している人たちがいるというようなことに深く踏み込んでいくことになるかもしれません。ある人達がどのように腰痛に対してアプローチするのか考えてみると、“腹横筋が発火しているかどうかを調べてみましょう(、臨床検査はこれに関して何も示していません。ただの一例にすぎませんが。)”と言うのではなく、“腹横筋が発火していません”と言うかもしれません。 動作は力とイコールではない 私は生化学者ではありませんが、動作が潜在的に‘不良な’ポジションに陥るというだけで、どれ程の損傷を組織にもたらすかの全体像を示しているわけではないということも認識しなければなりません。もちろん、ある状況下ではリスクが増大するかもしれませんが、それ単独では、実際に掛かる力はわからず、また加速度についても知る必要があります。大きな力(F=MA)を発生させる提案された‘安全な’パラメーター内での速い動作は、よりゆっくりとした‘不良’動作として提案されたものよりも、組織に対してより大きな負荷を提供する可能性があります。 実際に、より大きな負荷の下では私達の動作は変化するように見え、負荷が小さい環境での評価は、異なる状況において動作がどうであるのかに関する指標を与えてくれないかもしれません。これは、まさにそれを示しているFrostおよびその他の研究*ここをクリックしてください*からの興味深い論説でした。 ある人達は、もし正しく動作を行うことができれば、いかなる負荷をも扱うことが可能であるという考えを発展させているようです。身体がその動き方を通して負荷を内部で操る方法は、身体が経験するかもしれない負荷の量、頻度、あるいは強度かもしれない全体的な量と比べたら、重要性では遠く及ばないかもしれません。 異なる観点? 私達はそれでも指導の現場において、動作に着目することができるでしょうか?私はできると信じています。何事にもその利用法と制限があり、それを決断する時が難しいのです。 痛みは私達の動き方に影響を及ぼし、このことは非常によく研究されていて、関節、それに隣接する関節、そして完全に痛みに対する恐怖のために回避する動作において、運動学と動力学の両方に起こる変化を示しています。HodgesとSmeetsは、この素晴らしい研究論文*ここをクリックしてください*において、このことを議論しています。 私達が測定可能な他のものと同様に、問題と関連しているかもしれず、していないかもしれません。そして、好結果を得るために変える必要があるかもしれず、必要が無いかもしれません。 その人の動き方が彼等の抱える問題の原因であるということを示唆するのは、間違いなく非常に困難です。あなたはその動き方が以前はどのようなものだったか知っていますか?それは原因、あるいは痛みではなく、結果ではありませんか?しかし、運動戦略の変化が傷害の再発、あるいは他の傷害にも影響を及ぼすかもしれない可能性もありませんか?私達は、今後の損傷に関する最良の予測判断材料は、過去の損傷であり、これが要因であるかもしれないということを知っています*ここをクリックしてください*。これはまた、腰痛において示唆されています*ここをクリックしてください*。 あなたの論理的展開能力を使用するには最適な場面です。それが起きたのは、これが初めてですか?それは急性ですか?これら二つの単純な質問が、現在のところ痛みのために(有益な)適応戦略であるのか、あるいは問題の持続、もしくは再発の一因となっている可能性がある(有益でない)不適応な行為であるのかを決定する手助けになるかもしれません。 各個人に着目する 潜在的により個別化した動作の見方に対するコンセプトは、私達が現在用いている正しい見方と間違った見方という二進法ではなく、あなたの現在用いている戦略は有益ではなく、その戦略を他のものと交換することの方が、より有益かもしれないということもできるでしょう。‘正しい’方法よりも有益であるかもしれない非常に多くの方法がありものです。 これは症状修正のようなほんの短期間だけかもしれず、あるいはもしあなたが運動行為が疼痛反応と一体となっていると信じているのであれば、長期に及ぶかもしれません。 ランナーにおける歩行の再教育は、事の成り行きをみて、潜在的に問題と関連しているのか、そして、微妙に変えることができるのかというように、この理論的根拠に従っているように見えます。 荷重状態での腰椎屈曲、あるいは過度な外反膝のような、より危険を伴う確かな状況があるかもしれませんが、それらはかなり負荷に関連しているようです。もし日常的にこれらの負荷に晒されていなければ、それほど問題ではないのかもしれません。どれだけの人達がジムでシングルレッグ・スクワットをしている最中に前十字靭帯(ACL)を断裂しているか自問してみてください。ひょっとしたら、警告が個々での問題を解決するよりも、更なる問題を引き起こす可能性があるのではないでしょうか?特に、人々が形成する傾向にある、有益ではない信念によって。 有益でないもののいくつかの例 動作が現在感受性の高まっている身体の特定部位に負荷を掛けているということがあり得る 例 もしハムストリングス近位の腱障害を現在患っている人が、かなり股関節優位の戦略を持っているのならば、ハムストリングスの感受性を低下させるために、その特定部位への負荷を変更することが腱への更なる負荷/圧迫を減少させるかもしれません。 動作前の行動 動く前にブレーシングをすることが有益でないということがあり得ます。これは腰痛患者に見られるかもしれません。 例 靴ひもを結ぶために前かがみになる前にある人がブレーシングをすることが、今までに経験している痛みと結び付けられているとします。運動戦略のこの部分を変えようと試みることが、その結果に影響するかもしれません。 運動戦略をたった一つしか持っていないということがあり得る。 私達は、多くの身体部位における慢性痛に関連するバリエーションの低減を目にします。これは痛みに関連する、反復する荷重、あるいは一貫したパターンを引き起こすかもしれません。 例 特定のタスクが、ある反復的な方法で行われるかもしれません。これはその人の物の持ち上げ方、手の伸ばし方、あるいは走り方であるかもしれません。これを評価する方法は、様々な課題を提供することや、その人がいかにうまく適応できるのかを見ることかもしれません。 私達が覚えておかなければならないことは、すべての事は試行錯誤であるということです。 それは影響を与えるかもしれませんし、与えないかもしれませんが、これは基本的に私達がする全ての事でもあります。私達は、現在の最高の科学的根拠によって知識を持つようにべきですが、これは管理された環境の中で生成された可能性であり、あなたが対応している人に直接的に置き換えられないかもしれないということを忘れてはいけません。 覚えておいてほしいこと 特定の理想の動作(特に痛みと関連させた)は、ほとんど立証されていない 動作スクリーニングは、まさにさらなる問題の蓋を開けるようなものである 動作は変動性をもつもの、受け入れること!これは、痛みの原因との関連性を仮定することが困難であることを意味している 低負荷での評価は、高負荷での行動に関しての情報を与えない 動作は組織に加えられる力と単に同等ではない 個人に着目せよ 動作の修正はによる影響がないこと、あるいはとても前向きな影響があることに対して準備すること
痛みの教育−何が痛みの教育をより効果的にするのか?
痛みの教育は、ある患者にとっては有益な手段ですが、もちろん全ての患者に有益というわけではありません。痛みの教育は、‘従来の’医学、あるいは治療では説明不能なままであった問題に対する物語、あるいは説明を提供する手助けになる可能性があります。 慢性腰痛に関するこの研究論文*ここをクリックしてください*は、人々が通院において何に期待しているのかを調査しています。 “90%以上の患者が、身体診察、検査、診断、安心させてくれる言葉やアドバイス、原因に対する明確な説明、症状管理を期待していた” 90%に及ぶ腰痛は、まさにこの理由で‘非特異的’とされています。私達は、不確実性が多くの患者にとって、大きな問題であることを知っています。Mishelが最初にこのことを“theory of uncertainty of illness(病気における不確実性の理論)”で提示しています*ここをクリックしてください*。 Carrollの発表した研究論文“How Well Do You Expect to Recover, and What Does Recovery Mean, Anyway? Qualitative Study of Expectations After a Musculoskeletal Injury(どの程度の回復を期待するのか?一体、回復とは何を意味しているのか?筋骨格系障害における定性的研究)”*ここをクリックしてください*もまた診断のプロセス、不確実性、回復に対する期待に関するその後の影響に関して議論しています。 しかし、データは痛みの教育が手助けになると示唆してはいますが、非常に伝えにくいものでもあり得ます。 Louis Giffordの引用文が、それをうまく要約しています。 “セラピストから、痛みは実は何でもないと説明を受けた患者が、突然、椅子から立ち上がり、帰宅し、ここ5年間乗っていなかった自転車に乗り始めた…。ただ痛みなど本当は存在していなかったのである!” どのように痛みの教育の伝達を改善できるか? 私がしばしば熟考する疑問は、私達は解剖学を神経生物学に置き換えているのではないか?ということです。私達は、複雑な生体力学の話というよりも、脳、神経、受容器官を含む複雑なプロセスを人々に浴びせかけているのではないでしょうか?一体、どの程度の神経生理学、あるいは神経科学が実際に必要とされているのでしょうか? 場合によっては、もちろんそれは有益ですが、多くの場合、実際には妨げになる可能性があります。これは、可塑性、感作、痛みにおける脳の役割のような重要な概念が重要ではないということを意味しているのではありませんが、注目されてしまうかもしれない些細な情報は不必要かもしれません。 もしかすると、この研究論文*ここをクリックしてください*における、いくらかの情報を利用できるかもしれません。MRIの報告書の簡素化は、その情報の受け取られ方において良い影響を及ぼすようです。これはまた、痛みの教育の伝達において適用できるかもしれません。患者にとって、侵害受容、あるいはイオン・チャンネルが何を意味するというのでしょうか?もしうまく伝達されないのであれば、それは、結局、VOMIT(Victims of Medical Imaging Technology(医用画像工学の犠牲者))と非常に類似したものになる可能性があります*ここをクリックしてください*。 情報そのものよりも、情報の伝達と情報の文脈にフォーカスが置かれるべきではないでしょうか? 貢献 痛みの教育を成功させる重要な要素に関して、他の意見を得ることも良いのではないかと思い、ソーシャルメディアを使い、協力してもらうために世界各国からの仲間に働きかけました。 私はすでにいくつかの重要な概念を主張してきましたが、私が今まで考慮していなかった他の概念を認め、自分自身に、そして、恐らく幅広い治療社会にも貴重な考察の材料を与えてくれたことを認めざるを得ません。 私は議論された要素に喜ばしく驚きました。ほとんどの事が実際の情報自体に関連したものではなく、伝達プロセスと思考プロセスを含むものでした。 それらがこちらです! 傾聴 総じて、貢献者によって示されていて、最も一貫している点は傾聴です。 傾聴は重要な臨床的手段です。痛みの教育はしばしば情報の伝達として考えられますが、それは傾聴から始まるべきです。これは多くの分野で推奨されていると思いますが、私達も知っているように、患者はしばしばすぐに言葉を遮られてしまうことがあります*ここをクリックしてください*。このことを常に肝に銘じておくべきです。 聞いてもらいたいという欲求はまた、患者の視点から高く評価されているようであり、治療同盟を構築する手助けになります*ここをクリックしてください*。これは恐らく、伝達された情報を受け取り、処理する人達にとって重要です。 これは‘治療としての傾聴’に関する素晴らしい研究論文です*ここをクリックしてください*。 検証 数名の患者もこの議論に貢献し、彼等の経験を傾聴・検証している人が、回復における重要な部分であると感じていました。これはまた、患者の視点に関する上記の研究論文にも関連しています。もし症状を‘医学的観点から’説明できない、または従来の治療介入で解決できないのであれば、患者は彼等の苦しい体験を‘捏造’、あるいは誇張しようとしていると見られていると感じるかもしれません。全ての痛みは現実であり、その痛みはしばしば解説し難いものですが、ある人がそうだと言っていること、そのまままでもあります。それ以外の何物でもないのです! 個別化 一貫して提案されるもう一つの重要な点は、伝達の個別化と関連性のある状況に置くことに関するものです。私は個人的に、痛みの教育を、その人の現在の状況に当てはめて行うことを好んでいます。重要な概念の一部と結び付けて、痛みの教育を彼等の物語に組み入れ、彼等の痛みを伴う実例を用いることによって、理解の要素を得られやすいと考えています。 これは傾聴の重要な要素とうまく適合します。傾聴無しに、私達は情報を患者の物語の文脈の中に置くことは不可能です。 疑問は、これが一般的に伝達される情報よりもより効果的なのかということです。私にはわかりません。これは、研究すべき興味深い比較であると思います。 質問すること! 私が、質問しないと認めなければならない一つの事は、単に“あなたは痛みについてもっと知りたいですか?”ということです。これは多くの人達によって提起されました。これは、望まれていない痛みの科学を詰め込むという、非常に現実的な問題を回避させるかもしれません。痛みの科学は、突然のひらめきを期待してセラピストが落とす知識の爆弾というよりはむしろ、必要とされ、望まれる場所で賢く適用されるべきです。 受動的な情報のやり取りではない ここで関わる二人の立場は、同等であることを忘れないでください。ただ単に先生と生徒という関係ではありません。患者の実体験もまた重要なのです。セラピストもまた、特に患者の経験に関して、患者から学ぶことができます。恐らく、それは、単に教育的経験というよりもむしろ、ネガティブな状況において、お互いに共通した意義を見つけるための、二人による旅路のようなものであるはずです。 痛みの科学は考え方のひとつであり、介入ではない 痛みの教育の適用に関して、最近私が目にした批評の一つは、それが独立した介入として見られるというものです。よって、痛みを説明するために以前に聞かされていた発言や比喩を人々の詰め込むのではなく、概念や考えは、提供される治療を論理的に考え、コミュニケーションをとり、説明し、適用する方法に影響を及ぼすべきものです。 経験は会話と同様に強力である ただ単に会話だけではなく、行動もまた強力な教育者です。恐らく、時折、会話は行動の前後に必要とされますが、実際の行動無しに、ポイントを‘証明’することはできません。身体に関する信念が、この良い例です。異なる結果やポジティブな結果を(潜在的に何度も)目の当りにすること、あるいは感じることが無ければ、信念は変わらないかも知れません。 ここでもまた、傾聴が重要です。認知感覚と同様に身体感覚における再概念化を必要とする極めて重要な経験とは何でしょうか。 どのようにあなたの教育が解釈されているのかを理解する 治療プロセスのあらゆる部分がそうであるように、痛みの教育は、ポジティブな結果と同様にネガティブな結果を及ぼす可能性があります。私達は脳の話やアウトプット等の話をして人々をかなり困惑させるかもしれません。それがいかにセラピストによる善意、あるいは包括的なインプットであったとしても、彼等がこの情報をどう解釈をするかが、成功の決め手となります。 これは結局、言い回し、ヘルスリタラシー、治療同盟に尽きるかもしれません。潜在的に影響を与えるもののリストに終わりはありませんが、本質的には、ネガティブな効果を軽減する能力は、単に問いかけることに左右されるかもしれません! 私達は、簡単に理解できる情報量を使用し、明瞭・簡潔であること、信条に関する意見の対立を避けること、また、ネガティブ、あるいは長ったらしい医療・解剖学的専門用語や言い回しを避けることによって、この解釈に影響を及ぼすことができるかもしれません。 内省的質問 ただ単に意見を提供するだけではなく、内省的質問を使用しましょう。これは、理解を容易にし、この新しい情報を彼等自身の個人的経験に適用し、彼等の信条に関して批判的に考察する手助けをするかもしれません。 例えば、ある人が、何年も前に起きた椎間板ヘルニアによる腰痛に関してネガティブな信条を持っているとします。私達は、構造と症状は常に一貫した関係を示すわけではないと示唆することもできるでしょう。そして、症状が現れたり消えたりしないか(長期間にわたる腰痛では一般的に発生する)、‘椎間板ヘルニア’が依然として変わらないままならば、これが唯一の原因なのかを質問することによって、詳しく調べるかもしれません。 もちろん、これはいくつかの意見に過ぎませんが、まとめてみれば価値のあるものです! 重要な点 人々は答えを求めている 不確実性は事態を悪化させる 痛みの教育は多少の説明を提供するかもしれない それは手強く失敗することも多い 痛みの教育をより効果的にするかもしれないいくつかのこと 傾聴 検証 個別化 求められていれば/必要であれば質問すること 受動的な情報のやり取りではない 痛みの科学は考え方のひとつであり、介入ではない 経験は会話と同様に強力である どのようにあなたの教育が解釈されているのかを解釈する 内省的質問