複雑な「痛み」を理解するために
患者さんの痛み、なぜ治らないの?痛みは多因子的で、まだまだ謎が多い複雑なものですが、最新の研究で少しずつ解き明かされ始めています。治療家・ボディワーカーの皆さん、痛みの科学を学び、患者さんの悩みを深く理解することで、より効果的な治療を目指しましょう。他の専門家との連携もスムーズになります。
疼痛の理論
Bridging the Gap From Rehab to Performanceより抜粋 私達が身体の痛みへの対応方法を理解しようと研究を深く掘り下げると、痛みの発生経路のメカニズムを説明するいくつかの潜在的に矛盾する理論があることに気づきます。 神経線維:身体は、中枢神経系が情報を解釈するために、外界からの情報を伝達する求心性神経線維の広大なネットワークで構成されています。神経線維の直径はさまざまで、神経の絶縁性および保護性の鞘である髄鞘の量もさまざまです。このような異なるサイズと絶縁性のため、情報が末梢から中枢神経系に移動する速度は、刺激される求心性神経に応じて異なります。つまり、中枢神経系に異なった時間で情報が到達するのです。 痛みには多くのシステムが関係していますー いくつか例を挙げれば、末梢神経、中枢神経、自律神経、解剖学的な構造系、大脳辺縁系、心血管系などがあります。私たちが理解していない脳の領域はまだあり、すべてを網羅する決定的、かつ包括的な疼痛モデルはありません。 とはいえ、これらは最も人気のあるいくつかの理論の概要となります。 特異性理論 マックス・ヴォン・フレイは、1895年に最も初期の疼痛理論の1つである特異性理論を開発しました。この理論は、個々の疼痛受容体が脳内の特定の疼痛中枢に信号を送信し、それから、熱いフライパンから手を素早く引き離すというような、適切な運動反応の指示を送り返すと述べています。この理論は、特定の疼痛システムがあるという仮定に基づいています。 この概念の単純な分かりやすさは心が和むのですが、反証されています:脳には特定できる疼痛中枢はありません。この理論はまた、痛みの心理的側面や、私達の以前の経験によってさまざまな疼痛刺激に対して過敏になっている側面を認識していません。 パターン理論 1920年代後半から1930年代初頭に、ジョン・ポール・ナフェとヨハネス・シャイダーは、痛みを感知して反応する確立したシステムはないが、疼痛受容体は他の身体システムと共有されていることを示唆しました。この理論では、脊髄において刺激の特定の組み合わせが形成され加算した場合にのみ、脳が疼痛信号を受け取り、これは、反応のプリセットパターンの遂行につながります。 パターン理論の問題の1つは、脳の役割を過小評価しており、単に受容体からのメッセージの受信者と見なしていることです。今では、身体が痛みにいかに対処するかについて、脳ははるかに複雑で動的な役割を果たすことがわかっています。 ゲート理論 この疼痛研究の次の題目は、感覚制御理論です。これは、ゲート制御の考えに基づいています。 1965年にロナルド・メルザックとパトリック・ウォールによって開発されたゲート制御理論は、ドアに指をバタンと挟んだとき、その指を逆の手で包んだり、口に入れたり、撫でたり、痛みを和らげるために何らかの行動をとるという考えです。 熱、冷たさ、感触、痛み、振動などのすべての末梢感覚は、末梢神経の刺激によって伝達されます。この神経の刺激は脊髄に伝達され、十分に顕著であれば、情報は処理のために脳に伝達されます。痛み感覚は、A-デルタ繊維およびC-繊維としても知られる侵害受容器の疼痛線維によって運ばれます。これらの信号は、脊髄の後角に送られ、2次ニューロンを刺激してから、外側脊髄視床路を介して脳に送られ解釈されます。この方程式に何らかの触感を加えると、A-ベータ繊維も刺激されます。 タッチのセンセーションもA-ベータ繊維を介して脊髄へと伝わり、脊髄後角の抑制介在ニューロンを刺激し、A-デルタ繊維およびC繊維によって刺激された求心性情報を介して脳に伝わる痛みのセンセーションを低減します。より“少ない”痛みを感じるのです。これは、私達がドアで指を挟んだ後に、素早く指をぎゅっと掴んだり撫でたりする理由であり、脳によって知覚される痛みのセンセーションを実際に低減させます。 ゲート制御理論は多くのシナリオで非常に理にかないますが、侵害受容器(痛みの感覚受容器)が刺激されていないのに、それでも人がまだ痛みを感じる場合を説明しません。 条件付き疼痛調整 条件付き疼痛調整理論は、あなたが兄の仕打ちで経験したかもしれません。幼いときに腕が痛いので泣いていたことを覚えているかもしれません。あなたの兄はその逆の方の腕を叩き、「よくなった?もう腕が痛いこと考えていないだろ。」と言いました。 この例は、痛みが痛みを抑制すると述べている条件付き疼痛調整理論を要約しています。 2つの侵害刺激が同時に適用されます。2つ目の刺激は最初の刺激と同じ領域にありますが、同じ場所ではありません。 2つ目の刺激は後角によって処理され、最初の侵害刺激を抑制することができます。この理論は持ち堪えており、痛みを軽減するための様々なテクニックを適用する場合、単にその領域の近くに触れることが、正確な場所と同じ程度に効果がある理由なのかもしれません。 痛みの神経マトリックス 他の痛みの理論は、痛みの発生部位に位置する局所組織と末梢神経に重要な役割を割り当てています。対照的に、痛みの神経マトリックスの観点は脳の役割を強調し、中枢神経系(CNS)の構成要素に焦点を移します。この理論では、痛みは実は脳の出力であり;末梢侵害受容刺激以外の痛みに対する複数の影響が重要です。 痛みの神経マトリックスは、痛みの感覚を作り出すという脳の決定を強調し、末梢組織からの入力を減少させますが、末梢神経系の関わりを否定しません。末梢神経への不快な刺激は、痛みの感覚を作り出す上で依然として大きな役割を果たしますが、全体像を提供するものではありません。 この理論は、幻肢痛、線維筋痛症、非特異性腰痛、および侵害受容刺激は存在しないが痛みの感覚が持続する他の慢性疼痛状態をより良く説明することができます。 痛みの意味合い ロリマー・モーズリーは疼痛の理論に影響力のある人物であり、この非常に複雑なトピックに関する、楽しくて簡単な概要のために、彼のビデオ、Pain 「痛み」を強くお勧めします。モーズリーは、痛みは意味合いを保持していると説明しています:個人的な。私が経験する痛みは、同じような侵害受容刺激と同じ診断があったとしても、あなたが経験する痛みではありません。痛みは生理的なものよりも心理的な現象かもしれません。 たとえば、私達が浜辺を歩いていて、二人とも鋭いものを踏んだとしましょう。二人とも顔をしかめますが、私は歩き続けることができるかもしれません。しかし、もしかしたらあなたは以前に足を切ったことがあり、その傷が感染し、入院して2週間抗生物質を摂取する必要があったかもしれません。あなたは私に車まで抱きかかえることを要求するか、助けを呼ぶことを要求するかもしれません。私たち双方にとって同じ経験ですが、鋭い何かを踏んだ刺激を解釈するための異なる基準枠をを伴っています。 同じ診断を持つ人を扱うときは、痛みの認識が大きく異なる可能性があることを念頭におく必要があります。診断の客観的所見に基づいて、ある人の痛みを判断することはできません。時には壊滅的な傷害を負いながら、最小限の痛みを感じる人もいれば、軽度のハムストリングの緊張があり、重度の苦痛で脚を引きずる人もいます。 痛みは主観的で個人的なものです。 2人の人の間で同じ侵害受容刺激が同じ知覚感覚または経験をもたらすと推測することはできません。
‘痛みは脳内にある’ - それは、でたらめか?
“痛みは脳内にある”は、私がとてつもなく気に入らない表現の一つで、痛みに関する現代的見解の理解の手助けにはならないと考えています。 なぜでしょうか? そこには数多くの理由があります: それは痛みは体内にないという意味を含んでいます(私にとっては)。多くの人達にとって理解することが困難であり、それは正論です。 これはまた、“全てが頭の中”であるという意味を含んでいます。これはまた多くの人達にとっての有用なメッセージではなく、問題の解決に努めているというよりも、潜在的に更なる問題を引き起こしているかもしれません。 これは分極化を作り出しています。明らかに、痛みの発生の大部分は体内であるため、“振り子が振れ過ぎた”反撃を受けています。これは完璧に、この議論に対する正当な立場です。問題は潜在的に、疼痛経験において脳が主役であると信じている人達が、痛みの“全てが脳内にある”と示唆する認識の中にあります。分極化した見解に対して反論をすることは簡単です。 それは特発的で自発的に噴出します。多くの人達にとって、これは特異な場合においては真実かもしれませんが、より身体的な発生に反応したシステムの不適応なのです。 痛みは脳からの出力である ‘痛みは脳からの出力である’は、痛みのプロセスを説明するためのより賢明な方法のように見えると私は考えます。これは、身体からの入力と脳内におけるその入力の調節の両方を包含するモデルを可能とします。 末梢と脊髄のつながりを通して、私達は侵害(侵害刺激)、あるいは危険処理システムにおける変化、あるいは可塑性が得られるということを覚えておかなければなりませんが、痛みが持続すればするほど、ボトムアップの影響というよりも、トップダウンによって駆動されるかもしれません。 脳内での刺激(危険!)処理は実際、痛みの出力、あるいは発生を増大させるのと同様に、減少させるために使用される可能性があります。吻側延髄腹内側部(RVM)において、‘オン’細胞と‘オフ’細胞とわかりやすく命名された、ただそれだけを行う細胞があります。‘オフ’細胞は、侵害受容伝達における下行性痛覚抑制を担う一方、‘オン’細胞は下行性痛覚増強に関与します。 ‘病的な’痛み 痛み自身が、より病的なプロセスの度合いを強めていく状況があるようです。幻肢痛は、潜在的に痛みのメカニズムは肢からの侵害シグナルよりも、脳内における肢の表象に関するものであるという一例で、肢切断患者の60~80%で頻繁にみられます*ここをクリックしてください*。この研究論文*ここをクリックしてください*におけるMelzackとKatzの見解もまた、読む価値があります。 Harrisは彼の研究論文*ここをクリックしてください*において、痛みの原因として、運動の意図と動作間の不一致を示唆し、こちらの研究論文*ここをクリックしてください*では、感覚運動の不一致が、慢性頸部傷害患者の痛みを悪化させると述べていますが、この研究論文*ここをクリックしてください*では、一貫性のある結果は出ませんでした。 MoseleyとValyaen*ここをクリックしてください*、およびZusman*ここをクリックしてください*による両方の研究論文では、身体からの侵害受容をもはや必須としない脳内の固有感覚情報、疼痛反応、記憶の間の結合を提議しています。 この研究*ここをクリックしてください* において、肢に対する視覚のゆがみが実際に痛みの処理に影響を及ぼすことが分かりました。 これらの研究や理論は、私達の痛みは複雑な過程であり、‘痛み’のシグナルは、ただ単に身体から中継されているのではなく、痛みは‘脳内’にだけあるわけでもないということの理解を手助けしてくれます。 もし誰かが“痛みは脳の中にあるのか?”と尋ねるならば、私の答えは、“No”でしょう。痛みは、多くの要素によって調節されるボトムアップとトップダウンの影響の間の複雑な相互作用であり、疼痛経験に関わるシステムの感度は、末梢、脊髄、皮質レベルにおいて、時間と共に変化する可能性があります。 意味論 誰かが、これは単に意味論であるということを示唆するかもしれず、また示唆しているでしょう。意味論は重要であるため、私は完全にこれに同意します。痛みに関して、人々がその意味合いをどのように解釈するのかは大変重要なことであり、それを認識しないことは問題です。これはDarlowによる優れた研究論文*ここをクリックしてください*で、もう一つはBakerによるもの*ここをクリックしてください*です。 ‘痛みは脳内にある’は、痛みを持つ人達や、体内における多大な痛みの発生の自覚をもつ人達によって、間違った解釈をされやすいようです。 問題は‘組織の中’か? ‘問題は組織の中にある’のでしょうか?もちろん、その可能性はあるでしょうが、ただ時折それ以上であり、またある時はそれ以下でもあるのです。これは、組織が病的状態である必要がある、あるいは、回復が、組織の状態の変化に付随するのか(これら2つの研究論文を参照:*ここをクリックしてください*・*ここをクリックしてください*)ということを意味しているわけではありません。 私達は、痛みと損傷が同じものではないと認識していますが、局所的な生化学的過程が、かなり関わっている可能性があります。病変はないかもしれませんが、病態生理学的過程が起こっているかもしれません。これは少しおかしくなってしまった生理学的過程なのです。 一例として、身体が普段慣れている以上に走ったとしたら、組織再生のような正常な修復過程は、神経ペプチドのような炎症性化学物質の異なる細胞発現によって置換されるかもしれません。これは機械的ストレスをペプチド作動的に動かされた組織の炎症状態を作り出すサブスタンスPの発現のような細胞過程に変換(機械的シグナル伝達)する腱細胞(線維芽細胞のような細胞)によって実証され*ここをクリックしてください*、この研究論文*ここをクリックしてください*では、負荷に応じて、体内におけるサブスタンスPの上昇が確認できます。 活動によって局所組織(恐らく以前に荷重された組織)の状態が化学的に感作される 状況があるかもしれません。そして、これは、末梢、脊髄、皮質で個人の以前の疼痛経験によって左右される、痛みに関連するシステムの感度の変化によって潜在的に増大するかもしれません。 疼痛経験における身体的変化 痛みの発生に関連するシステムの変化もまた、‘脳内’である必要はありません。皮質下の部分は、組織内の末梢神経系(PNS)において起こる実際の身体的変化と共に、その役割も果たします。これらの末梢神経系の変化は、細胞内へのナトリウムイオンの取り込み、脱分極、中枢神経系(CNS)へ信号(活動電位)を送ることを容易にする侵害受容器の端末側終端におけるイオンチャネルの数の増加を包含しています。また、受容器の数の増加と、いままでは沈黙していた受容器の活性化が確認できます。 後角での信号の処理はまた、末梢の信号が連鎖に送られるのを容易にする、より多くのNMDA/AMPAチャネルで‘増大’し、グルタミン酸塩やアスパラギン酸塩のような興奮性の神経伝達物質を増大させ、GABAや内因性オピオイドのような抑制性の化学物質を減少させます。 私達はまた、C線維からの反復刺激、あるいは持続的な‘連発’する信号に反応して脊髄ニューロンの長期間にわたる相乗効果を得ることができます。基本的に、侵害刺激を受ければ受けるほど、後角はその刺激に対して、より敏感になります。 振り子は、大きく振れ過ぎていないか? それは恐らく、あなたの偏見や見解によるでしょうが、もし誰かがただ単に痛みは‘脳内’にあると示唆するならば、私は“その通りです”と言うでしょう! 身体的、生理的、神経的、心理的な過程の変化を可能にする包括的モデルは、恐らく、現段階において、私達が痛みに関して知っていることに一致するでしょう。以前から抱いていた信念の慣性を打破するために、時折、振り子は最初に大きく振れる必要があるかもしれませんが、うまくいけば、その真ん中あたりで落ち着いてくれるでしょう。
重要な動作、痛みの‘記憶’、再調整! パート1/3
関連性のある重要な動作に関する考えは、ここコーキネティックにおける私達にとって大変重要です。そこで、私が読み、消化し、整理したい最近のいくつかの事柄について書き留めようと思いました! それはしばしば、人々にとって問題となる特定の動作であり、丁度目の前に立っている人間にとって関連がある、あるいは重要であるとして、私達が判断する可能性のある動作です。これは、腰痛を抱える人における特定の角度での前屈、あるいはテニスのサーブやゴルフのショットのような特定の動作に関連しているのかもしれません。 これらの動作は、より危険性の少ない他の動作よりも、中枢神経系によってより注意深く精査されているかもしれず、そして、その反応として、痛みと恐怖の不均衡なレベルを産出するかもしれません。 これらの動作は、スポーツができない、子供を抱え上げられない、あるいは靴ひもを結ぶことすらできないというような、障害の感覚と生活の質を形作るかもしれません。 特定の動作を行うことに対する現在の認識は、現在の解剖学的な状態によって影響されているのではなく、知覚された解剖学的な状態、あるいは以前の疼痛経験に基づいて発生した関連する学習によって影響されているのかもしれません。この関連する学習プロセスは、‘痛みの記憶’を吹き替えており、それらの背景にある科学や理論に関しては後で述べます。これらの変化した知覚は、正常な治癒に掛かる時間をはるかに超えて、痛みに関連する感受性の上昇や運動行動に影響を及ぼすかもしれません。心理的要因が患部における運動行動、生体力学、生理学に実際に影響を及ぼす可能性があります。 再修正 動作の再修正に関する考えは、組織における知覚された状態とそれに続く運動反応、そしてかなりの時間が経過した後に、生命体にもたらすかもしれない動きの脅威低減という実際の現実を調整する手助けをすることです。ネガティブな知覚は、ネガティブな動作反応と感覚反応(痛みに至る不快感)を引き起こす可能性があります。再修正プロセスを促進するための、認知的入力と動作入力の両方について後に述べます。 再修正は、ただ単に筋肉、腱、神経、骨等に関して考える以上のものであり、むしろ、人間的側面をも解剖学の中に包含することです。再修正とは、どのように人間が、一般的な動作、特定の動作、あるいは腰部のような身体の特定部位の動作に関する考えに対して知覚し、反応するのかを考えることです。 これは現在進行中の衰弱させる痛みのケースの極端な例かもしれず、決して完全に解決することの無いような内在する小さな悩みの一部を形成するかもしれません。痛みと動作の関連性は、数多い怪我の後に起こり、現在進行中の不快感と痛みの状況の一因となるかもしれません。 これを状況に当てはめてみましょう: ジョン(45歳)は長期間(3年間)にわたり、90度以上の肩関節屈曲時に肩の問題を抱えていて、以前に‘肩峰下インピンジメント’と診断されました。肩を素早く動かす際、あるいは通常よりも重たいものを持ち上げる際にかなり悪化します。彼は数多くの受診をし、以前に画像診断を受けた際に、いくらかの構造的変化が認められました。これまでにマッサージや超音波を含む様々な用手療法を受けてきました。加えて、いくつかのセラバンドエクササイズも行ってきています。 このことが彼のジム通い、スポーツ、家周りのDIYを制限しています。そして、彼が可能であると感じている事に大きな影響を及ぼし、彼の活動レベルと彼の主な身体活動であった大好きなテニスの障害になっています。この肩痛は、最初はあるテニストーナメント後に起こり始めました。初期の頃は休息後に、わずかに改善しましたが、痛みが完全に消え去ることはなく、毎回、腕を90度以上挙げる度、重いものを持ち上げる度、素早く動かす度、あるいは長い時間行う度に痛みを感じ、時には急激に悪化し、それが2,3日続くこともあります。彼は、これらの行動を取るときは毎回、影響を及ぼすことを知っています。肩痛が絶えず彼を後戻りさせるため、彼はテニスへの復帰を試みることを諦めています。 ジョンはテニスができなくなって以来、体重が増えていると感じ、元気が出ないことに悩まされています。そのテニスクラブは、ジョンの社会生活のリソースでもあったため、時折、ジョンは社会生活にも影響を受けていると感じています。 私達は活動が問題であると見なすだけではなく、ジョンの生活の他の部分にも大きな影響をもたらすと考えています。彼に腕を頭上まで挙げさせることや活動を行えるようにすることは、ただの身体活動自身よりも大きな意味を持っていて、彼の生活の多くの部分に影響を及ぼします。 その痛みがジョンの生活に対して何を意味するのかが、彼の肩から来る情報を中枢神経系が処理する方法を変化させるかもしれません。ジョンは、組織は繰り返し圧迫され継続的に損傷しているという、以前から言われてきたことを信じていて、そのこともまた彼の反応に影響を及ぼしているかもしれません。 世の中にはジョンのような人達が数多くいるのでしょうか?彼のような人に会ったことがありますか?彼等は肩、膝、背部、あるいは他の部位に長期間にわたる重大な問題を抱えている可能性があります。彼らは進み続けていくことができるのですが、一見したところ‘永続的な’問題を抱えています。 問題はむしろ、組織自体の中にあるとともに、あるいはそれ以上に、その考え方や条件反射の中にあるのでしょうか?私達の知覚もまた、生体力学的領域と生理学的領域の中に現れるのでしょうか? ジョンは腕を挙げるように言われるとすぐに、痛みが出ることを知っています。それを彼の表情から読み取ることができます。彼は歯を食いしばり、息を止めます。彼の肩帯は挙上し、僧帽筋が硬直・挙上し、肩甲骨がわずかに前突するのが見て取れるでしょう。そして、脊柱屈曲の状態になり、肩甲骨の下制、あるいは内転はありません。肩関節屈曲90度に達する前でさえ、動作に応じた硬直は明らかです。 ジョンはこれらのいかなる身体的反応にも、まったく気付いていません。彼にとって、それらの身体反応は、ただ単に腕の挙上動作の一つに過ぎないのです。それらは無意識で条件付きなのです。ある時点では、恐らくそれらは傷害部位と痛みのある組織にストレスを加えることを回避するように適合(助けになる)していましたが、もしかすると、私達はそれらに不適合(助けにならない)であるとレッテルを貼ることができるかもしれず、現在進行中の問題の一因になっているかもしれません。 ジョンに頭上でのテニスショット(最も問題となる)に関連したポジションを取らせる際、他のキネティックチェーンからもたらされる動作はほとんどなく、肩関節可動域は減少します。肩関節可動域は、重量、あるいはスピードの増加に伴い著しく減少します。 単純に、ジョンが動く前にリラックスし、肩を下ろした状態を保ち、幾分かの脊柱伸展をするように言うことには絶大な効果があります。可動域が増大し、幾分違いを感じ、やや改善しているように感じます。 “ほら、ジョン、リラックスすると幾分良くなった感じがしますよね。” ジョン - “そうですね。” “少し可動域が広がって、そんなに痛くないですよね、これに取り組んでいきましょう!” ただシンプルにジョンの知覚を変化させることが、いかに実際の動作の力学を変えるのかをみることができます。 私達は、ジョンの肩帯を下制させる能力、脊柱を幾分伸展位に持っていく能力、体幹を伸展させる能力に着目することができたでしょう。そして、どのように全ての事柄が、テニスのサーブや頭上でのショットといった関連する動作に相互作用するのかに着目することもできたでしょう。これは意義深く関連性があることです。
重要な動作、痛みの‘記憶’、再調整! パート2/3
痛みの記憶と連合学習 連合学習における最も単純な形は、二つの事象間で発生します。今回の投稿との関連では、痛みと動作になります。 連合学習における典型的な例は、パブロフの犬のそれにあたりますが、できるだけ簡単な方法で理解できるように最善を尽くしたいと思います! パブロフは彼の犬がエサを与えられた際に、よだれが出ている事を発見しました。全く正常な生物学的反応です。彼はエサを無条件刺激と称し、よだれが出ることを無条件反応と称しました。 人間にとって、痛みは恐怖と防御における無条件反応を引き起こす無条件刺激です。 パブロフは、無条件刺激である‘エサ’を中性刺激である‘ベルを鳴らすこと’に結合させた際に、犬がそれら二つの事象を関連付けることを発見し、彼はただベルを鳴らすだけで犬によだれを垂らさせることを可能にしました。そのベルの音は、よだれを垂らすという条件反射のための条件刺激になりました。 もしジョンが繰り返し腕を拳上し(今までは中性刺激)、痛みを感じるのであれば、中性刺激は、痛みという無条件刺激と関連付けられることになるかもしれません。そして、腕の挙上は、犬にとってのベルのように、条件反応になっている恐怖と防御行動を伴う条件刺激になります。このような行動は、恐怖回避、過剰警戒、関連部位における可動域の減少や全身性筋硬直のような運動系の反応(防御)を含むかもしれません。 関連性/予測としての痛みは、以前にこのブログ内の‘痛みと予測’*ここをクリックしてください*で議論されています。 “The brain that changes itself(邦題:脳は奇跡を起こす)”の著者であるNorman Doidgeは、インド人神経科学者Ramachandranの,彼の患者における痛みと動作の関連性に対する見解に関して議論しています。 “Ramachandranは、これらの慢性痛を抱える患者において、痛みの指令は痛みのシステムと配線されて、四肢が癒えても、脳がその腕を動かすように運動指令を送ると、まだ痛みを誘発するということを信じるようになった” ‘The brain that changes itself(邦題:脳は奇跡を起こす)’ Penguin社, 2007年, p193 MoseleyとVlaeyen(恐怖回避モデルに広範囲にわたって着目)による興味深い研究論文では、痛みが他の反応のための刺激というよりも、条件反応になり始めているということが議論されています*ここをクリックしてください*。 MoseleyとVlaeyenの仮説では、侵害受容(不快、あるいは有害な刺激)は、痛みに対する刺激として、もはや必要ではないとしています。侵害受容に付随して起こる関連する固有受容感覚入力は、実際に刺激になり、いかなる最初の不快な刺激を必要ともせず、痛みに対して関連する反応を呼び起こす可能性があります。腕の挙上というジョンの条件刺激は、痛みという条件反応を引き起こします。動作と痛みは、実際の組織から発生する侵害受容なしで結びつくようになります。 私達は、重要な事象を固有受容的なもの、視覚的なもの、聴覚的なものや痛みのような関連する構成要素を持つ神経パターンに符号化しています。そして、感情要素と記憶要素も結び付けるかもしれません。このプロセスは、‘獲得’と表現されています。 このような神経活動の独特なパターンは、ニューロタグ、あるいはニューロシグネチャーといわれています。‘Graded Motor Imagery Handbook(段階的運動イメージハンドブック)’ (NOIグループ 2012年)の中で、Moseleyおよびその他は、このことを下記のように述べています: “ニューロシグネチャー(あるいは、ニューロタグと呼ばれる落書きの断片のようなもの)は、ニューロマトリクスにおける活動パターンの一つである。それは、ある特定の時におけるニューロンの物理的結合であり、痛み、動作、あるいは感情のような出力を引き起こす可能性がある” MoseleyとVlaeyenはまた、研究論文の中で、神経パターンの‘不正確な符号化’の概念に関しても述べています。神経パターンの不正確な符号化によって、非特異的でより一般的なパターン認識が、痛みと関連する防御行動の条件反応を引き起こすのを目にするかもしれません。このようにして、多くの異なる様々な動作が、腕の挙上、あるいは腕を拳上するという概念にただ緩く関連しているだけの痛みの反応を引き起こすかもしれません。これを不正確で減少した固有受容や皮質再現(運動計画に使用される)の変化と組み合わせれば、頭上での全体的な方向への腕のあらゆる動作は、ジョンにとっての潜在的な地雷原になるかもしれません。 運動恐怖症(動くことへの恐怖)はしばしば、腰部屈曲、あるいは怪我をした膝を使った動作のような特定の動作に関連しています。運動恐怖症は、慢性腰痛に関与*ここをクリックしてください*しているのと同様に、ACL損傷後に顕著であることが示されています*ここをクリックしてください*。 この運動への恐怖は、徐々に恐怖回避へと移行し始めるのでしょうか?理論は、明らかな病変の存在無しに、急性痛から慢性痛への移行に関わる連合学習を含む可能性があるため、恐怖回避モデルはここでは関連性があります*ここをクリックしてください*。 恐怖回避は、特定の行動への条件反応なのかもしれません。もし私達が継続的な回避行動や防御行動と結合している多くの問題における時間的尺度に着目するならば、病状との関連性は弱くなり、行動と信念との関連性は強くなるかもしれません。 Zusman (2004年)は、“Associative memory for movement-evoked chronic back pain and its extinction with musculoskeletal physiotherapy(運動誘発性慢性腰痛における連想記憶と筋骨格系の理学療法による痛みの消滅)” の中で、痛みの記憶/関連性の概念に関して議論しました*ここをクリックしてください*。彼は、“回避、準備、防御”を促す中立的または無難なキューを解説しています。 Zuamanは、“同じ扁桃体ニューロン”と“学習と想起”に関連する扁桃体(脅威と恐怖を司ると提示されている脳の部位)への中性刺激と侵害刺激の収束を述べています。 これが連合学習プロセスを引き起こすでしょう。 “現在の提案は、急性に、静的動作と動的動作によって作り出された無害な固有受容感覚情報(‘中性’入力)が、偏桃体での適切なニューロン収束後の侵害受容(炎症性痛覚)に‘関連する’ようになるということである” 私達は、強く関連する疼痛反応によって、通常の、あるいは中性の固有受容感覚の求心性入力の汚染を受けているかもしれません。私達は通常は脅威ではない入力への反応として、痛みを出力することを学習するのです。 これは、神経パターン、あるいは‘痛みの記憶’として蓄積されます。私達は、これらの記憶と行動を補強するトップダウンとボトムアップの両方の影響力を持ち、特異的、あるいは不正確な符号化によって非特異的な動作による長期的な問題を引き起こす可能性があります。 Nijsおよびその他は、彼等の研究論文“Exercise therapy for chronic musculoskeletal pain: Innovation by altering pain memories(慢性筋骨格痛におけるエクササイズセラピー:痛みの記憶の変化による革新)”*ここをクリックしてください*の中で、急性期における痛みを伴う動作はしばしば、慢性期においては完全に安全であるという事実を議論しています。 “問題は、脳が動作を危険/脅威に関連づけ、長期的な痛みの記憶を手に入れているということである。そのような‘危険な’動作に対して準備することでさえ、脳がその恐怖記憶中枢を活性化し、よって痛みを産生(侵害受容無し)するのに十分であり、変化した(防御的)運動制御戦術を使用する” ここでは、組織の現状に対する脅威/防御の知覚レベルの再調整が目標であるべきです。MoselyとVlayaenが提示したように、組織や問題となる組織からのシグナルではなく、動作自体と関連する反応が問題を引き起こすのです。
重要な動作、痛みの‘記憶’、再調整! パート3/3
痛みの記憶と連合学習(続き) 私達は、ベイズ確率で見られるように、記憶(神経パターン)のような蓄積された以前の経験を使用し、私達の今後の行動は、以前の状況からの知見によって導かれているということが仮説として取り上げられています。これは、類似する求心性の感覚情によって想起された、過去に符合化された神経パターン、あるいは直近で起こる可能性のある事象の予測モデルを形作るために使用される内在する要求であり、最終的な結果は、反復的な条件性恐怖、防御反応、痛みであるかもしれません。 NijsとZusmanの両者は、特定の動作、あるいは一般的な動作における知覚、あるいは記憶を変えることについて議論しています。これは、ジョンの事例における腕の挙上のような通常の無痛の状態での反応での中性刺激として知覚されるべきものへの防御反応に対する‘再修正’でしょう。 Zusmanは、これを入力が痛みという出力を引き起こさない状況にたどり着くために‘危険を伴わない露出’を使用することによる以前の記憶の‘消滅’として説明しています。これは、正常で無害な刺激と痛みの反応との関係を絶つように意図されています。このことは、‘段階的露出’や‘脱感作’を含む多くの名前で呼ばれていて、基本的にそれらの全ては、計測された入力を通して出力を弱めるように働きます。 動作に対して異なる初期反応を与えること(可能性としてリラクゼーションを用いた不安行動の減少)と、運動入力におけるさらなる変動性を作り出すことによって、私達は、うまくいけば、主要な神経パターンとなる様々な関連反応で、新しい‘記憶’、あるいは符号化されたパターンを築き上げることができる可能性があります。 連合学習が発生するには、実際の結果と期待される結果に差がなければなりません。もし同様の刺激と反応しかないのであれば、関係性の強化が起こるだけです。ただその動作を再形成するだけでは、恐らく、全く同様の結果しか得られないでしょう。私達は動作に対する行動と、そして、あるいは何らかの方法で動作自体を変えなければなりません。 実際の結果における変化は、2つの主な方法で発生すると提案されています: 認知力をターゲットとしたもの 動作をターゲットとしたもの 認知力と動作の両方を含む集中的なアプローチが、最も好ましい結果を得る傾向が強いのかもしれません*ここをクリックしてください*。 両方のアプローチは、リハビリテーションアプローチにおける私達の5つのRを網羅しています。 危険信号 安心させる 再概念化する−認知力重視 再調整−動作重視 頑強な−動作重視 認知力をターゲットとしたもの 認知力に基づく入力は、痛みの神経科学に関する教育を通して、痛みに対するある個人の見方の再概念化を手助けすることを目的としています。これは、痛みが常に損傷と等しいという概念と、現在進行形の痛みに伴う中枢と末梢の変化に関する単純な理解を切り離すことができるかもしれません。 認知力をターゲットとした入力はまた、エクササイズの予測される危険性と活動が引き起こすかもしれない痛み(彼らにとって損傷として捉えられる)の知覚に取り組むために使用できるかもしれません。恐怖の本質とその背後にある論理的根拠への挑戦は、知覚の変化を引き起こすかもしれません。 単純にジョンに“これがあなたの肩を脅かしていると感じますか?”と尋ね、その理由を尋ねてから、与えられた理由に取り組むことになります。これはエクササイズや動作の後に行われるかもしれません。うまくいけば、認知力をターゲットにした入力は、実際に経験したことで、脅威の起こり得るレベルの再調整の手助けになります。 個人目標設定の使用はまた、Nijsによって提案されています。これらの目標は、職場、あるいはスポーツへの復帰であり、これらが意欲を起こさせ、結果への期待を増大させるために使用できるかもしれません。 動作をターゲットにしたもの 動作をターゲットにしたアプローチは、脅威ではなく、多様な露出を与えてくれる今までにない新しい動作の型の導入と、腕の挙上、あるいは前屈のような恐怖反応を含む動作を目的とした、より特異的な型である恐れられている動作のバリエーションの両方を含む二つの要素から成るかもしれません。最初は、特に信用を得るために、大きな疼痛反応を引き起こさないことが重要で、恐らく、痛みというよりも不快感に対して取り組むことが重要かもしれません。これは‘段階的露出’の概念、あるいは‘恐怖心を伴わない露出’の概念に同調するかもしれません。 Nijsおよびその他は、エクササイズはまた、痛みよりも時間に左右されると示唆し、この概念は認知力をターゲットにしたものに関する議論の中で紹介されています。彼らの痛みをよりよく理解することによって、人は恐怖をあまり感じなくなることが望めます。このプロセスは、今までの障壁を押し開け、より大きな‘安全地帯’あるいは活動能力を構築するために重要かもしれません。 動作前の単純なリラクゼーションのように、不安行動(今では条件刺激かもしれない)を変化さることはまた、関連痛と運動反応を変化させ、新しい痛み軽減の経験、あるいは無痛の経験でさえも提供してくれるかもしれません。 感覚入力を変化させることもまた、出力を変化させるかもしれません。もしこれをジョンに置き換え、腕の挙上が固有受容感覚であるならば、単に彼の腕の回旋を変化させることが、異なる機械的受容器を刺激することになるでしょう。脊柱伸展を変化させることが、効果をもたらすかもしれません。肩甲骨、頸椎の位置、あるいはいかなる関連部位における動作の変化でも同様かもしれません。これは、Lewisによって提案された症状の修正による治療に類似していますが、組織における身体的効果と同様に、入力の変化と中央処理に関する論理的根拠にかなり基づいています*ここをクリックしてください*。 視覚情報と前庭情報の変化や、楽しむことと気を逸らすこともまた、入力−出力の関係性の変化を作り出すかもしれないとも提案されています。 ジョンにとって、異なる角度で腕を肩の高さ以上に挙上することもまた、入力の変化を作り出し、よって恐怖行動に密接に関係している状況においての出力にも変化を作り出すかもしれません。 以前に不活発な状態だった動作(例として、上腕骨の様々な三次元的位置での上腕骨頭の下制)を刺激することを目的とした関節において、ターゲットとした様々な動作に取り組むことは、今後の使用のために、入力を変化させ、脳構造における可塑的変化を作り出す、今までにない新しい方法で、運動系と固有受容感覚系を刺激するかもしれません。 最後に、耐えられる時間(持久力)のために頑強さを増し、スピード、負荷、姿勢の多様性に取り組まれなければなりません。これらの入力は全て、能力の知覚に基づく出力に影響を及ぼすかもしれません。テニスの試合の特異的機能性や関連する需要に取り組むこともまた、非常に関連性があります。 これら全ての事が、ジョンが愛して止まないテニスに復帰することを目的としていて、彼にとっては非常に意味のあることなのです。
痛みの教育:実際どの程度の神経科学が必要ですか?
痛みの教育は多くの場合、治療過程の必要不可欠な要素となってきました。当然そうであるべきで、どのようなことが身体に起きているのかを人々に理解してもらうことは必須です。痛みについてより理解してもらうために最も使われている方法のひとつは、痛みの神経科学と生理学を基にしています。 場合によっては、これが、患者にとって痛みをより深く理解するに充分であることもありますが、では神経科学は必ずしも必要でしょうか? これらの側面を含まない情報をもって説明した方が、多くの患者にとって分かりやすいかもしれません。 果たして、神経科学を基にした方法で痛みの経験を的確に説明し、その痛みを経験している人を認識することができるのでしょうか? 講義室満員の人たちに向かって、痛みの神経科学を神経解剖学と生理学的プロセスをいろいろ交えて標準的な説明をすることはできるでしょう。しかし、もし、その講義室にいる人たちと個人的に対話したならば、痛みに関連した彼らの経験に大きなばらつきがあることに気がつくでしょう。 経験としての痛み つまり、痛みのセンセーションがどのように発生するか、そして、痛みを取り巻く不可解なことの多くを神経科学で説明できるかもしれませんが、それが経験自体を完全に説明できるのでしょうか? やはり人間は単なる部品の寄せ集めではなく、そうだからこそ個性が存在するので、一般的でおおざっぱな説明は、痛みはすべて同じであるということを暗示しているのではないでしょうか? 神経科学を基にしたアプローチは、主観的というより客観的な見方かもしれません。しかし、たぶん主観的な見方こそが、人々の人生に及ぼす痛みの影響を最も説明してくれているのです。 じっくり考えるべき問題は、構造解剖学とそれに対する損傷は、神経解剖学や生理学で説明できるように痛みを適切に説明できないのか否か? 間違いなく損傷と痛みという単純化された関係の通念に間違えなく風穴をあけることにはなりますが、その人や周囲の人たちの健康に大きな影響を与えるような経験と行動反応の説明には充分ではないのではないでしょうか? 私たちは、脳の画像や閾値に達して発火する侵害受容器や脊髄後角の感受性などを取り上げてスクリーンに映し出すこともできますが、それによって人々の持つそれぞれ異なった経験を識別することができるのでしょうか? 私の考えでは、痛みとは数値化やレベル化したり質問表に記したりできるような単なる感覚ではないということを多くの人に知ってもらいたいと思います。それは、いろいろな意味で私たちの存在を台無しにするような経験でもあり、私たちの存在のさまざまな局面が痛みの経験に影響を及ぼすこともあるのです。 痛みは、単なる身体的なものをはるかに越え、私たちの健康全般や情緒状態に影響しますが、これはまったく正常な現象です。たとえば、メンタルの健康も、私たちの健康状態の一部であり、身体的健康と同じように浮き沈みがあります。私たちはたいていメンタルの健康に対してより不名誉な烙印を押しがちですが、この痛みの経験の一面に関して、平常心でいられないということは、いたって正常であることを知ってもらう必要があるでしょう。 私たちは、落ち込んだり、その痛みでどうなってしまうのか心配したり、回復への期待を大きく失ったりします。このような状況の捉え方は私たちの個人的な経験を形成します。そして、人によっては、これらの側面に取り組むことが回復のカギになるかもしれません。 個人における痛みの現れ方を形成するいくつかの点をまず理解するためのとても便利な方法として、コモンセンス(常識)モデルがあります: Leventhal ここをクリック Hale ここをクリック Bunzli ここをクリック 痛みが持つ意味 痛みに関連する意味合いや、感情や行動における変化、信念構造など、これらは痛みの経験をその個人特有なものにします。これらによって、その人の経験は他の人のものと異なるものとなるのです。このことが、似たような強度かもしれない痛みでも、痛みを上手く対処できる人もいれば痛みによって生活に支障を来す人もいる理由なのです。 神経科学は、この経験に関与している単なるひとつのプロセスにすぎないと言えるでしょう。しかし、その体験の最前線にいつその人を置き去りにして、セラピストと彼らの持つ情報が主役になっているのではないでしょうか? 人々が痛みに与える様々な意味付けを理解してもらうために、私が使っているとても分かりやすい、“燃料計”の例え話があります(それでも、完璧な説明とは言い切れないことは覚えておいてください!)。 痛みと燃料計の両方を、警告として考えることができます。これらの警告に私たちがどう反応するかは大きく異なります。燃料計の話で言えば、計測針がエンプティー(空)を指し示していてもまったく気にしないで運転する人がいますが、それは、自分の車を熟知していてあとどのぐらい運転できるかを正確に知っているからでしょう。一方、ガソリンスタンドに大急ぎで向かう人もいるでしょう;まったく同じ状況への反応がこれほどまでに異なるのです。恐らく、以前にガソリンが尽きて困った経験が記憶にあるのかもしれませんね? 状況が違ったならば、それも影響していたでしょうか? 気にしなかった人たちでも、他の人の車を運転していたならば、感じ方は異なっていたのでしょうか? 痛みを個別化する 教育は、人に施すものというよりも、その人たちと一緒に行うべきものです。 臨床で直面する重要な側面のひとつは、その人が痛みと関わってきた個人的な経験の道のりです。彼らの話や治療過程、そして最終的に痛みの経験全般を適切に説明するために、私たちは痛みについて分かってきている多くの情報をどのように利用すればよいでしょうか。 多くの人は自分が抱えている問題に対しての何らかの説明を切望している、と質的研究は述べています。彼らは診断をして欲しいのですここをクリック&ここをクリック。たいていの場合、これは不可能なので、物語りの共有が重要となります。これによって、彼らが感じている痛みやそれによる影響についてより深く知ることになります。代替となるその人のポジティブな物語を作り出すことを助けることと、単に痛みについての情報を与えることの間には大きな隔たりがあります。 情報を大量に浴びせるよりも、痛みに関わる情報は、2人の間で交わされる対話に結びつくものを選択的に利用するべきです。医療コミュニケーションに対する否定的な反応や批判の多くは、医療従事者が人の話を聞いてくれない、そして、人と話をするというよりは、一方的に話すばかりであるなどということです。汎用的に情報を活用するにはリスクが伴います。 痛みを患っている人に役に立つ比喩表現についてのすばらしい論文を紹介します。ここをクリック 教育には数多くの部分がある 彼らが体験していることについてその人を指導する方法はたくさんあります。そのひとつに、特に臨床医が痛みをどう捉えているかという観点から捉えた神経科学があります。しかし、それは、その人の教育経験の一部としてどのぐらい必要なのでしょうか? 回復までの通常のタイムラインについての基本的な情報は、認知や行動に影響を与えるかもしれません。多くの物理的要因や活動と痛みとの関連性の欠如を理解することは、知覚や行動に影響を与えるかもしれません。腰痛の最近の症例がここにあります。ここをクリック 腰痛において、受動的対処の増加や自己効力感の低下などここをクリック マイナスのことばかりに注目するのではなく、プラスに転換していくこと: 目標 大切にしている活動 期待 マインドセット 回復力 受け入れ 持続可能性 要点をまとめると、患者のメッセージにはいくつかのカギとなるものがある(もちろん私の控えめな意見ですが): 痛みは経験であり、単なる感覚ではない 痛みは単に身体的なものではなく、健康や情緒の状態にも影響し、そしてそれは正常である 痛みが長引くと感情要因がより強くなってくるかもしれない 私たちがどう考え、どう感じるかによって回復に直接影響する 損傷を受けたり感作されたりする解剖学的構造自体より以上に、人間ははるかに複雑である マイナス要因だけでなくプラス要因にも注目する
痛みの治療のために特定の身体的介入が必要になるのはいつか?
挑戦 腰痛に関する文献では、特異的な介入(たとえば、運動制御エクササイズ、対象部位の強化など)は、一般的な活動の段階的介入と効果に差がないことを示しています。つまり、痛みの治療は、実際、執拗な問題を起すような何らかの機能障害を治すということではないと示唆しています。私が以前述べたように、最も成功するエクササイズプログラムは、先ずは症状を落ち着かせるために特定のエクササイズ/ポジション/動きを避け、それから再構築に役に立つあらゆる活動やエクササイズプログラムを実施することです。これは症状によって加減するという簡単なことです。痛みを出すような動きがあれば、行うのを短期間だけ止めてみて、それからゆっくり許容範囲を広げていけばいいのです。しかし、症例によっては、その人はある特定のエクササイズを必要とするのではないか、また痛みを解決するために身体的な何かをやっておくべきではないかという考えにいつも悩まされます。 痛みを伴う状態の多くは、取り組むべき身体機能障害がないことがあり、痛みを取り除き、障害を低減し、有意義な活動を復活させたりするために、取り組身を必要とする身体機能障害がないことがあります。実際、有意義な活動自体がリハビリテーションエクササイズになっていくのです。つまり、その人がもしデッドリフトやラン、演奏、ガーデニングをしたいのならば、それがリハビリとなります。ゆっくりこれらの活動に慣らしていけば、適応しそれらに耐えられるようになります。これらすべては、痛みの科学を上手に教育することによって育てられます。私たちには、症状に対する彼らの思い込みを変える役割があり、最終的に彼らは大切なことを再開する“許可”を彼ら自身に与えることになります。ホッジスとスミート(2015)の記述によると: "動きや活動を回避しようとする認識に挑戦しながら、身体的活動に段階的に慣らすことを教えてくれるのが痛みの科学です。" リハビリは治すことというより、むしろ促進ということ その人を診る時、治療が必要な人としてではなく、強く適応力がある人と捉えることで、私たちのエクササイズの選択が変わってきます。もはや、何か重要な活動をスタートするための前提条件というものはありません。多くの症例では、低下した筋力、張り、筋の発火パターンの“乱れ”などが原因で痛みがあるのではありません。したがって、その人たちの痛みを取り除いたり、運動を再開させたりするために、これらに対して特化して取り組む必要がないかもしれないということです。適応を可能にしてくれるのは日常の活動への露出であり、このことはマックス・ズスマンが10年以上も前に雄弁に記しています。 "慢性疼痛患者の脳で起こっているエラーを納得させるために、彼らをエクササイズや日常の活動へ安全に露出しなさい。" 特定のエクササイズが必要になるのはいつか? これは難しい質問です。身体的介入という点で、まさに最適である介入を見つける必要のある症状がなくてはなりません。言葉を変えて言うならば、ある障害が存在し、しかもその障害を治し痛みから救ってあげるのに唯一の解決策しか存在しないという状況です。おもしろい思考の実験ですが、痛みのパズルを解く方法がほとんどないような状況を考えつきますか? 治療の選択肢が制限されるような状況を思いつきますか? 下記は、私たちが使える3つの異なる身体的介入の要点をまとめた簡単な図です。図の下にある線は介入の選択肢を考えるのに役立つかもしれません。特異性がより高い介入は左、介入の特異性が低くなればなるほど右となります。 では、どのような時に特異性が必要になるでしょうか? 上の図で、症状/活動の調節における役割が分かります。この構成要素の一つはシンプルで:痛みを見つける:痛みを変える。もし、何かしたことで痛いのであればそれを短期間だけ回避するか、または痛みを受け入れその動きに対して脱感作させるのもよいでしょう。もし、曲げて痛みが出るならば、短期間だけ脊柱を中立位のまま持ち上げ動作を行ったり、新しい動きを強化できるようなエクササイズを選択してもよいでしょう。しかし、このことは、あなたの股関節屈筋群が硬く弱化していて、臀筋の発火がなく、脹ら脛が張っているから、ランニング/デッドリフト/ガーデニングを始める前に治療する必要があると主張しているわけではありません。 しかし・・・もしかしたらこれらの機能不全は時には重要なのかも? そこで、私たちは問う必要があります。“この身体的機能不全/症状は、患者の訴える痛みに関連しているのか?”または、“もしそれに対処しなかったら、痛みは残ってしまうのか?” 脱感作を起すために何かを“治す”必要があるのかもしれない症例 例1:背屈の制限は、脊椎のポジショニングの選択肢を減らす。 システムに感作をし続けてしまう動き方を変えようとしても、足首の背屈の欠如がそれを抑制してしまうという場合があるかもしれません。感作が落ち着かない限り再構築もできません。たとえば、深くスクワットしたくても、脊椎がある角度を越えて屈曲すると腰部の状態が増悪するとします。足首の背屈(または、胸椎の伸展かもしれませんが)が増えない限り、増悪させてしまうこの姿勢を回避できる脊柱の屈曲角度に変更することはできないでしょう。ここでは、機能不全は関連のあることになります。しかし、もしほとんど足首の背屈を必要としない平地をゆっくり走るランナーに対応するのではれば、背屈の制限は関係ないでしょう。 ひとつ注意しておく点:上記の例でさえも、背屈に対しての特別な介入は必要ないかもしれません。多くのセラピストは、脊柱の脱感作をすることができ、患者を痛みのない状態で同じ運動に復活させるという症例を作ることができます。要するに選択肢は多くあるということです。 例2:高負荷の活動にもかかわらず特異的な弱化があるときも運動の選択肢の幅を狭める。 他の例は、股関節の伸展筋群の弱化に関するかもしれないものです。しゃがんだり負荷下で膝を屈曲させたりすることに対して両膝が敏感である患者がいるとします。膝が脱感作するまでの短い間、股関節に負荷をかけるようにシフトすることは合理的です― 股関節のヒンジが代わりをするだけです。これは、股関節の強度に関わらずたいていの人はできます。なぜなら、どちらにしても最大能力に達するほどのことではないからです。テクニックを学部必要があるだけです。しかし、ジャンプやスクワットを激しく行う人に取り組む場合、股関節の伸展筋群の弱化があると負荷を膝や脊柱から股関節へとシフトするというわけにはいかなくなります。このような激しい負荷がかかる症例では、この機能不全は関連のあるものとなります。 しかし、一般的な腰痛を患っている人は、筋が弱化しているとか臀筋が抑制されているからという理由で痛いわけではありません。関節可動域の減少や筋力の減退、発火パターンの乱れは見られるかもしれませんが、これらは関係ありません。なぜなら、その人の生活において、それぞれの関節が持つ全能力を使うようなことは決して要求されないので、その欠如が他の部位に機能的な影響を及ぼすはずがないからです。 このような症例では、特定の身体的機能不全に取り組む必要がありません。これらは、治すというよりも促通に関する症例です。 その他の特異性の例 経験則として(本質的に議論の余地がある:))、痛みの発信源が末梢神経である侵害受容性のものと考えれば考えるほど、局所的で特異的な治療を施すことで得られる意義は大きくなるでしょう。ちょうどよい例として腱障害があります。もちろん私たちは中枢神経系の要素も重要だと認識していますが、侵害受容性の痛みを鎮め、傷を癒し、適応のために特異的な負荷をかけることもその腱に必要と考えます。しかし、必要としているのは特異的なエクササイズではないかもしれません― 単に、管理された負荷を徐々に増やしていけばいいのです。 少し長い投稿になってしまいました ずいぶん記述しすぎましたが、要点は、実際どのぐらいの頻度で“特異的な”改善や治療が必要なのかを考えることです。私個人は、特異的な“治療”はかなり限られていると考えています。たとえ“治療”が必要である場合でも、それは一時的なものに過ぎません。このアプローチは、私たちがいかに適合力を持つのかを認識したものです。私たちの仕事は、症状を鎮めそして再構築することです。症状が一旦鎮まったならば、徐々に負荷をかけるようにし、患者が希望する意義のある活動に戻していくことです。身体とエコシステムは適応するでしょう。 しかも、機能障害があっても筋力強化を加えると良いと私は信じていますが、それはまた別の機会にお話ししましょう。
痛みの全体像
痛みは、複合的な現象と言えます。つまり、多くの異なる要因が痛みに関わっている可能性があるのです。また、これらの要因が互いに絡み合うことによって、痛みの説明や医療の介入を行おうとしても、それら一つ一つを切り離すことが非常に困難になることがあります。 これは、数週間前にオスロで開催された、ペインクラウドコンベンションでの私の講演テーマでした。そこで、複合系理論には痛みの性質を理解する上で役に立つ概念が多くある、ということについて私は議論しました。 これらの概念の一つに、複合系はたいてい入れ子構造になっているということがあります。つまり、全体としての体系がそれより小さな下位組織によって構成され、またそれは、さらに小さな下部組織によって構成されるといった具合に続くことを意味します。 その痛みはどこある? たとえば、人間は器官系(神経系、筋骨格系など)から構成されており、またそれらは器官(脳、脊髄、筋、腱など)から成り、さらにそれらは、細胞(神経細胞、筋細胞など)から成るといったように続きます。さらに言えば、人間はもっと大きな体系(家族や地域、経済など)の一部分でもあります。 臨床の観点から、このことが興味深い理由は、それぞれの入れ子になっている体系は、私たちが痛みを治療しようとしたり、説明しようとしたりできる様々なレベルを提供するからです。 ここで図解しましょう: “下位”の方のレベルでは、細胞や臓器(筋、腱、椎間板、神経など)の健康状態を見ることができます。たとえば、あなたの足が痛いのは疲労骨折のためだからとします。こうして、あなたは“身体組織の中の問題”を見つけ出すことができます。これは、伝統的な痛みの治療が、最も注目してきた領域です。これはしばしば、“生体医学的アプローチ”または、生物心理社会的モデルの生物という一部を取って“バイオ”と呼ばれています。損傷を受けている構造を探し当て、その修復に取り組むことです。 分析の“上位”の方のレベルでは、人間や環境などのより複合的な現象を見ていきます―思考や感情、社会的関係の役割など。これらは、慢性痛に非常に重要な影響を与えると知られている“心理社会的”な問題です。これらの分野における問題は、微妙で比較的分かり難く、骨折や損傷といったものより、調節不全や不均衡といったものが多くなります。このような問題は、もし下位レベルだけで探していたとしたら、見逃してしまいます。たとえば、足の評価によって破局的思考を見抜くことはできません― その人と対話する必要があります。 研究分野 各レベルをより深く理解するために研究できる、さまざまな学問が数多く存在します。これらはそれぞれ大きく異なったスタンスであることを覚えておいてください。二つ以上のレベルでかなりの知識を持てる人はほとんどいないでしょう。 下位の方のレベルでは、生体力学や運動生理学、神経動力学などを学び、それぞれの分野で、身体の物理的な構造が負荷に対してどのように反応するか(耐えきれず損傷を負うのか、または順応してさらに強くなるのか)をもっと深く理解できるようになるでしょう。 次に1つ上位のレベルに進み、神経系や免疫系、内分泌系などのもっと大きな体制の性状を研究し、そうすることで、身体がどのように知覚された脅威に対する防御反応を開始するのかをもっと深く理解できるようになるでしょう。痛みの本質は、警告です。神経系、免疫系、内分泌系は、警告の感度設定を担い、警告が作動するような出来事を探ります。“痛みの科学”の大半は、痛みに関係するこれら体系の基本的生理学の教育なのです。 痛みにおける感情や認知の役割を研究する、次のレベルである“人間”に進むことができます。これは心理学の分野で、この分野との関連性は明らかで、痛みは心理学的できごとであるということです。 心理学的概念は、なぜ運動や身体活動が痛みに役立つのかを理解する上で、たいへん役に立つことがあります。たとえば、認知行動療法は、エクササイズがどのように恐怖や痛みの連想を消し去ることができるのかを説明してくれます。多くの症例において、この概念は、筋群やレップ数、セット数を考慮した“下位レベル”に注目したものよりも、エクササイズプログラムの選択に役に立ちます。 社会体制と経済体制の役割を研究するために、さらに上位のレベルに進むこともできます。多くの社会的評論は、様々な慢性疾患(薬物依存症、不安症、うつ、慢性疼痛など)を引き起こすような実際の病理は、個人よりも社会レベルにより多く存在すると論じるでしょう。たとえば、社会経済状態の低さは、慢性疼痛の大きな予測因子です。この記事の読者のほとんどは、積極的にこのレベルで問題を解決しようと取り組んではいないでしょう。しかし、臨床上の結果に大きな影響力があることは、十分感じているでしょう。 異なるレベルを比較 “上位レベル”と“下位レベル”という用語は、いかなる価値判断を反映するものではありません。これらは、単に異なる視点を意味します: ひとつは、腱や筋のような単純なもので比較的小さなものなどの“マイクロ”的視点、もうひとつは、神経系や感情などのもっと大きく複合的なものを見る全体像や“マクロ”的視点です。 一般的に、ある問題を説明しようとレベルを下げれば、“還元主義”、そして、レベルを上げていけば“全体論”、または“体系的な思考”のアプローチとなります。 確認までに、ここでも、正誤を問う必要はありません― 適切なレベルは状況次第です。痛みに関する問題で、特に急性損傷に関するものであれば、下位レベルからアプローチした方が有効です― ここを強化して、ストレッチして、それをYレップでXセット、Z週間続けて、そうすれば治りますよ、といった具合に。一方、完全に“治癒”しないような問題もあります。たとえ心理療法士、ソーシャルワーカー、弁護士を含むチーム全体で取り組んだとしても難しいかもしれません。 そのスペクトラムの両端には、それぞれの費用対効果がありますが、つい最近まで徒手療法や運動療法は、下位レベルにかなり時間をかけ過ぎていたことは間違えありません。目の前にある実際の人間の問題を無視して、身体組織の中に問題を見つけようとしていたのです。もし“痛みの科学の革命”に何らかの意味があるのであれば、それはより上位のレベルでの基本的なリテラシーを改善しようとすることでしょう。
なぜ痛むのか?パート3:損傷よりも感受性
OAオプティミズム=変形性関節症楽観主義というタイトルで、痛みと身体組織の変性との関連性を解説するグレッグ・リーマンのビデオシリーズは、痛みに悩む数多くの方々にとって勇気とやる気をもらえる素晴らしい内容です。痛みとは何か?まずは理解してみましょう。