健康に安全にフィットネスを高める
フィットネスの楽しさをもっと伝えたい!でも、何から始めればいいか迷うあなたへ。このプレイリストは、フィットネスの基礎知識から、一般の方にも分かりやすく運動の楽しさを伝えるためのアイデアまで、幅広く網羅しています。フィットネスプロ、パーソナルトレーナーの皆さんの指導に役立つヒントがきっと見つかるはずです。
フィットネスは常に成功とは限らない
何でも簡単にできてしまう人に親近感を感じるのって、難しいですよね?いやぁ、そういう人って、最低だよね!幼なじみの親友に、ひとりそういう奴がいるんだけれど、彼は素晴らしいアスリートで、成績もクラス一番、とにかくモテモテ。ラッキーなことにそんな彼と物心ついた頃から友達でした。自分自身は、決して彼のような才能を持っていたわけではないけれど、僕たちがいい友達でいられたのには理由があるのです。 クリスは、常に謙虚で、彼のことを直接知っていなければ、彼がそんなに才能にあふれた人だと想像もつかないような、そのくらいの謙虚さを持っていました。彼のこの謙虚さというのは、私が彼を尊敬する理由のひとつだったのですが、それよりも更に私のモチベーションを高めくれたのは、彼が数多くの才能に恵まれていたにも関わらず、とにかく努力しようとするその意志の強さでした。様々な場面で、彼は、たとえそれが誰であったとしても、皆努力をしなければならないのだ、ということ、そしてその目指すゴールが大きければ大きい程、より努力をしなければならないということを見せてくれました。 仕事や努力に対しての素晴らしい倫理を持っている人達の近くにいるということ、これは私が他の人から受け取った素晴らしい贈り物のひとつです。私の家族は、特に身体的才能に恵まれていたわけではありませんが、私の家族達の多くは、”決して諦めない”態度を持つことで、数多くの分野で成功を収めています。 このことを比較的年齢の若い時期に教わることができました。私の少年時代のほとんどは、とにかくバスケットボールが全ての世界でした。実際の生活での難しい問題から逃避することができる素晴らしいものだったのです。何が起こっていようとも、公園でバスケットボールの練習をしていたり、試合を行っていたりすれば、他のことは、もう気にもならなかったんです。 信じられないかもしれませんが、この足首の写真は、私のケガよりも状態が良いものなんですよ! そんなわけで、ある晩、公園でバスケットをしている時に、右足首を完全に損傷してしまった時、自分の世界そのものが、全て終わりの時を迎えたような感じがしたのです。父や医師は、私は将来杖無しでは歩けないだろうという話をしていて、私がバスケットボールをまたできるようになるかどうか、などということは、気にもならない様子だったのをはっきりと覚えています。 兄のグレッグは、このシチュエーションが私に与えたクラッシュ効果に気づいたに違いありません。 私が拗ねたりむくれたりしないように、彼と彼の友人のマークと共にトレーニングに行かないか?と誘ってくれました。私には躊躇もあり、フラストレーションもあり、正直なところ、もうどうでもいい、というところでした。 ただ、グレッグはいいセールスマンで、健康になったらバスケットボールがまたできるように準備をしておかなければならないということを言ってくれたのです。どうすれば、私がやる気になるか知っていたようですね。彼は私が本当に、またバスケットをプレイできるかどうか分からなかったものの、ソファに座って大きなギブスと松葉杖を使って、何もしないでいることが私にとって何ひとつポジティブな要素がないことを理解していたのです。 私達はバリーズというスポーツクラブに行って(そうです。バリーズに行ったんですよ!)若い男性グループのお決まりのパターンである、ベンチプレスへ直行しました。この時まで一度もウェイトを持ち上げたことがなく、一体何をするのか予想もつきませんでした。グレッグがラックからバーベルを外してくれた途端に、バーベルは私の胸の上に落っこちて、そしてそのまま胸の上に留まってしまいました! こんな風に! ピンで留められてしまった!そうです。プレートの付いていない、空のバーベルでピン留めされてしまったんです。私が水から飛び出してきた魚のようにもがいているのが、グレッグとマークには、あまりにも面白すぎたようですが、しばらくすると、バーベルを胸の上から持ち上げてくれるという慈悲の恵みを与えてくれました。彼らには面白かったようですが、私としては、もうとにかく恥ずかしい限りでした。 心のどこかでは、もうその場を即座に離れたいという気持ちがあり、そして他のどこかでは”見せてやろう!”という気持ちがありました。これは、兄弟には決して負けたくない、特に年長の兄弟には負けたくない、という気持ちに根ざしているのだと思いますが、この日、私は帰ることなく、できることをやってみました。 その夏の間中、私は彼らに”見せてやりたい”という気持ちが強く、兄弟、義理の母、とにかく誰にでも頼んでジムまで車で乗せて行ってもらいました。マシーンとマシーンの間を松葉杖をついてピョコピョコと移動し、たまに親切なメンバーの人がいれば、ウエイトを手渡してもらったりしていました。とにかくやる気充分だったのです。 バーベルにピン留めされた日、私には選択肢がありました。止めることもできたし、帰ることもできたし、二度とそこに戻らないこともできました。私のフィットネスに関する最初の経験は、ポジティブなものでも、次に行くのが待ち遠しくなるような成功でもなく、全くその逆だったのです。 これは私達の多くが、フィットネスや健康に関して持っている選択肢と同様です。私達は、しばしば”馬鹿っぽく見える” ”準備ができていない” とおびえてしまったりしますが、実際にはそうした状況が起きないようにすることを防ぐ選択をしているのではなく、ただゴールを達成できない状況を作ってしまうのです。 この年の夏の終わりには、歩くことができるようになり(長期的な治療の後)高校のバスケットボールのチームにも入ることができました。諦めずにたたかうこと、兄がインスピレーションを与えてくれたことが、私が競技に戻ることを可能にしてくれたのです。時には、些細な経験が、大きなゴール を達成することに繋がります。 兄とのこの1日の経験がきっかけで、ディビジョン1のバスケットボールチームに入ることができ、そして人々のフィットネスの見方を変えるトレーニングシステムを開発し、多くの人が夢を実現することを助けることができたのです。 成功している人達は、ただ単に恵まれているとか幸運だから、と考えないでください。ほんの一瞬の決意が、人生を完全に変革するのです!決然として、チャレンジを受け入れるだけの強さを持つこと、間違いを恐れないこと、そうすればDVRTアルティメイトサンドバッグシステムを本当に理解することに一歩近づくことでしょう。
私達は何のためにトレーニングをするのでしょうか?
今週、私はダニエル・コイル著の“タレント・コード”を読み、心の底から楽しんでいます。この本の中のある一節が、傑出していました。それは、サッカーの教え方と楽器、特にバイオリンの教え方の違いについて説明しているものです。 『今は、これと、これと、これと、あれ!』というように、理想的なサッカー回路は、変化に富んでいて速く、それぞれの障害に反応して流動的に変化し、流れるように連続して発火することができる無数の考えられる選択肢を提供することができます。スピードと柔軟性がすべてです。回路が速ければ速いほど、柔軟性があればあるほど、より多くの障害を克服し、選手の技能はより卓越しているのです。 とても聞こえがいいですね。もし誰かのサッカー回路の向上を手助けしたいのであれば、サッカーのためのトレーニングが、その選手の動作、スピード、適応性の領域を向上させる手助けとなるべきです。動的で、可変的で、脳/身体の連絡を増大することは、そのような活動の前提条件のように思えます。これが、トレーニングへの機能的アプローチでしょう! しかし、実際、コイル氏は、楽器演奏(この場合はバイオリン)の教え方について話しています。 この回路は、即興演奏のための絡んだつるのようなものではなく、単一セットの運動を作り出す、より正確には再現することを目的とした、しっかりと規定された経路の連続なのです これは私に、ジムにおいてのエクササイズの教え方に関して、より正確な描写を与えてくれました。逸脱することなく型にはまった動作の方法です。私達が強化したいスポーツ技能、もしくは運動能力の多様性を欠いている一連の運動は、実際には、完全に異なる技能なのです。 私達が神経回路を構築し、それらを繰り返し発火させる際に、神経回路はより大きく、より強くなり、練習を通して反復使用の後に、神経回路は有髄化(ミエリン鞘化)します。ミエリン鞘は神経回路を絶縁し、より速く、より効率的な信号の伝達を可能にします。これらの回路は、私達が行う練習、もしくはトレーニングに特異的です。バイオリンを演奏することが、サッカーのための運動能力や力産生能力を向上させることはありません。 とりわけ、エクササイズとストレングス・トレーニングの全体的性質は、ストレングスと運動は一般的であることを私達に信じさせるでしょう。スクワットのような規定された経路を持つ運動を練習することによって、サッカーに関連する計り知れない運動の多様性とストレングス/力産生の多様性の向上を可能にすることでしょう。デットリフトやベンチプレスのような、質量中心が垂直方向から動かない運動は、さまざまな方向への爆発を可能にし、水平面において別の物体に対して力を加えることを可能にすることでしょう。複数の研究から、ひとつの特異的運動から別の特異的運動へのクロスオーバー効果は、非常に限られているということが分かっています。 動いている外部の物体に力を加えることに関連している変数は莫大です。相手の身体の位置 を変更するためにとられた足のポジションから、そして双方の身体が向かっている角度から。 特定の機能的活動の間、神経系からのフィードバック・ループは、動作と力を加える能力に関連する適切な反応を定義するでしょう。もし回路が可変的でなければ、どのようにして変化に富んだインプットに反応できるというのでしょうか? メル・シフ氏は下記のように述べています: 随意および不随意的過程によって決定される、発火する線維の割合と数…固有感覚系のフィードバックへの不随意的過程。 不随意的過程は、スポーツに関連する、より潜在意識的過程です。求心性収縮の前の遠心性収縮に関連のある伸張反射にも当てはまります。その他のものも、スポーツにおける力産生に関連しています。 シフ氏は、下記のようにも述べています: 通常、そのスポーツにおいて必須の神経筋技能を修正する系統の重心、慣性モーメント、回旋中心、打撃中心、機械的剛性に変化があります。 機械的/神経学的技能の過程が、特有の機能的力産生、もしくはストレングスに極めて重要で、スポーツにおいて絶えず景観を変化および進化させていると信じるのであれば、この過程を鍛えるために、私達は可変性を取り込まなければなりません。それは、誰かにバイオリンの演奏を教えるというよりも、サッカーの仕方を教えるようなことに違いありません。規定的というより可変的なのです。 身体と心が情報を処理し、その情報に基づいて、反応を作り出すことを可能にしなければなりません。にも関わらず、私達は、限られた反応しか提示しない、ロボットのような規定的な一連の運動を作り出そうとしています。さらに悪いことに、エリートレベルのトレーニングにおいて、私達はエクササイズにおける、非常に限られたエクササイズの変化(バリエーション)しかないトレーニング・プロトコールを提唱する運営組織を作り出してしまっているのです。縦方向の運動から離れられず、回旋を取り入れた運動は無く、それでスポーツだと思いますか?スポーツに見えますか?私には、サッカーをしているというより、バイオリンを演奏しているようにしか見えません! 一体、いくつのスポーツが、重心を垂直方向に動かすだけの運動で構成されていますか?水平面において、減速したり加速したりする能力が、まさにスポーツなのです!投げる、蹴る、打つ動作のすべてが、回旋を含んでいます。それらはまた、一瞬の動作の中に、個々の要素としてではなく、ストレングス、柔軟性、スピード、安定性、パワーの全てを含んでいます。 同様の理論的根拠が、傷害後のリハビリテーションの世界にも適合するかもしれません。私達のクライアントのために、限られた可動域での特定の運動を準備してあげたいと考えますか?それとも、私達が機能している世界にあった可変的な運動を準備してあげたいと考えますか?これは、個人的な選択になるでしょう。 最後になりますが、マルコム・グラッドウェル氏は、彼の著書“Blink(邦題:第1感)”の中で、登場人物達が目の前のシナリオを分析し過ぎてしまう複雑な戦争ゲームについて描写しています。 彼らは、その機構と過程にとても集中していて、問題を全体的に捉えることは決してありませんでした。何かを引っかきまわしている最中に、その意味を失ってしまうのです。 これは、私達の身体へのアプローチにも起こりえると確信しています。アプローチを構成要素にまで縮小することによって、運動を作り出す統合のマジックを失ってしまいます。これはまた、なぜ損傷部位と発生原因が異なる可能性があるのかを理解するきっかけになります!もし私達が単に損傷部位だけに注目するのであれば、原因は決して明らかにはならないでしょう。これは、私達が慢性的な問題を抱えてしまう理由のひとつでもあります。 いつも通り、これは複雑な話題への私独自の見解です。裏付けとなる科学的根拠はありますが、事実というよりも意見と言えるでしょう。
運動の糧 パート1/3
“食事を汝の薬とし、薬は汝の食事とせよ”–ヒポクラテス” – Hippocrates この言葉はその時代において、とくにパフォーマンスの強化や医療の奇跡、人体に精力をつける安易な方法を好む風潮があると思われる現代と同様に、とても賢明な助言でした。 食についての知恵と同じように、成功しようとするあまりわれわれは、どのように行動するべきかという基本原則を軽視しがちだとヒポクラテスは述べています。 わかりやすく言い換えれば:自分は問題抱えていると思い込む前に、基礎的なことをチェックすること。たいていの問題は基礎や基本理念を破り、その上で、複合的な解決方法を探しているのです。 どういうわけか、私たちは運動についてよりも食について、より明確な考えます。私の好きな著者のひとり、マイケル・ポーランは、食についての不必要な心配や思い込みを分析することで有名になりました。彼の業績を簡単に説明すると、食べ物とは丸ごとの食材であり自然なものです。本物の食べ物には、多くの付随成分が豊富で、それらを単独で見てみると、有益であったり、有毒であったり、またはバランスを崩してしまうものかもしれません。 しかし、私たちはサプリメントの時代に生きています。緑茶に含まれるいくつかの健康的な成分を検出し、錠剤やパワーバーや風船ガムの製品にして、緑茶は飲まなくてもよくなりなりたい。 食べ物に関しては、そう上手くはいきません。 運動やエクササイズに関しても、そうはなりません。 基本的に還元主義は、問題を解決するというより、より深刻な問題を引き起こします。なぜなら、持続的な解決にはならないからです。人体はすでに、緑茶からどのように有益な成分を抽出するか知っているのですから、製造会社に頼むことはないのです。 もし、自然で本物の食材を丸ごと(意図的に)食べているのであれば、サプリメントを摂取する理由は、自然由来のビタミンと栄養素の吸収障害がある場合のみです。吸収障害を克服するため、または、自然な食材が損なわれていることを解消するには、欠乏している特定の成分を効果的に多めに摂取し正常に戻さなくてはなりません。 ビタミン剤や栄養剤は、強制的に最適な状態に仕向けるために服用されるよりも、機能不全の状態から抜け出すために摂取する方がよいでしょう。この記述に同意されるならば(歴史と科学を復習してみればきっと同意してくれるはずです)、私たちが抱いているビタミンやミネラル、栄養補助食品に関する思い込みがどれだけゆがんでいるかお分かりになるでしょう。何か欠乏しているものをサプリメントで埋めるとすれば、競争優位のようにになってしまいます。パフォーマンスオクタンブースト(オクタン価向上剤)でしょうか? それは違うでしょう。単に、本来であれば、食べることや、休養、再生によって自然に埋められていくはずの穴を埋めているだけです。 運動の例に戻るとしましょう・・・ エクササイズは、運動の糧ではありません。エクササイズは運動のサプリメントです。 エクササイズは、運動のサプリメントです。なぜなら、多くの場合、運動のより良い将来を望んで行うから。さらに、ひとつのエクササイズが人間の運動能力全体をカバーすることはありません。さて、赤ちゃんや乳幼児、子どもたちは、生物学的に遊ぶように促されています。感覚や動きを通して周りの環境を探検するという子ども時代に、私たちの基礎的なパターンと身体能力が発達します。年齢を重ねる毎に、動きの風景の特定の部分に目を向け、そして遊びを続けるのです。 ボールを投げたい人 長距離を走りたい人 壁を登りたい人 水の中へ飛び込む人 いろいろな種類の活動をしてみる人、そして 専門性にこだわる人−地区、地域、国、はたまた世界で一番になるなど。 このような活動を補助するために、たいてい自分に必要だと思うエクササイズを選択しますが、大好きな活動を本当に補強・補填してくれるエクササイズを論理的な分析なしで選んでいることがあります。 動きを探究するために選択する方法に関わりなく、動きを基本的要素まで分析し、運動の糧を探すこともできます。始めるにあたり最も良い方法は、動きを4つの異なるレベルでみることです: 動きの健康動きの機能動きのフィットネス動きの技能 この20年間これらの言葉は考察され、討論され、詳細に論じられてきたこともあり、この先を読み続ける前にこれらの言葉をみなさんも定義してみてください・・・この話の進む方向がお気に召すかどうか。 運動の発達レベル みなさんが行っている運動は、健康的な動きへと導いてくれますか? ヨガや武道、または私たちが最近開設した、インディアン・クラブコースや筋膜リリースポジション、発達神経学的プログレッションの動きを見てみると、さまざまな姿勢や負荷のパターンを身体が経験する素晴らしい方法が多くあります。しかし、その運動は循環系には役に立たないことでしょうか? 組織系には? 内蔵系には? 固有受容覚系には? 前庭系、視覚系、聴覚系には? 身体を動かすときは常に多感覚の経験をしています。その経験は、建設的であったり非建設的であったり、あるいは単に何の効果もないかもしれない・・・みなさんが活動に時間と労力をかけていることが、効果があったか否かは、私には分かりません。 客観的な身体能力テストでは、あなたがエクササイズや活動にどれだけ費やしたかは、ほとんど区別がつきませんね? つまり、例えばあなたがXをトレーニングして何ヶ月も経過していても、そのことに私が気づかないということになります。Xは筋量を増やし、脂肪を燃焼させ、スピードを持たせ、アジリティを上達させ、左右のバランスを整えるとします(リストは延々と続きます)。しかし、これらの項目を計測しようとしても、あなたがしてきた努力の明白な効果が分からないのです。信じてもらえないかもしれませんが、このようなことが頻繁に起こっています。そのような努力がそもそも必要であるかどうか調べるために使用するバイオマーカーに、あなたの努力はほとんど検知されません。 正確に信頼できるテストがあれば、足首の可動性やコアの安定性、肩の安定性、心血管機能全般、作業能力、スローストレングスや爆発的パワーなど特定の問題に対応する方法を複数見つけることができるでしょう。これらのどれが最大の弱点か見つかりさえすれば、あなたの身体的発達レベルでの特定の問題を容易に判断できます。場合によっては、その問題は動きの機能(可動性と安定性を調整する機能)に根差しているかもしれませんね? またはその問題は動きの健康(正常で理想的、または平均以上の成長、回復、休養、再生をするシステムを提供してくれるもの)に存在することもあるでよう。 FMSやSFMA、そして最近紹介されたファンダメンタル・キャパシティ・スクリーンによってこれらの疑問点を解決しようとしています。
運動の糧 パート2/3
健康の問題に対してフィットネスによる解決を望んでいる人が多い 機能的な問題に対してフィットネスによる解決を望んでいる人が多い、そして、 技能的な問題に対してフィットネスによる解決を望んでいる人が多い。 動きを見る4つの方法の概要です。 もし不健康であれば、診断をする必要があります。 もし機能不全があれば、疑わしい運動パターンを明確にして、それを修正しようとします。 もし単にゴルフができないということならば、サイドプランクをあとどのぐらい行えばいいのか私には分かりませんが・・・たぶん、ゴルフのレッスンが必要なのでしょう。ゴルフを行うのに身体的な壁がありますか? または技能的な壁? 単純なテストを実施することで、素早く簡単にこれらの疑問に答えてくれます。TPIにいる私の友人に聞いてみてください。 動きの健康:健康的に動くこととその動きによって健康に利することの基本的な要素が、あなたにはありますか? 身体のシステム全体にとって運動の最小有効量はどのぐらいでしょうか? 運動学の問題だけではなく、周囲との触覚によるコミュニケーションでもあります。立ったり、ゴロゴロと転がったりして、周囲の環境に対するときの 身体の“柔らかさ”には、異なる感触や経験があります。私たちは、視覚、聴覚、前庭感覚と同様に、莫大な量の固有受容的経験を得ています。 動きの機能:健康な動きの特性をすべて利用し、そして組織化して動きに有能な学習機械となることができますか? 動きの機能性は、あなたが何かを知っているとか、何かに長けているというわけではありません。単に、フィードバックループを構築するための動きのパターンが備わっているということです。したがって、可動性に特に何の問題もなく、平均台を経験してもらうとします。動きと姿勢の制御以外は、バランスが悪くなる理由はありません。つまり動作を実行するための柔軟性はあるものの、できなかったわけです。このようなフィードバックループの能力に働きかける経験によって、人類の先祖に適応力をもたらした自己運動学習体になるのです。 “ここに床から2.5センチの高さに15.2cm幅の平均台があります。落ちるまで、この上でなるべく多くの回数を前向きで歩いてください。平均台の上を歩いて行き、回転して向きを変え、歩いて帰ってきます。落ちずに5回できたら、今度は無駄なエネルギーを使わず、腰から上の上半身の動きを最低限にとどめ、意図的に腕を振り回し、頭の位置を変な風にして、少し左に傾けて5回行ってみましょう。そう、それでも上手く平均台を渡れるか見せてください。” それが終わったら、目を閉じる代わりに、平均台の上を前向きで歩き、そして後ろ歩きで戻ってもらいましょう。平均台の上ではバランスさえ取れない人がいる、とおっしゃる皆さん・・・まず、可動性の問題を見逃しているに違いありません。二つめに、そのような人を平均台の上に立たせたいなら、杖を持たせたり、手を取ってあげたり、何らかの補助を使いましょう。平均台を壁に寄せて設置し、徐々に壁から離していきます。縮小の仕方にはいろいろあります。つまり、バランスを良くするために、悪いバランスのフィードバックを利用し、効果的な最低限の可動性に取り組むのであれば、それを縮小する必要はありません。彼らに身体のどの部分を収縮するように言う必要はなく、彼らは単に、自分はバランスがとれないということを認識すればよいのです。自分自身の固有受容器系、視覚系、前庭系を使って、その状況をどうやって克服するかを見つけ出せばよいのです。 問題の解決は彼らにさせておきましょう。公式のためのパーツはすべて揃っています:視覚、時間と活動。自然に任せ、フィードバックを提供しましょう。 彼ら自身に答えを見つけてもらいましょう。先に答えを与えてしまってはいけません。幼児でも分かることなので、当然大人にもできるでしょう。バランスを養うための近道はありません―― 本質的な方法が最もうまくいきます。歩く前にハイハイし、走る前に歩くように、単純なことです。 動きのフィットネス:基本的な移動運動または作業に必要なエネルギーを示す許容能力です。基本的に、移動したり物を移動させたりすること(または、自分も移動しながら物も移動させること)です。動きのフィットネスとは、非特異的な身体能力と基本的な物理的リソースです。 動きの技能:これは、何かをする時の能力または複雑性です。あるひとつのことに特化した人もいます;いくつかのことに特化した人もいます。技能とは、特定の作業や活動、目的、試合で身体能力を発揮すること、また有効的かつ能率的な方法で技能的能力と戦術能力を実施することです。他の大多数より秀でていれば、報酬を得ることもできます。 さて、これら4つのレベルを考慮すると、あなたの最良の運動の糧は何ですか? 失った運動能力を取り戻す必要のある人へのエクササイズが不適切であるために、多くの場合において、エクササイズを継続的に計測しては調整しなければならなかったり“指導し過ぎ”になったりしてしまいます。運動を分解するとしたら、“健康になるために十分動いていますか?”または“もっと激しく運動し始めれば、かえって健康を脅かすことになりませんか?”というフレーズを使うことができるかもしれません。 “私は少し太り過ぎているので、ウォーキングとジョギングを始めました。そうしたら、シンスプリント(脛骨過労性骨膜炎)と腰痛になってしまいました”ということをよく耳にしますね? 彼らは運動的に健康であるように見えますが、少しでも運動量が多過ぎると、不健康になってしまいます。そう不健康。なぜなら、シンスプリントや腰痛は、フィットネスではなく(フィットネスと同じように、医療でもめちゃくちゃにされている事実はない限り)医療現場で対応されるべきものだからです。つまり、私たちは原因に対処しているのではなく症状だけを治療していることが多いのです。全体的な動きを見ず、そして“あなたの運動はどのようなものですか?”と尋ねることもせず、動きの悪い部位や痛みの部位に近い筋を治療していることが多くあります。
運動の糧 パート3/3
もし、私たちから全てのストレッチや矯正エクササイズ、フォームローラー、カイロプラクターや理学療法士との予約を取り除いたら、ゆっくりと着実に持続的な進歩を遂げ改善し、健康を維持するのにピッタリの最小有効運動量に取り組む方法はあるのでしょうか? 身体の機能性を保ち、自分に適していると思われる活動に適応できる最小有効運動量はどうでしょう? もし、400ポンド(180 Kg)のデッドリフトを将来行うつもりがないのであれば、そのようなリフトを補助する運動は必要ありません。そうは言っても、しゃがんだり、ひねったり、振り向いたり、這ったり、登ったり、おそらく軽く走ったりすることをできるようにしておく運動は必要でしょう。もし、ある日とても重い物を持ち上げなくてはならないことがあれば、他の人の手を借りたり、作業を分解したり、力学的に有利な方法で行うようにします。ただそれだけのことです。 健康でいられる程度に動きなさい・・・それを維持できる頻度で動きなさい。 機能的でいられる程度に動きなさい・・・それを学習できる頻度で動きなさい。 フィットでいられる程度に動きなさい・・・十分に適応できる頻度で動きなさい。 上手に行える程度に動きなさい・・・それを継続的に行える頻度で動きなさい。 十分に動きなさい、でもここに書かれた順番で。あなたの本質がそれを求めているのです! 十分な頻度で上手に運動すれば、ちゃんと適応できるようになり、適応できれば不利な方向に働くことはありません。とても重要なことです;不利な方向は、基本的な運動の発達よりも、もっと野心的なレベルの運動の発達を助長します。不健康な腕の動きでボールを投げるピッチャーを過去にどれだけ多く見てきたでしょうか―― 回旋腱板断裂、筋の挫傷や関節の捻挫などがその結果です。もし、運動量が適切でありさえすれば、フィットネスや発達全般において有益な技能が身についたはずです。しかし、身体を酷使し、健康問題を発生させてしまいました。振り出しに戻ってしまった。 体系的なフィードバックの欠如によって、すぐにそうなってしまいます。 みなさんが健康的な動きから技能的な動きにレベルアップする時、または動きを評価する時、何をトレーニングするべきか見つけるためにわたしたちは健康と機能、適性、技能を保つのに必要な最小有効量を分析します。最小有効量はどれくらいか? 私たちがこれが悪いと推測したものが間違っていて、その弱連鎖からかなり外れていることに気がつくことがよくあります。動きにおける弱連鎖は、たいてい上達しなかったり思うように活動できなかったりする原因です。体重が減らない原因かもしれないし、思うように眠れない原因かもしれません。身体は、みなさんがしようとする運動、またはしないと選んだ運動に非常に敏感です。 ダイエットに似ていませんか? エクササイズと比較した時、栄養学の明瞭さに私は信じられないほど刺激を受けます。栄養学の学位を持っているわけではありませんが、栄養学での論理の善し悪しは明らかに区別がつきます。製薬業と同じように、栄養学においても、単に症状だけを元に食べ方を指示されることもあり得るでしょう。しかし、食の善し悪しや健康的で機能的な食べ方、フィットネスのための食事、長期的な食事の原理をいくつか提供することで、完璧で持続的な生活スタイルの変化を起こすほどに、包括的にもなれるわけです。 もし私たちがサプリメントを扱うのと同じようにエクササイズを捉えたら、そして、もし身体活動と新しい環境への露出も食べ物と同じように考えていたならば、運動テクノロジーにおいてさらにもっと進化することでしょう。 歩き方を見ただけで、座りっぱなしの習慣を持つ人だということがはっきりとわかるでしょうか… 世界中どこでもアメリカ人と見分けられるようになりました。単に少し太っているということや服装が他の人たちと多少異なるということだけではありません。 私たちの動きがよくないからです。 私たちは、動きが良くないにもかかわらず頻繁に動く。これが問題を生み出します。明らかな代償を生み出しす。歩行といった単純なことからでさえも、あなた自身と体は運動の本来の糧を味わうというより、断然運動のサプリメントを味わっていることが多いという事実が分かってしまいます。 この投稿がみなさんを喚起できれば良いと思います。運動をじっくり調べたり運動レベルを分解したりする気になっていただければいいと思います。これまで抱いていた推測は捨てて、運動の4つの分類をする新しい物差しに注目してみましょう。それぞれの運動レベルにおいて、みなさんが摂取しているのは運動の糧ですか、それとも、サプリメントですか? トップレベルにおいては、みなさんが最もしたいことを楽しみましょう。たとえば、サイクリング、ロッククライミング、ハイキング、競技スポーツなど。正しく行えれば、技能負荷はかなりのレベルのフィットネスを与えてくれるでしょう。それによって得られたフィットネスで一定の機能が備わり、維持した機能は健康を保つことにもつながります。また、その逆もあり得ます。 運動の最後の段階では、あなたを微笑ませてくれることや、流れるようにスムーズな状態でできることを見つけることです。だからと言って、家での課題や補助的にエクササイズをしなくていいという意味ではありません。残念ながら行ってもらいます。しかし、これらの補助的なエクササイズは、人生という長期にわたる連続的なイベントにとってバランスや調和を整えるための一時的な障害なのです。 もし、運動のサプリメントとしてのエクササイズを数週間や数ヶ月という期間ではなく、何年間も行っているとしたら、何のためにやらされているのか、なぜそうさせたのかを疑問に思います。多くの人は、機能的運動のテクノロジーを採用し、運動のサプリメントとしてのエクササイズをし続けています。私や私のチームであればとうの昔にそんなコレクティブエクササイズなんてやめさせ、健康や機能、適性、技能/競技の全体を再調整しているのですが、そんなことは知る由もありません。運動パターンが悪いからといって、私は特定の運動のサプリメントを一つ加えるだけということはしません。一旦コレクティブエクササイズで運動パターンが改善されると示せれば、まず私が始めにするのは、“オーケー、ではコレクティブエクササイズなしでどれぐらいできますか?”と聞くことです。Xをもう少し多く行うことによって、Yをかなり少なくし、Zはもう二度と行うことはなくなります。なぜなら単に、これは必要としている運動の糧ではなく、あなたには合っていないからです。 私の言うことを鵜呑みにしないでください・・・私の言っていることを試してみてください。生命体と環境をまず単純に見ることから始めましょう。あなたが本当に取り組むべきなのは、今取り組んでいるところではないかもしれないからです。 私たちは私たちのテストをこのように利用します。ひとつの方法論を他と比べて推奨するということではなく、みなさんの運動の中にある薬を見つけ、処方されるべき運動を見つけるのに役に立つからです。
どんなエクササイズが最も健康的か? パート1/2
身体活動は今、健康に大きな影響を与えるライフスタイルの要因のビッグ4の一つと考えられています(他に喫煙、栄養、そして薬物乱用)。2015年に、メディカルロイヤルカレッジアカデミーがエクササイズの効果をまとめた報告を打ち出し、エクササイズを「妙薬」そして「特効薬」と称しました(1)。この報告は、定期的なエクササイズは認知症や2型糖尿病、ある種の癌、鬱、心臓疾患や他の一般的な重大な病気を予防できることを認めています−それぞれのリスクを少なくとも30%低下させるのです。これは多くの他の薬よりも優れています。 60,000件以上の回答からのデータの近年の分析によって、週に1、2回エクササイズを行なっている人は、エクササイズをしない人よりもあらゆる原因による死亡率が30%低いことがわかりました。週に3-5回エクササイズを行なっている人では35%低減しています(2)。同様の研究では、非活動的な生活は36もの疾患の主な原因であり、そしてエクササイズはそれらを予防するための有効的な処置であると結論づけました(3、4)。多くの専門家は、もしエクササイズが錠剤のようであれば、それは今までに開発された中で、最も効果的で広く処方される薬になるであろうと認めています。 エクササイズの健康への効果を支持するエビデンスは否定できませんが、私は、エクササイズを「薬」と比喩することをあまり魅力的に感じません。まず、薬は多くの人にとって、あまり取りたくないものであり、したがって、そのマーケティング方法はあまり良いものではないのです。次に、薬という言葉は、ある特定の疾患の治癒を示唆するものであり、これは誤解を招くものです。光や水、土が植物を育てるように、身体活動はあなたの健康を多くの様々な面から向上させることができます。しかし、特定の問題を「治す」という対象を絞った介入ではありません。 私が思う身体活動の効果のより良い比喩はKaty BowmanとNick Tuminelloによって推奨されたものです:運動は食べ物のようである。この喩えを用いた説明は、多くの様々な場面で意味を成します。まず、食物の栄養素は多すぎず少なすぎず、適度な量を摂取した場合に効果的です。例えば、貧血にならないために、鉄は最小摂取量が必要とされますが、多すぎると有毒になります。身体へ取り込む物の多くがこれと同様であり、水ですらそうなのです。身体活動をとってみると、最低限の量は必要不可欠ですが、多すぎれば有害であり、そして幅広い範囲の適度な量が存在します。 動作を食べ物に喩えた別の説明として、多くの様々な栄養素(それぞれに最適な摂取量が存在する)からなるバランスの取れた食事が必要であるということです。もし、ビタミンAが不足しているならば、ビタミンBの量を倍にしても効果はないでしょう。同じことが身体活動にも言えます。ベンチプレスは良いエクササイズですが、もしそれだけしかしてこなかったのであれば、身体機能の他の部分が不足してしまうでしょう。 もし、運動が食べ物のようであれば、どのようにしてバランスの取れた食事をとりますか?答えのひとつは…場合による、です。20歳のアスリートは、膝痛のある65歳の人と異な運動の処方が必要でしょう。実際に、膝痛のある65歳の人が2人いれば、完全に異なるプログラムから効果が得られるかもしれません。ある人にとって何が最も効果があるかを見つけるには、様々なオプションからなる広い範囲を探求する必要があるでしょう。良いニュースは、その範囲のある部分は他の部分よりも探求する価値があるということです。それがどこにあるかという大まかな認識を得るためには、2種類のデータの情報源を参考にすることができます:(1)政府の保険局からの公式な推奨事項、及び(2)自然環境に住む狩猟採集民族の身体活動を分析した研究。私は、これらのガイドラインを、運動に関する重要な行動指針であると考えます。幸いにも、これらは両方とも基本的に同じ方向を指し示しています。 保険局からの推奨事項 世界保健機関(WHO)や米国保険局、英国の国民保険サービスを含む多数の政府機関は身体活動のガイドラインを発行しています(5、6)。これらは、専門家による身体活動やフィットネス、そして健康を対象とした莫大な量の研究の分析をもとにしています。以下にそれらからのアドバイスの簡単な要約を紹介します(どの情報源においてもほぼ同様です)。 身体活動の量 ガイドラインは、少なくとも週に150分の「中程度」の身体活動か、その半分の時間の「激しい」活動を推奨しています。しかし、これらは最低限でしかなく、より良い目標は、週に300分の中程度の活動をすることです。さらにエクササイズを追加することは、週に750分までは死亡率を減少させ続け、この点を過ぎると身体活動の健康への効果は頭打ちになるようです(7)。 「中程度」の活動の定義 中程度の活動とは通常は軽い有酸素エクササイズ−持続的な周期性の動作を楽なペースで行なうことです。例として: 早歩き ハイキング ガーデニングまたは庭仕事 楽なペースでのジョギング、サイクリングまたは水泳 中程度の身体活動は運動をしているように感じますが、続けるのが不快であったり困難であったりという程ではありません。心拍数は最大の約60~80%で、呼吸数は歌うのは難しいが、話すのは容易であるところまで上がります。軽く汗をかくかもしれませんが、著しく身体が熱くなり過ぎることはありません。中程度の身体活動のセッションが終わった後、もし必要であればおそらくもう一セッション行うことができるでしょう。 「激しい」身体活動の定義 激しい身体活動はより高い強度の運動で、持続的または間欠的なものとなります。例として: ウェイト、マシーン、バンドまたは自体重を用いたレジスタンストレーニング スプリントやバイク、ロウイングマシーンでの高強度のインターバルトレーニング 持続的なランニング、サイクリング、スイミングまたはロウイングを挑戦的なペースで行う 重労働 ランニングやサイクリングといった持続的で激しい身体活動では、20分かそれ以上の時間維持できる最も速いペースに近づきます。呼吸数は会話ができないほど多くなります。ウェイトリフティングやスポーツ、スプリントなどの間欠的な活動は、インターバルでのみ行うことができ、持続的には行えません。激しい身体活動はキツく感じ、続けるには意志の力が必要です。やり終えた時、同じようなきついトレーニングを行う前に少なくとも1日は休みたいと思うでしょう。 筋力にチャレンジする運動 ほとんどのガイドラインでは、全ての主要な筋群の筋力を維持または向上させるセッションを最低でも2回、上記の週の総数に含むべきであると推奨しています。大多数の身体活動に関する研究が有酸素エクササイズに関するものであるにもかかわらず、ストレングストレーニングによる同様に素晴らしい健康効果を示した研究は多くあり、そしてその数は増え続けています。これらの効果の一部、特に筋量を維持することは有酸素エクササイズでは得ることができず、これは年齢と共に低下し、多くの場合において身体機能が著しく損なわれるまで低下します(8)。 モビリティと基本的なコーディネーションにチャレンジする運動 全てではありませんが、一部のポピュラーなガイドラインでは、機能的な可動域とスクワットや片脚バランスといった基本的な動作のスキルを維持する動作を含めることを推奨しています。これは、ストレッチやコレクティブエクササイズといった、この目的のためにとりわけ専念したエクササイズが必要であるという意味ではありません。ダンスや水泳、武術、体操、クライミング、自重運動や、プッシュアップやプルアップ、ロウ、プレス、スクワット、ランジといった昔からある複合的な筋力エクササイズを含む多くの一般的な身体活動はモビリティと機能的な運動スキルにチャレンジします。一方で、もしあなたはバイクやランニングだけしかしないのであれば、あなたのモビリティやコーディネーションはあまりチャレンジされていないでしょう。 参照 The Academy of Medical Royal Colleges (2015). Exercise: The Miracle Cure and The Role of The Doctor in Promoting It. Report from the Academy of Medical Royal Colleges, February. O’Donovan et al. (2017). Association of ‘Weekend Warrior’ and Other Leisure Time Physical Activity Patterns with Risks for All-Cause, Cardiovascular Disease, and Cancer Mortality. JAMA Internal Medicine, 175(6), 959–67. Pedersen et al. (2015). Exercise as Medicine - Evidence for Prescribing Exercise as Therapy in 26 Different Chronic Diseases. Scandinavian Journal of Medicine and Science in Sports, 25, 1–72 Booth et al. (2012). Lack of Exercise Is a Major Cause of Chronic Diseases. Comprehensive Physiology, 2(2), 1143–1211. Piercy et al. (2018). The Physical Activity Guidelines for Americans. JAMA, 320(19), 2020 World Health Organisation. Global Recommendations on Physical Activity for Health. Geneva, 2010. Lear et al. (2017). The Effect of Physical Activity on Mortality and Cardiovascular Disease in 130,000 People From 17 High-Income, Middle-Income, and Low-Income Countries: The PURE Study. The Lancet, 390(10113), 2643–2654. Stamatakis, et al. (2017). Does Strength Promoting Exercise Confer Unique Health Benefits? A Pooled Analysis of Eleven Population Cohorts with All-Cause, Cancer, and Cardiovascular Mortality Endpoints. American Journal of Epidemiology, 187 (5), 1102-1112. O’Keefe, et al. (2011). Exercise Like a Hunter-Gatherer: A Prescription for Organic Physical Fitness. Progress in Cardiovascular Diseases. 53(6), 471 Lieberman (2015). Is Exercise Really Medicine? An Evolutionary Perspective. Current Sports Medicine Reports, 14(4), 313–319. Pontzer et al. (2018). Hunter-Gatherers as Models in Public Health. Obesity Reviews, 19(December), 24–35; Raichlen et al. (2017). Physical Activity Patterns and Biomarkers of Cardiovascular Disease Risk in Hunter-Gatherers. American Journal of Human Biology, 29(2), 1–13.
どんなエクササイズが最も健康的か? パート2/2
狩猟採集民族の身体活動水準 どのように動くかと言う疑問に取り組むための他の方法は自然の環境下で生活をしている人間の身体活動水準を考えてみることです。これは、他のあらゆる動物の健康面の需要を分析するために応用する論理と同じです。もし、ペットのチータを飼っていて、健康を保つために走りまわるべき量を知るには、自然界でチータがどれだけ走るかについて知ろうとするでしょう。もし、ペットのチンパンジーがいれば、プールではなく、クライミングジムに連れていくことでしょう。 狩猟採集民族の文化を観察する人類学者は、彼らは一般的に素晴らしい健康とフィットネスを謳歌し、非活動的なライフスタイルに関連した慢性疾患の発生率がゼロあるいは限りなくゼロに近いことを発見しました(9)。彼らは高い水準の身体活動に励みますが、間違いなくそれをエクササイズや薬だと考えることはないでしょう(10)。動作は、彼らの生活におけるほぼ全ての重要な出来事から単に切り離すことが出来ないのです。それぞれの狩猟採集民族の文化が異なるライフスタイルを持っていたとしても、有益な一般的なパターンや標準的な事柄があるのです。 男性は通常、1日を狩猟に費やし、これは多くのウォーキングや時折のジョギング、そして稀にスプリントを必要とします。時には木に登ったり、塊茎を見つけるために地面を掘ったり、キャンプ地に食べ物(これらは屠殺しなければなりません)を運び帰ったりします。女性は一般的に植物を集めたりして日々を過ごし、抱き抱えなければならないことも多い幼い子供たちの世話もします。キャンプ地に戻ると、男性と女性は道具作りに取り組み、食事の用意をします。休んでいる時間は、下半身のモビリティを刺激するスクワットのようなポジションで地面にしゃがんで過ごします。 彼らは一日中動いてはいますが、そのペースは疲労困憊になるようなものではありません。タンザニアのハヅァ族に関する近年の研究は、彼らが1日に約135分の中程度から激しい身体活動を行うとしています(11)。これは週に約900分の身体活動であり、これは、近年の研究がエクササイズを追加することで死亡率減少に対する著しい追加の健康への効果が頭打ちになる点を少しだけ超過しています。 ある日は重労働を伴いますが、そのような日の後は大抵楽な日が続きます。おそらく、数日はスプリントや重い物を運ぶといった最大強度の努力を伴うでしょう。興味深いことに、身体活動の水準は年齢と共に大きく低下しません。65歳の高齢者は若い成人に苦もなくついていきます。総仕事量の大きな割合は日に5~10マイル歩くことです。歩数として考えるのであれば、これは約1~2万歩になります。 このような有機的で、全て天然のフィットネスのプログラムはどのように標準的な政府の推奨事項と比較できるでしょうか?そこにはいくつかの明らかな類似点があります。活動の大部分は早歩きのような中程度の持続的な動作です。激しい身体活動は全体の小さな割合で、筋力(クライミング、穴掘り、物を運ぶ、屠殺)やパワー(スプリント)にチャレンジするような活動を含みます。身体活動の多くは、不均等な地形を歩く、よじ登ったり這い回ったり、穴を掘る、変わった形の物体を持ち上げて運ぶ、投げる、そして地面に座るといったモビリティやコーディネーション、そしてバランスを必要とします。一つの大きな違いは、狩猟採集民族は低強度の身体活動を、現代の非常に活発な人と比べてもより多くのボリュームで行います。より多くのベンチプレスはしませんが、より多くの歩数を歩いているのです。 興味深いことに、ウォーキングはまさに現代の人が好んでより多く行たい身体活動の種類であるしょう、もし時間が有れば。Paddy Ekkekakishはエクササイズをする動機について研究しており、高強度のエクササイズは健康効果をすぐにもたらすのに効果的ではあるにもかかわらず、多くの人はそれをやろうとしないことに気づきました、なぜなら…(ショックを受けないように気をつけてください)…好きではないからです。しかし、人々はウォーキングを楽しむ傾向にあります。友人と一緒に良い環境で、など適切な環境のもとでは、それをエクササイズではなく、即座にご褒美となる楽しく元気の出る経験と考えるでしょう。 ウォーキングの特筆すべき他の特性は、最小限のけがのリスクで健康効果を得られることです。より強度の高いエクササイズ(例:バーベルスクワットのセット)はやりすぎと不十分間の範囲があまり広くありません。良いトレーニングとけがの境界線は数回の余剰なレップやバーベルにのせるプレートの枚数だけです。しかし、ウォーキングにおけるエラーの許容範囲はかなり大きいのです。健全な量のウォーキングの後、ほとんどの人はそれを二倍にしても簡単に回復できるでしょう。 ウォーキングは労力に見合う価値が最も高いことは理にかなっており、なぜならこれは私達が最も適応している運動だからです。他の動物と同様に、私たちの主な身体機能は移動運動であり、歩行はその目的を達成するために最もエネルギー効率の良い方法です。もし他に何もせずウォーキングだけを沢山行えば、ほとんどのアメリカ人よりもより健康になるでしょう。 簡単なまとめ もし、一般的な健康を向上する方法として、フィットネスを用いて「試して」みたいのであれば、覚えておきたい「ゲームのルール」を紹介します。これらの基本的制約を守りながらできる限り楽しみましょう: ほぼ毎日、最低30分から最大2時間までの身体活動を目指しましょう。 運動は、ボリュームや強度、種類の観点から様々なものになるべきです。ほとんどの身体活動はかなり軽くても良いでしょう。ウォーキングが人間にとって最も自然で効果的な動作です。 数日ごとに、あなたの筋力やパワー、または短い時間に高いエネルギー出力を維持する能力へ著しくチャレンジする強度の高い運動を取り入れましょう。クライミングやランニング、そしてレジスタンストレーニングが論理的な選択肢でしょう。 コーディネーションやバランス、可動域にチャレンジ運動を含めましょう。 あるいは、これらをより簡単な言葉で置き換えてみると: ゆっくりとした楽なペースでたくさん動き回りましょう。 頻繁に素早い動作を行なったり重い物を持ち上げましょう。 時折、あなたの命がかかっているかのように動きましょう。 そして楽しみましょう!身体活動は薬を飲むこととは違うんですよ。 参照 The Academy of Medical Royal Colleges (2015). Exercise: The Miracle Cure and The Role of The Doctor in Promoting It. Report from the Academy of Medical Royal Colleges, February. O’Donovan et al. (2017). Association of ‘Weekend Warrior’ and Other Leisure Time Physical Activity Patterns with Risks for All-Cause, Cardiovascular Disease, and Cancer Mortality. JAMA Internal Medicine, 175(6), 959–67. Pedersen et al. (2015). Exercise as Medicine - Evidence for Prescribing Exercise as Therapy in 26 Different Chronic Diseases. Scandinavian Journal of Medicine and Science in Sports, 25, 1–72 Booth et al. (2012). Lack of Exercise Is a Major Cause of Chronic Diseases. Comprehensive Physiology, 2(2), 1143–1211. Piercy et al. (2018). The Physical Activity Guidelines for Americans. JAMA, 320(19), 2020 World Health Organisation. Global Recommendations on Physical Activity for Health. Geneva, 2010. Lear et al. (2017). The Effect of Physical Activity on Mortality and Cardiovascular Disease in 130,000 People From 17 High-Income, Middle-Income, and Low-Income Countries: The PURE Study. The Lancet, 390(10113), 2643–2654. Stamatakis, et al. (2017). Does Strength Promoting Exercise Confer Unique Health Benefits? A Pooled Analysis of Eleven Population Cohorts with All-Cause, Cancer, and Cardiovascular Mortality Endpoints. American Journal of Epidemiology, 187 (5), 1102-1112. O’Keefe, et al. (2011). Exercise Like a Hunter-Gatherer: A Prescription for Organic Physical Fitness. Progress in Cardiovascular Diseases. 53(6), 471 Lieberman (2015). Is Exercise Really Medicine? An Evolutionary Perspective. Current Sports Medicine Reports, 14(4), 313–319. Pontzer et al. (2018). Hunter-Gatherers as Models in Public Health. Obesity Reviews, 19(December), 24–35; Raichlen et al. (2017). Physical Activity Patterns and Biomarkers of Cardiovascular Disease Risk in Hunter-Gatherers. American Journal of Human Biology, 29(2), 1–13.
“安全”なエクササイズレパートリーの拡大
脊柱の専門家であるDr.スチュアート・マックギルは、彼の素晴らしい新刊本である、背中のメカニクスの中で、時間の経過とともに“痛みなくできることを拡大させる”ために、彼がどのように患者に対応しているかについて頻繁に述べています。このことは、一日の活動の中で良好な“脊柱のケア”を実践することと、症状を出現させるあらゆるポジションや動きを避けるということから始まります。 患者が無症状の時間をしばらく獲得できるようになれば、新しい動きとエクササイズが徐々に紹介されます。時間と共に、その人の痛みのない動きのレパートリーは、包括的なエクササイズプログラムに統合されていきます。いきなり難しいことをすることなく、様子を見ながら慎重に行う効果的な方法です。このことは慢性的な腰痛を患っている患者にとって特に重要なプロセスであり、そのサイクルを遮断し、実際に心地良いと感じることがどのようであるかを再獲得する必要があります。Dr.マックギルは次のように記しています、 “長年、私たちに最良の結果をもたらしてくれているアプローチ方法とは、患者に痛みのない動きを教えることです。このことは痛みの”ゲート理論“に基づいています。痛みを引き起こさない単純な動きを見つけることで、固有受容器システムが関節や筋肉のセンサーの信号で満たされ、痛みの信号が神経の”ゲート“をくぐるためのスペースをほとんど残さなくなります。これら痛みのない動きを繰り返すことで、脳にそのパターンがコード化されます。より良く、そしてより長い期間動けるようになるまで、ゆっくりと患者の痛みのない動きのレパートリーは増えていきます。彼らは脳に刻まれた痛みを引き起こすパターンを、痛みのないパターンに置き換えることに成功したのです。” 私はDr.マックギルの本を読みながら、リハビリやフィットネス業界における他の領域にどのように応用できるだろうかと考えずにはいられませんでした。例えば、野球選手のトレーニングという、私の一番の興味ある領域に関して言えば、野球のリハビリテーションの現場において、このことをどのように投球復帰プログラムに応用するのかについて考えなければなりません。真実を言えば、野球選手はもっとも独特な種類の機械的疼痛を持っているため、オーバーヘッド投球のアスリートにおけるリハビリテーションシナリオのほとんどの場面では、このアプローチは従来から上手に適用されてきませんでした。言い換えると、肘、または、肩は唯一そのポジションでしか問題にならず、また、大抵はかなり早い速度の時にしか起こらないのです: 現場で見かける顕著な上肢の投球傷害のほとんどでは、休息時の痛みはあまりありません。むしろ、腕は投球の動作時にのみ痛むのです。残念なことに(あるいは、見方によっては幸運なことですが)、日々の生活のなかで、実際に投球のストレスを再現するものはありません。投手にとって痛みのない能力を広げることは、単にそれ自体では従来次のことを意味しているのです: 1つの段階が次の段階に“繋がる”という漸進がまったくないことが多いということに気付き、実際に驚くでしょう。“投球しない”段階において、私たちは一般的な腕のケアエクササイズを多く見ますが、動きの速度,下肢とコアの統合、アスリートの投球方法(アームスロット)に特有の腕のポジションでのレーニングを組み入れることにはほとんど注意していません。残念なことに、テーブルに横になって、5パウンドのダンベルを使ってエクササイズをすることのみでは、120フィートの距離でボールを投げるために必要な準備ではないでしょう。 この理由のため、アスリートを“全体的”にケアし、様々な投球フェーズで徐々に増加していくストレスを理解できる理学療法士をいつも探しているのです。最も重要なことは、これら3つのそれぞれのカテゴリーの間でいくつかの“状態を判断し慎重に行う”ステップを組み入れていくことなのです。選手がオフシーズンの投球プログラムの強度を上げていくことと、全く同じように行います。過去に理学療法士であるチャーリー・ウェイングロフが鋭く言及したように、“トレーニング=リハビリテーション、リハビリテーション=トレーニング”なのです。 投球をしないということと、平らな地面での投球の間にあるギャップをできる限り埋めるにはどのようにすればいいのでしょうか?先発投手にとっては、腱板のエクササイズは、投球時に起こる肩甲骨の上方回旋と肩の挙上を反映するために、90度外転位に近い姿位で行う必要があります。さらに、投球のレイバックフェーズに“問題”となる強さをテストするには、外旋の実際に最終可動域に近いところでトレーニングすることも重要です。そして、外旋から内旋にどのように移行しているのかをテストする必要もあります。 この点に関して、私の経験のなかで、内転位(腕は身体の横)のポジションで腱板の強さを計るテストには合格するのに、問題となる“アームスロット(投球方法)”ポジションでは無惨にも不合格となる多くの投手を見てきました。正しい漸進を選択することが本当に重要なのです。 さらに、よりアグレッシブな回旋系メディスンボールエクササイズを行うことは、投球動作という独特な動作における力の産生、移行、そして受け取りを教えることに役立ちます。
脊柱に優しい5つのストレングス&コンディショニング戦略
Dr.スチュアート・マックギルは、彼の著書である背中のメカニックの中で“脊柱のケア”という用語を頻回に使用し、日々の様々な活動や運動タスクの中で、腰痛に対処するためにどのような姿勢を保持すれば良いかが記されています。ほとんどの戦略は姿勢に関することが語られていますが、長時間の活動の中で脊柱を健全に保持するための、ストレングス&コンディショニングプログラム戦略のいくつかを見ておくことは有意義であるだろうと考えています。 1. 重たいダンベルを拾い上げない。 ロウ、プレス、あるいは、片脚エクササイズのためであれ、強くなればなるほど、ダンベルを拾い上げ、ポジションするためにはかなり大きな負担が伴います。最も低い段のダンベルラックから最も重いダンベルをポジションするとき、事態はより深刻になります。我々は、バーベルよりもダンベルのほうが脊柱に優しいと長年洗脳されてきていますが、これは常に単に正しいわけではありません。一旦かなり強いレベルまで発達すれば、胸の高さからおもりを下ろすことと、スイングさせずにダンベルをその位置まで持っていくことは、とても大事なことになります。重いダンベルを使用するなと言っているわけではなく、腰痛を患っているのであれば、このアプローチをする場合にかなり注意を払うべきだと言っているのです。 2. 重い両側負荷は周期的に使用する。 このことについて間違えないでください:圧倒的多数のエクササイズにおけるプログラムの中で、バーベルを使うことで最も重いものを動かすことができます。残念なことに、このことは、バーベルエクササイズをすることで、一般的には脊柱に最大の圧縮力と剪断力がかかっているということも意味しています。それらを削除する必要があるという意味ではなく、多少の休息を与えるためには、周期的にそれらを使用する必要があるということです。私自身のパワーリフティングキャリア絶頂の頃、大会後最初の10-14日は常に、スクワット、デッドリフト、グッドモーニングを行わないようにしていました。とにかくすべて低強度の運動で、数多くの片脚エクササイズとグルート-ハムレイズで十分でした。 3. 同じセッションでスクワットとデッドリフトをどちらも行うなら、デッドリフトの前にスクワットを行う。 デッドリフトが全身的・部分的のどちらにおいても、より疲弊する理由に関して多くの理論があるのですが、そのうちのどれに同意するかに関わらず、スクワットの前にかなり重いものを引くということが、背中を壊してしまうレシピであるといことは確実にわかるでしょう。結局、すべてのパワーリフティングにおいて、常にスクワットを最初に行い、デッドリフトを最後に行うということには理由があるのです。順番に関する私の好きないくつかのアプローチは次のようになります: a. 重いスクワット、反復回数のためのデッドリフト b. 重いスクワット、スピードのためのデッドリフト c. スピードのためのスクワット、重いデッドリフト d. スピードのためのスクワット、反復回数のためのデッドリフト 時折、スクワットの前にスピードのためデッドリフトを軽く行うこともできますが、ある程度のストレングスのレベルに達したら、それほど上手く効果が出ないということに気づくと思います。 4. 上手に動けないのであれば、疲労した状態でトレーニングをしない。 コアのコントロールに優れた経験豊富なリフターは、トレーニング負荷が法外でない限り通常、疲労した状態でもなんとかトレーニングすることができるでしょう。ただ、興味深いことに、典型的な腰痛を抱えたレクレーションランナーを見ると、痛みは、彼らがすでにしばらく走ったあとに起こることが多いようです。疲労が股関節伸展の代替として、腰椎伸展をさせてしまうことで、疲労は状況を変えてしまいます。 このことは、単にランニングプログレッションによる段階的復帰の重要性を強調しているだけではありません;むしろ、腰痛の既往歴がある人たちは、疲労していない状態で完全なテクニックをトレーニングするために、多くの時間が必要であるということを我々に教えてくれているのです。マックギルが話しているように、腹臥位と側臥位のブリッジを1セット60秒間保持するよう試みるよりも、より短く複数セット行うほうが良いでしょう。 時間の経過とともに、これらの良いポジションが習慣化し、“無意識的気づき”として標準的に受け入れられるようになります。悪いポジションで常に過ごすことは、それが空間的気づきに乏しいのであれ、疲労に耐える能力がないのであれ、間違った方向へのステップなのです。 5. スプリットスタンスで行う 片脚での下肢のトレーニングのほうが、両脚でのトレーニングよりも脊柱にかなり優しいように、他のエクササイズを単純にスプリットスタンスで行うことが、望まない脊柱の動きを最小化することに役立ちます。例として、私たちは常にウォールスライドのバリエーションをスプリットスタンスで教えますし、このアプローチがローイングやランドマインプレスのテクニックにも統合されていくのもお分かりになるでしょう。