強さとは? パート2/2

私の中では、強さは仕事の受容能力−スペースを保ち、動作を行うために筋緊張を用いる能力−に欠かせないサブカテゴリーです。筋肉を使って、可動域、姿勢、空間のなかで自身をコントロールするポイントを保ちます。強さは、損傷を与えうる力や、バランスを崩し、振り落とされるような外部からの力への抵抗を指します。さらには、関節を最大効率(上記で述べた最低有効な用量)で動かすことで、仕事を行うことを可能にする筋緊張です。 その仕事は、一定の基準を満たしていなければなりません。そうでなければ、それは無駄な動きで、自然は経済的ではないものを受け入れません。大きな枠組みでみれば、正確さを失ったその追加の5回を無理やりこなすことは、ほとんどプラスにならないでしょう。あなたはパートナーよりも多くの回数を行ったかもしれませんが、一流のアスリートは決して超えようとしない一線を超えてしまったのです。 ウエイトリフティング以外のスポーツにおいて、重りを持ち上げること以外に価値や可能性を見いだせないリフティングの何がいいのでしょう。 たとえば、ある人が海軍に入隊するために、パリス島でUSMC(アメリカ軍海兵隊)のブートキャンプに参加し、トレーニングを経験したとしましょう。これは本当の話ですが、私の友人も何人かパリス島へ行っていて、帰ってくると、行く前とはかなり違う外見になっていました。 彼らは皆、ウエイトルームで鍛え、坂道を走り、身体を強靭にするために様々なことを行い、来るべき任務に備えます。しかし、このブートキャンプで彼らが経験するのは、10マイル(約16km)のハイキングであれ、バッグを背負った状態での10マイルハイキングであれ、かなりの数の懸垂、腕立て伏せ、脚上げをするのであれ、自分自身の身体を持ち上げ、体重や背中に背負った道具を、上手にコントロールすることが目的でした。 ウエイトルームで行うことは、何セットやろうが、何回やろうが、どの筋肉グループを徹底して鍛えようが、それ自体が差になることはありませんでした。ウエイトルームの外での環境こそが、彼らが全てをつぎ込んで、能力を発揮しなければならない場でした。あなたが、リフティングを行う理由が、ウエイトルームの外で評価される何かの受容能力を上げることならば、リフティングを行う時間が、仕事の受容能力の発展を邪魔しないようにしなければなりません。 いつも笑ってしまうのですが(あなたもきっとそうでしょう)、「あなたの強さを表すものを教えてください」と聞くと、みなさん5年前にできた1回の最大拳上重量や3回の最大拳上重量を答えるのです。 こんなこと言いたくはありませんが、5年前の自分と今の自分は違います。これはほぼ全ての人に言える事です。強さは、仕事の受容能力の一つの評価として、数字で、科学的に表されるべきです。だから私はいつも「評価をするために使うテストの練習をすれば、そのテストは指標として意味のないものになる」と言っています。 マラソンは、仕事の受容能力が軽くて長い代表例で、ファーマーズキャリー(訳注:農夫の運搬動作に似た重量運搬トレーニングのこと)は、仕事の受容能力が重くて短い代表例です。どちらの活動も、適切に行うために、姿勢や動作パターンを習得する必要があります−バランスのとれた適切な姿勢、身体に負担のかからない経済的なパターンを−。 SAT(訳注:アメリカの大学進学適正試験)のようなタイプのテストに対する対策を中学二年生で始めて、高校二年生になるまで毎月SATの模擬テストを受け続けても、そのSATの点数が大学での最初の一年間の成功(本来SATを通して計ろうとしているもの)を表すとは思えません。 ちょっとの間、練習をして、誰かに「デッドリフトをこれだけできるから私は強い」と言ったとしたら、「では坂道をどのくらい走れますか?」「あなたのファーマーズキャリーのフォームはどうですか?」「懸垂を何回できますか?」などと返されるかもしれません。これらはあなたの強さを試しているわけではありません。これらは強さの狭い定義を試しているにすぎません。 ほとんどの普遍的な真実は言葉で完璧に伝達することはできませんが、正確な言葉があれば、少なくとも人々の共通経験として評価されます。私たちが現在使っている強さという言葉の扱い方を取りはらって、文字通りなくして、痛めつけて消してしまえば、仕事の受容能力を重視するようになるでしょう。それこそが私たちがウエイトリフティングを行うそもそもの理由です。仕事の受容能力に価値を置くようになれば、強さと言う、最初から誤って使われ卓はなかった言葉によりふさわしく、使いやすい定義が生まれるでしょう。

ファンクショナルムーブメントシステムズ 2054字

強さとは? パート1/2

ダン・ジョンとリー・バートンと共に作成した「Essentials of Coaching and Training Functional Continuums」(機能的連続体のトレーニングと指導方法の要点)のDVDを見返してみて、私たちが強さについて頻繁に言及していることに気がつきました。 私が強さは大切ではないと言っている、と考える人も多いのではないかと思うがゆえに、これは、私が取り上げてきたものの中でも最も偏向したトピックかもしれません。 しかし、私は強さが大切でないとは言っていません。 私が言っているのは、強さという言葉は、その言葉が本来持っている伝達能力と説明義務を十分に発揮していないということです。 強さを身体発達の要素と考えると、強さには明確さ、生命維持活動に必要な値、標準値などが欠如し、行動指標になりません。皆が論議はしているけれども、それぞれが考える価値基準は異なっています。強さが基礎であるならば、なぜ視力(1.0)や血圧(120/80)のように標準値を持つことができないのでしょうか?標準値を持つことはなぜそんなにも難しいのでしょうか? 標準値を持つことが難しいのは、総体的な強さ−持続性のない目先の見解−の前に、特定の強さを考えたいからです。長期的な特定の強さへの基盤は、堅固で、包括的な土台になります。 強さや柔軟性といった言葉は、人の意志の強さや適応性、あるいは身体の特性を言及するときにも使うことができます。この記事の目的としては、間違いなく強さの身体的特性について話しています。それでもやはり、私は強さという言葉に対する強い愛憎関係を持っているのです。 強さという言葉を聞いたとき、重量挙げのような重いものを持ち上げる力を思い浮かべますか、それとも、仕事の受容能力を思い浮かべますか?正直に答えてください。 私は人生の大半の期間において、強さは重りを持ち上げる能力だと考えてきました。しかし必ずしもそうではないときもあったのです。 田舎のコミュニティで育った私は、強さは仕事の受容能力だと考えていました。やがて高校、および大学でウエイトルームを使うようになり、強さは重りを持ち上げる能力だと考えるようになりました。そして今、プロとして25年間、強さに関する教育、失敗、黙想を繰り返してきて…強さは仕事をする能力だという考えに戻りました。 あなたが、パワーリフティングやオリンピックの重量挙げのような競技をしているのなら、それに集中するべきでしょう。でも、仕事の受容能力が大事なスポーツをしているのなら、ウエイトリフティングは必ずしも強くなるための唯一の方法ではありません。しかし、ウエイトリフティングは適切なパターンで行えば、強さを築き上げる上でとても重要な方法となります。ウエイトリフティングが主ではないスポーツにおいて、ストレングスコーチは、次の2つの質問を投げかけるべきです。 強化されるべき重要なパターンは何か? それを達成するために必要な最低限の容量は何か? 仕事の受容能力という言葉は、軍人アスリート、シニアゴルファー、さらには10歳の体操選手まで誰にでも当てはめることができます。仕事の受容能力とは、一定の時間を通して、疲労に屈せず姿勢や動作を持続できる能力です。全てのアスリート、および、身体動作が関わる趣味に熱中している全ての人は、疲労が技術の正確さや技能の発達を邪魔する瞬間に直面したことがあるはずです。 もう少し噛み砕いて説明しましょう。反復回数について考えるならば、完璧にこなせる回数は、定性的な強さの採点基準においてAまたはBです。完璧にこなせない回数ならば、DかFになります。完璧にこなせているかどうか判断できない場合は、永遠にCの状態から抜け出せません。 あなたは今日、完璧にできない動作を何回行う時間がありますか?基準となる尺度や量に対する質の尺度がなければ、仕事の受容能力の価値を真に測ることはできません。これに関しては、自信を持って言えます。 私たち指導者は、アスリートや活発に運動する人たちを強化して、彼らが行いたい運動ができ、欲しい技能が身につけられるようにしたいと思っています。疲労に対して包括的あるいは基本的な抵抗力がなければ、技能の発展−運動能力や複雑な動きを要求する活動−を望むことはできません。疲れてくると、固有受容器の感覚や、集中力、スムーズな動き、呼吸、生理機能が阻害されます。疲労は全ての要素に影響を及ぼします。 こういった苦しい状況は、練習環境として良い基盤ではありません。練習と言う言葉を使ったのは、技能の向上を目指しているときは、技術的な正確さが大事だからです。トレーニングについて語るときは、最低限の技術的正確さを保ち、正確さを失う前にどれだけの量をこなせるかを見ています。 誤解しないでください。私は、強さは高尚な言葉だと考えていますが、あまりにも広範囲に浅い意味に使われていて、強さについて議論する必要があるいかなる状況においても、強さが何であるかについて、意見が一致することはありません。よりふさわしい定義がないことから、私は、謹んで、強さは仕事の受容能力であると定義したいのです。 強さが仕事の受容能力であるのなら、もう強さと呼ぶのはやめましょう。

ファンクショナルムーブメントシステムズ 2317字

自然を越えることはできない パート2/2

ティム•ハーフォードの書いた “アダプト(順応)”という素晴らしい本は、いかにして 自然界と環境が私達を成長させるかに焦点を置いています。自然界は私達に、失敗する機会を沢山与えてくれます。失敗しないということは、自然界が私達を成功という形で称賛しているのです。素晴らしいですね –自然界における失敗は、時にあなたの命を奪ったり、深刻な怪我をもたらすということを思い出すまでは。 私達はたびたび、環境以上に物理的に人々を発達させようとします。私が皆さんに受け入れて欲しいのは、自然を越えることはできないということです。たびたび、何かひとつの特性を、本来の性質以上に発達させようとした時、他の特性や質を犠牲にしてしまうことがあります。1つの目標に焦点を当てているときも、他の能力を一定のレベルに保ちながら、自然環境が私達を発達させる方法には何かがあるのです。 それがまさに、なぜ私達が自然に則してシステムを成長させるべきなのかの理由なのです。“アダプト”から以下の3つのシンプルな原理を引用することから始めましょう。 その1:多様性。自然界にあるように、発達する為に沢山の変化にさらされなければなりません。新しい活動との関わり全てが成功するとは限りません…見返りなんてもってのほかです。沢山の多様性を手にした時、多くの失敗もあるでしょう、それが私達にもたらすものは… その2:失敗。失敗を活かしてください。ファンクショナルムーブメントスクリーン(FMS)では、頻繁にこの問題に直面します。誰かに明らかなスクワットパターンの機能不全が見られるため、スクワットで負荷をかけるべきではないと伝えるとき、彼らは決まって“でも明日はスクワットの日なんです”と答えます。もし加重スクワットに効果を生む十分な統合性がないのなら、なぜ負荷をかけることに固執するのでしょう。スクワットをするなとは言っていません。スクワットで “負荷をかけるな”と言っているのです。 多くのランナー達も同様に、私を誤解しています。彼らの走る量はあまりに多過ぎて、基礎的な動作のなかで生じる変化を許さないのです。彼らは抱えている他のあらゆる問題と共に走行距離を維持するために、その機能不全や代償作用が必要なのです。もし代償作用が残るなら、代償作用の理由もまた残ります。ムーブメントスクリーニングの視点では、運動動作を制限することにより代償作用を取り除きます。我々は、あなたのプログラムを中断し、型にはまったやり方を中断し、そして雰囲気も遮断するでしょう。行わないことで、機能不全からくる動作の勢いも奪ってしまうでしょう。必要なことに置き換えるために、したいことを邪魔するのです。我々が傷づけてしまうのは、あなたのプライドだけなのです。 その3:フィードバック。成功への明確なフィードバックループを持って、それが体系的発達に沿っているかを確実にしてください。 ローリングストーンズの言葉を思い出してください “欲しい物がいつも手に入るとは限らない…けれど必要な物は手に入る”。もし私達が、誰かの健康やフィットネスを管理するならば、まずその人のニーズを考慮すべきです。必要なことに取り組むことが、欲していることに一歩近づくということを理解できるようにしてあげましょう。 私は現在48歳です(おそらくローリングストーンズの話で歳がバレたでしょうね)。私は常に、自分の身体より自分のプライドに傷を受けるでしょう。身体に傷を負うことで成長できるかどうかはわかりませんが、プライドについた傷の多くは、私を何らかの道へと導いてくれるのです。もし失敗にフィードバックループが組み込まれていなければ、本来の指導力を発揮できません。もし私達(コーチ、トレーナー、先生、教育者、そしてリバビリテーター…人間として)が健康とフィットネスの増進という領域に足を踏み入れるならば、環境を上回ることはできないということを念頭に置く必要があります。 もし我々が、基本原則に基づいていれば、環境よりも早くそして安全にできるでしょう。 ファンクショナルムーブメントシステム(FMS)で、自然を回避しようとしているわけではありません。自然界は私達の原点であり、すべての成長はこの原理に基づいています。身体的な問題解決能力と健常者の身体的自立こそ保健体育がもたらすべきものなのです。 成長には多様性が必要です。評価する能力を養う為に失敗をします。失敗をフィードバックや継続的発展のために活かしてください。

ファンクショナルムーブメントシステムズ 1972字

自然を越えることはできない パート1/2

私は、人を教育する全ての機会は神聖であるべきだと信じています。 スポーツ医学の学位を取得する過程において、アスレチックトレーニング、フィジカルセラピー、そしてスポーツ医学はたいてい保健体育学部の範囲で教えられることもあり、私は非常に多くの保健体育の教育クラスを経験してきました。運動指導者が人材育成をしなければならない機会を目の当たりにしたとき、保健体育のお粗末な現状に気がつきました。 エド•トーマス博士の研究は、身体活動が子供の学業成績平均においてプラスの影響があると示しています。学問や健康、そして自尊心においてエクササイズが役立つことは明らかなのです。 英語や数学、心理学のクラスの最終目標は基礎的な学力と自立性の獲得です。 では、若者にとっての保健体育の最終目標とはなんでしょう?それはあなたが今まで受けてきた保健体育でも、あなたのお子さんが現在受けている(又は受けていない)かもしれない保健体育でもありません。保健体育を私達の両親の時代(ベビーブームの世代の人達)までさかのぼってみましょう。彼らは、自身の健康やフィットネスの方向性を決める時に自ら決断していたのでしょうか?それともただ単にインターネット検索や信用できる資格をもった専門家のもとに集まっていたのでしょうか? 私には、人に数学問題を任せるかを判断するのに充分なだけの数学能力があります。彼らは少なくとも基礎を正しく理解しています。結局は足し算と引き算ですよね?つまり私は: 新車の購入でつけ込まれたりはしないのです。 私の母親や父親は、理学療法クリニックやカイロプラクティッククリニック、またはフィットネスジムなどに利用されていると考えたことがあります。彼らがずる賢いとは思いません。ただ私は、彼らが私の両親が信じているような専門家だとは思わないのです。我々の誰もが皆、自分がしていることに隠された動機を持っていますし、誰かが良く知らないことがあれば、いつでもそれを利用することができます。こちらのものです。保険業界は恐怖の元に成り立っています。彼らは、あなたがこの先恐れるであろう何かに対して今請求するのです。はっきりさせておきたいのは、健康とフィットネスの成功においてそういった方法をとる必要はないということです。 私は、保健体育の授業がもし再構築されて、根本から作り直されたならば、子供達が障害に打ち勝つ力を与えてくれると信じています。本物の、物理的障害です。今日よじ登ったら、明日はスキップし、次の日は走り、そして物を投げる、そして持ち上げますが、まず最初に自重の持ち上げ方を覚えるべきです。 私達は物理的な障害を経験し課題の設定をするでしょう。これらの課題は失敗を生み出すでしょう。あなたがくよくよ考えるような種類の失敗ではなく、どういった進歩が必要かを明確にしてくれる失敗が望ましいのです。 とても俊敏な人は、柔軟性にかなりの問題があるかもしれない、ということを私達は知っています。また柔軟性に問題のない人達の何人かは、自分が望むような筋力を得られていないということも知っているのです。我々は身体的なチャレンジを、競技から離れ、競技性ではなく生活における実際の身体的な障害に焦点を当てて評価すべきです。あなたにできる最もやりがいのある身体運動は、偶然か意図的か、各個人に合わせたものであり–最大の努力を伴うチャレンジです。手応えのある対戦相手ですね。 エド•トーマス博士は、このコンセプトについて沢山語っていますし、身体的文化;教養性、知性、または構築性と同様にその物理特性も受け入れるという文化についても語っており、私も同感です。身体のリハビリテーションとパーソナルフィットネスの専門家として、私達は自分達を教育者と考えるべきです。私達は、いかにして子供達が高校を卒業するまでに基礎的な健康とフィットネスにおける判断力に自立性をもたせるようなクラス設計をするのでしょう? 理学療法士として、私は度々、保険の適用範囲内の治療回数を使い果たしてしまった方々を指導します。彼らは私のところに自費でやって来て、以前保険の適用範囲内である12回の治療を専門家から受けたとき以上の明らかな効果を、たった1、2回の通院で期待するのです。 私はその挑戦を受け入れ、何度も、3週間に渡って彼らに正しいアドバイスを与え、正しい運動をさせることにより、3回の訪問で問題を解決してきました。私は教育者でしょうか?もしくはセラピストなのでしょうか?ええ、そうです。私の治療の効果は即座に生活のリズムとパターンのなかに吸収されていきますが、しかし極めて重要な教育が流れを大きく変えるのです。 これは医療と身体文化においては何を示すのでしょうか?私達は多くの時間を無駄にしていて、クライアントや患者の自主性を作り出せてはいません。私達は、彼らに健康になってもらい周囲の人にその経験を伝えてもらいたいのでしょうか?あるいは彼らを “継続的消費者”として手元に置いておきたいのでしょうか? 良心に従って、自主性を作り出すことを選びたいと思いますが、その自主性は私達の教育システムのなかでもっと簡単で早急に始められるはずです。なぜ我々は健康管理の判断やフィットネスの判断において自立できないのでしょう?資金管理やコミュニケーション、ビジネスなど他の判断に関しては自立性を求められているのです。

ファンクショナルムーブメントシステムズ 2347字

諦めない 怪我をしない パート2/2

私が身体的卓越性の領域に踏込む時、それがスポーツであろうが戦術であろうが、彼らは私の研究プロジェクトには興味がないことに気づきました。彼らは私の書いた記事や本には興味がないのです。 彼らは実践的なことを聞きたいのであって、なぜこのシステムはあなたが行っているものより優れているか、などといった意味のない説明ではありません。彼らは、私達が身体発達において時間の浪費を防ぐ手助けとなるよう作った安全装置について聞きたいのです。 また、思い出してもらいたいことは身体教育の始まりの部分と発達は 自然淘汰で起こるものであり、単に基準を満たしているかいないかによるのです。もしあなたがプロのフットボールや、大学のフットボールチーム、または軍隊に入隊する為の最低条件を満たしていないとすれば、その道ではどちらにせよ成功できないのです。 数えきれない程の会話が、私をアメリカ海軍特殊部隊の発達パターンの認識へと導くことになりました。単純すぎでしょうが、彼らが当然好むことのない不良パターンを見つけることができます:もし誰かがBUDSトレーニング(基礎水中爆破訓練/特殊部隊のトレーニング)を行った時、するべきことはたった2つです:ベルを鳴らさないこと、そして怪我をしないこと。 ルールその1:諦めない ルールその2:怪我をしない。自分の限界と能力を、できる範囲でしっかりと理解してください。もし自分の限界を超えるならば、それを意図的な発達にしてください。有意義にするのです。そうすれば金メダルをとったり、自分の命や他の誰かの命を救うことができるはずです。 一番にはならないかもしれませんが、最後になる必要もありません。エクササイズやトレーニングで、あまりにも多くの怪我が起こるのを目の当たりにしています。必然的に、将来エクササイズする人はエクササイズをしない人に比べ怪我をしやすい傾向になるでしょう。これではエクササイズの印象が悪くなるだけです。- 本当はそうではないのに、不必要な危険因子になってしまうようなものです。それが必要になるまで、何か違いが生まれるまでは、身体発達やエクササイズで不要なリスクは負わないでください。 怪我をしない最良の方法とはなんでしょう?自分の能力を知ること、それでいて頑張ることです。自分の弱点を知ってください、そしてそれに取り組んでください。今日あなたが取り組むべきことは、適合への土台作りなのです。 クロスカントリーの大会で、こんな素晴らしいメッセージのTシャツを見かけました。 “レースが始まったら、馬鹿をするな。レースが終わったら、弱気になるな。”同じメッセージです。走るべきレースを走ってください。走る為にトレーニングしたレースを走ってください。あなたができることをやってください。そしてそれがラスト4秒、もしくはラスト4分、またはラスト4回であれ、弱気にならないでください。あなたはすでに正しい道程を歩いています。出来る限りの努力をしてください。私の前提を思い出してください:私達が自然より優れた身体的発達の指導をできるとは思いません。それをより安全に、より速くするよう指導することはできるのです。 人が自然を超えられるということを証明するのは難しいでしょう。いかに多くのアスリート達が、金メダルを獲得するために無名から這い上がってきたかを見てみましょう。彼らは自らを鍛え、血統が良かったわけでも、大学援助や資金提供があったわけでもありません。オリンピックに出場する4年前はプロになれなかった人達です。彼らは数多くの信じられないような障害を乗り越えてそこに到達したのです。彼らは失敗をし、その失敗から他の誰よりも素速く学んできたのです。 これが“タレントコード”や“才能は過大評価されている”という本が重要だと思う理由です。才能(私達がその身体活動を真似たいと思うような人達が持っている )は、計画的なトレーニングから生まれるということを知る必要があります。例え彼らが 計画的という言葉を使っていないとしても、それが彼らのトレーニング方法なのです。私達の誰もが、何か得意にできることが1つはあるものです。これらの才能を受け入れて、それをしっかりと磨いてください。他の人達が、彼らの身体の技で何をしているのかも見えてくるはずです。 動作からスタートすれば、すぐに身体発達の邪魔になっているものがわかるでしょう。もし人が上手く動けないのであれば、環境的ストレスから利益を得ることはないでしょう。なぜなら動きに遊びがないからです。 特異性の法則を考えてください。すでに代償動作があるために、順応することができないのです。すでに代償動作があるので、すぐに疲れて肉体的限界に挑む事はできません。技術の習得に思ったような時間を割くこともできませんし、すぐに挫折してパフォーマンスも理想を下回るでしょう。 これは全て、その動きが非効率的だからです。 非効率性は、障害や一般的な身体的発達の欠如を導き、成功できなかったり、続けざまに失敗するような環境にとどまる人は多くはないでしょう。誰もが皆、4年間辛抱してスタートを待ちわびるルディ(映画の主人公、カレッジフットボールの選手)のように作られてはいないのです。ほとんどの人は先に進んでいきます。 私達の仕事とは何でしょうか?私達の仕事は、4年後に大きな失敗という形で終わる状況を作り出すことではありません。私達は続けられる、ちょっとした学びを提案する必要があるのです。もし失敗するのであれば、学ぶことができてすぐに修正ができる小さな失敗であるように。あなたのプライド、計画、予定 – これらが傷つくことはあっても、あなたの身体は傷つきません。もしあなたが愚かであれば、自然はあなたを傷つけるでしょう。 自然に多様性を提供させて下さい。そしてあなたは “辞めない、そして怪我をしない”ことを提供すればうまくいくはずです。

ファンクショナルムーブメントシステムズ 2568字

諦めない 怪我をしない パート1/2

身体教育に関する話題を続けたいと思います。私の最新の記事は、教育環境に浮かび上がってくる数多くの問題点に焦点を当てています。わたしの批評は、変化を造る能力の欠如をベースにしており、その意図そのものではないということを理解してください。 我々が皆、その意図を再発見し、この発達を系統立てて受け入れるように努力させたいのです。- なぜなら人生はそれに左右されるから。私が提案したいことは、明確なコミュニケーションと客観的な説明責任を追求するなかでの、謙虚な解決法の始まりなのです。 ここで、教育を越えた環境について話をさせてください。私達が仕事やアクティビティー、あるいはプロスポーツにおいて専門性を身につけた時、発生するべき全く別の種類の身体教育、そして成長というものがあります。 ファンクショナルムーブメントスクリーニングのような新しいアイデアを、すでに確立されている身体的文化に取り入れようとする時、波風が立ち波紋が広がるでしょう。フェニックス消防局のアラン•ブルナッチーニ局長は、フィットネスの意図を受け入れ、それによって消防士達が恩恵を受けるようにしたいと考えました。しかし、彼はフィットネスの専門家を招いて消防士達に仕事の効率を上げるためのコンディション作りを指導させることは、問題を引き起こすであろうということを理解していました。 人々は自分たちの役割、知識、そして能力を尊重してくれる人から学ぶことを好みます。ブルナッチーニ局長は見事な決断をしました:彼はトレーナーを招き入れる代わりに、数名の選ばれた消防士達を、身体的発達の最も重要な部分に精通し教育されるように送り出したのです。彼らは怪我の減少と身体能力の向上、そして自立性の為にフィットネスの観点に着目したのです。 無形資産を知っている人達に、フィットネスのいくつかのルール、とても賢いルールを指導しましょう。アスリートの動作評価を実践する際、チームキャプテンを味方につけることはどんな時も重要です。私も、NFLとNHLでこれを経験しました。ベテラン選手が受け入れた時、ルーキー達に選択肢はありません。もしもルーキー達があまりに迅速に受け入れた場合、あなたはベテランを失うことになるでしょう。なぜなら彼らは、毎日数えきれない程の新しい流行にさらされてしまうからです。彼らは、そんな方法のすべてを追いかけてベテランになったわけではありません。 有能で、専門的で、訓練された人間の集団に情報を提供する時は常に、誰を引き入れるかを考えてください。彼らはむしろ、彼らが知っていることを熟知している誰かのフィットネス情報に耳を傾けるでしょう。そうは言っても、もし私がムーブメントスクリーニングを軍隊の身体管理のツールとして紹介しようとしたらどうなるでしょう?私は、リハビリを行う人達にムーブメントスクリーンを実施させることはしないでしょう。それは私達が求める内容ではないからです。 身体的卓越性を目指してあなたを追い込んで、あなたの懸垂や腕立て伏せを数えている人達があなたの動作のスクリーニングをするべきです。 彼らが生みだすプレッシャーのかかった状況は、弱点を見つけだし、彼らを加速する形で発達させます。私達の意図を理解している人間が、競争上の優位性のためにFMSを使い、発達を加速させるのです。思い出してください –テストでの欠損は傷害ではありません。それは単に将来傷害に発展しえる何かを識別するのです。スクリーニングやテストでの欠損は、責任を持って自分の弱点を管理することによって傷害を防ぐチャンスなのです。 私達は、動作を身体的リハビリテーションというリアクティブな観点からではなく、身体的フィットネスと同様にプロアクティブな観点から捉えるべきです。ムーブメントスクリーンをリハビリや、リハビリ現場、ましてリハビリスタッフと共に行ったりはしないで下さい。ムーブメントスクリーンは。身体的卓越性を推進するスタッフと行い、身振り手振りを交えて、動作は卓越性の重要な部分であるというコンセプトを伝えてください。 もしあなたがムーブメントスクリーンを高度に専門化したグループに紹介したいのであれば、リーダーを見つけるのに、充分な時間をとってください。- 狼の群れのリーダー、責任者であり、身体的卓越性に責任がある人のことです。FMSのNFLへの浸透は、リハビリテーションの専門家よりもストレングスコーチから来ているのではないかと私は考えます。ストレングスコーチと良い関係を築き、お互いに理解し合えたリハビリテーションの専門家も何人かいましたが、ほとんどの場合、プロ競技の現場でムーブメントスクリーンがより継続できるのはストレングスコーチに受け入れられた時なのです。リハビリテーションスタッフにも理解されている、と思いますが、 リハビリテーションや治療目的として解釈されるべきではありません。身体的発達のアプローチ、特に入念なテストで標準を下回った場合においての、もう1つの手助けとして解釈されるべきなのです。 私がセミナーやアスリートとの仕事で団体を訪れるとき、必ず彼らが私に診てもらいたいという人が一人います。もし私がその人を説得できれば – もしより良い診断ができて、優れた運動環境を作り出せるより良い計画をその人にもたらすことができれば – 彼らの行動や、時には口頭での支持が、プログラムの必要とすることをカバーしてくれます。チームの為の良いアイデアをチームリーダーに納得してもらえなければ、私はチームと話すに値しないのです。

ファンクショナルムーブメントシステムズ 2404字

ボックスにチェックを入れる:ムーブメントについて考えるなら、どこから始めるべきなのか? パート2/2

パターンがよいのであれば、その部位とプロセスを分解すべきではありません。悪いパターンは分解されるべきですが、良いパターンはそうするべきではありません。 論理的に、行動パターンが平均か平均以上であれば、還元論的な考えで掘り下げていく理由はありません。これは動きは改善できないと言っているわけではなく、単純に今望む状態でないのであれば、おそらく動きがそのチェックポイントや障害ではないということです。パフォーマンスやスポーツ特異的な、あるいは、かなり高いレベルの身体的コンディションのような、より複雑な行動パターンを見てみてください。 基本的なパターンが悪いのであれば、なぜより複雑なパターンをみるのでしょうか?あなたが構築しようとしている建物には、その基盤がないのです。 3. 1回のセッションのための客観的なフィードバックループを持っていますか? 体組成、筋肉肥大、体格、あるいは、スポーツスキルの獲得に明確な効果を出すであろう真の変化(顕著な順応)を計れるようになるまでには、数週間から数ヶ月かかります。 しかし、人間の神経システムは、1回の5分間のセッションでもしばしばより良く動く(質の改善)ようになるでしょう。私たちは今までずっとケーススタディーを行ってきました。我々が動きの問題点を探すために、ムーブメントスクリーンやメディカルムーブメントスクレーン(SFMA)を利用するとき、単純な変化よりも1つのパターンのほうが多くのことをもたらすことを知っているため、1つのパターンにアプローチします。もしそのパターンが最も弱い連鎖であれば、それは連鎖全体に影響を及ぼし計測をすることもできます。そしてその他のパターンを変化させることもできるのです。 適切なタイミングで、適切なパターンを適切に矯正すれば、たった1回のセッションでも動きは変化します。いつかこのボックスをチェックできるようになってほしいのです。 では、“その効果はいつまで続きますか”という質問が常に出てきます。 それは、その変化を補強するために何をするかによります。もし、間違ったテクニックでオーバーヘッドリフティングをやりすぎているというような、マイナスな動きの習慣や非生産的な動きの習慣を行っているのであれば、最初にムーブメントスクリーンでするべきことは、マイナスを取り除くこと(悪いパターンを)であり、プラスを追加すること(悪いパターンの修正努力)ではありません。 修正する前に保護するルールを適応しましょう。ヒポクラテスが“まず何よりも、害を加えてはならない”と言っているように、修正する前に保護することが目標を達成します。 なぜ我々は、おそらく環境的なものであることを修正しようとするのでしょうか?エクササイズをしたり、体にある程度のストレスを与える前に、医学的セカンドオピニオンを必要とするような既往歴や痛みを持っていないのであれば、生命体は壊れているとは考えないといつも言ってきました。 生物学的な表現ですべてを決定しなければなりません:生命体を修正することを選びますか、それとも、環境を修正することを選びますか?発火していないと感じる筋肉を活性させようとするとき、私は文字通り生命体を操作しようと試みているのです。 ほとんどのケースで、生命体が壊れている、あるいは、反応しない場合、どのような環境であるかに関わらず、全体的で系統的な医学的介入なしにはよくなることはないでしょう。常に医学的な問題を見つけようとしているということではなく、医学的に評価し、脆弱な身体システムに対し、不適切なストレスを軽減するためのなにかを見つけようとするでしょう。 覚えておいてください:修正する前に保護する ムーブメントスクリーンで、単に機能不全なパターンを持っている場合、膝蓋腱反射的に、トレーナーやコーチは自動的にその生命体は壊れていると推測してしまいます。私は異なった場所を見てほしいのです:私の意見では、個人が過去の既往歴や動作に伴う痛みがないのであれば、私はまず環境を変えることを奨励するでしょう。 一流のトレーナーやコーチであれば、練習セッションやライフスタイル(休息、回復、再生、不必要なストレスや怠惰)などの環境を微調整し適応させるでしょう。トレーニングプログラムやコンディションニングプログラムでこれらのことを変えようとするなら、あなた自身の意見よりもそれらのことに基づき、ただ間違っていないだけでなく、信頼を置かれていることを表現できるようにしましょう。

ファンクショナルムーブメントシステムズ 2059字

ボックスにチェックを入れる:ムーブメントについて考えるなら、どこから始めるべきなのか? パート1/2

生涯を通してムーブメントについて考えてきました。 私は自分自身が平均的な身体能力を持った平均的なアスリートであると考えていますが、常に素早く良いムーブメントパターンを見つけることができました。私は頭の中で重力のベクトルや三角錐慣性モーメントのようなラインを引きます。それを説明することはできませんが、私のキャリアの大部分は、それを明確に述べる試みに費やしてきました。 プロフェッショナルになったとき、ムーブメントに関する私の直感を確認する必要があると感じました。私が見ていると思ったことについて客観的であることを確実にする、素早くて最適なフィードバックが必要でした。自分自身と自分がサポートしていた人々に正直に言えば、基準を設定したかったのです。私は自分の直感を専門的に信じたくはなかったのです。直感が導くことはできますが、行動を起こす前に、いくつかのチェックボックスをチェックします。これらはほとんどの人が原則的に同意しうるものです。もし原則的に同意するなら、その原則を実践する努力をしなければなりません。 専門家として教育する、リハビリをする、トレーニングをする、コーチングをするに関わらず、他の専門家があなたの見つけたものの価値を理解することを助ける責任があります。理学療法を行うようになり、パーソナルトレーニングを行い、さらにはコーチングを行うようになった時、常にすべての人が、自分は他のプロフェッショナルな人々よりもより良いことができると考えているという事実を発見しました。 研究を見てみてください。世論調査をしたドライバーのほぼ93%が、自分たちは平均以上のドライバーであると感じています。そうなのであれば、私たちが今までに見たことがないような正規分布曲線を描くことでしょう。すべてのドライバーが平均以上ではありません。多くは平均か、それ以下なのですが、観点はかなり主観的な基準に限定されます。それは非現実的な行動の優位性です。しかし、その事実は何を伝えているでしょうか? もし私達が皆、くすっと笑いながら、他の人々の自らの技術の評価が間違っていると推測して、自分たちはまだ、平均以上のドライバーのカテゴリーにいると考えることができるのなら。こういったことがプロフェッショナルの中でもどのように起こっていくか理解することができるでしょう。 ムーブメントに関して疑問があり、フィードバックを与えてくれる自分発見の旅に出かけたいのであれば、これらの質問はよいスタートのきっかけになります: 1. ただ見ること、エクササイズを観察すること、活動中に周りで観察することで、正確に誰かのムーブメントスクリーニングを推測することができますか? 2. クライアント、アスリート、さらには、リハビリを終えたばかりの患者が、自らのムーブメントスクリーニングを推測できますか? 3. 1つのセッションのための客観的なフィードバックループを持っていますか? もし自分の能力や立場に強い自信を感じているのであれば、これらの質問のボックスを頭の中でチェックしてほしいのです。まず最初に、基準に同意する必要があります。 私はファンクショナルムーブメントスクリーンを使いますが、ここでムーブメントスクリーニングの賛否を得る必要はありません。多くの調査研究において、これは信頼できる基準であると考えられていることを理解しておいてください。自分自身にとって、ムーブメントスクリーンが何を意味しているかに価値をつけようとすると矛盾が生じます。それらの査定には、ほんとうに多くの仮説と省略をみることができますが、あなた自身の主観的な基準よりもより信頼できる基準であるという事実に立ち戻ってみましょう。 1. 誰かをただ見ること、エクササイズを観察すること、活動中に周りで観察することで、正確にムーブメントスクリーニングを推測することができますか? すでにこの質問に答えているのであれば、間違いを犯しています。動きを見て、結果を推測し、ムーブメントスクリーニングをしてください。(ムーブメントスクリーニングができる人を知っていれば、客観的なデータに邪魔されることがないので、さらによいでしょう。) ムーブメントスクリーンの結果を推測できないのであれば、それが不必要な情報であると感じているか、動きを評価するための目を鍛える必要があり、今は持っていないフィードバックループを持つ必要があると認めていることになります。もし正確に推測できたのであれば、次の質問に行きましょう:あなたの推測は、スクリーニングの結果とどれだけの割合で一致しますか? 2. クライアント、アスリート、さらには、リハビリを終えたばかりの患者が、自らのムーブメントスクリーニングを推測できますか? ドライビングと同じで、人々は自分たちの動く能力を過大評価しているか、かなり過小評価しているかのどちらかであることに驚かれるでしょう。正確に動けないと考えている不健康な人もいますし、動きの機能不全はまったくないと考えている健康な人もいます。 事実から10分離れたところにいるのであれば、どちらも推測しているのです。 すでにわかっていることですが、強く薦める必要がある人々もいれば、差し控える必要がある人々もいます。彼らのスクリーニングの仕方によって、それぞれの独立したムーブメントパターンに対する指導は異なるでしょう。 どちらもが同意できる基準を見つけましょう。パターンを見るという客観的な動きの評価をアンカーとしてみましょう。 科学的な観点から見ると、パターンがよいのであれば、分解することで成功した経緯がある場合以外、部位や動きのプロセスを分解して見るべきではありません。動きの行動パターンを含めた行動パターンに機能不全が見られないのであれば、容易に分解できるでしょう。しかし、なぜそうするのでしょうか? 基本的なパターンが充分機能しているのであれば、なぜさらに複雑なパターンに取り組んでいかないのでしょうか?

ファンクショナルムーブメントシステムズ 2591字

連続体 パート2/2

代償的な動きを生じる生体力学的理由は広く理解されていますが、可動性に支障をきたした場合、自然な学習ループを検査することができます。感覚情報が知覚として変換されず、知覚が行動に変換されなかったら、可動性を変えるという考えを受け入れることもなく向上することもありません。たとえ可動性が正常にならなかったにしても、それを言い訳にせず –安定性に取り組む前に、改善が目に見えて分かるまで可動性に取り組んでみてください。そうすれば、次のバランスの段階につなげられます。 バランスは、いわゆる平衡感覚や20秒間片足で立っていることができる能力をはるかに超えています。デッドリフトでもバランスを使います。ターキッシュゲットアップ、ファーマーズキャリー、水泳でもバランスを要します。動きのある状況下では、ほぼ必ずバランスをとっています –まず身体のアライメントを整え、それから主動筋と拮抗筋の相互的活動量を正確に測定します。 最後に弾むことに取り組みます。 –ゴルフスウィングのプリロードのためのバックスイングやパンチの前の腕のコックを使うように。弾むことは、一方の足が着地し、そして活動している筋や腱の弾性要素と連動して身体が反射的状況を生み出すときのエネルギーの蓄えを表現しています。 赤ちゃんを観察していると、赤ちゃんはそれほどリフティング(持ち上げ)をしません。動作のパターンを次々に進んでいきます。赤ちゃんは、モノを拾い上げ運びます。いつの間にか彼らは、そこら中で弾んだり、走ったり、駆け回ったり、モノを振り回したり、投げたりします。赤ちゃんの発達は、ストレングスの段階を省略します。ここで私たちは疑問に思うわけです。「なぜ私たちはそんなにストレングスの段階に夢中になっているのだろうか?」 ダンと私は、ケトルベルスイングやプッシュプレスの2つの連続体を紹介した時、次のように考えました: プッシュプレスをするのに必要な動作は? スクワットとプレスが上手くできなくてはならないでしょう。 ケトルベルスイングをするのに必要な動作は? デッドリフトを上手くできなくてはならないでしょう。 ケトルベルスイングやプッシュプレスを上手にできる人を、沢山見かけることはありません。たとえプッシュプレスが上手であっても、利き手側の方がそうでない側よりもずっと上手くできる傾向にあります。プッシュプレスのような基礎的な動きにおいて、このような非対称がある理由はないのです。テニスのサーブや野球の投球が対称な動きであることは期待しませんが、プッシュプレスが対称に行えないのであれば、エンジンに何らかの問題があるのです。 この話の教訓は:ほとんどの連続体に足りない要素は、キャリーの段階であるということを示すために、ダンと私はこの2つの連続体を例に出しました。これが、コーチであるダン・ジョンの業績と知恵を借りたかった最も大きな理由です。ダンは、必ず何らかのキャリーを自分自身のトレーニングと他人に指導するトレーニングプログラムに含めます。ダンは、ローデッドキャリーの使者なのです。 ダンの叡智が、どのように働くか実際にやってみました。幼児はリフティング(持ち上げ動作)を多くしませんが、持ち上げたものは、長い間持ち運びます。ものを持ち運ぶ際は、負荷下で正確なアライメントにしなければなりません。これは、反射によって起こる安定性です。キャリーが上手く行えなければ、タスクを終了する前に姿勢が崩れてしまったら、主動筋は、安定筋が早々に持ちこたえられなくなるかどうかに関わらず働くために、安定筋の耐性がパワートレーニングに持ちこたえられないことになります。たいてい課せられた反復回数を何とかこなそうとするでしょうが、これらは完全性を持った反復ではないのです。 そこで、負荷下で正確なアライメントを明示するため、さらには対称性を明示するためにキャリー(伝統的なファーマーズキャリーでも、片側の頭上からフロントラック、スーツケースキャリーなど)を使います。ホールドとキャリーを使って、負荷をかけた状態で統合されたアライメントを作ることができれば、安定筋は、不必要なセットバックなしで、このパワーの連続体として働くことができる持久力やフィードバック、制御を持ち合わせていると言うことができるでしょう。 たいていの人は、パターニングからリフティングヘと進みます。彼らは、段階をひとつ飛ばしているのです。定義において、連続体の段階の継ぎ目は、ほぼ感知できないものであるべきです。各段階は互いに解け合うべきです。あるパターンから負荷のかかったパターンに移ることは、連続体とは言えません。パターンを習得します。アライメントを習得します。完全性を習得します。そして、異なるポジションでキャリーができるかどうか見せてください。異なるポジションでキャリーができた時、より完全なリフティングができ、本質的にストレングスを向上させ、支障なくパワーに正しく移行できると私は思うのです。 多くの連続体における失われたリンクは、キャリーの段階、ホールドの段階、さらに仕事の受容能力を明示する非常に単純なパターンにおける負荷下での完全なアライメントの欠如でしょう。ストレングス(強さ)という言葉ではなく仕事の受容能力という言葉を使ったのは、たとえ1-RMの測定で強さがあると自覚している人であっても、登山の手助けをその人にして欲しいとは思わないかもしれません。仕事の受容能力を備えた人に手助けして欲しいのです。 私たちは、技術の向上をめざして、十分な仕事の受容能力を養うためにリフティングしトレーニングをします。もし、仕事の受容能力が欠けていたら、負荷下における完全なアライメントという基盤がない技術の練習になってしまいます。 連続体について知っている必要があるのです。

ファンクショナルムーブメントシステムズ 2463字

連続体 パート1/2

この夏、私はダン・ジョンと一緒に仕事をする機会がありました。もうご存知のはずですが、私はダンの研究と彼のユニークな見解の大ファンです。 ダンは、口先だけではなく何事も実際にやってみるタイプのコーチです。実際にやってみて価値を見いだせれば、それについて話が止まらなくなります。ダンは、何か疑問に思うことがあれば、誰かに相談し、見通しを立てます。それからジムへ行き、指導する立場に立ちコーチングモードに入り、さらに、複数の人からフィードバックを集めます。 こうして初めて、ひとつのエクササイズに対して彼自身がどのように考えるかを判断することができるのです。 選手を育成するという点で、ダンはいつでも確たる原理に基づいて実行しています。「The Essentials of Coaching and Training Functional Exercise Continuums」(機能的エクササイズ連続体のトレーニングと指導方法の要点)を作成するにあたり、ダンに協力してもらいたかった理由もそこにあるのです。昨年の春、私はFMSのスタッフと一緒に、エクササイズ連続体を構築するための体系的な枠組みを策定する方法を模索しました。まるでパズルのピースを合わせるようにエクササイズを簡単に組み合わせているのではないかと思われているかもしれませんが、実はそういう訳にはいかないのです。 まず、ここで私達の連続体の定義がみなさんと一致しているかどうか確認しましょう。連続体とは:その両極端においては、かなりの相違があるものの、連続してつながる要素同士にはとりわけ大きな相違のない連続した順序である。 誰かに一連のエクササイズを紹介する時、すべてが適切な順序で実施されることを明示する目的や頂点となるエクササイズが存在することが望ましいでしょう。まず達成したい目標が定まったら、エクササイズの動作をつなぎ合わせるのは私たちの仕事なのです −複雑性や技能がとても低いレベルから目標のレベルまで。ただ、フィットネスやアスレチック向上のためのトレーニングの場面で最近よく見かける、不必要な遠回りをするエクササイズにならないように、それらのエクササイズを組み合せる必要があります。 不具合やちょっとした問題を回避するために最初にやるべきことは、より優れた予測力を養うことです。たとえば、デッドリフトが正しくできない時、プルアップの順序がうまくいかない時、ケトルベルのスウィングができない時など、十分に構想を練っていなかったのではないかと考えられます。意図しなかったこと、または予定しなかったことのいずれかが起きたわけです。その人、個人をもっとよく知っておくべきだったのです。なぜなら、連続体とは私たちが作った環境だからです。 そんな時、–その人が、経験しようとする自然の発達に踏込んでみて、「代わりにこうしましょう」と言うのです。身体教育に関する私の最近の記事の話に戻りますが、そこで私は繰り返し次のように述べています:私たちは、あなたを自然界よりうまく育成することはできないでしょう。この地球上で最も強く速く高い技術力のある動きをする人のなかには、すでに人生を生き抜いていて、そのほとんどは誰からもコーチを受けたことがないかもしれないのです。 我々を発達させたこの自然体系よりも、私の小さな脳の方が賢いとはこれっぽっちも考えてはいませんが、これは遠慮なく言えます:自然を超越するほどうまく人を育成することはできないとしても、より早くより安全に育成することはできると思っています。そのうえで、私が自信を持ってできるのは、運動についての知識とあなた自身について知っていることに基づいてA点からB点へ向上させるためのエクササイズ連続体を組み合わせることです。 連続体を理解すると同時に、どのようにしてひとつのエクササイズから継ぎ目なくスムーズに、次のより複雑な動作へとつなげるかを理解する必要があります –私たちは、トレーニングする相手のことを常に理解しているわけではありません。連続体を実施する上でそれが一番大きな問題だと私は思っています。もしその人に、可動性と安定性に根本的な問題があるならば、後でびっくりしないためにも今のうちに問題となるものを取り除いておきましょう。 ダンと私が連続体を探索した今年のパフォームベターのプレコンファレンスワークショップで、私は、管理されるべきいくつかの運動行動について述べました。それは、次の4つのBで表されます −breathing(呼吸する)、bending(曲げる)、balancing(バランスをとる)、bouncing(弾む)。 ここで、くまのプーさんのストーリーを私が話し始めるかのように聞こえるかもしれませんが、まったくそのつもりはありません。これらの能力が互いに構築し合うことを、すぐに覚えられる方法を持って欲しいのです。もし、呼吸が乱れれば、4千年の歴史を持つ武道やヨガの実践者たちは、スタート地点から間違っていると言うでしょう。安静時の呼吸、または活動上昇時の呼吸が正しく行われなければ、すべてが崩れてしまうのです。これは、必要不可欠なひとつのリズムなのです。 呼吸は、意識的にも、無意識レベルあるいは潜在意識レベルでも働く特性を持っています。いつでも呼吸を制御することにより、自身の状態を調整することが可能です。怒っていますか?それとも無理をしすぎていますか?呼吸によって状況を好転させる方法があります。もしあなたがフィットネスやリハビリテーションの専門家で、このことを知らない、または理解していないのであれば、すぐに呼吸を探究してみてください。すぐに指導しようとしないで、クライアントや患者にかける負荷に呼吸がどう反応するか観察してみてください。 呼吸に続く曲げることは、自分を取り巻く環境に身をゆだねる能力であり、知覚情報を生み出す能力でもあります。可動性について私は熱心に取り組みます –生体力学的な必要性のためではなく、感覚入力のためです。なぜ私が安定性にアプローチする前に可動性を変えることにこだわるのでしょうか? 私は、呼吸が潜在意識または無意識レベルであるように、ほとんどの安定性も同じであると考えます。安定性はほとんどの場合、反射的なレベルで作動しています。頭で考えてはいません −何かのタスクに集中していても努力なしでバランスをとっています。 もし、可動性に代償しなければならないほどの支障があれば、反射的行動に伝わる知覚入力は歪んでいるでしょう –過剰な情報、または不足した情報を受け取っているのです。どちらにせよ、必要としている情報を受け取っていないということになります。

ファンクショナルムーブメントシステムズ 2825字

FMSモデルの実際例への応用 パート1/2

アメリカで開催されるパフォームベターのサミット前日に開催された、FMSのセミナーを収録したビデオ ”FMSモデルの実際例への応用” から、の抜粋。グレイ・クックが、スクリーンとアセスメントの違い、動作を学ぶプロセスの重要性を熱く語るビデオのパート1。

ファンクショナルムーブメントシステムズ 4:54

FMSモデルの実際例への応用 パート2/2

アメリカで開催されるパフォームベターのサミット前日に開催された、FMSのセミナーを収録したビデオ ”FMSモデルの実際例への応用” から、の抜粋。グレイ・クックが、スクリーンとアセスメントの違い、動作を学ぶプロセスの重要性を熱く語るビデオのパート2。

ファンクショナルムーブメントシステムズ 4:26